第33話 頼れる先輩は風のようで
「見てられないわね――」
アンナの視界を埋める水の触手。表情が絶望に染まる最中、雫一粒触れる直前に全てが水沫へと弾け、当の彼女は蜃気楼に巻かれたかの如くその場から消える。
「――助っ人か」
次にその姿を誰もが理解した時、アンナは攻撃範囲外へと離脱していた。脇に抱えられた状態で。
「師匠!?」「サリアンさん!?」
アンナを窮地から救ったのはサリアン・ラビィ。アンナの師であり鉄雄の先輩。
馬車の中で待機していると思いこの場に来るとは二人は考えもしていなかった。
何せ彼女の戦闘スタイルとは相性の問題で最初から戦う牙が折れていた。加えて敬愛するレインが手折られ馬車の中でへたれ、心は完全に折られていた。
同様な心境に陥っていてもおかしくない彼女が戦場へ足を踏み入れた。
「どうしてここに!?」
「私はレイン姉さまに憧れてこの国に来た……アンナを見て思い出したわ……」
大陸神前武闘大会の決勝戦。レイン・ローズが勝利を収めたその戦いはサリアンの人生を変えた。
強いから憧れた? 大陸最強の名誉に惚れた? 自国を離れ単身ライトニアに向かった情熱は何か? サリアンがレインに憧れたのは――
「死に物狂いで成し遂げる覚悟を!」
覚悟の美しさ、勝てるから戦ったんじゃない。勝つために戦った。あの決勝は今も目を閉じれば思い出せる。
相性、実績、血統、環境、何もかも相手が褒め称えらえる程優れていた。誰もがレインが負けると思い期待はしていなかった。
それでもレインは勝利を手にした。息も絶え絶えに焼け焦げた跡が目立つ服と体。極寒と獄炎が抜け切らず渦巻く会場、大観衆の喝采を受けるその姿は名画の如く人々を魅了した。
馬車から飛び出すアンナの姿に当時の光景、その始まりの一筆が入る予感が走った。
「師匠、死ぬ気じゃ……!」
「私じゃどう足掻いてもコイツには勝てない。でも、勝てないだけ。負けないでいる、死なないでいることはできる! だからテツオッ!! 私はアンナを王都に届ける足となる! こっちの防御は一切考えるな! 大きい隙を作る事だけを考えろ! 後は私が駆け抜ける!!」
「――っ! それこそ見たかった先輩の姿ですよ!」
心に響く本気の言葉。理想とした先輩の姿に一抹の不安も無く迷わず頼る。
アンナの周囲に漂っていた黒霧は綻び宙に溶けて消える。代わりに鉄雄の周囲の黒霧の密度が上がる。
川一つ越えない。それだけで負担は激減し精度は段違いに上昇。ただでさえ見切れている正面だけの攻撃。意識の割合が変わればもはや通用しない。
「後から舞台に上がる不調法者にこの乱舞を合わせられるか?」
だがしかし、鉄雄の妨害が無くなるということは術を全力で放てるということ。途中で水の触手が途切れることも無ければ水泡も不発しない、着弾地点より水を伸ばすことも可能。触れれば触れる程繋がり水塊の重しとなる。
自然現象が生物のように纏わりつく。それだけで人は敵わない。
「口はしっかり閉じてるのよ――」
「え?」「ひぇっ!」「うわっ!」「はやっ――!」「ああっ!」
抱えたまま、瞬間移動のように初速と停止しか目に映らない。アンナの叫びも途切れ途切れに戦場に響き渡る。
水の攻撃を難なく躱し、不可避の雨粒も体を覆う魔力の障壁によって服や肌に触れることなく防ぐ。相性が最悪だからと言って何もしていなかった訳ではない。対処法は明確、黒霧のように干渉行為を破壊するか単純に直接触れなければよい。
