第45話 露を結び天上へ至る
6月9日 水の日 13時23分 レーゲン地区大通り
「はぁ……はぁ……どうだ! これでお前の企みもお終いだろ! こっからは正面切っての殴り合いといこうか!」
(まだ動けるだけの余力を残せるとは流石はわらわ! ──だが、これ以上まともに戦うのは不可能か……)
膝に手を置かねば咆えられぬ。全身に鉛を塗りたくられたかのような疲労の重さに精神力だけで抗っている。口に出せるのはもはや虚勢。
足元の魔法陣は完全に消失し、鉄雄を覆っていた黒き鎧は欠片も残されていない。頼りのマナボトルは三本空っぽ、残された力は何も残されていない。
対するアメノミカミは蒼い円に顔を向けて動かず呆然自失ともとれる姿を見せ未だ言葉も発さない。
(よっぽど堪えたのか……? だがチャンス……! この隙に破力の補充をさせてもらう……)
(先を見据えた殊勝な行動に感心するがこの辺りに魔力はほぼ無いぞ。とにかく一雨くれば黒霧程度すぐ使えるようになる。一度地に刃を突き立てるのじゃ)
(わかった──ん? 何か変な音が近づいて――)
片膝を付いて石畳の道路に破魔斧を突き立てようとすると。耳に届く風を切る轟音。何の気なしに空へ視線が向けば蒼い天窓から直径1mクラスの巨大な水球が矢継ぎ早に地上に向かって降り注ごうとしていた。
「うおっ!? お天道様の大泣きかよ!?」
逃げる間も無く落下した水塊が弾ける音が響き渡る。最初の音の先に引きつった表情で視線を向けると、直撃した石の塀はバラバラに砕け役目を終えてしまう。それを皮切りにあらゆる方向より連続して破壊が奏でられる。
(『とっておき』が貯め込んでいた水が支えを失ったようじゃな。ラスト・リゾートで消しきれなかったとはいえ、ここまでとは……!)
「し、死ぬかと思った……今までの攻撃よりもよっぽど肝が冷えたぞ……」
水塊が大量落下したのはほんの十数秒の時間。たったそれだけで周囲の景色が記憶と重ならない程変貌した。
廃墟を砕き、路面に亀裂を生み、木々を折る。この落水に誰の意思も感情も無いただ自然があるがままに動いただけ。
轟音が止み、蒼い穴が灰色の瘡蓋で閉じられ、落ち着いた小雨の音が再び場を支配する。
この災害は本来起こる現象と比べれは微々たるもの。積乱雲を揺り籠に孵るのを待っていたナニかは水の巨人とは比べ物にならない水量を支配し武器とする証明、今目の前にしているアメノミカミはもはや子供。レインも鉄雄もレクスも子供の児戯に全身全霊で抗っていたに過ぎない。
(最後っ屁でここまで被害を出せるなら確かに負ける姿なんて想像できるわけがないな……でも、こっからどうする……落水の魔力を掠め取ったおかげで破力は多少戻ったけど、こいつを倒す未来が見えない……)
(残念ながらわらわに交代は不可じゃな。今のお主は崖際ギリギリで立っておるようなもの。誰かが援護に来なければ攻めて来た時点で命に関わるぞ)
目の前の敵を排除すれば勝利。しかし、今の鉄雄にはそれを成すだけの力は残っていない。覇気も無ければ身体に芯も通っておらず揺れている。ただ健全を崖っぷちで持ちこたえているだけ。
(俺がここまでできただけでも値千金。悔しいが後はアンナが来てくれるのを待つだけ……しかし、何故何も反応しないで固まっているんだ……? アレが切り札じゃないってことは流石に考えたくないぞ……)
話さず動かぬことが焦りが湧いてくる。まだ何かを仕掛けてくるか分からない不安。想像だけが先走る。打てる最善は尽くしたはずだと心を落ち着ける。
ラスト・リゾートは巨人に放つべきだったのか? 自分の選択が間違っていなかったか、誰かが戒めるわけでも褒める訳でもない。ここにいるのは鉄雄一人。最前線に未だただ一人。
孤独を耐え切る精神力も擦り減っていく。
「……正直言ってアレが壊されるとは思ってもなかったわ。私の最高傑作で全てを押し流し、負の遺産を雪ぐ天の龍……志半ばで撃ち落されるなんてね……流石は世界を越えし者、少々侮り過ぎていたようだ……だからこれは礼であり戒め。使う事は無いと思っていた。けれど──君が、君達が鍵を開いたのだから──」
時が止まったかのように雨の音が消え、水滴が宙で止まる。ほんの一瞬の静寂が過ぎ去ると──
「神魔開闢――」
「――っ!?」
屋根や地面の窪みにできた水溜まり、水分を含んだ地面や石の道、これから振るであろう雲の雨、全ての水と呼べる水がアメノミカミの元に我先にと飛び込むように吸い寄せられていく。水と水がぶつかり擦れる異音が轟きうねる。
雨が降った事実が無かったかの如く広範囲の水が吸い寄せ己が体に集め、吸収した水に比例して留まる事を知らぬ勢いで膨張し続ける。
巨大化したアメノミカミはもはや顔を見上げなければならない。頂点は外壁を越え触れるだけで家屋を水没させるほどの水の巨腕が風を切る低音を広げながらゆっくりと持ち上げられていく。
「おいおいおいっ!? こんなの聞いてないぞ!? 錬金術は神話も作れるっていうのか!? 海が意志を持って動いているレベルじゃないか!?」
(道路が晴れた日のように乾いておるだと!? これほどの魔術は体験したことがない!)
