第14話 錬金術とは?
あのトンチキ騒ぎも風吹く先へ。
異世界の教室に足を踏み入れたという経験、実に感慨深い。と思っていたが、教室という形は世界を越えても大きな変化が生まれないという現実を突き付けられてしまった。
ただまあ、立派さで言えばここは前の世界とは比べ物にならない。広々とした階段教室、机は大理石と呼べそうな肌触りと模様。椅子は一つ一つが特注品かと思えるぐらい造りがしっかりしていてクッションが効いてるときた。もはや学校に相応しくない私立でもここまでの高級品は無いんじゃないか?
その高級感を当たり前に甘受している生徒達。これが生まれ持った差という奴なのか?
そして、使い魔という存在が前とは決定的に違う証明だ。
空いている場所には犬や鳥の特徴を有した生物が席を陣取っていたり、主の肩に乗っている。大きさゆえに一番後ろでしゃがんでいる竜馬もいたりする。使い魔の席が決まっているのかいないのか。そんなことは分からないので俺は俺でアンナとナーシャが並んで座っている後ろの席に腰を掛けることにする。
「それではみなさん。おはようございます」
「「おはようございます」」
「はい、では朝の連絡から始めますね──」
全員が声を揃えるように挨拶を返す光景。一瞬高校時代が頭に蘇る。
教室の形も何もかも違うのに同じ空気感に思わずタイムスリップをしてしまったかのようだった。今話してくれているSHRの連絡事項……重要なことは滅多に流れないから聞き流すことが多いし、偶に先生の近況を話してくれる時もあったっけな。
今日の内容は春の素材が採り頃、美術祭が近づいているから参加する人は事前に素材を集めておくようにとか、牧場の乳製品の出来が良いとか。
学校関連はそんなになかったが、気にはなる情報ばっかりだ。
「今日の授業は──」
全員を見渡すように動いていた視線がふと俺に止まった。さらに、何か思いついたような笑みを浮かべている。そんな答えさせる人間を決めたような目をしても俺は生徒じゃないし、この世界の文字すら書けない男だぞ……。
「ちょうどいいですね。みなさんの使い魔に必要だと思う物を『調合』して差し上げてください。互いの交遊を深め、改めて実力を見せる良い機会になるでしょう」
『調合』? ということは錬金術の実習みたいなことをするのか!? もしかしてと思っていたけど実際に行われるとなるとワクワクが湧いてくるな!
「調合室で調合するからちゃんとついて来てね」
「あ、ああ!」
生徒の皆は自前の杖や長さが違う棒の束を片手に教室を出て行く。あれが調合に使う道具ということだろうか? 錬金学校を名乗るだけあって専門の部屋があるということ、どんな部屋なのか想像だけが先行して膨らんでいく。俺は親鳥に付いて行く雛鳥のようにアンナの後を付いて行くことしかできなかった。
そして──
「これが錬金術を行う調合部屋……!」
圧巻だった。
科学室を思わせる内装でも俺の知っている倍以上の広さ。器具も潤沢で棚に納められた多くのフラスコ、ビーカー、試験管と言った科学実験で使う物は一通り揃っている。
それに生徒が使う机も格が違う。鉄とは違う金属製の机。綺麗な流し台。膝下高さのかまど。大きさの違う三つの釜。一部認識違いはあれど思わず触れたくなる立派な物しかない。
1人が一つの机を使ってもまだ余る程の席数。これが一杯になっていた時期もあったのだろうか? 切磋琢磨して腕を競い合ったのだろうか? なんともロマンがある……!
「さて、テツに錬金術を見せるちょうどいい機会! 必要な物はある? 何でも作ってあげるから欲しい物を言っていいよ!」
「いいのか? って欲しいのを聞くのはありなのか?」
「「必要だと思うもの」でしょ? せっかく話ができるんだから聞かなきゃ損。遠慮なんていらないから。最高の錬金術士を目指す者として誰かの欲しいを叶えられないとね!」
欲しい物か……今必要な物。ベッドはある、服も少しはある、衣食住が揃っているから特別必要な物は無い。武器……は今朝のアレがある……。いや、待てよ。昨日は状況が状況だけにできなかったけど必要なのがあった。
「そうだな。歯ブラシと歯磨き粉、後はお風呂セットが欲しいな。シャンプー、トリートメント、石鹸とか。よくよく考えたら昨日風呂入ってなかったな……」
やっぱり健康に直結するような清潔保持は重要。けれどお金も無ければどこに売ってるかも分からない。錬金術でどこまで作れるのかも知れるし一石二鳥じゃないかこの案。我ながら慧眼を持っていると言わざるをえない。
「……なるほど。がんばって作ってみる」
承諾はしてくれたみたいだけど、俺の予想とは真逆の意気消沈した顔。何か間違えたか!?