(この場に踏み入れた時点で有象無象では無いと思ったが中々奇抜。脚力で言えばレイン相当かそれ以上。雨が付いたところで吹き飛ばされる高速移動。彼女の足捌き……水上を駆ける海歩か。相当厄介だな、水位を上げたところで立ち位置も上がるだけ、この応用で他の部位による浸食も防いでいる訳か。しかし――)
アンナ側、川底一部を決壊させ強制的に浅瀬を作り上げる。対してサリアンは臆することなく浸水を拒否し、想像通り水面の上に足を乗せる。
二の矢、腰位置狙いのウォーターカッターによる薙ぎ払い。この一閃は周囲に並んでいた廃墟を巻き込み、家屋の寿命を容赦なく削り切断。上部は水圧の勢いに吹き飛ばされ、残された下部分には綺麗な切断面だけが残された。
威力が語るは回避以外に助かる術は無い。冷静に流れを見極め完璧なタイミングで水面に波紋を作り跳び上がった。
「甘いっ!」
「そう避けるしかないだろう――」
倒しの一手では無い。次の一手を確実とするために理想的位置に移動させるための一手。翼を持たない人間は空中では無力、自由落下に己が身を任せる他無い。
跳び上がった真下より水の触手が鳥籠を作るように何本も湧き上がる。着地先はもはや水の蟻地獄。いくら水の侵食を防げるとしても上下左右360°包まれてしまえば意味をなさない。サリアン自身は耐えきれたとしても脇に抱えるアンナは溺れてしまう。
「――翼は無くても空は駆けられるのよ!」
だが、彼女の足は鳥籠に収まらない。
何もない空中に足場ができたかのように、踏み込んで駆け出した。
触手の隙間をすり抜け、水面を荒立たせることなく着地。
「スペースウォーカー!? いや、空歩かっ!?」
「師匠すごい……!」
アメノミカミ側も驚くのも無理は無い。気球や飛行船のように中型、大型航空機は実用化されているが。個人が自由に空中に干渉できる技術は未だ発展途上。安全安定性、持続力、サイズ。課題は多い。
最初の一歩とも言えるミュージアムに展示されていた『スペースウォーカー』。その参考になったのが『空歩』と呼ばれる技術。『海歩』以上に高難度の技術。身体能力及び魔力操作が優れていないとできない。
そんな人が空を駆ける始まりの技術をサリアンは会得していたのだから。
「となれば狙いを――いや違う!」
鉄雄に意識を集中させようとした瞬間、それ自体が罠であることに気付く。
サリアンの脚力はアンナを抱えていても王国最高峰。陸海空を駆ける足。妨害の手を休めれば鉄雄の攻撃無くとも突破しかねない脅威。
アメノミカミの体を砕く力は無い。だが、攻撃を避け川を超えるだけの力は間違いなく持っている。
「後はあいつ次第……なんて言わせとく私じゃないわ! アンナ。あいつとテレパシーしてるんでしょ? あいつの技を出すタイミングにこいつの度肝を抜くわ」
「りょうかいです!」
(こうも適材適所な役割で来られるとは……しかし、肝心の川越えとなれば余裕で掴める。彼女達は大きく踏み込ませなければいい、テツオは大技を出させない程度に攻撃を続ければいい)
空歩も万能では無い。空中を駆けることは稀有な力だが、地上を走るのと比べれば遥かに速度は落ちる。地から空へ飛び立つ初速をどれだけ維持できるかが鍵。つまりは初速が潰されればお終い。
(こっちは準備は整ったけど発動の隙がまるで無い!)
(わかった!)
