第35話 天秤
6月9日 水の日 12時06分 レーゲン地区 大通り
二名の目には豆粒程の大きさのサリアンとアンナが王都の城壁を越えて内側へと消えていく。水塊が連続して地に落下する音は激しい拍手のようで、無事を確信した鉄雄は呆気に取られた表情から口元が緩み余裕が生まれる。
戦いの舞台に残されたのは神野鉄雄とアメノミカミだけ。
「さて……彼女が何をもたらすかは我にも予想が付かない。退屈な戦いで終わるかと思っていたけれど、少しは楽しくなりそうだ」
「こっから先は本気で時間稼ぎをさせてもらう!」
「本気か……出せないものを口に出するとは愛い男だ。状況は振り出しよりも酷い。全力で戦い続けるには疲労が溜まっているだろう? それを何時戻るか分からない彼女の為に足掻き続けられるのか? ゴールの見えない旅路程辛いものはないのは君も知っているだろう? いつまで忠犬でいられる? 首輪で窒息するのを望んでいるのかな?」
過酷な訓練で鍛えた体に破力による肉体補助。体力は大きく伸び、運動能力も格段に向上。しかし、休みなく破術を使い続け、動き続けている事実は体を疲労で蝕む。加えて大技による反動も0ではない。アンナへの忠誠心が心を奮い立たせる最高率エネルギー燃料でも限界は近づく。
本来レインと共同で行うような戦いを全て鉄雄が行いその負担は余りにも大きい。
その証拠にアンナの助けが無ければあの時点で負けていた。そう、純粋な1対1の戦いでは敗北する事実。ただ、そんなことは鉄雄は億も承知。
「別に俺はアンナを信じ続けることは苦じゃない。命三つ分救われてるからな。最低でもそんだけは役に立たないと死ねない。死ぬ事は許されない。忠犬上等! 他者からそう見られているならありがたい!」
競売、ダンジョン、訓練場、未来を変えたのは紛れも無くアンナの力。
使い魔の主従契約だけではここまで従順にならないしできない。
「それに……今すぐ来てくれる助っ人ならいるさ。ただ一人な」
「ほう! レイン以上の戦力がライトニアに残されているのか? だとすれば実に興味深い。呼ぶといい。この脚本がどう変化するのか、改訂してみるといい」
そんな都合の良い存在はいないことは分かっている、と言わんばかりの欠伸を噛み殺しそうな心底興味の無い口調。討伐、防衛の総隊長は部分的にはレインに勝る特技を持つが、アメノミカミに迫る牙は無い。理解しているからこそ余裕で満ちている。
「……正直言って最後まで俺が戦いたかった。けど、我儘言ってどうにかできる相手じゃない。お前は強いよ、最低最悪なぐらいに強い」
「誉め言葉として受け取ろう」
「時間は金と誇りじゃ手に入らないからな。覚悟で稼ぐしかない。だが、これをすると大きな問題が一つ出来上がる」
「──成程、理解した……! 歴史だけでも200年以上前から存在したとされるその中身! 惨劇の斧と呼ばれるに至った力を呼び出す! それが答えか!!」
「賢い奴は話が早くて助かる……ならこれも理解できるだろう? 時間稼ぎが目的で終わらず、お前が倒される可能性がな──」
破魔斧を右手で持ち正面に構え、左手は刃に触れ祈るように目を瞑る。
まどろみへ夢へと落ちる。目の前に現れる見慣れた扉。手を掛けて開く。
「自分から来るとはの。てっきり最後までやりきるかと思っておったが?」
初めて二人が出会った仰々しい石造りの空間は無くなり、寮の使い魔部屋へと住まいが変わり、部屋に似つかわしくない玉座がど真ん中に鎮座し。そこに腰かける雪のように白い肌に射干玉のように黒い長髪の少女。
「レクスの力が必要だ。交代して俺を使ってくれ」
始めて鉄雄から望む交代。最初から共にいた助っ人『レクス』。勝つための秘策であり切り札。
「簡潔じゃの。ふむ…………断る!」
「何故だ?」
焦ることなく落ち着いて問い返す。
「わらわがお主と替わったのは1の、2の、3ぐらいかの。最初はお主の信頼を得るためで力を馴染ませるため。2度目はお主と成り代わるため。これは失敗に終わったがの。3度目は話の通じ無さそうな悪餓鬼から助けるため……とまぁこれだけ言えば分かるじゃろう?」
「メリットが無い。そう言いたいわけか?」
「加えて言えば、奴の言動からしてお主が殺されることは無い。身体は傷つくだろうがな。それに成り代わる目的は今も変わっとらん、このままあ奴に連れていかれれば成り代われる可能性もある。とすれば何もする必要がないのじゃ」
