第29話 10年VS1ヶ月半
6月9日 水の日 11時35分 レーゲン地区 大通り
優れた武が舞と称されるように、極めた錬金術が魅せる現象は絶景へと昇華される。水がこんなにも美しい軌跡を描くなんて知らなかった。水飛沫は柳葉のように滑らかに舞って、迫り来る水流は生き物の如くしなやかに流れゆく。
雨は穏やかな小糠雨になったかと思えば一変して荒々しい豪雨へとリズムを変えて景色を変える。
足元の水面は穏やかに佇んでいるかと思えば、時折爆ぜるように波立ち足を取られそうになる。
全てがさりげなく、意識の外側を突いてくる。なによりも見惚れてしまいそうなぐらいに美しく俺を責め立てる。
「破魔斧の生きた情報というのはここまで興味深いモノとは……大口を叩いたことを許してしまいそうだよ。部隊長クラスなら瞬殺できる想定だったがこうも堪えられると自信を失うねこれは」
「……こちらはそのまま改良の為に帰ってくれてもいいんだが?」
「君も来てくれるなら乗っても構わないがな」
「平行線だなっ!」
破魔斧の魔力吸収のおかげで何とか喰らい付いて行ける。広範囲に漂わせた黒霧に吸収を付与し、攻撃の出始めに配置させ魔術をフィルターに通すかのように阻害する。
これが無ければ開始1分と持たずに負けていただろう。黒霧に触れた水は予想通り操作を失い自由落下に変化する。加えてこの膨大な魔力に満たされた環境下において俺は無限に近い破力を得られる。即ち破術の発動に心配は無い、いくらでもアメノミカミの攻撃妨害することができる。
それにこうして奴の動きを見続けていて理解した部分がある。
奴は隙が無いように見えるが、そうじゃない。いくら変幻自在自由自在、疲労怪我が無い無敵の水体でコアを壊さなければ勝ち目無しでもだ。
あくまでもアメノミカミは現存する水量を配分して攻撃を行っている。
ウォーターカッターな超高圧水流攻撃も機銃のような水球の連射も大樹が迫るような巨大な水の鞭も周囲に存在する水を集束して発動している。おまけに攻撃が外れても次に繋がっているのが厄介極まりない。別の場所に水量を移し、そこから新たな攻撃を放つ。
前後左右上下、全方位に注意をしなければならない。馬、いやトンボじゃないんだから全部見切れる訳が無い。
けれど、実力――いや運良く今はまだ致命傷や詰みの一手を受けていない。
アメノミカミ自体は水の身体、疲労や怪我は無いと言っても人間の手によって操作されている。自動で攻撃してくる訳じゃない。
つまりは操縦者の脳の限界がある。複数の必殺的な攻撃を同時に行うことが可能であっても情報の処理に限界はある。加えて、操縦者はコアの中にいない。確実に遠隔操作。
こちらの世界の通信技術がどのように発展しているか不明にしても。誰にも気づかれないような遠距離で操作しているなら、取得できる情報量もこの場にいるより少なく、リアルタイムと比べて見聞きできる情報にズレがあるだろう。
奴は絶対安全という状況を手にしているが、故に攻撃精度は完璧ではない。精度を上げようとすればそれだけ負担が掛かるはずだ。
こちらはコアを破壊すれば勝ち。それは確定事項。より強力な攻撃を引き出せば防御は疎かになる。そこに強烈な一撃を放てば勝ち筋はある――
……まあ、言うは易しな理想論なんだけどな……。
操縦の負担がどれだけあるか不明、全力疾走しながら操作しないだろう。でかい玉座にでも座ってコントローラーを両手で操作しているだろう。
そもそも脳への負担? 俺の方が圧倒的にヤバイに決まってる。体力? 浅瀬に足を取られながらいつまでも走れる訳がない。
追い打ちみたいにこの薄ら寒い環境。今はまだ体が動くから体温を保てている。でも、動けなくなったら水に体温を持っていかれる。生き残るにはやるべきことがあまりにも多すぎる。
「本当に卑怯な奴だよ……」
これが惨劇の斧──いや破魔斧レクスの力か。
直に見て大分理解した、予習したかいがあったものだ。黒い霧はまるでスポンジのように魔力を吸収する。これに水の身体が触れると形成している魔力を失い身体が崩れる。そして、限界値も存在する。膨大な魔力を与えれば吸収されることは無くなる。言葉通りスポンジだな。
しかし、黒い霧はそれだけにとどまらない。あの斧と霧が繋がっていれば斧が魔力を吸い上げる。刃に魔力が触れれば別の力、彼が言う「破力」に変換され彼の中に蓄積される。この辺りは一般人が魔力を貯蓄するのと変わらないだろう。
故に一つの疑問が浮かぶ。彼の貯蓄限界が訪れれば変換された破力はどうなるか? そもそも変換されなくなるのか? 宙に霧散するのか?