「ふふふふ! そこらの店で買えるような品物かつ低練度でも作れる物を提案するなんて流石は無知な人間の……いや、まさか! 自分の主人の力量を試そうとしている?」
「どういうことですかアリスさん?」
どういうことだアリスさん!?
「簡単よ、今あいつが言った物は雑貨屋に行けば買える、むしろ寮の購買にだって売れてる。錬金術を使ってない工場の大量生産品が。つまりどれくらい性能が違うのか簡単に比較できてしまう。表では主を完全に信じ切ってるように見えても腹の中では疑問と警戒心が隠されているということよ」
そうなのか!? 当たり前に買えることにも驚きだけど、そんな人間だと評価されることにも驚きだよ。
「成程考えましたわね。錬金術に無知な鉄雄さんにとって身近な物でアンナさんの実力を知る。これはある種の使い魔からの『試練』! と言ったところでしょうね」
「そういうこと──やる気がわいてきた!」
こっちはこっちでやる気が上がってるし。
ここまで変に持ち上げられると訂正する方が失礼だな。もはやふと欲しいと思った物を口に出したなんて言えない空気。
絶対にあの子アンナのアシストしてる。退学させる気なんてさらさら無いだろこれは。
この空気に俺は「期待しているぞ」と嘘でも俺はそんな意図があったのだと、堂々とした顔を見せるしかなかった。
「まかせて! テツが驚く物作ってあげるから!」
まあ、やる気は無いよりあった方がいい。
という訳で『調合』というのが開始された訳だが、想像の中のモノと正しいかは怪しいところ。生徒達は別の部屋から葉、花、動物の毛皮、木材、石材、糸束、土、本当に色々と持ち出しては机の上に並べられる。
備え付けられている釜も皆好き好きに選んでいる。それとも何か基準でもあるのか?
色々と興味深いし錬金術士が主人な以上色々知りたいけど逐一聞く訳には──。
「折角ですので解説を致しましょうか?」
「是非ともお願いします。って授業だからみんなから質問が来るのでは?」
棚から牡丹餅な提案。だけれどこれは生徒の為の授業。使い魔とはいえ正式に生徒でない俺に時間を割いてもらっていいものか。
「みなさん優秀ですからね、残念ながら今回の課題では質問は来ないでしょう。私の役目は何かが起きた時に素早く対処することが専らですからね」
「なら遠慮なくお願いします。頭の中とこの世界の調合がどれだけ重なってるか知りたいので」
もしかしたら退屈なのか? という失礼な疑問を浮かべてしまうが、確かにみんなの動きに迷いが無い。慌てた様子など微塵も無く自信があるというのか見ていて感じられる。確かにこれなら口を挟むのは野暮というものだ。もしかしたら実習時は静観することが多かったんだろうか……?
「これでいいかな?」
アンナは籠に入れて運んできた素材達を机の上に並べていく。
木材、花、石材、動物の毛皮、琥珀色の塊、瓶に入った液体、どれも見た事ありそうでない素材。名前がわからないから適当なことしかいえないのがもどかしい。
この世界ならではの自然物もあるのだろう。前の世界では見られないような空想的な物も。なら知りたいし調べたい。そんなロマンを使って錬金術士は新たなロマンを生み出すことができるということなのだろう。そして俺はその手伝いができる。想像するだけで心が躍るな……!
