第17話 自分がやりたいことをしたいから
6月9日 水の日 10時20分 騎士団本部
980年6月12日、私は決してその日に起きたことを忘れることは無いだろう。
10年前アメノミカミが襲来してきた日、王が倒れた日でもあり、国宝を失った日でもあり、レーゲン地区が崩壊した日でもあって、あらゆる何かを失った。
滝のような雨柱、父を含めた多くの調査部隊員が現象の調査に向かった。ただの異常気象だと、近隣住民に自宅待機を促すだけで済むと思っていた。
警報の鐘が鳴る頃には全てが遅かった。立ち向かう騎士達が激流に飲まれた、一人一人が陸に上がった魚のように動かなくなった。
「もう、2度と……! 同じ事を繰り返す訳にはいかない……!」
国を逃げ出してまで何のために鍛えた?
女の手を捨てたのは何時からだ?
吐いた血が凍るような環境で生き残ったのは恨みの炎があったからじゃないのか?
武闘大会で優勝したのは今日この日の為だろう?
来ないんじゃないかと不安があった。
鐘が響いてやっと思い出した。この戦いに別の誰かは邪魔だ。破魔斧の力に頼る心が弱さじゃないのか?
あの日の私は何を思っていた?
誰かが何とかしてくれると願っていなかったか?
その無様な心が凄惨な光景を生んだんじゃないのか?
家族をバラバラにしたんじゃないのか?
これは正義の戦いでは無い。私がすべき復讐だ。父の汚名を雪ぐために、父を選んだ母に間違いではないと証明するために、姉にミュージアムの舞台に立てるために。もう1度家族揃って、誰にも後ろ指を刺される事無く、石を投げられる事無く、罵声を浴びせられる事も無く。
この国でみんな笑顔で食事を取るために──!
「私達が先陣を切る! 3人は待機だ」
騎士団本部より大勢の視線と期待を浴びながら装甲馬車がお出ましとなる。錬金術によって生み出された軽くて丈夫で錆びにくい金属『アルネシタン』によって対アメノミカミ戦用に外面舗装された特注馬車。それをけん引する二頭の馬も大柄で足も太く鉄雄の世界で呼ぶばん馬に相似している。ただし、こちらの二頭は魔力を持ち、認識以上の脚力と体力を持つのは間違いない。
専用装備を身に纏い馬車に乗り込むゴッズとレイン。
「あの、レイン姉さま! テツオはどうするんですか!? もう一手必要なのでは?」
「……この状況になってようやく思い出したよ。あの日私は誰かがいる、誰かが何とかしてくれる。そんな気持ちで戦場に立っていた。このままテツオを待つようじゃ、繰り返しに過ぎない。だから私1人で奴と戦う」
決めた覚悟は揺るがない。心の内側が爆ぜ続ける憎悪の炎を表情に見せず、調査部隊隊長としての言葉を伝える。
「……私は心のどこかで無関係な人間だからあの地獄に巻き込んでもいいと思っていたのかもしれない。そんな訳が無いのにな……テツオがアンナちゃんを守りに行ったのならそれでいい。テツオが王都の中心にいるということは錬金術士達やクラウド王も無事が約束されているようなものだ。後顧の憂いがなくて助かる」
「やっと多少はまともな顔に戻ったわね……」
「自分のやるべき事に素直になっただけさ。ゴッズ、出してくれ」
「了解しましたぞ!」
再び訪れようとする悲劇を食い止めるためにレイン達は進み出す。車輪が道路を駆ける音が雨音をかき消しながら戦場へと離れていく。
同日 10時20分 マテリア寮
アンナだけではなく考えることは皆同じ。ロビーには寮を利用する生徒達が集まっていた。とはいえ利用する生徒は殆どおらず、アンナ、ナーシャ、アリスィート、ジョニー。
後はルティもこの場にいれば寮生は全員集合となる。
「ではみなさん、申し訳ありませんがお力を貸していただければ幸いです」
「まかせて!」
「足を引っ張らないようにがんばりますわ」
「この状況で貴族が椅子に座って時が過ぎる訳にも行きませんからね」
