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第25話 蓮の上の露の願い

 『燃焼作戦』

 

 アンナが提案した至ってシンプルなこの作戦は火の爆弾『フェルダン』を本体と思われる巨大花の蕾に直撃させ燃やし尽くすことである。

 鉄雄が部屋に入り投擲距離に近づく。爆発後は一度通路まで戻り状況の確認。燃焼できなければ追加投入。安全を確認でき次第捕らわれた子供達を解放し脱出。

 アンナ製のフェルダンの特徴としてレバーを外したら5秒後に爆発。半径5~10mの範囲に業火が広がる。

 最初の案では通路よりアンナがフェルダンを投擲し花に直撃させる力技。部屋の入り口から蕾まで距離は約50m、実行に必要な速度は単純に秒速10m、球速36km/h。残り1秒で投げるなら球速180km/hとなる。

 アンナ本人が「間に合う」と断言していても時間計算に制球力。不安要素を消し去るには持ち球三発は少なく、現実的とは言えない。

 そこで精査された作戦は、鉄雄が接近して投げて花の真上で爆発させる。爆破位置が花の真上であるなら例えズレたとしても業火に巻き込むことが可能となる。

 現時点で想定される障害については。


 第一に『床の上に広がるツタ』

 青々とした見た目はまだ成長途中を思わせ、魔力を持つ者が上を通ったり迂闊に踏んだりしたら反応して襲い掛かってくると予想できる。


 第二に『水中に潜むツル』

 実際に目に見てはいなくとも水路を渡って来たという事実の元に予想できる脅威。もしも床に空いた穴という穴からひしめき這いずり溢れ出たら対処のしようが無い。


 第三に『巨大ツル』

 動き出すことを想像したくない家を一撃で粉砕しそうな程の重厚さを持つ巨大なツル。通路を埋め尽くす一本だけしか現状視界に映っていないが。もしも二本三本とあった場合、ただ振り回すだけで最悪の凶器となる。


 事細やかに使う道具や相手の動きを相談し、荷物を下ろし黒い斧を含む最低限の装備で作戦は実行されることになる。

 残念ながら鉄雄の肩は強くはない。確実に成功させるにはかなり接近する必要があり、その上で山なりに弧を描き花弁同士の隙間に投入。渡されたフェルダンの数は二個。安全に投げられるのは精々一個。もう一つは保険。そして最後の一個はアンナの手に握られる。


「じゃあ行って来る……」

「うん……回りはわたしが見てるから安心して」


 絶対的危険領域に踏み込む鉄雄の後ろ姿は死地に向かう戦士のように哀愁が感じられた。彼にとってはここまでの緊張感を纏う舞台など今の今まで上がった事が無い。


(今のところは問題は無いから。安心して進んで)

(落ち着け……焦る必要は無い……焦ったら全部終わりなんだ……!)


 自身で進むと覚悟を決めても恐怖や緊張が消える訳じゃない。ちっぽけな勇気を奮い立たせて何とか前に進んでいるにすぎない。強大な力を手にしても心は未だ一般人と変わりない。勇者でも英雄でもないただの一人の男。

 そんな男が蜘蛛の巣のように広がったツタの隙間を針に糸を通すように足を置き、まるで見えている地雷原を歩んでいく心境をこれでもかと味わっている。

 アンナの役目は状況観察。入り口手前で全体を見渡し念話(テレパシー)により周囲の状況を逐一報告する。このおかげで鉄雄の意識は目の前に広がるツタにのみ割けばいい。

 ただそれでも。 


(しまった──!!)