水族館でしか見られないような水の大天井。
巨腕の目の前に自身の身以上の水量が渦巻き魔法陣を形成し始める。
「さっきと似た魔術? ……まさかっ!?」
砲塔の先に鉄雄はいない。近くにいたが故の真下。眼中に入っていないと気付いた時、思わず振り返る。
巨大な陣が指し示す方向は見間違いようの無く、王都西門を定めていた。1km以上の距離はあっても安心は微塵も湧いていない。届かないという期待は愚か。これは一種の信頼感。この者はできもしないことを見せびらかす半人前ではないと。
この異様な光景は城門近辺に待機している騎士達も危機感を煽られ、動き出していた。
「まさか神域魔術──!? 奴の狙いは──何とかして止めなきゃこれで国が終わるっ……!」
「城門近辺にいる者っ!! 全員門から離れろっ!!! 大通りにいる者も全て脇道に逃げるんだ!! 道路に面した店にいる者がいたら全員力ずくでも引きずりだしてとにかく道路から離れろ!! アメノミカミの激流が届く!!」
通信具により届けられる緊急命令。魔術に聡いキャロルは何が起きるのか予想でき、ホークのただ事ではない声色に防衛部隊の誰もが動き出し、人が残っていないか切羽詰まった表情で声を荒げながら探す。
「レクスッ!! もう一度俺を動かせ! 何でもいいから。どうにかして止めないとヤバイ!!」
目の前の光景、起きるであろう未来。激流が門を穿ち浸水させられる王都、何よりの最悪は最愛の主が飲み込まれること。
十全でない身体、自身にでき得る最高の解答出した直後に求められる追加の難問。迷う時間は無い
(対価は──)
「死んだら対価も無いだろ! 満喫する場所が消えたら意味無いだろ! 四の五の言わずに俺の体を使え!!」
(良いか? 先程の強制解除はわらわも意図せんことじゃ。お主にとって異物を内包しきれない、いわゆる安全装置が働いたと言っても良い……今のお主は本当にギリギリ、ここを越えれば何が起こるか最悪精神が──)
「常勝不敗の国落としが何心配事言ってるんだ……折角勝ちかけた盤面をひっくり返されることを望んでるのかよ?」
(……後悔するなよ?)
「それを俺は望んでいる」
中にいるからこそ分かってしまう、全ての感情、思考。嘘は意味をなさない。
交わした言葉は純粋なまでの想い。
起こるであろう最悪を破壊する願い。自らを蝕む破滅への恐怖は無く有るのは覚悟。
「上等よ!! それでこそわらわの器たる男の心意気!! 死ぬほど痛むが耐えてみせよ!!」
目に宿る鋭さと殺意。
レクスは照準を合わせるように右手を開き見上げる程巨体となったアメノミカミへ向ける。
呼吸を整え、静かな表情を浮かべ、記憶を巡らせる。
(領域違えば下の者有象無象、これは魔術にも該当する。奴が放つのはそういう類の魔術……今のわらわ達ではラスト・リゾートでないと対応は不可能。しかし、破力も何もかも足らん。今ある破力に詠唱、魔法陣、これらを組み合わせて出力を上げてもラスト・リゾートには届かん──!)
(…………止められる可能性があるならこの体がどうなってもいい。好きに使ってくれ!)
「確かにわらわには天を喰らう術は無い……だが! 城を落とす術があることを忘れるな! …………ふぅ──」
そして、吸水音が止み魔法陣の水面が穏やかに揺蕩う。再び小雨の音が周囲を支配する。意味することは――
「潦の王が告げる──」
「暴虐の王が告げる──」
二名の詠唱が始まる。
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