第29話 天衣無縫
二人が心の琴線に触れる服を探す途中、店の奥にガラスケースに収められた一着の服が目に留まった。
「この服綺麗……今まで見たことないぐらい……」
「こちらは当店自慢の『天界の舞踏衣』です」
王妃が着るような白い花を想わせるワンピース。広がった袖口にフリル、雪の結晶を彷彿させる半透明なオーバー・スカート。襟の中心には眩く光を放つ宝石。
店の中で玉座に居座るような圧倒的な存在感、服飾に疎いアンナでさえ心から称賛の言葉零れる。
「純白かつ、主張の激しい飾りもない、花や羽の刺繍、透明な宝石飾りはダイヤモンドか? 素材もさることながらこの出来はまさに天衣無縫と呼ぶに相応しい」
「え~と価格は……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……ごじゅうまんキラ!?」
アンナの眼が0で溢れてしまいそうな数字、金銭感覚が麻痺しそうな価格の急上昇。紙で言えば1万キラ紙幣50枚、10cmにも満たない。だがそれを積み上げることは生半可なことではない。
リンゴ1個約10キラ。5万個売ってようやく到達できる金額である。
「戦場を舞い終戦へと導く戦乙女の為に仕立てられた衣装となります。発現している技能は『自然の掌握』『不汚の純白』『天舞』その他諸々……これを身に纏った者はまさに無敵と呼べるでしょう」
属性の力を退け、あらゆる病魔を打ち消し、空を自在に舞い、戦意を消失させ、着る者に癒しを与える。 見た目は美麗、性能は神器。この衣装を着てアメノミカミと戦う者がいればまた戦況は大きく変わっていた可能性も否定はできないだろう。
「素晴らしい逸品であるが、わらわの想像が正しければこれは売り物であって売り物でない。いわば飾り、店の顔と呼ぶ物ではないか?」
「どういうこと?」
「お主らもコレを見て心が奪われた。つまり自然とここの服はコレを作れる実力者が作った商品だと思う。すると一種の安心感を得たのではないか?」
「確かに! 店構えだけが立派なんて考えは浮かばなくなる!」
「中々失礼な物言いしとるの……こほん、コレの役割は私達の店はこれぐらいの実力を持っていますという証明書。という訳じゃ」
「はぇ~……」
経営戦略に感嘆の溜息を漏らすアンナに感心した様子を見せる店主。
「いやはや……こうもはっきり申されると言葉に困りますね。布や糸、宝石は錬金術によって生み出され、職人によって編み上げられた。両名の純な欲望を追求し誕生したのがこちらとなります。誰もが羨望の目を向けますが10年近く経った今でも誰も購入に踏み切っておられません」
「答えは簡単、この服を着る事が憚られるのだ人が服を着るのではなく、人が服に着られている状態に陥るそれほどまでの代物じゃ。わらわが袖を通した所で服の存在感に塗りつぶされるだろうの」
レクスの言う言葉は間違いなく正論。だが、女装した男の身体でその言葉を吐かれても周囲は困惑の意を示すしかできなかった。
「お恥ずかしながら貴方の仰る通りです。彼等の本気がここまでとは思ってもみませんでしたよ。ですがご安心を、ここに並んでいる服達は着る人達をより輝かせるために作成されたのは事実です。皆様の期待を超えると自負しています」
こうして『エンジェルヴェール』の実力を改めて確認した三人は物色を再開する。50万という数値に麻痺したのか最初と比べ値段に尻込みし迷った様子は消えて、着替えた自分の姿を想像し楽しんでいるようだった。
「動きやすいのがいいんだけど何かない?」
「こちらのブラウスにキュロット・スカートを合わせれば──」
「この服が気になったんですけどボクに合うサイズってありますか?」
「常駐している調整師に任せればすぐにでもご用意できます。少々お待ちください──」
皮製の箱椅子に腰かけそんな二人の様子を観察しているレクス。視線はセクリに向けられ服を物色している姿に薄ら笑みを浮かべていた。
(やはりセクリの肉付きは見事じゃのう……メイド服で清楚な雰囲気を醸し出しているが実際は違う。淫靡な気配を抑える拘束具にすぎん。鉄雄は女の味を知らぬお子ちゃまだから一線先が見えておらん。だが、わらわは男も女も両方知っておる。ここまで極上なのはそうはおらん今晩最後のディナーとして丁度良いじゃろうな……!)