 不測の事態(イレギュラー)は発生する。

 意図的か偶然か、新緑で命溢れた透明感残るツタが枝分かれ伸長し鉄雄の足下に潜り込み、踏み潰される。不運にもツタが成長する瞬間に対面してしまった。

 水々しく弾ける音に血の気が引いて頭が真っ白になりかけたが、すぐさま何もない床へ足を移動させ、忙しないボックスステップな足捌きで距離を取るが時すでに遅し。

 床の穴からゆっくりとツルが蛇のように這い出て水を滴らせながら鉄雄が踏んだ位置へ伸びていく。

 息を呑んで、不動に徹し空気と一体化するが、一本二本三本と数を増やして近づくツルの姿が視界に入ると心臓の音が激しく脈打ち緊張で平衡感覚が歪み始める。

 ツルはゆっくりと迫る。不安を煽る駆け引きなど植物にはできない。敵対生物か無機物が紛れ込んだかも触れるまでも分からない。故に注意深い動き。魔力があったら既に襲われている。0と診断された結果が命を救っている。

 目も耳も鼻も無く唯一持つ魔力探知能力も機能しない相手。けれど触れられたらお終い。確信無く揺れる動きはダウジングのようで、その先端が向けられないことを祈るしかできない。


(テツはそのまま! わたしがどうにかする!)


 祈ることしかできないのは鉄雄だけ、観測者としてアンナがすべき動きは決まっていた。

 通路に落ちていた小石を拾い鉄雄の近くに投げる。乾いた音とツタに触れる石。敵生体が動いたと認識したのか矛先が石が落ちた場所に向く、警戒度を表すかのようにさらにツルの数が増える。

 少しずつ鉄雄から離すように、迷い込んだ動物が歩くように小石を投げ落とす。

 二個、三個と続け、情報を与え続けると幾本もの矛先が迷いの無いものに変化する。四個目が落ちたと同時に──

 周囲を大量のツルが削り取る勢いで這いずり回った。

 一通り暴れまわり何もない事を確認するとゆったりと穴に吸い込まれて水の中に沈んでいく。


(た、助かった……)

(テツの言う通りだった……しかも容赦がなさすぎる動き……植物なのに獣とぜんぜんかわらないよあれ!)


 アンナの機転により一命を取り留めた鉄雄。しかしこれはすでに想像され注意されていた事。ただ、規模と勢いが想定以上なだけ。

 一歩、また一歩、視野を狭めないように呼吸を荒くしすぎないように進む。

 頭の中で「大丈夫、問題ない」と繰り返し反芻していても。恐怖感はついて回っている。

 少しずつ、ツタの色が濃く、密度が上がっていく。生き生きとした色、役目を終えたかのような枯れた色、踏んで、安心して、また一歩。

 近づけば近づくほど美しく色鮮やかな花弁に視界が支配され。甘く優しい香りが鼻に届く。


(本当にもったいないよな……)


 襲ってくるような危険生物でなければ。人を養分にしようとしなければ。このまま観光名所の目玉として咲き誇れただろうと。恐怖が薄れる程見惚れてしまい、肌に刺さる威圧感も神聖なものだからと納得してしまいそうになる。


(でも、やるしかないよな……!)


 自分一人の命の問題じゃないことを改めて意識し呼吸を整える。

 失敗してしまえば五人分の命が散ってしまう可能性。最後が「役に立たない」失望感を与えての幕引き。それは何としても避けたかった。


(……これが最初で最後のチャンス)


 フェルダンの安全装置(レバー)に手を掛けた瞬間、自身の行動が一生経験することが無いものだと思い出していた。手に持っている物は何なのか。改めて理解した。玩具ではない本物の兵器。

 望んでいたスリル。生きるか死ぬかの瀬戸際。未知への挑戦。したかったこと。頭の中で破裂するように広がり激情が駆け巡る。

 深呼吸を一つして、捻る。止められない秒針が進み始める。残り5秒。

 激しく鳴り響く興奮を胸に生まれて初めて爆弾を投げた。

 腕から離れた瞬間全てがスローモーションで流れ始めた。身の丈以上の花の上に赤い球体が昇っていく。一生のうちで一番長い5秒。

 理想のラインを描き、最高のタイミングで真上に到達した。


(これは……!)


 見惚れる程完璧。結果を見る間でもなく成功。誰もが褒めるであろう投擲。

 決めるべき場所で決めた。心の中に溢れる達成感。

 それに水差す頭に響く叫び。


(耳塞いでふせて──!!)


