第18話 力ある者の都合と欲望
4月12日 月の日 20時59分 錬金学校マテリア
夜の学校は不気味な程静寂に包まれていた。廊下を歩けば端から端まで響き渡りそうな程であり。太陽が沈み切れば生徒や教員も誰もいない。だが、今日この場にただ一人残っていた。
「さて、頃合いですかな」
月灯りが窓から差し込む教員室。マルコフは校舎に自分一人しかいないことを確認し終わると細心の注意を払い透明な水晶球に触れる。
「──時間通りだな」
水晶球の内側から光が灯り、初老な低い男性の声が発せられる。
「クリスティナ錬金伯爵、ご報告がございます」
「待っていたぞマルコフ」
生徒相手とは違う目上の人間に向ける丁寧な口調。
会話の相手はアンナの祖父『ハリー・クリスティナ』。アンナの入学を手配しライトニアへ召喚した張本人。
「アンナさん――いえ、失礼。アンナ令嬢について」
「構わん。まだ我が家の人間と認めるには値せぬからな」
「それは彼女を家族と認める証拠や書類が無いからでしょうか?」
「確かにアンナがクリスティナ家の血縁者という証拠が無いのも事実。我が愚息ながら貴族の自覚が無い事をここまで嘆くことになるとは思わなかった。せめてライトニアの病院で出産してくれれば記録も取れたと言うのに」
ハリーの息子ロドニー、その娘アンナ。血縁上アンナは伯爵家の子女である。しかし、アンナは人間とオーガのハーフ。見た目は人間に近くとも左側頭部に生えた角は隠せぬ亜人の証拠。
逆にクリスティナ錬金伯爵の血を継いでいるという証拠は記録上存在しない。現時点ではアンナは爵位はおろか、クリスティナ家の一員になることも難しい。
「大人しく旅に出ず、この家で錬金術を磨けばよかったものを!」
書類だけに留まらず。ロドニーが残した問題が大きく尾を引く羽目となる。次期伯爵候補で優秀な錬金術士な彼には多くの縁談が持ち掛けられた。
だが、それら全てを無視し自由な旅を選んでしまった。故に生まれてしまった自家との軋轢。加えて他家との信頼を失ってしまう。
「あのバカ息子が王都に戻り家族で戸籍の登録に来ていればこんな面倒事にならなかったというのに……!」
旅に出て数年、無事を知らせる手紙かと思えば結婚し子供ができたという報せ。あまりの内容に眩暈に襲われ、追い打ちと言わんばかりに相手は予想の欠片も無かったオーガの女性。当時は泡を吹いて気絶にまで陥った。
なにせライトニア王国に亜人の数は少ない。いたとしても美麗で魔術に長けたエルフ。小柄ながら建築鍛冶の職人が多いドワーフ。戦闘種族で暴虐と周知されているオーガは一人もいない。いや、存在が許されていない。
徹底的にこの事実は隠された。「クリスティナ家の長男は人間ではなく野蛮なオーガに求婚した」と噂されれば、やり玉に上げられ領民の支持も消えかねない不安があったからだ。
「気になっていたのですが、何故彼女をマテリアへ? あまりにも普通の女の子なので忘れがちですがオーガの血が混じっています。貴族の中では嫌う方もおられますのに『クリスティナ』を名乗らせているのは何故でしょう?」
争いの火種になると分かっていながらのアンナの召喚。
国が運営する学校。錬金科の生徒達の殆どは貴族と繋がりを持つ。故に生徒から親へ、その話題はすぐにでも広がり、クリスティナ家に疑問か詰問の言葉が飛んでくる可能性。事実アンナが来てから僅か数日で元縁談相手の家や他の貴族より手紙が届いていた。「弁明は無いのか?」と。
「お主には話しておこう。他言無用ができる人間だと知っているからな。ことは単純、クリスティナ家に錬金術士はワシしか残されておらん。弟の方が才に目覚めず、その子に期待はしてみたが10になれど未だ目覚める気配がないのでな」
何も無いただの半オーガの娘であったならそのまま存在を無かったことにした。しかし、手紙に記された全てを覆す「錬金術ができた」という一文。
当時は希有な出来事に腰を痛める程の驚嘆の声を上げた。才能に依存する錬金術。例え両親が人間の錬金術士であってもその才能を受け継ぐとは限らない。人間と亜人の子に発現した前代未聞の奇跡。
好奇心は湧けども彼女は禁断の果実。手を伸ばすことはしなかった。
しかし、昨今。追い込まれつつある家の事情。募る焦燥感。アンナの存在は希望に見えてしまう。
だから選んでしまった。クリスティナを名乗る半鬼の少女をライトニア王国に呼ぶ大きな賭けを。
「クリスティナの名を名乗らせずにあの子が錬金術士の才を輝かせてしまえば、家に迎えることはできない。逆に名乗らせておき、才を汚泥に塗れさせるようなれば、名を語る道化として処理すれば言い。そしてクリスティナの名を語り、才を輝かせば自然と我が家の一員と迎えるのも容易い。鬼の血が混じろうとな」
