第72話 対価
天から落ちて来る神の涙とも言える巨大な水塊。
手を離して逃げれば蘇るであろう厄災の姿。
全員が出せるものを出し切った。これ以上は何も残されていない。
「離してよ! テツをおいていけない! アリス! ねえ!!」
(本当、恨むわよ……! こんな、こんな……)
覚悟決めた顔と言葉に自分にはこの脅威を覆すだけの力が無い。やりたくもない好敵手の大事な使い魔を見捨てて連れ去る役目。
「あ、ああっ……!!」
過去の消せない光景が蘇る
残った父親、運ばれる自分。伸ばす手の先には小さくなっていく姿。
二度と繰り返さないと誓った。大事な人を犠牲にしない。そのために勉強した鍛えた。
子供の頃とは違う皮も厚く大きくなった手、なのにあの日よりも小さい大事な人がいる。自分の身よりも他人を優先して。多くの未来を守ろうとした姿が。
「いやだよ……誰か……誰か、助けてよ……!」
何も変わっていない。
願うことしかできないことも涙を流すことも。
成長したように見えても、何も変わっていない。磨いた技術も鍛えた体も。大事な時に何もできていない。ただ、年を重ねただけ。
奇跡は起こらない。都合の良い未来はやってこない。それはアンナが一番知っている。
どれだけ時計の針を押し止めようとも、その行為は激流を木の板一枚で止めるようなもの。神の恩寵が無ければ変わらない。その奇跡を持つ者は既に力を使い果たしている。
誰もが必死に死力を尽くした、動いた、戦った、使える物も全て使った。これは必然。
「はぁ~、死ぬのは嫌だな……」
(わらわがお主の最後を看取ってやろう)
「……悪いな、お前との約束も、守れそうになくて」
(ああ、本当にの……まともに外の生活を体験できると思えば何たる仕打ちじゃ。これなら助けるべきではなかったな)
「でも、ちゃんと言っておく……ありがとう。俺に力を貸してくれて。レクスがいたからアンナを守れた、前を向いて歩けた。ずっと……感謝していた。俺の希望だったよ」
(……こうして礼を言われるのは初めてじゃのが、存外悪くない)
「ああ、本当に……勿体ない人生だった!」
笑顔で受け入れたくても頬を伝う涙は止められない。
体力が残っていなくて良かった。逃げる気力も湧かない、覚悟がブレない。
もう何も動かない。足も震えることすらできない。
やるだけの事をやった。やれるだけの事をやった。
俺のちっぽけな力でも、誰かの、役に立てたんだ。
あの子もこれで兄妹で、雨なんかこわくない。
(これで終わりか……)
この世界に来るまで碌な人生じゃなかった。本気になったことも無ければ、誰かの何かの所為にして逃げてばかりの日々、嘘だらけで手にしていた平穏。誰かを安心させたり笑顔にさせたりすることも無く、結局は――
でも、最後の最後は本気の本気まで出し尽くせた。自分の身可愛さに逃げることはしなかった。もうこれ以上はどんな奇跡を願って絞り出せない。嘘じゃない。もう、もう……偽ることなんて一つも残ってない。
(最後か……わらわも答えておこう。お主との日々が一番短かったが……一番楽しかった。誰も殺さず、誰かを守る、そんなありえなかった日々が。わらわには少しばかり明るすぎたがの)
(そうか……そうか――)
思い浮かぶのはアンナとの日々、騎士団で揉まれた日々、セクリに世話になった日々。
これがこの世界に来て最後の仕事だ。このコアを絶対に離さない、死んでも離さない。任せてくれ、アンナの父さんが帰る場所はちゃんと守れるから。
「アンナは泣かせたくなかったんだけどな……」
それだけが唯一の心残りだ。いや、もっともっと心残りがある。
ちゃんと別れの言葉を伝えたかった。感謝の言葉を伝えたかった。一緒にいて楽しかった。家族みたいだと思ってた。父親に会わせて上げたかった。その時どんな顔をするのか見届けたかった。
何度も笑顔にしてもらえた。何度も苦労を共にした。
ああ、死にたくないな。死にたくない。でも、これが対価なんだろうな。
雨なのか涙なのか、今見えているのは夢なのか現実なのか分からないんだ。ちゃんと握れているのか感覚も分からなくて、心臓の音だけがやたら大きく聞こえるんだ。
「ああ、寒いなあ……」
俺は──俺は、何に成れたんだろう?
この世界に来て最低価格で始まった俺は、錬金術士に出会って、いったい何に成れたんだろうな?
俺は前の世界にいた時、いつ死んでもいいと思っていた。静寂が好きだったのは、誰の声も必要としなかったのは、俺に聞こえる声は全部貶すか詰問。耳を塞いでも響いてくる。
静かで何も無い場所は良かった、誰も俺を責める人もいない。穏やかに時間が流れて、俺が俺でいられた。他者に認められるために尻尾を振る真似は虚偽で自分を大きく見せることはできなかった。
社会の歯車にすら成れないのが俺。
成りそこないの歪な歯車となって変わらない風景、金の為に生きていく未来。閉じられた未来。あまりにも怖いと思った。
朝起きて、昨日の残り物を食べて、混んでる電車に乗って、上司に怒られないようにやり過ごし、4店舗ぐらいをループするように昼食をとって、ノルマをこなすためにPCと睨めっこ。電車に揺られながらソシャゲの更新に一喜一憂する。
フリーターで稼いだ金は何に使われるか分からない税金や年金に吸われていく。尊敬の念を持てない相手に金が消えていく。
漫画、アニメ、ゲーム、映画、毎週与えられる娯楽を口の開いたコイのように待つことでしか生きていけない。他者から感動を与えられても満たされることの無いざるの器。
でもな、今ははっきりと「死にたくない」って言える。こんなどうしようもない状況で、俺が手を離して逃げたら全てが台無しになる。
無能な最外周の小さい歯車が、まるで扇子の要みたいに大事な存在になっているじゃないか。「死にたくない」からこそこの手は離せない。
この手を離してしまったら、俺は。本当の意味で死んでしまう。
本当に。本当に……充実していたんだなぁ。
魔法があって、霊みたいな存在に憑りつかれて、角の生えた子の使い魔になって、特徴的なメイドにお世話してもらって。
目に映る物全てが鮮やかで、触れるもの全てが新鮮で、永続的に聞こえる機械の音は無く、排気ガスを感じない自然の匂い。駆ける大地は雄大で、空に映った星々は輝いていて。
2ヶ月くらいの思い出が俺の26年近くの思い出を塗り替えた。
泣かせたくない相手を泣かせてしまったのは、消せない無念になるのが汚点だ。
もう、眼を瞑ったら二度と目が覚めない。それだけははっきりとしている。
奇跡は無い。全員が全力の全力を絞り出してこの結果を手に入れた。奇跡じゃない、あるべき結果。ただ、相手の執念が一手多かった。それを覆す対価が俺の命なだけ。
ああ、もう。
もう……瞼が重い。どれだけ寒くても握る力だけは緩めない。
雨の音も、アンナの声も、聞こえなくなる。
さよならだ――
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