目的は一貫して鉄雄の身体を自分の物とすること。その為の条件は厳しく、鉄雄から許可を得るか、魂を体から消し去る事。レクスができるのは鉄雄の意思を汲み交代することだけ。鉄雄が負の感情に飲まれ自身を捨てようとした二回目の交代が最大の好機だった。一つの身体に一つの魂。二つが無理矢理同居すればどちらか消えるかどちらも消えるか。
「もちろんタダとは言わない。一日俺と交代して街に出るなり遊びに行ってもいい。戦闘行動をしないに限るが」
「ほう──」
たかが一日、されど一日。これまでの使い手とは決定的に違う点は平穏の最中にいるという事。廃墟の中で財宝に塗れ、強さと女の数が価値だと思っている者と入れ替わっても展開が予想できる陳腐な快楽しか得られない。
けれど、今は違いすぎている。外に出ても恐れられず、様々な娯楽、食事を堪能できる。血の匂いがしない穏やかな時間が得られる。あまりにも魅力的。だからこそ──
「たった一日の対価で動くと思うたか? お主が体を譲ってくれるというなら二つ返事で了承はするがの」
一日だけで満足できるわけが無い。鉄雄と共に過ごす中でやりたいことが増えていた。その程度では足りないと、得々として語る彼女の得意気な表情。
それに冷静にまっすぐと向き合う鉄雄。
「レクスに戦ってもらえないとその一日すら手に入らないことを忘れるなよ。国を壊そうとしている錬金術士、捕まれば休みなく研究されて最終的に分解されるかもしれない、興味が無くなれば俺も殺される可能性もある。レクスの魂が消される可能性もある。自分が偉くて最強だと信じて疑わない人間程信用できない人種はいない」
手に入らないからどんな手を使っても欲しがる。「大事にする」「重要な存在」等、聞こえの良い言葉で誘い混む。手に入ってしまえば理解してしまえば、丁重に扱う心は消え。自分の好奇心を満たすため人道にも劣る行為で腹の内を引きずり出そうとする。
「それにレクスがなんと言おうと俺は死ぬまで戦う、あいつが慈悲をかけようと関係ない、ここが俺の天王山、俺が俺として生きる最初の試練だから」
「お主の意志が途切れそうになればすぐにでも代わってやる。だが戦うかどうかは──」
「俺が虫の息の状態で成り代わったとしても、何もできないんじゃないか? いくら俺をおもちゃみたいに操作できるとしても、壊れてしまえば動かせない。レクスには奴に媚売って生き残れるためにご機嫌取りはできっこないだろ? でも、お前が代わらなきゃそれしか成り代わりの未来は来ない。無様に負けを認めて足を舐めてでも永久に入れ替わるか。一日だけでも誰からも褒め称えられて自由に過ごすか。どっちか選べ! それとも国落としのレクスじゃアメノミカミに敵わないと嘆くかっ!?」
宿主の肉体が死ねば成り代わることもできすレクスは斧に留まる。次の使い手が現れなければずっとそのまま。『魔喰らいの棺』へと再封印される可能性が高い。
宿主の記憶を読むことも新たなに見聞きした情報を共有することもできなくなり、退屈へと落ちる。なにより異世界の刺激的な風景や娯楽を鉄雄の記憶越しに堪能できることができなくなる。あまりにもデメリットが大きい。殺されることは本意ではない。
荒ぶる感情の奔流に対し、レクスは冷血な瞳で睨み。頬を歪ませた。
「…………はっ! 随分と弁が立つようになったものじゃな! 誰を相手に不躾な言葉を吐いたかわからせる必要があるようじゃの! 望み通り化粧決めてめかし込んで街を闊歩する姿を国民に見せつけてやろうかの!」
「上等!」
交渉は成立した。
「だがお主は一つ大きな勘違いをしておる。国落としのわらわが時間稼ぎ? はっ! とんだ見当違いもいい所! アンナの出番なんて無い、あやつが戻ってくるのはわらわの勝利を称えるため、ただそれだけよ!」
「知ってる。だから、頼んだ……」
鉄雄は右の拳を突き出す。その顔に覇気は薄れ不甲斐なさを隠す空元気が彩られていた。自分が自分を使っても敵わないことを理解したからこその交代。そこに悔しさが無い訳ではない、情けなさが煮えたぎる自己への怒りで埋め尽くされている。
最愛の主の為に最後まで戦い抜きたかった。けれど自身では不可能。大人として意地と誇りを捨てて、成すべきことを成すために己の意思を手放す覚悟を決めた。
レクスは玉座から立ち上がりその熱のこもった拳に左の拳を突き当てる。
「お主には最前列で見取り稽古をさせてやろう。顔を落とす暇などないぞ」
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