 主人の命令を忠実に実行し無意識的な動きで体を丸まらせるようにしゃがみ、耳を塞いだ。

 直後に響く体の芯まで届く炸裂音。濃くなる影。体に吹き付ける熱風と衝撃。驚きに声を上げる暇も無い。

 体を襲う熱風が収まり恐る恐る見上げれば目の前の花弁は業火に包まれていた。


「これが錬金術の力……?」


 自分が行ったとは思えないほど目に映る景色が塗り替わったことに理解を拒みそうになっていた。

 桃色が入った白い花弁に黒い跡が染まり、甘い香りは火と焦げた匂いへ。自身が使い、作り上げた景色。後悔に似た念が体を蝕む。こうするしか無かったと言い聞かせるように。


(ほうけてないで早く戻って!! そこはまだ危ないから!)


 気持ちを入れ替え通路まで戻ろうとした瞬間。部屋に暴力的な破砕音が響き渡り。荒々しく砕け散って広がる石片と爆発するように噴き上がる水飛沫。四本の巨木が床を突き破り天を突くかの如く屹立した。


「何だこれ……?」

「まさか……!? 急いで離れてっ!!」


 四本の巨大な大樹の塔。見ただけで分かる圧倒的な質量。

 それが一斉に花開くように倒れ始める。目に映る光景は夢や絵空事でしか見た事の無い巨大建造物が倒壊する映像が想起させられた。

 当たる位置では無いことを理解できていても、巨大物が倒れ込んでくる根源的恐怖に抗うことはできない。

 目の前で起きようとしていることが夢と願い。脳が思考を止めて現状を受け入れるしかできなくなっていた。

 床に激突した瞬間、全身が飛び上がる衝撃と共に意識が変えられた感覚に陥った。

 自身が投げた爆弾とは桁が違う轟音。人が癇癪を起こして物を叩くのとは訳が違い、桁が違う。太鼓の上に乗せられたかのような振動。床の穴という穴から吹き出る水柱。想像の範囲外。妄想以上の出来事が広がる。死が目の前に迫っていることを本能で察した。

 燃焼していた花弁は鎮火され、鎮座していた蕾は蠢きながら茎を伸長させ、花を咲かせた。剥き出しとなる花托は舞台の様で、人の形をした多くの花柱達が鉄雄に向かって手を伸ばしていた。


(テツ!! 急いで立って!! 逃げて!!)

(────)


 届けられる言葉もすり抜ける。

 全身が水浸しになり腰を抜かして尻餅を付いた呆けた顔で停止してしまう。視界がぼやけ耳鳴りが響く。呼吸も荒く自分がどんな状況に追い込まれているのかさえ理解できない。

 再び屹立するツルの塔、幾千もの細いツルが這いよる。


(──あぶないっ!!)


 絶望的な状況を打破するために観測者から役者へと舞台を上がった。

 迷い無く動き出す身体。弾かれるレバー。始まるカウントダウン。青々しいツタの網を踏み全力で駆け抜ける。


(あの日と同じになんてぜったいにさせないっ!!)


 彼女を動かすは忘れられない過去の記憶。昔とは違うことを証明するかのように一直線に。

 鉄雄目掛けて倒れ始める塔。何もしなければ未来が決まっている。

  

「いっ、けぇ!!」


 音を切り、放たれる赤き剛速球。

 鈍い音を鳴らして堅皮にめり込みゼロを告げる業火が弾ける。 

 ほんの一瞬停止する塔。

 鉄雄目掛けて飛び込む身体、二人が影に包まれる。

 激突する手と体。


「──えっ?」


 影から弾き出される一つの身体。転がる視界に戻される意識と思考。瞬きの合間に見えた安堵した主人の顔。静止した視界に広がるのは灰色と緑の線が混じった床。

 鳴り響く轟音、掛けられる液体と熱。

 肌を伝う液体の色は分からない。

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