第16話 サラサラとフワフワとトゲトゲ
「さてと……折角だからテツに技術を教えるね」
「技術? 教えてくれるなら何でも聞くぞ。今は何でも知っておきたいからな!」
休憩中に提案された一つの教示。
嫌な顔せずに従順に採取活動に取り組むことで経験は積み重なり、簡単な採取なら任せられるレベルに成長していた。
だからこそより自身の役に立ってもらおうと不足している経験と知識を少しずつでも授けようとアンナは思いついた。
「いい心がけよ! これから教えるのは知っておいたら何かあっても生き残れる大事な技術だからしっかり覚えるように」
「実に興味深いな。してそれは?」
「森の中で食べられる物の探し方よ!」
(そんなに重要なのか? いや確かに重要なんだろうけど、この世界って相当食べられる自然物があちらこちらに実ってないか?)
胸を張り堂々と答えるアンナと疑問を浮かべている鉄雄。何せ採取しながら採取物を何度も食べさせられお腹は膨れつつある。冬以外なら飢えずに簡単に過ごせるだろうと確信すらあった。
「森に住む野生動物はわたし達以上に森を知ってる。それこそ食べられる物から飲み水のありかまで。見つからないように後を付けていけばその場所がわかるってこと」
人間一人が自然の中で得られる情報には限りがある。知らない土地であるなら猶更得られる情報は少ない。そこで他の生物の痕跡や行動を知ることで安全か危険かを分析する。言っている事は鉄雄を頷かせるには理に適っていた。
「ほら、あそこにいる動物を見て」
「あれは……羊か? でも立って歩いてるな……」
視線の先には獣道を進む一匹の小動物。白い羊のような綿菓子を思わせる毛並み。毛から飛び出た四本の黒い手足。愛玩動物のような危険性の薄い見た目で二足歩行で歩き、腕を使って木々を分けて進んでいく。
「あれはモチフ。動物って言ったけど種族としては妖精。羊に似ているけど体の特徴だけで体格は全然違う。モコモコの毛とつぶらな瞳が特徴で、二足歩行四足歩行のどちらもできるのも大きな特徴ね、性格は基本的に穏やかで争いごとは避けてる。人見知りもあまりしないから家畜として管理しているところもあるみたい。わたしとしては野生の自由気ままな姿の方が好き。食性は果実や葉の物、草食性と言われている。あのモコモコした毛並は織物に利用されていて防寒着が主流でね、雪の日はお世話になるの。後、毛が生えたモチフをモフモフすると体温も合わさって極上の触感って聞いたことあるの」
「お、おう??」
予想外の言葉の嵐に目が点になる二名。専門家さながらの詳しい解説、感情のこもり具合に並々ならぬ情愛を感じ取ってしまう。
「気になることがあるならもう少し詳しく解説するけど? 遠慮はしない方がいいよ?」
「いや! 大丈夫だ! あの子を追いかければいいのか?」
「そうだね、こっちが変に敵意を出したりしなかったら気付かずに進んでくれると思う。モチフは細かく少量食事をするから。水場や食べ物の場所を多く記憶しているの。森に迷った旅人がモチフを見つけられて生き延びた話もあるぐらいだから。テツも覚えておいて」
「あ、ああ分かった。モチフのこと好きなんだな」
「これぐらい普通……まだ1度も撫でられてないんだからビギナーもいいところ……」
後半は小さな声で二人には聞こえなかった。
音を立てないように残された愛らしい小さな足跡を辿り進んでいくと子供達の隠れ家のような小さくひらけた場所が見え、そこには十匹近いモチフ達が果実を食べていたり、日向ぼっこをしていたり重なり合ったり、木登りをしていたりと平和と自由を謳歌している姿が見られた。彼等の団欒を邪魔しないように木の影に隠れて様子を確認する――
「わぁあ~! モチフの群れだぁ~~!」
「「!?」」
聞いたことの甘えた声に幼児にも負けないキラキラとした瞳。主が出したとは思えない声に思わず目を見開いて二度見してしまっていた。
「あっ……。こほん、テツ。折角だからモチフの群れと仲良くなってきて」
「えっ、大丈夫なのか? 野生動物なのは変わらないんじゃ……」
「こっちの生物に慣れてもらうにはモチフが適してるから。魔力を持っているけど鋭い牙も爪も無くて重さもそれほどじゃない魔物相手の入門編にはふさわしい相手だから平気。後、何をされても攻撃なんてしたらダメ。逃げられ――じゃなくて反撃されるから。いくら愛らしい見た目でも沢山に纏わりつかれたら怪我の可能性もあるから。それに、その盾も交流の邪魔になるから外した方がいいね。こっちが警戒剥き出しだと向こうも警戒するから気をつけて。状況的にあそこに実ってる『カラフルベリー』をごはんにしてるみたい。手伝えば仲良くなれると思うからあげてきて。ちゃんとみんなにだよ!」
