第28話 折れた者達を束ねて叩き上げて
戦いの幕が上がった時を多少遡り、アンナ達へと移る。
彼女達が乗る装甲馬車はレインの元へと駆けていく。
今は廃墟が並ぶ住宅街をアメノミカミから避けるため南、西、北の順番に駆け抜ける。この時、鉄雄はスカウトされていたため天候は小雨。
このおかげで御者のケインの目に地についていたレインが映った。
「レイン隊長を発見したっす! でも……無事とは……」
木々も疎らな平地の真ん中に忘れられた花のように勿忘草色の髪が雨に打たれ項垂れていた。凛とした存在感は消え失せもはや路傍の石。
両膝を付き全身が雨に濡れ、両手で支えられた父の腕章を虚ろな瞳で見つめる姿。もはや生気の抜けた廃人。かける言葉もまともに見つからない。
寄り添うように馬車を隣に止めると慌てた様子で飛び出す二人。
「レイン!! あぁ~もう! 無理はないとはいってもこれじゃあ……!」
「レイン姉さま……」
通信越しでしか知る事のできなかった状態。想像以上に弱った姿。
己の力で立ち上がることもせず、二人の助けで無理矢理馬車に乗せ介抱する。自身の術の反動で一部の皮膚の表面に氷の膜が張り付いていたが、焼けたパイ生地のように簡単に剥がれ落ち目立つ怪我も無い。
それでも──彼女には剣を握る力も向き合う精神も残っていなかった。
「――一体、何の為に……私は戦って来たのだろうな……」
重々しく開く口から震え、途切れ途切れに紡がれる言葉。
誰もが耳を塞ぎたくなるほど最強に座する者が口にしていい言葉じゃなかった。不安や諦めが感染するかのように広がり、レインの強さを知りこの戦いに掛けた覚悟の重さ知る者は口を噤んでしまう。慰めの言葉も激励の言葉も意味をなさない。
父は裏切者ではない謀った者がいると信じて戦って来た。汚名を雪ぐことを生き甲斐としていた。再び家族が揃う未来を探していた。
それが叶わないと悟ってしまった。地下に幽閉されている父は日の目を見ることは無く、母と姉はライトニア王国に踏み入れることは二度と無い。
望む未来が想像できなくなってしまった。
「レインさんが戦えないのなら……じゃあテツは1人でアレの相手をするってことなの? わたしが知ってるテツの強さってゴーレムの時が最後……だいじょうぶなの? 勝てるの!?」
「正直言って読めないわ。テツオがここに来てたった1ヶ月半。できる限り土台はしっかりと整えてきたつもり。それに破魔斧の力は魔力を糧に動く存在に異様に有利。いくらアメノミカミの補給速度や貯蓄量が優れていてもそうそう負けはしない。でも――勝てない」
「どういうこと? 負けないけど勝てない?」
「調査部隊の本分は未開の地の情報を何としても持ち帰ること。この1ヶ月半徹底的に鍛えたのは体力と防御、つまり生き残る為の土台ね」
暴力的な争いが稀有な平和な世界で怠惰に過ごしていた鉄雄の身体は錆び付いていた。調査部隊に入ってからはそれを剥ぎ取るための訓練、まさに過酷を極めた。
体力限界を超えて動かされたのは基本。階段の上り下り程度で太ももやふくらはぎに痛みが走るぐらいに走らされた。ナイフやフォークが震えて握れなくぐらい手を酷使させられた。テーブルを支えにしなければ腕が上がらなくなるぐらいに斧を振り回し続けた。硬かった身体が180度開脚できるまで、背中で手を組めるまで柔らかくなった。
ボロボロで疲労困憊になるたびに錬金術製の栄養剤や軟膏で強制的に蘇らされ、訓練に引きずり込まれた。
朝から夕までみっちりと積み重ねた人道にもとるような訓練は明らかに転移直後の貧相な肉体とは別物に叩き上げられていた。
「魔力吸収の霧を操る力は想定以上に伸びて長時間運用も可能。魔術防御は大陸トップクラスと言っても過言じゃないわ。それにレインの高速攻撃とゴッズの重攻撃を躱したり受け流したりする訓練もやってきたから見切る力も仕上がってる。でもね――」