恐らくは霧散。この状況下において自らの首を絞めることは彼はしない。だとすれば霧散した破力はどうなるか。空間に存在するのは今この瞬間まで魔力だけだったが、破力も混じるということ。実に興味深い問い。
我に破力を操る術は無い。実物に触れたことも無ければ認識も不可だからだ。
となれば──やはり彼は欲しい! 今もこうして我の知識欲を刺激してくれる。この逆襲劇をついでだと思わせてくれる!
そのためには彼の心を折る必要がある。彼の主人を人質にするか、守るべき対象を失わせるか……ほう……やはり演出としては逆襲劇は必要不可欠。
我の悲願を達成し、新たな知恵の泉と弟子を手にする。ここまで心躍る完璧な流れは久々ではないか? 十年前の鬱屈とした原動力とは違う。欲しいを手にする為の戦い。
「本当に興味深い……」
さて、どう詰ませるか?
対魔力においては破格の能力を持つ霧だが、抜け穴はある。超高圧高速の水泡を放てば霧に触れようと関係無い。膨大な水塊を頭上から落とせば霧に触れたところで重力に従って直撃する。
対応策は簡単に浮かぶがやらせてもらえるかと言えばまた別の話。どうしても溜めの時間が必要となる。現時点で彼はそれを見抜いて何度も霧で計画を破綻させてくる。
これだけで力に溺れた傲慢な人間で無いと見抜ける。
未来予知と言うべき程危険察知能力が非常に高い。こちらが攻めきれないのはそこに理由がある。こちらが術を放とうとすればその位置に霧の密度を集中させ不発に終わらせてくる。
特に彼を狙った攻撃に関してはだ。霧の範囲外からの長距離攻撃は普通に回避され当たらないだろう。水の大砲は水量を変える放水機にしかならない。
水で水を塞き止め水位を上げることに造作も無いが、彼は動く。霧を足元に広げているおかげですぐに術式が崩され決壊してしまう。
これは持久戦となる……が。彼の体力と精神力がどこまで持つかの勝負。こちらはただ座して悪手を打たなければいいだけ。妙手は必要無い。こちらは延々と駒が補充される。彼も同様に無限の破力を得られるが砲塔に限界はある。術を使い続ければ摩耗し砕ける。
疲労困憊となった後、どうやって彼の主を釣り上げるかが重要。
見捨てるなら良し。しかし彼は希少な存在。そうそう手放すことはしないだろう。勝てぬと知りながらここに来るか?
