第20話 事前準備と明日への想い
学校からとんぼ返りで寮の戻る二人。生徒達の登校時刻と早退タイミング重なり道すがらすれ違う生徒達から怪訝な顔で見られてしまう。途中すれ違ったナーシャに一言「しばらく学校休むから!」と忙しなく伝えて自室に到着した。
「という訳で調合するよ! テツにも素材の調整を手伝ってもらうから!」
「俺にもできるのか? 特別な魔術とか技能が必要なくても大丈夫なのか?」
「うん、問題ないよ。『純化』って言う作業なんだけど特別な能力はいらないし道具を使うからだいじょうぶ! ──めんどうでやりたくないんだけど」
後半の小声は鉄雄に届いておらず、得意顔で差し出された木箱を受け取りそれを開けると中には年季が入った木槌やノミ、サイズが様々なヤスリ、ハヤミやナイフ、ピンセットまで揃えられていた工具箱だった。
「確かにこれなら使い方がわかるぜ!」
不安な顔もすぐに払われ意気揚々と志を露わにした。
魔力的な要素が必要になり、役立たずになってしまうかと不安になっていたが、魔力が不要とあれば話は違う。必要となるのは手の器用さと貪欲さ。
「ならさっそく教えるよ。まずは『熱炎石』に付着した不純物の除去ね。ヤスリやノミを使って混じってる他の鉱石を取り除いて赤色だけにすること。必ず! 水を張ったバケツの中でやるのよ!」
鮮やかな赤色をして濃淡で炎のような模様が付いているのが目立つ石。採石してそのままと言った不格好で他の鉱石が混ざっている物が机に並べられる。
「もしも、しなかったら?」
「火花が散ったり発火したりで火傷するかも」
「ひえっ……」
真面目なトーンで伝えられ、浮つきかけていた心を落ち着かせ水にしっかりと浸してからヤスリで少しずつゆっくりと丁寧に他の鉱石を削って取り除く。
アンナの言葉に怖さもあるが好奇心が大きく占めていた。未知の鉱石に触れる新たな知識が詰め込まれていく喜び。前の世界では得られなかった経験に胸が躍っていた。
手にしている『熱炎石』は魔力を吸って熱を発生させる石。込める魔力が多ければ多い程、発せられる熱量も大きくなる。人との関わりが深い素材の一つであり、より使いやすく加工、調合することで台所のコンロやお風呂の湯沸かし器、着火器具、はたまた暖房器具にも利用されている。
「内側にも紛れ込んでることもあるから半分に割って確認も忘れないでね」
「マジでか……」
悪魔的な注意に従う他なし。呼吸を落ち着けて最善を考える。頭の中では水蒸気爆発のような光景が浮かんでしまっている。規模は不明にしても甘さは命取りと判断しアンナに被害がでないようにとベランダに一度運び込む。
不安が木槌を振るう手を鈍らせる。水の中に佇む赤い石。相手は無機物、ルールさえ守れば問題は無い失敗するかは鉄雄自身にかかっている。
晴天の輝きが憎たらしいと思う程爽やかに水面を照らしている。
覚悟を決めてタガネの先端を水の中の熱炎石に突き立てる。木槌を叩きつけた瞬間の悪い想像が思い浮かび、もしかしてという迷いは顕著に振り下ろす軌跡に現れ、狙いを外し水を切り、水が飛び跳ねて周囲と服を濡らした。
「ふぅ……よくないけどよかった……」
「そこまで怖がらなくてもいいのに。意外とやってみたら何てこと無かった。そんなことばっかりだって」
「いや、でも怖いじゃないか? 特に火とかは注意しないと手に負えない事態に繋がることも多いからな」
「警戒心が強いのはいいことだけど、思い切りも大事。貸してみて」
鉄雄の前で屈んで袖を捲り、鋭い眼光でバケツの中に佇む熱炎石にタガネを突き立て。木槌ではなく開いた手をかつらに添え。
「ふんっ!!」
鈍い破砕音が響き、僅かに跳ねる水面、指先から滴る水滴が眼前に現れ、揺らめく水面の底には面影の無くなった赤い石が数を増やして沈んでいた。
「でしょ? ちゃんと対策してれば怖くないんだから」
「………………おう」
呆気に取られると同時に感心していた。手際の良さと度胸。己が行動で安全だと証明せしめた。
目の前で行われた妙技のおかげで緊張と怯えは消し飛んだ。その後は慣れぬ手付きで水を散らしながら黙々と石割と研磨を続けていき、零れる水が僅かになる頃には事故もなく無事に終わることができた。
「なるべく熱炎石は削らないでやってみたけどどうだ?」
「うん……いい感じ。後はよく水気を取れば完了ね」
大小様々な熱炎石の欠片達。不要な鉱石は取り除かれ純赤に煌めいていた。
「次に『ハッパ草』だけどこれは単純に注意力が必要だから。沢山折り重なっている葉を1枚ずつ剥いでいくの。絶対に! 1番外側の葉から剥ぐっていくこと」
「……もしも間違えたら?」
「炸裂して指が吹き飛ぶかも」
「おぉう……」
仕事の成果に満足し次の指示を与えるが、身を縮ませるような内容。
