第92話 夢見がち
『魔術刻印』
それは物や肉体に記すことで、魔力を流すだけで記した魔術を発動できる術式である。簡単に言えば詠唱をせずに効率的に魔術を発動させる触媒の役目を果たしているということ。
これにより全く異なる属性の術を同時に使用したり、緊急時の備えとして強固な防御術を仕込んでいた。よって、魔術士の多くは己が肉体に刻むことで優れた戦果を手にしていた。
だが逆に、他者を蝕む呪いとなる魔術刻印も存在する。人は生きている限り自然と魔力が溢れる、その魔力が刻印に通った瞬間に、焼けた刺されたような痛みが走る。これはほんの一例、あらゆる不快が呪いとして今の世に存在する。しかも、身体に怪我は無く、痛みだけが襲い掛かるときた。
ミクリアの場合も同様、乗っ取りの刻印に魔力が通っている限りいつでも乗っ取られる。自爆魔術も発動できる。
(もしも身体に刻印なんてあったら誰かが気付く、今日言われるまで誰も知らなかった……装備でも無いとするなら目に見えない箇所、体内に刻んだのか? いくら錬金術が優れていたとしてもそれこそ不可能だ。ガンマナイフとか外科手術の領分に入ってくる)
「本気でやるつもりなのか!? 勝算も無さそうなことを!?」
「仕方ありません、最悪に備えてここは──」
ルビニアが鉄串をスカートから取り出そうとする手をアンナが掴んで止める。
「それは止めて。テツの邪魔はさせないから」
「残念ですが、あなた程度では──」
本来なら護身術によって簡単に振り払うことができていた。ただ腕を握られた程度で止まる王の使用人は存在しない。だが、彼女は岩の中に自分の腕が閉じ込められたのをイメージしてしまった。
確実にその場に留めておく、アンナはどっしりと構えて動かない。ルビニアもアンナに対して攻撃はしないしできない。錬金術士の子供に傷をつける王の使用人は存在しない。
(だとすると……目には見えない何かに刻んだ? この世界じゃ俺の常識外も当たり前……肉体じゃなければ無くて魂……霊的干渉……)
鉄雄を止めるには言葉しかない。攻撃して黒霧が解けてしまえばそれでも終わり。
だが、当の本人は他者の声が届かない程意識を集中し見えないものを見ようとしていた。
「今からでも核の破壊を優先するのです!」
「はぁ……ふぅ……ぐっ──!? くそっ……」
十全でない身体に掛かる負担はすさまじく、暴風の中立ち続けている如くの消耗。
足元がぐらつくが黒霧は消さない。
「カミノテツオ君はもう十分に頑張った。戦闘の疲れが癒えて無いその身体で無茶はよしたまえ。成功する訳が無い。何度身体に鞭を打つつもりだ?」
息も絶え絶え、限界は近い。全身筋肉痛に加え気だるさ。何かをするという行為事態が悪手。心も体も休息を欲している頭の片隅で常に思い浮かぶ栄養ある食事に温かい風呂に干した布団。
違う道を選んでいたら、もう終わっていた。
それでも、誰もが憂いなく明日へ進める道を選んだ。
「今ここで諦めたら……将来、同じ場面に出くわした時。同じように諦めるかもしれない。今よりも悩まずに仕方ないって……だから! 目の前の助けられる人を、見捨てることに、俺は慣れたくない! 仕方ないって言葉で誤魔化したくない! 逃げたくない! 諦めたくない──!」
ほんの数分程度話した相手。一緒に食事をしたわけでも、同じ職場の人間でもない。それでも助けると握力が戻ってない手を強く握り締めて。
「夢見がちだな……力を手にして何でもできると過信したか?」
「何でも上手くいってきた天才様は知らないだろうから教えてやるよ……夢を見るのをやめたら……夢が湧かなくなるんだぜ……!」
「ふはは! 君が見てるのは夢ではなく妄想! アンナ! 君からも言うといい「そんな不確定な事を試さずに現実を見ろ」と。このままでは君も巻き込まれて死んでしまうぞ?」
「……もしかしてあなた。怖いの?」
空気が完全に凍り付いた。
「──何?」
誰の心にも納得した、もしも成功すれば何もかもが上手くいく。逆に言えば操る者にとっては最も好ましくない展開。
鉄雄を確実に止められる者はアンナただ一人。頼るような言葉を吐くことそれ即ち証明。
「そんなしょうもないこと言う訳ないじゃない。だってわたしは成功させる未来が見えている。帰ってセクリの作ったごはんをいい笑顔でいっしょに食べる姿がね」
(くそっ! 目がかすんできやがった……! あの時と同じ感覚だ……! 大見得切って何もできないじゃ意味が……見るんだ! 見極めるんだ! 必ずある!)
けれども、未だ目的のモノを捉えられていない。
時間だけが過ぎていく、ボトルに込められた魔力も徐々に失い。額に汗も浮かび始める。
(……俺じゃあやっぱり無理なのか? 関係ない! 俺の都合じゃない! ミクさんだろ! これからも家族と過ごせるように力を尽くすんだろ!? レクスはコアだけを破壊できると言っていた! つまり消滅の力は……対象を選べる……物質的じゃなく霊的に……!)
より深く、まどろみの中に落ちていく。肉体の限界がもたらす生と死が曖昧になっていく感覚。
誰の声も聞こえなくなる。目が据わり世界が自分とミクリアだけの錯覚に陥る。すると──
(あっ──ミクさんから炎のようなのが見える……真ん中に一際明るい玉がある……これが……)
ゆっくりと手が伸び。胸元に指先が触れる。
目に映るは透けた身体にその内側から湧く魔力と核。そして──
(ミクさんの色とは違う、結晶みたいな図形が浮かんでる……これが異物か……これを消せばいいのか……)
「テツ?」「大丈夫なのか?」「もしかして見えてるの?」
植物の根のように核に絡み、頭部にまで広がった立体図形。明らかな異物が魔術刻印がそこにあった。
触れた指先から黒い霧が中へと伸びていく、ゆっくりと丁寧に図形に纏わりついて覆い尽くし核に根付いた刻印も逃さず覆う。
「そうだな……後は、名前を決めないとな……『カースエリミネイト』──」
「無駄なあが──」
名を告げると同時に黒い霧は消え去り、刻印も消える。
すると糸の切れた人形のように、ミクリアの全身の力が抜け、首も曲がり、重力に従い足から崩れ落ちる瞬間にアンナが支えた。
同様に鉄雄は膝から崩れ落ち、破魔斧も手から零れ落ち、ミクリアを覆っていた黒霧も空気へと散る。
(爆発──!?)
自由の身になったルビニアが不発の戒めから解かれたミクリアに突き刺そうとするが。演技でも何でもない全身の弛緩に武器が止まる。彼女の目にそんな演技は通用しない。
「ミクさんも生きてる! ケガもしてない! 心臓動いてる!」
「まさか……本当に成功したのか!? こんなあっさりと短時間に……!? 」
「あたしも長い間旅して来たけど、初めて見たよ……解術をした瞬間なんて……!」
失敗したなら爆発確定、そうでないなら──
誰も傷つかず、どこにも被害は出ていない。妄想を夢を叶えてしまった。
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