邪な思考を広げながら今宵の計画を立てていた。恋愛感情など含まれていない単純な欲望を果たす為の画策。
下卑た妄想を沸かしていると、水を差すように店主が声を掛けてきた。
「あなたはお選びにならないのですか?」
「……今のわらわが選んだところで十全と楽しめる訳ではないからな。次が何時来るかも分からん、パッチワークが丁度いいんじゃ」
「貴方はカミノテツオ氏でよろしいのでしょうか? 噂と似ている部分もあれど、あまりにも評判と違いすぎるので気になりまして……」
「秘匿情報じゃったかな……? まあいいじゃろ、わらわはテツオの身を借りて現界に顕現しているレクス。この恰好はわらわの趣味、あ奴の趣味ではないから安心せい」
「そうですか、では彼に伝えてください。王都を守ってくださってありがとうございますと」
「ふん、わらわの尽力の方が大きいわ! あ奴なまだまだひよっこもいいところよ! お礼を言うべきはまずはわらわだと知らぬのか?」
「これは失礼致しました。あなたもありがとうございました」
「わかればよい」
片手を胸に当て品のある一礼に不機嫌もすぐに吹き飛ぶ。
そこへタイミングよく新たな装いを身に纏い煌めく笑顔でアンナがやって来る。
「ねえレクス! 服決まったけどどう?」
「まったく随分と愛らしくなったものよな! 白い服が良く似合っておるではないか」
「えへへ、他にも何着か選んだけどコレが1番気に入ったかな?」
その場でクルリと回転すると白を基調とした可憐な印象を振りまく乙女が誕生した。半オーガだとか、考えるよりも先に身体が動くだとか、アメノミカミに破魔斧を振り下ろした少女だとか、野蛮さはまるでなくなり貴族のお嬢様として前線を張れる見た目と変貌する。
「あとあと角見て角!! 角を飾れるモノもあって驚いた! 村でも布を巻く程度のオシャレはあったけどここにあったの先端が丈夫なカバーでレースな螺旋ですごくキレイなの!」
アンナが目にしたと同時に心底欲しいと願ったのは角持ちの亜人・獣人用に作成された角飾り。先端は丈夫な皮製、刺繍をあしらったレース生地、リボンを花の形に結ぶことで角よりも花の咲いた枝へと印象を変える。
オーガにとって角を綺麗にすることは本能レベルで刷り込まれた御洒落。武器として使うこともある角は強さの象徴でもあり美麗であれば余裕の証明であり、角が汚れたオーガは印象悪であるとアンナは幼い頃から躾けられている。
「お、おおう……そちらもよく似合っておる」
「でしょ! こんなキレイなの思いつかなかったなぁ……」
村の技術力では到底届かない装飾品、錬金術で生み出そうにも想像力の元となる現象や物質が無ければ形成できない。
「ボクの方はどうかな? 似合ってるといいんだけど」
「肌が出とるというてもメイド服と比べたら大した露出ではないではないか。もっと胸元をさらけ出すなどなぁ」
「さすがにそこまでは恥ずかしいかなぁ……」
普段の白と黒のメイド服とは違い、全体を白と薄紅色で明るく仕上げられた。ポリェアを思わせる綺麗な刺繍の入ったスカートに薄手のチルデン・セーター。服で体のラインが膨れておらずハッキリと胸からお腹にかけての急な曲線が描かれていた。
大通りに看板を掲げるだけあり、気に入ったデザインが選ばれた数分後に体形にフィットした物を用意する技術力を備えていた。
「頭のヘッドドレスはそのままでよいのか黒で逆に目立たぬか?」
「これは外せないよ。ボク達の証だしね」
セクリの黒いヘッドドレスと同様、アンナも黒いリボンは変わらず、鉄雄がレクスと替わろうとも黒のスカーフは変わっていない。
「納得しておるならそれでよい。さて、とりあえず今日はこの服のまま遊覧と洒落込もうではないか。さっきまで着ていたのはマテリア寮に配達することはできるか?」
「もちろん可能です。番号とお名前をお願いします」
「部屋の番号は……1002。家主はアンナ・クリスティナ。では対価を授けようではないか釣りはいらん、手間賃込みじゃ」
二人がそれぞれ上下2、3点選び、靴も新しく選んだ。値札を見ずとも相当な価格は予測できていた。
財布より1万キラ紙幣を三枚取り出し惜しむ心をおくびにも出さず店主に渡す。それを丁寧に受け取り一礼。キャッシャーに収められる。
「かしこまりました。本日はご利用ありがとうございました。では、よい休日を」
「世話になったな──」
店に入る前と後でもはや別人、自然と胸が張り威風堂々と店を後にする。レクスが服は鎧と言ったことを証明するかのように店を出た瞬間に現れる。有名店の服を着て街を歩く、ブランドとしての価値に見合った服の格により周囲の人間が無意識的な価値付けを行い羨望の視線が刺さる。
「店長……100キラ程足りていませんでしたよ……よかったのですか」
「構わないさ彼女達がいなければこの店が無かったかもしれないんだ。わざわざ恰好を付けたのに泥を塗る必要ないでしょう」
知らぬが花。ここで足りてないと口にすれば粋に決めた後ろ姿が崩れ去るのが容易に想像できる。
店としては不足分を取り立てるのに遠慮の必要は無い。が、国を救った英雄にできる小さな恩返しと彼は決めた。
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