ライトニア王国は錬金術が優れ、国に貢献を重ねていけば発言力が増す。
国に貢献すれば粗暴な種族の評価も改められる。
正しく成長すれば、現在受けている不信感もひっくり返る。それを期待していた。
「そうですか……。彼女は使い魔の契約に成功し正式にマテリアの生徒となりました。契約した者は異世界の人間でございます」
「ほう……鬼の血が混じりとも優れた才覚を手にしたようだな。まさか異世界の人間を召喚できるとは。して、どのような異能を有しておるのだ?」
予想外の快挙に感嘆の溜息が漏れ、素直に興味が湧いてしまう。伝説を数多く残した存在。一生に一度出会えるかすら分からない奇跡の邂逅。しかし――
「その者について正確に伝えると――」
残酷にも伝えられる魔力も無ければ突飛した知識も無ければ優れた肉体でもない現実。
加えて召喚した訳では無く、購入した。ルールとしては問題は無くとも錬金術士の誇りも無ければ実力でも無い事実。
溢れる後悔と不安。それを感情に出ないように心を強く保ち。前もって用意していた謀の一つを引き出した。
「なるほど……では明朝にアンナ宛の手紙を送らせてもらう。それを渡してもらいたい」
「はい、かしこ――」
通話を一方的に切り上げる。光球の光が静まると、パンと一つ手を叩く。
「お呼びで?」
音も無く風も無く一人きりの暗闇に新たに加えられる影。
「ある場所へとアンナ達を向かわせる。そこで使い魔を消せ」
「よろしいのですか?」
「構わん。所詮は人に届かぬ紛い物。そんな者を連れ歩けばクリスティナの名に泥を塗ることになる。より良い使い魔と契約出来れば良し。だがそれすら果たせぬならば所詮はその程度。叶わぬ未来に足掻くよりは引き際は美しくせねばな」
弱ければ守れない。魔力の無い人間は自身で何かを成せる精神を培っていないことも見てきていた。守られて当然と言う意識。長い人生で見てきた現実。そんな者に任せることはできないと。
アンナの目標を知るハリーにとってこの程度の事は錬金術士として越えるべき壁と知っている。取捨選択の判断力は錬金術において重要な能力。
「かしこまりました」
全てを理解し了承すると音もなく闇に消える。
「こんなところで築き上げてきた全てを終わらせる訳にはいかんのだ……!」
彼の双肩にかかっている重責。本来ならば子に託し最前線を離れている齢。だが、誰もいない。託された場所を守るべき民を任せられる者が。
自分の代で『錬金伯爵』を失う恥辱を残す訳にはいかなかった。
同日 21時30分 クラウディア城
ライトニア王国、王都クラウディア。その中心に座する国の象徴『クラウディア城』。一階は国民の為の役所としての役割を担い、民の声を集め、国の情勢を分析する。
二階以上の階層に進むには役人もしくは貴族に準ずる者でなければ踏み入ることはできず、第四階層に存在する王の間には王の側近か特別な許可を手にした者でなければならない。
そして、その王の間で向かい会う二名。
「レイン・ローズ。あなたに来てもらったのは他でもありません。『フォレストリア共和国』より『惨劇の斧』が10日に盗まれたと情報が届けられました。おそらく犯人はライトニアに持ち込んだと考えられています」
玉座に腰を掛けているは成人して間も無い若い男性。しかし、言葉の落ち着きや纏う貫禄に未熟さは無く重厚なもの。彼自身、己が双肩には民の安寧が国の未来が担っていることを理解していた。
「まさか!? しかし、ここ数日壁内外共に死傷者が発生した報告は届いておりません。過去の事件では手にすれば日を跨ぐ間も無く惨劇を引き起こしたと……」
ライトニア王国最強の女騎士『レイン・ローズ』。その強さは自国だけに収まらず大陸一を決める武闘大会にて優勝を手にするに至った。
優勝者の情報は『アビリティコンパリゾン』通称『アビコン』に新たに登録され、全ての騎士や武芸者の戦闘力と比較する指針となり、その差に嫉妬する者、絶望する者、羨望する者と多くの感情を抱かせた。
そして、鉄雄が最低数値を叩き出した天上に輝く月とも言える比較対象。
「ええ、その通りです。惨劇の斧ともなる代物が流れ着いた場合、武具の技能で人や土地に影響が現れてもおかしくありません。しかし、現状その欠片すら見つからない事実。裏市でも取引があったという話も出ていないので身を隠していると予想できます」
この世界には魔力と呼ばれる未だ解明しきれてない要素が存在している。人々の助けとなっているその力は失われれば生活そのものに障害を発生させかねない。『惨劇の斧』が地下に安置されていたのは影響を最低限に押さえつけるためであった。