さて、心を落ち着かせてアンナに注目し直そう。彼女が手に取ったのは小型の釜それでも寸胴鍋とそう変わらないサイズ感。それをかまどの上に乗せるが、このまま料理をしますと言っても通用しそうだ。
「して、あなたは『錬金術』をどのような技術だと考えていますか?」
魔法がある世界だ、いくら化学の前身と言われていても。その常識は通用しないだろう。化学実験でやった酸化、酸性やアルカリ性、触媒、電気分解、それらが知識として役に立つとは思えない。
創作物の『錬金術』がより近いと考えられる。
「物質を組み合わせることで新たな物質を作り上げる技術でしょうか?」
「概ねその認識で間違いありません。ですが、それは『錬金術』の技術の1つ『調合』になります。他にもありますがまずはこの技術について覚えましょうか。最も使用する技術ものですからね」
成程な、釜に入れて混ぜ合わせるだけが錬金術じゃないってことか。
今は新たな知識、情報を取り入れることが重要。
この教室全てが俺にとっての教科書。ここまで学びたいと欲求が湧くのも久々だ。
空っぽの釜に何をするかと見守っていると、蛇口にホースを取り付け、その先が錬金釜に繋がりノズルを捻ると水とは違う輝きを放つ液体が溜まり始める。
「あれは?」
「あちらは『錬金液』ですね。言葉通り錬金術に多用される液体です。錬金術士にとっては手放せない液体なので当校ではタンクに貯蔵してこの部屋ではいつでも排出できるようになっています」
「というと錬金液というのが無いと調合できないんですか?」
「いいえ、あくまでも調合の安定化や時短の為に利用しています。ちなみに錬金液は簡単に言えば高濃度の魔力の液体。錬金技術も不要で大量生産も可能ですのでみなさんには使ってもらうように言っています」
簡単に言えば作業効率を上げる液体ということか。言葉からして魔力があれば誰でも作れる液体。確かに貴重品で無いなら使えるなら使った方が得だ。
そんな心情を彼女も持っているのか釜の中にたっぷりと入れるとかまどに火を付けて温め始めた。
「次は錬金釜のサイズですね。お気づきかと思いますが人によって使用する釜のサイズが違っていますね?」
「確かに……意味があるんですよね?」
アンナは小さいの、ナーシャは真ん中の、アリスィートは大きいのを選んでセットしている。どれも形は口は大きく真円。小さいのは料理に仕えそうな大きな鍋に近い。真ん中のサイズと言っても子供が丸まって入れる大きさはある。大型は大男が入れそうな大きさで他よりも丈夫な見た目なのがわかる。
「サイズによって作れる大きさ、数に違いがあるのはもちろん。調合難度や調合時間も変わります。小型は小さい物を単品で短時間に作成することに向いており、大型は時間がかかりますが同じ物を複数個、もしくは大きな道具を作成することができます」
「となると釜のサイズ以上の物は作れないと?」
「ええ。逆に投入できる量も制限があるということです」
「だからこうやって必要な量だけを素材を切り取るのが大事なのよ」
そう言ってアンナは慣れた手つきで、断ち切りハサミのような太い刃のはさみを使い動物の毛皮を少量切り取り、棒サイズの木材を手の長さ程に切断し、石に突き立て細かく砕いた。
明らかに普通のはさみとは違い、違う使い方をしても壊れる様子を微塵にも感じさせない代物。
「あのハサミって!? 普段の使用方法を逸脱しているような気がするんですが!?」
「『選定万能ハサミ』ですね、錬金術で作り上げた採取や調合のお供ですね。1本で布紙はもちろん、木、石、はたまた金属も切断できる優れものですよ」
俺の世界でもそういう性能のハサミはあるけど、用途に合わせて切り替える必要があった、枝なら枝、布なら布。一本で全部切れるなんてどんな素材で作られてるんだ? いや、素材だけじゃなくて錬金術も含まれているのか?