鉄雄の頭には何の術を使うか既にイメージが固まっている。しかし、練習不可の大技、望んだ効果を発揮するか理想の状況を作れるか誰も知らない。故にぶっつけ本番の出たとこ勝負。
「師匠! 技を出す隙がなくてこまってます!」
「成程、となればこれの使い所ね。今から言う事を伝えて。――――というわけ」
「……なるほど! 伝えます!」
(どうしても処理が遅れるとすれば空歩で高く跳び、アンナを投げ飛ばし川を越えるなんて奇策をされることだな。射出高度によってはサリアンだけしか捕らえられん、テツオがフリーな状態で人質の価値が低い者を捕えても、心を揺さぶれず溺れさせる過程で解除されて終いだな)
三名の動向を注意深く観察する。抱えられているアンナが離脱して二手に分かれたとしても、意表を付いて川に向かって特効を仕掛けたとしても、冷静に激流で押し流せるように。
(チャンスは一度だけ……魔力残量は十分……落ち着いてやれば問題無い……)
サリアンは一つ大きな呼吸をし、アメノミカミを見据える。腰に装着していた筒に手を掛け、レバーを捻り鈍い破砕音を響かせ、足元に落とす。すると――
「煙幕だと……!? これが策と言うのか」
使用したのは『逃走白煙』単純に言えば高性能な煙幕。調査部隊の標準装備、無香性の煙に加え魔力の隠遁も可能とする脱出用の道具。これが導入されてから部隊生存率が向上したのは言うまでもない。
そんな身を守る煙から抜ける一つの影。
完璧な高さと速さで山なりの軌跡で川を飛び越えようとする。アンナを抱えたサリアン。
「急いたか!」
ただ迎撃が十分に間に合う。水面から幾本もの触手が包み込むように伸びる。
(奇策は無し! 黒霧で妨害――しない!? むしろ――)
ジッと事の顛末を見守ってすらいない。視線の先はアメノミカミを捉えて離さない。
「だが、捕まえれば――っ!?」
障子に穴を開ける程の手応えで二人の身体は崩れ去る。
同時に逆方向にの煙から抜け出す一つの姿。
「残念、フェイク――」
「まさか、影分身だとっ!?」
一般的な強化魔術とも攻撃魔術とも違う特殊魔術『影分身』。魔力によって作られる実体を持つ複製体。軽い衝撃で崩れる程脆いが、本人と瓜二つの偽物により、相手の注意を分散させることが可能となる。
アメノミカミの操者は聡く知識が深い。余計な想像をしてしまう。『海歩』『空歩』『影分身』、ライトニアでは得られぬ技能に思わずサリアンの出身地を分析してしまう。
故に起きてしまった脳の処理限界。
「サリアン達の行動妨害」「サリアンの正体」「煙幕の排除方法」「サリアンの軌道予測」「水触手の発生位置調節」「アンナの捕縛計画」「コアの位置」「雨量の調節」「破魔斧の捕縛計画」
好奇心がもたらした思考の重要度の変化により「鉄雄の妨害」に割く思考が止まった。
「――本当、頼りになる先輩ですよ」
待ち望んでいた必要不可欠な溜めの時間。
レクスを地に叩きつけると同時に膨大な破力によって放たれる鉄雄渾身の術。
爆発的な勢いで地表を消滅の剛刃が咲き誇り扇状に埋め尽くしながらアメノミカミへと迫る。羽を持たねば回避はできない地より襲い掛かる破滅の侵食。
(この技は『グランド・エッジ』! こんなことまで扱えるのか!)
地を揺るがし岩石の剣山を地表に波打たせる土属性攻撃魔術。鉄雄がゴーレムより受けた魔術。それを自身の能力で組み合わせ再現。
死地を経験した忘れられない恐怖の記憶、だが同時に憧れも嫉妬もした、自分ならこうすると空想もした。自然と溢れる自分もやってみたい欲求。
前世界では到底できない魔術を、今この瞬間手にした。
「素晴らしいっ――!」
川底より突き抜ける幾本もの黒剣。水塊を串刺しとし、水のせきが崩れ多量に零れ、二人を捉えようと伸びた水の触手は何も掴むことはできずに崩れ落ちた。
「これが破魔斧とテツオの力……」
眼下に広がる十年前に災禍をもたらした化身の無様な姿。紛れもない活躍にサリアンの表情に嫉妬が映る。けれど、それをすぐに振り払い目指す視線の先を王都へと向けた。
「コアは外したか!? でもっ――!」
「後は任せなさいっ!」
「ここはまかせたから!!」
やるべき作戦は成功した。
水飛沫の着地と共に絶好の好機を追い風に駆け出す。
達成感で溢れた笑顔が交差し、鉄雄は左手を横にまっすぐ伸ばしサムズアップし振り返らず背中で送った。
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