脅すのも無理は無い『ハッパ草』の特技として自分の身に危機が迫ると爆発し周囲に種子や花粉を飛ばす。運悪く巻き込まれ指を無くしたり火傷する者もいる。だが残酷にもその時の音や爆発力が強い程高品質の『ハッパ草』と言われている。なお、完全に熟した場合は種子の包まれた葉は地面に落ち、風や坂に従って移動し、外部の衝撃で空気が抜けたように萎み爆発する力は失われてしまう。
「……いや、冷静に見たらこれタマネギの皮みたいなものだな。透明な訳じゃないから焦らなきゃいける」
恐る恐る皮製の手袋で持ち観察を続ける。触れただけで炸裂するほど短気じゃないことに安堵し、焦らずに一枚一枚と剥ぐっていく。
(正直ここまで純化させて調合することはしないんだけど、何でも言ってみるものね。手先も器用みたいだしやらせて正解だったかな)
先日の採取で細かい作業を望んで行う性格だと感じ取っていたアンナはやり方を教えれば自分より丁寧に仕上げてくれるだろうと予想していた。その予想通り純化の仕上がりは黙って頷ける程。
普段のアンナが同じ素材で調合する際にここまでこだわったりしない。単純に言えば面倒、掛ける時間に対するリターンがあまりにも少ない。加えて純化した後に調合作業。精神的体力的に消耗した後に行うので非効率極まりない。
その需要に応えて店売りの商品には純化された素材も販売している。しかし、高価格。その上表面的に整えられている物も多く、細かい部分の純化がなされているかの確認で二度手間になってしまうことも多い。
「これでいいのか? 白い球みたいになったけど」
外葉を剥ぐと果実のような白く瑞々しさを感じさせる丸い子房が姿を現した。
「触ったらダメよ! 刺激に極端に弱くなってるから。包まれていた葉を切り落として茎と種袋だけにして釜にまで持ってきて、このまま調合始めるから」
「了解した」
こうして釜に投入されると調合が始まりかき混ぜ始める。
この間は鉄雄は完全に手持ち無沙汰な時間。椅子に座って大人しく調合の顛末を見守るに徹した。
普段身に着けている杖でかき混ぜる姿。眩く揺らめく釜の水面。
時にゆったり、時に素早く、タイミングを計って加えられる粉末や液体。真剣な表情で向き会う姿。
(こういう姿はいつもよりかっこよく見えるな……)
視線の先は釜の中では無くアンナにも向けられる。
見惚れていると同時に嫉妬もしていた。自分には絶対にできないことをやっている姿。もしもこんなことが出来たらを実現している姿。手を伸ばしても届くことの無い理想の姿が目の前にあった。
「できたー!」
胸に抱く感情とは裏腹に聞いただけで成功したと分かってしまう軽快な声が届く。
釜の中から救い上げられたのは赤く炎の模様が付いた手の平サイズの球体。
「それは何だ?」
「基本的な炎の爆弾『フェルダン』! 爆弾系の道具なら最初に作ると言われてる登竜門!」
見た目だけで判断するとまるでおもちゃ。爆弾だと判断できそうな要素は金属のレバーが球体に沿って装着されているぐらいである。
「……ちなみにこのサイズだとどれくらいの範囲に影響を及ぼすんだ?」
錬金術で生み出された道具。鉄雄自身が体験したのは歯ブラシやシャンプー程度。それでも日々実感していた、今まで使っていた物が廃液や便所ブラシかと錯覚するぐらいに使用後の満足感や清潔感や美麗感が桁外れに高い。一度体験したら手放せなくなってしまっていた。
それが武力の方向に進むとどれだけの危険性を生み出すのか避けては通れない疑問である。
「えーと、出現したスキルは『火炎の霧』『広域化』『弾ける炎』、これらだと……」
ポケットの中から取り出したモノクル越しにフェルダンを観察し顕現した技能を確認していく。
挙げられる技能を息を呑んで聞き入る。言葉の意味から効果を想像するしか無くても数が多ければそれだけ危険性も高まることを分かっていた。
「大体この部屋全部が火に包まれるかな?」
「なっ!? あ、安全性は問題無いのか?」
「だいじょうぶだって。完成のときに1番注意しているのは未使用時の誤爆や誘爆なんだから、この状態なら例え火の中に入れて爆発しても10分の1の力もでないって」
あまりに違う温度差。鉄雄が重く見過ぎているのかアンナが軽く考えているのか。
ただ安全の為の条件付けは成されていた。いくら強力無比な道具と言えど、運搬途中で暴発するなら欠陥もいいところ。雑に扱っても問題無い強度が道具としての基準値に設定されてある。満たされていなければ使用は禁止と定められている。
これはライトニア王国で決められており、この国の錬金術士は従わなければならない基準値である。万人に安全に扱えてこそ道具は道具足りえるのだから。
(後はフェルダンが固有で持っているスキルなんだけど普段だったら『炎の爆弾』なのに、今回のは『業火の爆弾』。どう考えてもわたしの腕が上がったからじゃない。丁寧に純化するだけでこんなにも変わるものなの?)