知識も深く魔術に関して明るいキャミルのおかげで破魔斧の理解度や力の引き出し方も素晴らしい学習速度で進んだ。
さらに回避不能の大陸一の剣技、防御不能の大剣一振り。命がけともなる最高の防御教材は生と死の間を体験していた。
これらの過酷な訓練は鉄雄にとって成長の実感と期待の裏返しが合わさり、辛さよりも喜びが勝った。寮に戻ってもアンナやセクリに不安を与えなかったのが良い証拠でもある。
ただ、最高の指導者の下にいても限界はあった。というよりこれ以上の成長は不可能。
「攻撃技を全然教えてないのよ……身体が出来上がってから教えるつもりだったの」
「え!?」
そう、時間が圧倒的に足りていない。
基礎基本の武具を利用した攻撃魔術は破力でも応用可能と考え指導し、結果として成功。騎士が行う基礎基本の武具魔術は会得した。発展形の術は共に考えていこうとキャミルは予定していた。もっと肉体の練度高めた後に。
そもそも対魔力生物における優位性に気付いていた、その方面で鍛えていけば将来訪れるであろう脅威に対して抑止力になると心が踊っていた。
しかし現実は厳しく、磨き上げる前に人工太陽ソルが故障という事態が訪れてしまった。
対して敗北という燃料を糧にして十年近く試行錯誤を積み重ね改良したアメノミカミ。望んだ時期を待つだけであり、仕上がりは完璧とみていい。
「テツオの使える魔術もとい破術はレクスって人格が使っている術を使いやすく改善したものなのよ。中には対大型魔獣の術があると思うけど、まだ見つけてないし訓練してない。こんなことなら私が使えるので何かしら先に教えておけばよかった……!」
現在鉄雄が扱える術は魔力吸収と消滅。
魔力吸収の力を有した変幻自在の黒霧は妨害及び無力化、言わば防御の要。
消滅に重きを置いた秘技『純黒の無月』は防御不可能の消滅技。けれど近接の小範囲、厚い水の壁に阻まれコアには届かない。消滅を乗せたスラッシュストライクは遠距離攻撃であれど密度も威力が足りずが水の壁や触手で迎撃可能。
決め手が無いのが現状である。
「それでもテツを信じるしかないってこと……?」
「情けない話よね……私も魔術士として実力は磨いてきたつもりだけど、それ故にアメノミカミの強さと狂気染みた完成度が分かってしまうの。この環境下において絶対に敵わない、挑んだって傘にもなれず流される。情けなくて笑えてくるのよ」
自虐的に零す乾いた笑み。
ライトニア王国最高峰の魔術士、それがキャミル・スロース。十年前の襲撃を知り当時は調査部隊仮入隊の下っ端魔術士で12歳の子供。当然、豪雨の戦場には参加はしていない。
魔術の才に溢れた彼女は惨状を知る者として慢心することなく才に胡坐をかくことなく努力を積み重ねた。
だが知識を得る度、敵を知る度、自分ではどうすることもできない手の届かない存在だと理解してしまった。
「じゃあソレイユさんはいないの? あの人のおかげで前は倒せたって話なんですよね?」
「……ソレイユは、故障が発覚した日に鷹達に手紙を持たせ捜索している。まだ誰も帰って来ていない、どう考えてもこの戦いには間に合わない。ソレイユ……君がいてくれたら……」
この世界では通信具の発展は未だ途上中。
現在アメノミカミがライトニア王国全土に声を飛ばす技術を見せつけているが、逆に言えばそこが限度。さらに受信体と送信体と膨大な魔力があってこそ成り立つ通信手段。
ライトニア王国で利用されているのは国内の王城や各領家や騎士団基地と言った重要な特定施設に受送信体を設置しており一般家庭や店舗に置かれるのは稀である。
加えて国内であるなら携帯型でも設置型の送受信体への交信は可能である。ただし、携帯型同士の交信は精度が低く1km前後が限界となっている。