避難場所に設定されたマテリア寮では慌ただしく設営が開始された。
奉仕する相手に力を借りてしまうという使用人としては情けない姿に使用人長も心の中では苦い感情を持っているが表情には微塵も見せない。
これから訪れるであろう状況によっては空き部屋も解放する可能性も視野に入れなければならない。定期的に清掃していると言っても月に一度の周期。入寮希望者が現れれば本格的な清掃が行われるが滅多に現れない。自然と労働力の割り振りは減っていく。
想定外のツケを払う時が来てしまった。
(彼はここにいてもいいのでしょうか……? 確かにこれまで組み上げてきたアメノミカミ討伐作戦に彼の力は想定されていないはず。なので問題はないのでしょうが……しかし、ここにいてくれるというなら心強いことこの上ありませんが。しかし……)
使用人長は寮を守護する代表でありライトニア王国最高戦力の一柱。討伐作戦の流れはある程度耳に届いている。
加えて神野鉄雄の性格、実力共に正しく理解している人間の一人。セクリの惚気にも似た言質を取っており、第三者の視点もありその理解度は非常に正確。
食事のマナーや入浴マナーを身に付け、挨拶もしっかり行い、粗暴な行いは一切見られない。酒一滴の香りもさせず、女遊びも不気味な程無い。力に溺れず主人に隠れて努力している姿も見ている。
ただし、それは自分の自信の無さを無理矢理埋めるようで痛ましさも感じられた。
それでもきっかけ一つ、歯車が噛み合うことがあればと期待を持っていた。
未だ不安定であれど、ここにいてくれれば避難民や寮生も確実に守れると判断し戦場へと促すことは口にしない。
「まさにこの状況こそが天才の花道! 救いの恩寵! やはりぼくは出番に愛されている」
エレベーターから現れるは輝く得意顔と共に課題の調合品を台車に載せて押して来たルティ。しかし、その舞台に上がるセリフは皆の営みにかき消され誰の耳にも届いておらず。視線に映っても話しかける者はいない。
(まったく……ここまでせかせかと動いているとは思ってもみなかったよ。それだけ緊迫した状況ということだと理解できるね。ぼくじゃあ足を引っ張るだけだから提出したら早いところ部屋に引きこもるべきだね)
自身の体力の無さ、錬金術は天才的、魔術にも明るい。しかし、力仕事はてんで苦手。
「食料は食堂に集めてください、避難してきた方に温かいスープをいつでも提供できるように調理を始めて構いません」
(なるほど。となると学校にこの保存食を持っていくより、食堂に提供した方が手間がかからなくて済む、提供箇所がわからない爆弾や耐水布は向こうに渡した方が良さそうじゃあないか。流石は天才たるぼくの頭脳は冷静だ)
台車の方向を食堂に向けて踏み出そうとするが、華奢な体では中々動かず操作も覚束ない。
(随分と人の動きが激しいな……アンナ君やあの男だけじゃなく他のクラスメイトも忙しく動いている。このまま台車で進めばぶつかって爆弾をぶちまけたり、ケガさせるかもしれない。保存食だけ持っていくべきだね。流石は天才たるぼくだ……最悪を想定した動きができている)
「よっと……やはり少し重い……強化術を使ってこれとなると鍛えた方がいいのかもしれないか……」
箱の一つだけを自分で持って移動する。
壁沿いに放置される台車、通行の邪魔にならない位置に置いてある。誰かが足を掛けたりして転ぶことは無いだろう。沢山のフェルダンが剥き出しに見えているがここは錬金術士の住まう寮。視界に映ったとしても驚くことは無い。
「ラミィ、毛布を持ってくるのを手伝ってくれ」
「うん、わかった――あれ?」
倉庫に向かうガイルッテ兄妹、妹の視線に映るフェルダンの詰まった箱。普段ならばただの忘れ物、運搬途中と認識するが。
背後ですれ違うルティは食堂に入り、保存食の入った箱を食料の集められたテーブルの上に載せる。