マイナス方向に働く要素が少なくより純粋に力がまとまった。
人間である明確な利点。前に出ることが無い鉄雄の数少ない特技が局所的に生きた。
「他にもいくつか作って明日にそなえるよ!」
「よし、純化は任せておけ!」
「もちろん用意してあるから、これは――」
その後、同じフェルダンを二個追加して作り、保存食と薬も調合で生み出した。途中で休憩をはさみつつその作業は日が暮れるまで続いた。
「同じ釜で作って大丈夫なのか……?」
「へーきへーき、ちゃんと調合できるから」
そっちでは無いと内心思っていたが深く追及するのも意味が無いと悟り言葉を飲み込んだ。
同日 21時10分 鉄雄の部屋
持ち物整理や装備の確認も終え、できる限りの準備を完了した。万全の体調で挑むためにその日の疲れも浴場で洗い流し心身、時間共に余裕を持って床に着く。起きている間にすべきことはもう残っていない。
俺には最後にすべきことがある。あの子が言っていたことが正しいのなら、黒い斧を近くに置いて眠れば……。
「とうとうお主の望みが叶う時が来たようじゃの」
「……本当に会えるもんなんだな」
石造りの床に深い闇が壁となった部屋。その中央に鎮座する石の玉座。腰を掛けるは黒髪の少女。
半信半疑ではあった、昨日眠った時は出会わなかったから俺の意識も鍵になっているかもしれない。
「明日はわらわを忘れぬようにな。ようやく本格的に力を貸せる時が来たようじゃ」
「確かに力の使い方を教えてもらいに来たけど、何故そこまで親切にしてくれる? 何が望みなんだ?」
「暗き迷宮から出してもらった上に、お主越しにだが今の世界が見られておるからの。その礼と捉えておけ」
都合の良い話には無条件で疑う。不安こそが付け込まれる隙。
想像以上の何かを仕掛けてくるかもしれない。警戒を怠ってはいけない。大きな力を扱うことは相応の責任や危険性を受け止めなければならない。その器を自分は持っていないこともわかっている。
「……斧の力と言いあんたの存在と言い。明らかに異質だ。この世界に住む人達にとって天敵足り得る力になるんじゃないか? 力を貸す事に裏があってもおかしくない」
「どう訝しもうと自由じゃが、わらわの力は必ず必要となる。あの娘に自分は有能だと見せたいのではないのか?」
「それは……」
図星だ。俺に価値が無いことは俺が嫌な程知っている。最低価格で証明され、アンナ以外から手が上がることはなかった。
俺は今も暴風雨の中綱渡りをしているような心境。一つの失敗で死に繋がる。落ちようとする手を握ってくれる人はいない。アンナの慈悲はあれが最初で最後だろう。
誰でもできるような作業で役に立っていると思い上がれる訳がない。ダンジョンで役に立てなければ俺は本当に価値が無くなる。
「1つ教えておこう。理想の姿と今の自分。その差を埋めるものは何か? それは覚悟じゃよ。例えどんな困難が身に降りかかることになろうとも汚泥の中で輝く金色の魂を持てる者こそが理想を体現した。これまでわらわを手にした者達はみな持っておった。お主はどうじゃろうな?」
「金色の魂……」
「ただまあ、今のお主じゃ昇格何て夢のまた夢。だが安心するといい、怯えた心に収まる程度の力でも悦に浸ることは可能じゃろう。それだけわらわの力は優れておる」
極上の御馳走が目の前に並んでいるような魅力的な言葉。力を求めているのは嘘じゃない。けれど怖さを感じてしまう。あまりにも都合が良すぎる。生まれて今日に至るまで運が良いとか良縁に恵まれたとか無かった。そんな話は不幸への入り口でしかなかった。
「わらわは優しいからの。力の使い方は適宜教えてやろう。斧自体は鋭い切れ味と魔力を奪う力しかないが、技の引き出しは多くての、座学よりも実戦で覚える方がいいじゃろう」
「いや前提知識はあった方が――」
「では、さらばじゃ」
「ちょっと待っ――!」
全ての灯りが消えて闇に満たされる。浮かんでいた意識が重力に引かれるように形を整え始め、それが終わると同時に瞼が開かれる。
「……覚悟か」
はっきりと覚えられた夢のように彼女の言葉は記憶に残っていた。
小窓から差し込む薄い光。絶好の冒険日和と伝えるような温かく輝かしい。
この日、俺の進む未来が決まってしまう確信めいた予感が危険を伝えるように心に広がっていた。