鉄雄やアンナのように魔術によるテレパシーも存在するが、主従契約と言った魔術的な強い繋がりが無ければ不可能である。
旅をしており、現在ライトニア王国にいないソレイユと連絡するにはソレイユ側から郵便が送られないと情報共有の糸口すら掴めない。
「それじゃあ……この国の未来を全部テツに押し付けるっていうの!? この国で生まれたわけでもないのに!」
この世界で最もライトニア王国に無知で愛国心が無い人間が最前線に立っている。小さな約束を果たすために全身全霊を掛けて挑んでいる。
それに対し心の折れた最強の騎士。
知恵がありすぎて牙の抜かれた魔術士。
尊敬する人間が折られ意気消沈する武術家。
御者に徹し我関せずの新米騎士。
撤退を開始している剛腕騎士。
あまりにも異様な状況。この馬車にいた時点でアンナは違和感を多少なりとも覚えていたが言葉が浮かばないでいた。しかし今頭の中で形になった、それが「口だけの守り人」。戦わない理由だけが湯水のように口から溢れ何もしない軟弱者。
アンナが住んでいた村にも騎士に似た役割の者はいた。村と国、規模は違えど名乗るだけじゃ成れない。認められて初めて成れる存在であることも。どんなに凶暴な魔獣でも護国誠心と真っ先に駆け抜け戦う者達。敬意を得るだけの生き様をアンナは両眼で見ている。
何よりも消せない記憶に残り続ける父の姿。
同じ国の人間でもこうも違うのかと失望の念が沸々と強くなり始める。
このままでは大事な使い魔が消えてしまう。そんな予感が強くなり、激情に身を任せ馬車から飛び出そうと心を決めようとする瞬間、巻貝より会話が響く。
「君がもしものもしも万分の一を手繰り寄せ、我を退けた後はどうする?」
「……? 何が言いたい?」
沈黙していた巻貝が再び声を届け始めた。この馬車だけではなく国全体に。
「――この会話って」
「念の為持ってきといたけど、何を伝えるつもり……?」
巻貝より響く二名の会話。外へと向かおうとした足が止まり聞かなければならないと聞くべきだと心が決まっていた。
無論鉄雄は自分の言葉が国中に届けられていることなど知らない。アメノミカミは情報の発信を自由に切り替えられる。
会話をリードし国に届いたら混乱を誘う言葉を口に出させるため。
唯一対抗できる存在が寝返る瞬間を伝えるため。
例え退けられてもより大きな力が国に残ることを知らしめるため。
芽吹いた不安を大きく成長させる慈雨のように。
「本当にアメノミカミが言うようなことがおきるの……? みんなのために戦ったのに? それにわたしも? どういうことなの……?」
大人達は何も言えない。否定はできないから。純粋に強き者を尊敬する心はとうに汚れ、嫉妬と恐怖がすぐに色濃く写るくすんだ心になってしまったから。
だが、彼の心は汚れきっていなかった。
「なら俺がすべきことは決まってる。アンナが傷つくことなく離れずにこの国で過ごす方法」
「ほう? 実に興味深い。我を提案を崩すだけの案があるというのなら是非とも聞かせてもらいたい」
「ライトニア王国の人間性を信じる。誰もアンナに石を投げたりしないし差別しないことをな」
青臭く、無謀で、思慮の浅い希望を口にした。
「――え?」
その言葉に全員の顔が巻貝に向けられる。そう、全員である。馬車内に留まらず言葉を聞こえた者は足を止め、口を閉じ、耳を傾けた。
誰が何を言っているのか。現実を知らない甘ったれた夢のような言葉。誰もが力を持つ者の言葉に怒りを覚えそうになった。だが、非難したくなかった。「信じる」とはっきりと口にしたこと。その言葉を口にしている者は最前線で自分達を守るために戦おうとしていること。
「惨劇の斧を使う男」が「神野鉄雄」になろうとしていた。
最後のやり取りと共に沈黙する巻貝。