想定以上に丁寧に説明してくれるが単純に言えば食事となる木の実を採取して与える。それが鉄雄に与えられた主人としての命令。
「何事も経験だよな……とりあえず危なくなったら助けてくれよ?」
「だいじょうぶ、わたしの知識を信じなさい!」
平和的とはいえ鉄雄にとっては初めての異世界モンスター戦。荷物と装備を外しゆっくりと木々を抜け、隠れ家へと侵入する。
「チー、チチ、チッ!? ……チー?」
「よーし、よしよしよし……怖くないぞ~……攻撃しないでくれよ~」
鼻歌気分の鳴き声で穏やかに過ごす中、突如として出現した自分達よりも何倍も巨大な鉄雄に視線向けられる。一瞬驚き警戒はしたもののすぐに元に戻り、威嚇行動も臨戦態勢を取ることも無くのんびりとしている。
(人に慣れてるってのは本当みたいだな……)
「おかしいですわね、普通ならもっと警戒するはずですのに……」
違和感。人に慣れているとしても野生生物。危険を察知する能力は桁が違う。自分より格上の存在が相手でも逃げるために生き残るための技術を手にしている。群れであれば方角や高さといった一匹では視認仕切れない広範囲に警戒できる。しかし、誰もが鉄雄を見ても警戒をとることをしていない。
「思った通りだわ……テツには魔力が無いからあの子達も脅威と感じてない。それに、怯えがあるのはテツの方。どっちが上か理解してるみたい!」
武器も無い丸腰の相手。同じ人間同士でも警察や軍人の服装には本能的に警戒を取ってしまうが水着のような無防備の相手だと命の危機は得られにくい。それでも殺意や敵意が強烈ならば無意識的に距離を取ろうとするが、鉄雄にはそれも無い。
(確かカラフルベリーとか言っていたな。見た感じはカラフルなブドウだな……木に登ったモチフも手を伸ばして食べてるからよっぽど好物なんだな)
鉄雄なら少し腕を伸ばせば簡単に取れる高さ。モチフ達にとっては木に登れなければ取れぬ果実。
モチフ達が集まっている場所とは離れた位置に首を垂れている実を採取し、群れてない一匹に狙いを定めてへっぴり腰のまま手の平に乗せた果実を近づけていく。
「よーしよしよしよし、よーしよしよし……」
「チー……」
彼等の一匹が警戒しながら近づく。好物である、獲れたての好物であるそれも自分達では三、四粒しか手に収められないのに倍以上の山盛り。鉄雄は動こうとはしない。罠かどうかの不安。しかし空腹を好物で満たせる耐え難い欲求。野生の本能に従い。素早く果実を奪い取り距離を取り果実を口にする。その様子をジッと見つめ警戒させないように努める姿。
罠ではないと少し警戒が解けたのか再び近づき、今度は逃げずに目の前でモコモコが指先に触れる距離で果実を口に運び食事を開始する。
「お、おお……!」
自分の与えた食事を頬張る姿に愛らしさを覚え感嘆の声を漏らす。
モコモコとした頭が目の前で揺れ、撫でたくなる欲求を刺激されるが両手は塞がったまま。食事が終わるまで生殺しの状態である。
「チッ! チー! チッ!」
「ん? 何だ?」
手の平が空になったことに気付いたモチフは腕をカラフルベリーへと向ける。もっと欲しいと催促している姿に鉄雄の母性本能がくすぐられ、甲斐甲斐しく世話するように採取しては与える。それを数回繰り返していけば、モチフ達の警戒はどんどん薄くなり近づく数も増えていき白い綿雲に囲まれるようになってくる。
「うらやましいっ……! 正直ここまでうまくいくとは思ってなかった! テツと場所を代わりたい!」
小声で嫉妬心の怨嗟が溢れる。
「確かに囲まれているとは言ってもベリーに群がっているだけで――あっ、背中に飛び乗りましたね」
「あぁぁあああぁああ! ズルイ! わたしもしてもらいたいのに!!」
懐かれていると言えば聞こえはいいが。残念ながらモチフ達は完全に鉄雄を下に見ている。野生の勘として敵と相対すれば匂いや纏う空気、溢れる魔力の量で危険性を測ることができる。
ましてや自分達の指示に簡単に従う存在。敵対心は完全に消えて遊び道具にし始める。
(ほんとにすごいモチモチモフモフ具合だ……撫でれば優しい反発具合。モコモコの中に指が入れば温かい綿の中みたいで指の力が抜けていく……)