ラミィの頭の中でとある作戦が思い浮かんでしまった。
「ふぅ……重かった……おや? ナーシャ君はここで料理の手伝いかい?」
「あ、ルティさん。無事でなによりですわ。保存食を直接持ってきてくれたのですね」
他の使用人達と混じり劣らぬ手際の良さで包丁を躍らせ食材の下ごしらえを手伝うナーシャ。剥かれた皮の薄さは使用人達と同等の透けて見える程。
「まぁタイミングが合ったからだね。残りは学校に持っていくとするよ。何せこのぼくが作り上げた作品だからね役に立つに違いないさ!」
「品質も技能もみなさんと変わらないのでは?」
「むぐっ! 痛い所を付くじゃあないか……」
意識は完全に台所に向けられ、自分が置いてきた物に何かが起きるという不安は微塵も無い。ここは街中ではなく錬金術士の住まう寮。
扱い方を知らない者はいない。
「……お兄ちゃん。トイレに行って来るね」
「ああ、わかった。人にぶつからないようにな」
「うん……」
彼女が向かう先は一階浴場近くのトイレ。食堂隣の通路を進めばいい迷うことも無い。ただ、通路に入らずエレベーターの近くに向かう。
兄の視線を気にし、振り向くが角の向こうに消えて映ることも無い。
「こうして簡単な個室を作れるんだからロビーって広いよね」
「物を寄せるだけで結構変わるからな。オシャレ重視から効率重視に替わればこんなもんだな」
「主人、そっちを支えてもらっていい?」
「おう、任せろ!」
ロビーにて白い仕切りを組み上げ簡易的な治療個室を作成中のアンナ組。仲間内の力を合わせた行動に楽しさを感じ、作業外の存在に気を向けることは無かった。
「不足物資はあるでしょうか? 必要とあれば調合してきますが?」
「感謝します。でしたらリラックスティーの茶葉をお願いできますか? おそらく肉体的より精神的に傷つく方が多いでしょうから」
「かしこまりました」
錬金術士として使用人長より必要な物を聞き入れようとするアリスィート。思慮に耽る顔、メモを取る行動。
誰の視線もラミィに向けられていない。
小さな手に握られる一つの赤い球体、二つの爆弾、脇に抱えるフェルダン。
彼女はこれが何なのか理解している。不慮の事故が起きれば小さな体で耐え切れないことも理解した上で抱えている。
(これさえあれば……!)
ユールティアの名は寮に住んでいるなら知らぬ者はいない。性格に難があるが腕前は一流。兄も認めている。そんな彼女が作り上げた調合品は優れているに決まっている。そう、思い込んだ。
人を避け、進む足先は寮の玄関。
(長い気がするな……こんな日だから体調崩してしまったか? インディさんに頼んでトイレを見てきて――っ!?)
兄としての親切心。心に残った傷を誰よりも理解しているからこそ妹の体に悪影響が出ていないか過敏に心配してしまう想ってしまう。
食堂から出てきた瞬間に妹が理解しがたい姿が映ってしまう。危険物を胸元に抱えて外に向かおうとする姿を。
「ラミィ! 何を──!」
「っ!? ごめんお兄ちゃん!」
近づき手を伸ばすが妹はそれを躱し外に駆け出す。
追いかけようとするが近づく雨音と雨粒に身体が震え、呼吸が荒くなり、泥沼に腰まで埋まったかのように足が止まり体が動けなくなってしまう。
「誰か妹を止めてくれ! フェルダンを持って外に出てしまった!!」
その感情を揺さぶる悲痛な叫びは確かに届いた。
「嘘だろう!? まさかぼくのか!?」
「わたしが――」
「俺が行く!」
「あっ! ちょっと――いってらっしゃい!」
設営を中断しセクリに道具を押し付け、同じタイミングで鉄雄とアンナが駆け出し追いかける。
深い考えも無い、誰が出したかも理解していない。本能的に理解した。この声を聞き逃したら無慈悲な未来が待っていると。
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