「あの斧を扱うには魔力を持たない人間であることが絶対条件のはずです。運搬等に影響するか不明ですが騎士を1人ずつ魔力の無い人を見張れば対応できるのでは?」
ライトニア王国の魔力の無い人は全国民の1%にも満たない。それと比べれば騎士団員が圧倒的に多く現実的に実行できる案なのである。
「なので国内にいる魔力の無い人達への調査は防衛部隊に任せます。ですが、勘づかれて他国に移動されるのも避けたい。だからこそあなたには新たに発見されたダンジョンを探索してもらいます」
「ダンジョンへ? ……確かに新発見のダンジョンに踏み入れるには管理している貴族の許可が必要。申請して返答を頂くまで時間がかかってしまいます。たしかクリスティナ錬金伯爵の領地でしたね?」
ライトニア王国に存在するダンジョンの殆どは騎士団によって掌握され、内装や構造を再利用して新たな建築物へと生まれ変わる。
掌握されていないダンジョンはあれども騎士団の管理下に置かれている場所が殆ど。しかし、新発見の場所となると話は変わる。最初にライトニア王国の領地内なのかの確認。そうであるならその土地を収めている貴族に管理が任される。その後、騎士団にダンジョン攻略の申請が行われる。
「ええ、今現在立ち入り禁止の指示は出ているでしょうが、騎士が派遣されたという話はありません。なので盗人が違法に侵入すれば時間を稼ぐことは可能。今回は緊急性が高いので強制捜査として許可を取ります。この国で件の斧に対応できるのはおそらくあなただけ。頼みましたよレイン・ローズ」
「はっ! ダンジョンに向かい対象の有無を詳らかに暴いてみせます。クラウド王」
片膝を付いて首を垂れる。
惨劇の斧の危険性。過去にこの国に及ぼした残虐非道の記録。
最悪の力が誰かの手に渡り、惨劇を再現させぬ為に向かわせるは最強の力。
王の期待に応えるだけではない、自身の目的の為にも最強の名を手にした騎士は覚悟を決めた。
同日 ???
人々の営みは静まり眠りに落ちる時、街に響き渡る音は風の音ただ一つ。
人々は体を休め明日へと備え、頭脳は記憶の整理に勤しみ、その日の思い出を明日への糧とする。
「これがこ奴の記憶か……異世界の記憶というのは実に興味深いの……」
それを盗み見る一つの存在。鉄雄が手にした斧に眠る霊魂。
彼女が閲覧するは図書館のように並ぶ記憶の書庫。
過去の思い出、楽しい思い出、苦い思い出、忌避すべき出来事、体得した勉学。これまで重ねてきた全ての経験がそこに積み重なっていた。
しかし、真新しい棚に並ぶ本の殆どは古臭くてボロボロ。破れかけの表紙、少ないページ数。無味乾燥な内容だと直感的に分かってしまう。
「過去の記憶はそこそこ厚いが平々凡々の日々じゃな。……嫉妬、恨みも薄い。だからと言って喜びも楽しみが濃い訳じゃない……それに大人になったのを境にまるで変化が見られんな。何を糧にこ奴は生きておったのだ……?」
鉄雄の人生を読み解き気付いたのは変化の薄い人生を歩んできていたということ。死んでいるのか生きているか分からない。山も谷も無い平坦な日々。
競争相手がいることも無ければ、恋をしたことも無い。夢中になれる何かが見つけられなかった。現状維持で生きていられるから生きているに過ぎなかった。
「トラウマは特にない、プライドもない。だが譲れないポリシーはある。しかし、それを前に出せる強さは無い。こ奴の心はどうにも歪でいかん。これまでの人間のように身を焼くような憎悪や明確な目的意識もあればいいんじゃが。ハズレじゃったか?」
何かが足りていなかった。その何かがずっと全てを行う枷になっていた。
そのフラストレーションが溜まりに溜まり世界を移動する鍵となってしまった。
「ここが最近の……ん? 妙に豪勢な装丁をしておるの。どれ――」
これまでとは違い興味が引かれて思わず手を伸ばしてしまう。
忘れないように、いつでも思い出せるように、そんな想いで作られた思い出の本。
すぐに大事な記憶であることを理解し。ページを捲るたびに顔が緩んでいた。
「……なるほどのぉ! 我を留守番させて得たモノがこれか。実に面白い。実に。つまりは時間が止まっている大人というべきか」
表紙、ページの数、色彩、全ての棚で見比べてもこれほどの本は無かった。楽しい、嬉しい、理想、夢が叶ったかのようなトンネルを抜けた先に理想の風景が広がっていたような。
人生を変える記憶が記された本となった。
「これがこ奴の鍵となる。くくく、今から楽しみでならんな! 後は機会が来れば良い!」
その本を丁寧にしまうと夢の空間から溶けるように消える。
今宵描かれた皆の物語。その渦中の中心に二人は紐づいていた。




