第12話 水を求める者達
一行の進行に緊張が高まり続ける中、一人の耳に希望となる音が届いた。
「──水の音が聞こえないか……?」
木々が風で触れ合う音の中、鉄雄の耳は水の流れる音がかすかな音を拾い上げた。
その言葉に二人も足を止めて耳を澄まして周囲を探ってみると──
「…………本当だ! あっちの方みたい」
耳に届き足早に目指し始める。そこが求めていた水場かもしれないのだから。
疲労も緊張も忘れ、周囲を警戒が蔑ろになりつつも辿り着いた先には小さな泉があった。
「おお……!」
思わず息を呑んだ。
底が見えるぐらいの透明な水で満たされ木々の陰に隠れず、太陽の日差しを受けて水面を輝かせ幻想的な光景を作っていた。
泉の中心には腰の高さ程の樹木が水底から伸びており、樹芯は水受けのような形をしてこんこんと水が湧き出て幹が小さく穏やかな滝のように泉の中へ注がれ続けていた。
アンナは泉の中の樹を視界に納めると、表情が曇る。
「これは──噴水樹だよ!」
「フンスイジュ……? 文字通りだな……でも、ようやく件の水場に到着できてよかった……」
「喉も渇いてきてるし、ここの水をいただくのもいいかもね」
二人はふらふらと乾いた体を満たす欲に従い近づいていく。倉庫に追加の水はあれど手持ちの水は大分減っていた。先を考えながらチマチマ飲むよりも遠慮なく自然の湧き水で喉を潤したい欲に支配されようとしていた。
「ちょっと待って! ここは地図の水場じゃない! この水は飲むことができないの! 毒がある!」
アンナの一声に二人は動きを止めて驚いた表情で振り向く。精神が給水に向いている状態での待った。
「!? こんなに綺麗な水なのにか?」
アンナは真剣な表情で首を縦に振り肯定する。この水は飲むことができないと、飲むなと有無を言わさないように。
「噴水樹って葉を持たない珍しい木なんだけど、地中の水を吸い上げて水を放出してるの。でもその水には毒が含まれてて、獣達が飲み水だと思って飲むと、お腹を壊して糞や何やらを近くで撒き散らすことになるの。この樹はそれを水中に溶かして栄養にするんだって」
「…………なるほど、どの動物も水は必須だからな……水で寄せて排泄物を栄養にして成長する……なあ、その理論でいくとこれってウンコ水にならないか?」
地に溶けた糞尿を根で吸収して再び放出。完全に理解した二人は黙って泉から距離を取り始める。頭の片隅にも飲みたいという欲求は無くなっていた。
ろ過されている可能性の方が高いが精神衛生状、嫌悪感の方がはるかに勝った。トイレの中の水を飲むようなものだと理解した。
「というより、下剤性の水を含んでるって書いてあった。この水を飲むと飲んだ以上に水分持ってかれるって」
「(ウンコを)出す水ってことか……まさに毒水だな」
鉄雄の頭にはとある言葉が浮かんだ、男同士なら何の気なしに言える言葉でも少女と両性の二名が一緒で場の空気が最悪になりそうだから口にしなかったが「ケツから噴水」という言葉が確かに浮かんでしまった。
「効能を上手く利用すれば薬にもなるんだけどね──というわけでこの水の採取をしてきてね」
スッと取り出されるビン。それは鉄雄に向かって差し出される。
使い魔だから拒否権は無い、錬金術士の素材収集欲に圧倒されつつうろたえながらも受け取った──
「わ、わかった……」
「口に入らなければだいじょうぶだから」
何の慰めにもならないと感じながら泉の傍らに腰を落として使命と嫌悪の混じった複雑な表情を浮かべながらまじまじと水面を見つめる。
「変な匂いがするわけでもない……濁ったりしてるわけでもない。動物に飲ませるためだから当然か……」
何も知らなければ飲むことを考えなければ綺麗な泉、無知な者はこうして見てくれに騙されるものだと考え。まさに自分へのブーメランだと理解し頭が痛くなりそうであった。
噴水樹の生存戦略に感心しつつ、自分への戒めだと思いビンに汲み入れ蓋をする。中の水を光に透かしてじっくりと見ても毒水には見えなかった。
「ありがと、前までだったらこういうビンに入れた水なんて持ち帰るのが難しかったのになぁ」
ラベルを貼り、『噴水樹の水』と書くと空間を繋いで部屋の倉庫にしまった。
これで冒険の途中で素材の心配をする必要もなくなる。
「ねえふたりとも! こっちから水の匂いがするよ!」
「またか? また変な危ない水じゃないのか?」
「位置的には近いとは思うんだけどね……」
セクリの後を付いて行くとそこには。
「おお──!?」
小高い丘の岸壁の隙間からこんこんと湧いている水。
流れ落ちた先に小さな泉を作り、溢れた水は細い川となって森の奥へ奥へと流れていた。
泉の周りは魔獣達が常に闊歩しているのか木々は少なく踏みしめられ小さな空き地のようになっていた。
「ここが地図にあった場所だ……!」
「どれどれ……」
「ここ、ここ!」
「結構歩いたと思ったけどまだ全然だな……距離的には三分の一ぐらい進んだぐらいか?」
出発地点から一番近い水場。直線距離にして2km程度。それでも3時間近くの時間を必要とした。
「今日はここで休も。体力の回復もしたいしね」
「異論なしだ」
鉄雄にしろセクリにしろ「まだ頑張れる」そんな言葉は出せる状態じゃなかった。