アンナの瞳に覚悟が宿り、外に出る足取りに呆れも怒りも無い。
正しき熱が心を満たしていた。
「――わたし行かなきゃ」
「待ちなさい。許可できないしテツオと約束していたでしょ? あなたが行ったところで何も役に立たない」
「止めないで。ここで願っていればみんなが望んでるような未来が叶うの? わたしでもわかる! ぜったいに違うって! 誰かに託して待っているだけじゃ絶対に叶わない。何もしないなら役に立たないことに変わらないけど、動けば何か変わるかもしれないから!」
冷静に飲み込めばキャミルの方が正しいだろう。アンナより実力のある者達が言っている。事実多くの騎士や国民が理解している大陸最強のレインでなければ並び立てない、それ以外の人間は足を引っ張るだけ、無様に命を散らすだけと。
「わたしはテツを都合の良い英雄にはしたくないから。父さんが帰ってくる場所はわたしが守らないといけない! テツが戦うならわたしも戦わないといけない! ここで逃げたら最高の錬金術士になんて到底なれっこない! ここで逃げたらわたしは同じことを繰り返すと思う。テツがいるからわたしは後ろでただ待っていればいいって!」
子供だから常識を分かっていない。そう思い込まなければ彼女の瞳と向き合えない大人達。人を数値で紙面上で考えれば正しい、しかしこれは最初から秤に乗せた覚悟の重さが戦況を変える誇りの殴り合い。
牙の抜けた獣はいくら数を増やした所で家畜と変わらぬ。負けの光景が焼き付いている者に勝利の美酒を味わうことはできない。
「いってきます!」
荒々しく扉が開かれ雨を身に受け水を散らし駆ける音が響き渡る。
「…………若くて未熟で思慮が浅いわ。勝てない相手に向かって行くなんて。勇気じゃなくて無謀、これだから子供は……」
十年前の戦いにサリアンはいなかった。けれど、アメノミカミを模倣した訓練具で痛感した。鍛え練り上げた武術がまるで通用しないことに。停止した相手でもコアに拳も衝撃も何も届かない。尊敬する人の分水嶺となる戦いで足を引っ張りかねない無力さ。
彼女の武では水を割る事は叶わない。
「これが騎士の姿なのかしらね……? 錬金術士で子供のあの子の方がよっぽど──」
「魔術士を謡ってるあんたが言うの?」
「はぁ~……本当情けない! 頭が良いってのもダメね。自分で自分の可能性を潰してる。使える作戦が全部潰れた訳じゃないのにテツオに押し付けてる。騎士として1番下っ端なのに、こうして立ち止まるのが護国の騎士の姿なのかしらね」
「レイン姉さまでも手も足も出なかった! 破魔の力じゃなければ防ぐことは叶わない! 普通に戦えば私はテツオに負けない。でも、アメノミカミには何も通用しない! 悔しいけど無意味な死は戦意を削ぐだけだ……!」
握り拳から赤い悔しさが滴り落ちる。自分にできない事、憧れの人が手も足も出なかった相手だから自分も立ち向かえない。遠慮か恐怖か尊敬する相手が打ちひしがれている姿が見えない鎖となって絡みついている。
それを易々と短い期間弟子とした子が本当にしなければならないことを迷わず行おうとしている。
「だから私達もできることをするのよ。テツオにしかできないこともあればテツオにはできないことが私達にできることもある。今日まで磨いてきた使える技術を引き出しの奥に引っ込めてここでただ雨が過ぎるのを待つよりかはマシよ」
「何をするつもり?」
「正面からぶつかり合う事だけが戦いじゃない。幸いアメノミカミは口を滑らしたからそこが付け目になる可能性がある。調査部隊だからこそ分かることもあるでしょ?」
牙は折れども爪はある。止まっていた馬車が王都に向けて歩み出し、一つの影がさらに馬車から飛び出て駆け出した。
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