体をよじ登る者、身体をこすり付けて綿のような毛を落とす者、ペチペチと足やお尻を叩く者。新たなおもちゃを得た子供のように思い思いに鉄雄で遊び始める。
「何だか好きなようにされていますけど大丈夫でしょうか? いくら身体が小さいとは言ってもあれだけの数に纏われたら…………正直羨ましいですわね」
「あれはマウンティングね。さっき重なってた子がいたでしょ。あれは自分の方が大きくて力が強いって示す行為ね。同じようなことがテツにもされてるってこと。完全に油断しきってる。これはチャンスね!」
「えっ! 何か別のこと企んでいたのですか!?」
「試したいことも色々あったからね。こんなところでわたしの夢の1つが叶うかもしれないなんて思ってもみなかったけど」
額に指を当て、魔力を集中する。すると――
(テツ……聞こえる?)
「っ!?」
近距離で聞こえたような声量に驚き、周囲を見渡しても声の主は見えない。他のモチフ達にも聞こえていないのか遊びを続けている。
(何だ!? どうなってるんだ!?)
(……こっちの言葉しか届かないのかな? テツの頭に直接話しかけてるだけだからあせらないで)
鉄雄の頭の中に直接響かせる言葉。使い魔契約を行った主従に扱える指示や命令を口に出さずとも伝える技能『念話』。行うためには魔力が必要である故に二人にとっては一方通行な連絡手段となってしまう。
(これから指示を出すから。あまり不自然な行動はしないで)
そうして届く声に冷静に心を落ち着けて目の前のモチフをモコモコする。この状況下では簡単に強制的にリラックスに陥ることが可能である。
(いい? そのまま――)
与えられた単純明快な作戦。鉄雄自身もできると判断し行動を開始する。
今撫でている一匹の毛の中を掘り進むように指を伸ばして侵入し、脇に届かせゆっくりと持ち上げる。
「チー?」
当の本人は油断しきった表情でなりゆきに任せている。この人間は安全で危害を加えるなんてことはしないだろうと。
その判断は確かに間違ってはいない。鉄雄は何もしない鉄雄は。
「はぁっ! はぁっ!! とうとうこの日がやってきたのねっ……!」
その背後から興奮しきった荒い呼吸をする一つの影がゆっくりと迫る。
喜々としていた表情で楽しんでいた一匹がソレを視界に映した瞬間、目を見開き恐怖へと移り変わる。
「ヂーー!!」
一瞬で感じ取った逃走本能を刺激する危険性。
逃亡を促す叫びにまとわりついていたモチフ達は蜘蛛の子散らす如くに木々の中に隠れ始めた。
ただ一匹を除いて。
「そのまま離さないでよっ……!」
「大丈夫だ、っとと、暴れても毛の中で掴んでれば平気だな」
「ヂッ!? ヂーー!! ヂ、ヂヂ!?」
「とうとう! 念願の! モチフに触れる時が来た!!」
強欲がこびりついた両の手をゆっくりと伸ばし、その受け皿に向かって献上品を差し出させるようにモチフが下ろされる。暴れて抵抗するが地に足は付かず圧倒的な体格差抜け出す事は不可能。
その光景を傍から見ていたナーシャには人間が悪魔に貢物をする一枚絵にしか見えなかった。
アンナの手に収められる瞬間。追い詰められた獣の生存本能が現状では脱出不可能という現実の殻を破った。
「チーーー!!」
「何ぃ!?」
叫びと同時に鉄雄の腕から重みが消え、真っ黒な体が脱皮をするかのように自慢のモコモコ毛を身代わりに脱出した。
確実に捉えたという自信を持っていた二名にとってこの想定外な離脱行動に反応はできなかった。
追いかける行動を選択をする前に木々に潜り込まれ、葉を掛け分けながら進む音が遠ざかり。風の音で靡く木々の音に紛れ消えた時。初めて逃げられたと実感できた。
「こんな逃げ方ありなのか……」
温もりの残るモコモコの毛並みは残り両手で伸び縮みさせ、あるべきものが無い喪失感、失敗による虚無感が手に掛かる重さに現れていた。
「折角ここまで近づけたのにぃ……」
両手を地に付かせ、意気消沈と言った具合になってしまう。得られたと思った期待が目の前で消えてしまった喪失感は想像以上に響いてしまっていた。
「流石にあの距離の詰め方で逃げない動物はいないと思いますわよ!」
獲物を狩るという姿が前面に溢れ出た強欲の挙動。例え暴行に及ばないにしても放つ気配は彼等にとって殺気そのもの。
「ならテツみたいな態度で逃げられないのは――……ナーシャ、足にいる子は何?」
「あら? いつの間にか私を盾に……」
モコモコとした体はナーシャの両足からはみ出ている。身を隠すなんて意味を成さない。それでも彼女の後ろに隠れているのは何故か?