「それよりもご覧ください『調合』の始まりですよ」
動物の毛皮、木片、石片を釜の中に入れ、火をかけると持ってきた杖を鍋に突っ込みゆっくりとかき混ぜ始めた。特別な動きは本当に無い。これはまるで――
「こうして見るとまるで料理みたいですね」
素材を用意して、適切なサイズに切断して、釜に入れて煮込みかき混ぜる。別の机に視線を向ければどう見ても食材な植物やお肉を投入している。錬金術と言われなきゃ料理と通じてしまいそうだ。
「ほっほっほ! 良い着眼点です。錬金術の始まりは台所と言われていますから。ですが私としては料理人というより脚本家の方が近いと思っていますよ」
料理人ではなく脚本家……? この人がそういうからには意図があるんだろうけど、この姿を見ていたらなあ。コック帽を被せたらまさに料理人と通用しそうだし。
かき混ぜに入ったら静かなものでみんな集中してぐるぐると釜の中を――
「ねえ、テツって何歳? 異世界の人って年齢と見た目がわからないから気になってたんだけど」
「藪から棒なぐらいに唐突だな」
「形成されるまで退屈なんだ。テツのことぜんぜん知らないから今が丁度いいと思って。30歳ぐらい?」
「残念、26歳だ。ついでに誕生日は10月8日」
「へぇ~思ったより若いね、そっちの世界だとそれが普通なの?」
30歳に間違われるというすさまじい切れ味の言葉に悶絶しそうになる。遠回しに「老けてる」なんて言われてるようなものだ。無縁だと思っていたのに。直接言われるとここまで心に砕かれそうになるなんて。
「大分失礼ですよアンナさん。魔力を持っている方とそうでない方の老化速度も寿命も違いますから。テツオさんの世界では普通なのでしょう」
「…………俺は老け顔じゃない。本当だぞ」
それからというのも、どんな世界だったのか、どんな種族がいたのか、色々なことを聞かれた。ただ、意図的に外してくれたのか「俺の家族」については何も聞かれなかった。
「……あっ、そろそろできあがりそう! 後はこうして…………できたっ!」
足元のフットパドルを操作して火を止めると網杓子を釜に突っ込みいい笑顔と共に何かを取り出した。
「『錬金歯ブラシ』の完成! はい、まずは1つあげる!」
「これが錬金術で作られた歯ブラシ……?」
自信満々の表情で手渡されたのは、木製の持ち手にピンと立った黒いブラシ部分、まごうこと無き歯ブラシそのもの。
じっくりと観察しながら見ても。俺が無知なだけなのか特別な何かを感じられない。ほんのり温かいのは出来立てほやほやが原因だろうし、何がどう違うんだ? やっぱり普通の品と比べて使わないとわからないのか。
「『技能』が『高耐久』『殺菌性能』『上研磨性能』の3つが顕現していますね。中々使い心地が良さそうですよ」
「スキル?」
疑問が相当表情に出ていたのかマルコフ先生が教授してくれる。
言葉をそのまま理解するとこの歯ブラシにスキルと言うのが付いている。これが違いなのか?
「そう『技能』です。普通の人が作った道具と錬金術士が生み出した道具の決定的な違いの1つとして『技能』の有無です。付与されることで本来の道具以上の能力だけでなく幅広い役割を得ることができます。今回の場合は普通の歯ブラシより長持ちして綺麗に磨けるということですね」
これは使ってみないと実感でき無さそうだな。それに物が物だけに大きな違いが見られないかもしれない。でも、歯ブラシ頼んで正解だったかもしれない。武器なんか頼んでたら怖くて使えない。でも、これなら役割がはっきりしてるし危険性は無い。
「つまりその『技能』って言うのが錬金術士の価値を高めている要因ってことですか?」
「ええその通りです。錬金術士は普通の道具以上に幅広い役割を与えることができます。それこそ道具に物語を与えるように夢のような効果を発揮することもありますから」
立派で格式高い錬金学校マテリア、豪華で趣深い寮。ここにいることが大きなステータスだと言わんばかりの待遇。何故だか恐怖を感じてしまう。創り出す物一つで人の未来を簡単に変えてしまいそうな力を持つ子達。一度ちゃんとこの学校について調べた方がいいな。錬金術士についても。
「よし! 次もできた!」
先生の解説を聞いている間にもアンナは次々と俺がリクエストした物を作り上げていった。
「これ全部錬金術製なんだよな……」
チューブに収まった歯磨き粉、ボトルに入ったシャンプー、トリートメント。まるで普通な石鹸。ついでに作ってもらった木の桶。ぐうの音も出ないほどのお風呂セットと歯磨きセットが手元に揃った。容器も一緒に作り上げてるのは何気にすごい技術だと感心するしかないな。
それに夢のような効果。つまりこの錬金術製のお風呂セットを利用したら卵肌のツヤツヤヘヤーになってしまうんじゃないか? と乙女だったら喉を大きく鳴らしかねない代物が目の前に並べられたということだ。