ダンジョンのように綺麗に舗装された道でなければ、周囲の風景は幾重にも重ね塗りをされたように複雑。常に警戒を行わなければならない環境。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていた。特に鉄雄は限界が近く、まだ余裕があるセクリもこの先守り切れるか不安があった。主であるアンナはむしろこの環境に適応しているようで、疲労はそこそこにむしろ調子が上がってすらいる。
ただ、無理を通せば挽回の余地が無い失敗を犯してもおかしくないのは理解していた。
休める時にしっかり休むのが生き残る知恵。
「このぐらいの広さならだいじょうぶそう──キャリーハウス!」
開けた場所の真ん中に家の形をした模型を置き。
「オープン!」
アンナの凛とした言葉を引き金に魔法陣が発生し、淡い光を纏いながら模型が膨らむように徐々に大きくなり、光が治まると目の前には2m四方の石造りの家が出来上がった。
「最初これを見た時失敗したのかと思ったんだよなぁ」
「うん、どう見ても3人で入るには狭すぎるもんね」
「実は作ったわたしも不安だった」
家としても小さく屈まなければ入れない扉。縦はともかく横は以前のテントとそう変わらない大きさ。模型で組み上げた部屋割りになっているのかという不安もあった。
しかし、扉を開くとそんな不安はすぐに吹き飛ぶ。
最初に向かえてくれる玄関直結のリビングは三人が余裕を持って利用できるテーブルと椅子があり、地図を広げるも食事をするも良し、作戦会議にも使える。充分すぎる広さを誇っていた。
さらに奥には三人の個室へと繋がる三つの扉。
そこはベッドと着替えをしまう棚ぐらいしかないが、服を着替えて身体を伸ばして雨風を気にせず眠ることが可能。加えて壁は石材、木材、粘土、鋼材としっかり組み合わせて完成させたので多少の攻撃じゃあビクともしない。
この部屋の広さはどう見ても2mに収まっていない。外から見える大きさと中の広さは全くの別物。家に入るまで成功だとわからないビックリ箱でもあった。
「校庭で見た時よりも迫力とか佇まいがまるで違うな、隠れ家的というか秘密基地というか……まさに小説に出てくる魔女の家みたいだ!」
「テツの世界ではそんな感じなんだ。わたしとしては森のきこり小屋がすぐに浮かんだけど」
「こういうカフェがあったら1度は行ってみたいと思うなぁ……自然の声のする場所でお茶とお菓子を楽しみながらゆっくりする……悪くないと思うなぁ」
「この森なら魔獣と虫で満たされて癒しとは程遠そうだけどな」
「もおっ! でも、こういう楽しみ方をするならゴーレムを探しにいった時の休息地がいいかも」
「今だったら楽しみ方も違うよね。行き帰りも重い荷物を持たなくていいし遊び感覚で冒険に……って! これで終わりじゃないんだからのんびりするのはまだ後!」
「そうだった!」
「つい油断した……!」
キャリーハウスが泉の隣に設置したことで自然と一体化した家が出来上がり、様々な想像が駆け巡った。それを誘発させる程優れた代物だということだ。
しかし、作業はまだ終わっていない。セクリは家の中にある片側に結晶の球体が付いた四本の棒を手に取り外に出る。
「この中にも物を置けるのがいいよね。じゃあ結界張るよ!」
それは『魔獣除けの結界棒』、ソレイユのレシピにあった錬金道具の一つ。
文字通り魔獣を退ける結界を張る道具である。しかし、それは完璧に最高に調合できた場合である。現時点のアンナの腕前と素材では、発現する技能は『何となく近寄りたくない』程度。
それでも無いよりは安全。夜、急に襲撃されることも防げる可能性もあるのだから。
「ろ過装置も問題なく起動してる! 飲み水も問題なさそうだ」
鉄雄は流れ落ちる水を受けるようにろ過装置を設置し、ホースの行く先を注ぎ口のついた桶にする。その装置見た目は2lのペットボトルと同等の大きさをして金属の光沢を纏っている。
なにより王都で利用されている浄水装置を小型化したような性能を誇る──無論、製作者の技術によってだが。今のアンナでは汚水や毒水を浄化して飲めるようにすることはできない。
「これでいちおう拠点は出来上がったから……それじゃあテツは留守番と火の準備をしてて、セクリとわたしでこの辺りを回ってくるから」
「……わかった」
アンナの意図は鉄雄にはしっかりと伝わっている。
それを理解しているから鉄雄は反論せず受け入れる。
荷物を最小限に武器を片手に森の中へ進む二人。その背中を見送る鉄雄。傍目から見れば置いて行かれたように見えてしまうが、彼は普段通り自分の仕事を始めた。
「前の冒険者もここを利用したのかかまどが組めそうなぐらい石が散らばってるな」
石を拾い集めかまどを作り合金のトライポッドを設置する。
周囲に落ちていた枯れ枝を集めるが火を起こすにはまるで足りない。ただ、森の中へは踏み込まない。命令を忠実に守る番犬のように、決められた範囲で作業を進めていた。
ただこの状況。周囲の何かにはどう映るだろうか? たった一人で魔力の無い人間が何かをしている。飢えた者にとっては絶好の機会と捉えるだろう。
腰に据えた斧の存在など知らないのだから。
本作を読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「興味を惹かれた」と思われたら
ブックマークの追加や【★★★★★】の評価
感想等をお送り頂けると非常に喜びます!