捨て石と理解した上で誘いを拒むというのならどうすべきか……主の言葉は妄信する人形で無いと信じたいが、それならば意識を失わせ彼等に回収させ――
「おや……そろそろ限界が近いかな?」
「節穴で助かる……これで限界と思えるなら洞察力が足りてねえよ……」
まるで底が見えない。自然を相手にするという無意味さを突き付けられている気分だ。強がりが出るだけまだマシと考えるべきだろう。
風通る地上にいるのに真っ暗な地底湖にいるような閉塞感。一手間違えれば敗北必須の背水戦闘。
どうする、どうすればいい……。蜘蛛の糸程の細さでも勝ち筋はある、ただ負け筋があまりにも太くて多すぎる。
純黒の無月をコアに直撃させれば勝てる。けれど、奴はそれを見抜いて距離を一定に保ってくる。破術も水の壁や触手で威力を殺され本体に届く頃には貧弱この上ない。
何か無いか……一撃で奴の全身を破壊するような大技は……思いつきでもいいから何か――
「勝機を必死に探すのはもう諦めたまえ、君はよく戦った。絶対不利な状況下で改良したアメノミカミとここまで渡り合えたことを誇りとするがいい。誰も君を責めたりしないだろう。弱者は強者の下に付く。これは自然なこと、生きて下に付けるだけでも幸運なことではないか?」
「はっ! こちとらまだピンピンしてるっていうのに強者面かよ! 表情の無い能面でよくそんな偉そうな言葉言えるもんだ! 鏡みろ鏡!」
「――では敬意を持って、全力の一端をお見せしよう。どちらが強者かはっきりと格付けしようではないか」
「ぜんりょく?」
「嵐に消える孤島」
今最も聞きたくない言葉が耳に届く、なんとなく嫌な予感はしていた。俺が全力疾走で喰らい付いているから相手も全力疾走だという甘い考え。奴はこれまでジョギング程度の力であしらっていた。
そんな奴が容赦なく全力を出して来たら――
「ここまでできたのかっ……!?」
これまでの戦いが子供の遊戯かと思う程周囲の光景が変貌した。
ドームを作るかのように大量の水球が浮かび上がり俺を覆い、俺を狙い定めた鳥のように旋回し始める。足元の水も渦を巻き始め流されないように立っているのもやっと。黒霧で無効化を試みても足元は止まらない、浮かぶ水球を落としても即座に再装填される。
そして、黒霧の範囲外より水の巨人が腕を振り上げ巨大な水の槌を作り上げる。
「この技は窒息を目的とした技だけでなく物理的破壊力が高い。脅迫のようですまないが、今一度問おう。我の仲間になれ。この状況下において戦わせようとする者を主と認めるのはあまりにも愚行。外せる鎖を大事にする理由は無い」
「……そもそもの前提が違うだろ?」
「ほう?」
「俺はお前みたいに自分が上の存在だと信じて疑わない人間が大っ嫌いなんだよ! そんな奴に遜る理由が無い! 死んでもお前に頭を下げない。この鎖を外すぐらいだったら醜くみっともなく足掻いた方がマシだ!」
「見事。では君の生き恥を晒す姿を眺めるとしようか――」
焦るな――まだ終わってない。黒霧を全開でぶちまければ術の解除と目くらましができるはず。直撃したら不味いのは水の槌だ――
「──あっ?」
視界を通り抜ける黒い線、刹那に響き渡る水が弾ける轟音。
想定外の出来事に一瞬呆けてしまう。
なにせ文字通りの横槍。俺の目の前を黒い槍が螺旋を描きながら水の巨人を貫き内側から食い破られるように爆ぜたのだから。
コアを掠ったその槍は忘れることの無い一振りの捻じれた刃。その持ち主と言えば。
「まさかっ!?」
「この槍はっ!? 何故君――いや違う! 奪った者か!」
「いい狙いだと思ったんだけどね。もっとわたし向けに改良しとけばよかったわ」
「どうしてここに来たんだよ……約束しただろ……?」
雨粒を身に受け水溜まりを荒々しく踏み抜く足音、濡れた髪をなびかせ余裕がある口調。その手にはもう一本の黒い槍。
どうしてだろう。悲しむや焦るよりも、心から安心や信頼が湧いて口角が上がってしまう。この場に来てほしくなかった、約束を守って欲しかった。それは事実でも、俺の心の奥ではアンナが傍にいて欲しいと思っていた。じゃなきゃ裏切られたなんて気持ちが微塵も湧かない理由の説明にならない。情けない話だけど。
そしてもう一つ。俺の心に湧いてきたのは安心だけじゃない負けそうな不安を消し去る勇気。アンナが隣にいてくれる限り俺が折れる訳がない。折れる理由が無い!
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