モチフ達の全てが生まれてから野生で育ってきた訳では無い、中には人間の寵愛を受け共に過ごした個体もいる。彼等の遺伝子の中には刻まれている。助けてくれる優しい人間もいるということを。無意識的な本能的ながらもこの人なら助けてくれる人間だと見抜いた。
「いったいこの差は何なのぉ……魔力の有無だけじゃないのぉ……」
落ち込む姿をよそに残ったモチフを仲間達が逃げて行った方向に逃がすナーシャ。
「私は纏ってる魔力量を調節していますからね。危険じゃないと判断されたのでしょう。炎のように大きく放出すると強い存在だってハッタリも噛ませますが、今回の場合だと警戒心を余計に煽ってしまいましたね」
この世界の生物にとって敵生体の危険を測る尺度なのが魔力である。
濃さ、密度、放出量が多ければ危険となっている。量が多ければ発動できる魔術も強力になり、肉体の強さもより強固に。加えて魔力は纏っているだけで様々な現象に対しての防御膜となる。急激な温度変化に対応する防護服や鱗粉や粉末と言った細かい粒子のフィルターとしての役割になる。
この差もあり、魔力の有無は寿命の長さに直結していた。
「えっ!? じゃあテツみたいにまったくゼロも可能なの!?」
「体内に納めれば鉄雄さんのように見た目だけは魔力ゼロは可能ですね。ただ、難しい技術ですし慧眼に優れた者相手だと……」
普通の生物の魔力は基本溢れており、周囲に湯気のように見えることが多い。精神状態に大きく左右されることがあり、戦闘意識や危機対応で無ければ基本的に体表より5cmに収まる。
ナーシャはそれを1cm未満に抑えている。これにより生きているだけで自然に溢れる魔力はほぼ止まり、長時間の魔力運用を可能とした。
しかし、この技術は知らない人間から見れば魔力の貧弱な者と見られてしまうことが多く、初対面の相手に格下の烙印を押されてしまう。
「やるっ! 早速教えて!!」
分かりやすいご褒美に、会得した先に経験できるであろうイメージ図。鉄雄が見せたあの桃源郷に到達するために本気中の本気ともとれる学習意欲を見せつける。
「え、ええ。分かりましたわ。まずは冷静に穏やかに魔力を抑えるところからですね。普段魔術を使う時と逆の気持ちを意識すればやりやすいと――」
「……こうね」
欲望剥き出しにした姿とは打って変わって凪の水面のように穏やかに。
身体を自然体に力を抜いてリラックス。そのまま自然の風景と一体化しそうな程存在が希薄となる。
(想像以上に素直にできてますわね!? ですが……)
「あら、モチフが残っていたようですわね」
「えっ! どこ!?」
抑えが消えて火が付いたように溢れる。
「嘘ですわ。これぐらいのことで乱してはまだまだですわよ。最終的には普段の生活をしている中でもできるようになりませんと」
「むぅ……中々むずかしい……」
それから何度も会話や動きながら採取中も意識ながらと繰り返していくが、なにせ生まれてから行っていた癖を意識して変えるようなもの。一朝一夕で身に付くものでは無い。
(こういう光景は微笑ましいな……)
少女が目標に向かって努力する姿。これまで見られることの無かった光景、教え、学ぶ両者に尊さに似た癒しを感じ心が豊かになっていく。
しかし、同じように湧いてしまう自分にはもう経験できないという羨望の気持ち。世界が変わっても重ねた年月は変わらない。例え多くのことを新たに学べるとしても諦観の気持ちが心に根付いていた。




