97.受付嬢ちゃんもすれ違う
酔ったイイコちゃんを宿に連れ込んだポニーちゃん。
水とコップくらいは部屋に置いた方がいいと思ったポニーちゃんは間に合わせに隣の自分の宿泊部屋――ほぼ賃貸化していますが――から水差しを持ってきます。
「んぁ……」
イイコちゃんが部屋の中で服を脱ぎ始めていました。
お酒が入って暑かったのでしょうか。妙に手慣れたボタンの外し方からして自室ではこんな感じなのかな、と彼女のファンでもないのにちょっと見てはいけないものを見てしまったように感じます。
季節はまだ夏なので暑さでそこそこ汗をかいていたのか、脱ぎ捨てた服が湿り気を帯びています。お酒が入った状態でお風呂に入れるのも危険なので、ひとまず濡れタオルで体を拭いてあげましょうか。
「んぅ……それぐらい、じぶんでやるっての……」
むんずとタオルを奪い取ったイイコちゃんは、下着まで脱ぎ捨てて緩慢な動きで体を拭き始めます。とりあえず男の人がうっかり入ってこないよう部屋の鍵を施錠します。桜さん辺りは「騒ぎか?」とひょっこり鍵を開錠して入ってくるかもしれませんが、そこは彼のデリカシーを信じましょう。
一糸纏わぬイイコちゃんの僅かに湿り気を帯びた肢体は美しく――しかし、ポニーちゃんはふとその体の一点……胸元に痣があるのを見つけました。もしやどこかぶつけたのでしょうか、と聞くと、イイコちゃんはこちらをぎろりと睨みつけました。
「生まれつきよ……いつからあるかなんて知らない……」
身体を拭き終えたイイコちゃんはお客さん用に用意したバスローブを纏ってソファに倒れ込みました。
「嫌い、この痣。裸になって鏡を見ると目に入る……術で消して貰おうとしたけど、術者がヤブだったのか薄まっただけで消えなかった。だから隠してんのよ……アンタみたいな綺麗な体の女には分からないでしょ。勝手にシミ一つない綺麗な体をイメージしてた女にぽつんと一か所美しくない部分があることに気付いた男の視線って、屈辱よ……」
ポニーちゃんは裸や下着姿のような露出度の高い姿を男性に見せたことはありません。しかし、気持ちは分からないでもありませんでした。ポニーちゃんはスカートを外し、タイツを脱いで生足を見せます。
ポニーちゃんの右足の太腿近くには、傷の痕があります。
いつついたものかは覚えていませんが、両親が死んだ魔物襲撃事件の際に負ったものらしいです。傷自体は塞がりましたが、ちゃんとした治療を受けられなかった為にシミのように一つ残っています。
「……なによ。一言も言わなかったじゃない」
だって言う機会ありませんよ。
イイコちゃんだって言わなかったじゃないですか。
「言いたくないからよ。逆に何であんたは見せつけてきてんの……」
同じコンプレックスのある人と初めて会いましたから。
「同じじゃないわよ……同じだなんて思ってるのはアンタだけ。見られたときに男にガッカリされるのは私の方……」
そんなこと分かりません。ポニーちゃんだって出来れば傷の事を気にしないでいてくれる人がいいですが、好きになった人に残念な顔をされたらと思うと憂鬱になります。
「ならないっての。分かるのよ、私には。だってアンタの近くにはそういう人間が勝手に集まってるから。私なんて男の好みを定期的に調べて、いろんな話聞いて、流行取り入れてチクり話や痴話話を基に近くの人を選別して、自分を綺麗で可愛く見せて……そこまでやっても、この痣を知られるだけで男の心なんて簡単に離れる。上っ面でしか人を集められないから、上っ面で離れていくのよ」
それは、真似できない生き方とポニーちゃんが称していたイイコちゃんの本音。彼女はなるべくして人気者になったのではなく、人気者になる為の努力を重ね続けて「綺麗で可愛い純真なイイコちゃん」という世間体を手に入れたのでしょう。
しかし、それも一種の才能です。
彼女の人気は今も冒険者間では一位です。
その地位を退かないだけの実績を重ねています。
それは、誇ってもいいことですし、そこまで卑下するものとは思いません。狙ったとて容易にできる事ではないのですから。
「アンタに言われたって嫌味にしか聞こえないのよッ!!」
唐突な怒声にびくり、とポニーちゃんの肩が跳ねます。
イイコちゃんの目は濁り、鋭い敵意をポニーちゃんにぶつけていました。
「アンタの事を気に入った冒険者は誰一人として別の受付嬢の下に行かない!! 私の所に来た冒険者は、私がちょっとでも信者の管理を怠ったらすぐ別の受付嬢の所に移るのに!! 私が有休をとって一週間休んだら数十人は冒険者がいなくなって元に戻るのに一か月以上かけたのに、アンタは出張から帰って二、三日で客足を戻すッ!! どんなに努力しても……『一番親身なのはポニーだ』って言われて、いつも悔しかったッ!!」
イイコちゃんの手がポニーちゃんのシャツの襟首をつかみ、ソファに引き倒します。乱暴な行動に抵抗できず倒れると、イイコちゃんは嫉妬と羨望の入り混じった表情でポニーちゃんを揺さぶりました。
「冒険者の有望株も、実力者も、みんなアンタが持っていく!! 皆アンタを信じるし、アンタに何かあるたびに一喜一憂する!! 私がミスして落ち込んでた時ねぇッ!! 信者共はどうして私を心配すると思う!? 『いつもの可愛くて明るいイイコちゃんに戻って欲しいから』よ!! 落ち込んでる私はあってはならない存在扱いなのよ……本音出してる私の姿はあいつらにとっては偽物なのよッ!!」
ヒステリックな叫びにはどこか悲痛なまでの劣等感と嫉妬を感じます。嫌われている事は知っていましたが、その理由を聞いたのは初めてです。長く共に職場にいて初めて耳にするイイコちゃんの本音は、皆の知らない本当のイイコちゃんの言葉です。
「私だってアンタみたいに特別になりたかった!! 本性隠さなくたって周りに愛されたかった……男に媚びないと人気の出ない女なんかッ!!」
……ファンの人だって、今のイイコちゃんを見ても笑って許してくれる人はきっといます。沢山いるファンの中で、いない筈がありません。
「分かるもんか!! 分かんないわよ……アンタみたいな立ってるだけで周囲の心を留めておける女に……」
急に動いて大声を出したせいか、元々お酒でふらついていたイイコちゃんはぱたんとポニーちゃんの胸に落ちました。
ポニーちゃんは、自分は特別な魅力も能力もないと思っています。しかし事実として、気が付けば想像を絶する騒乱を間近で見、当事者ほぼ全てとかかわりのある立場に置かれています。
ただ、それは結果論です。結果として担当冒険者たちが心配だったポニーちゃんは引き際を誤り、引き返せない深さまで沈んでしまったとも言えます。
イイコちゃんは、どうして特別になりたいんですか?
「私が世界にとって価値のない一だから……」
日常的に皆のアイドル的存在として笑顔を振りまく彼女にとって余りにも不釣り合いな言葉でした。
「平原国の村出身の村娘の私は、顔とスタイル以外は何も特別なところがない……昔、家族に連れられて王都旅行に行ったとき、王家のパレードを見て思ったの。あの頂点に立つ人間からすれば、私は足元に転がる豆粒の一つでしかない」
この世には、生まれながらにして選ばれし存在というものがいます。命が始まった時点で多くの人の運命を左右する、大局を動かす大いなる一。ゴールドさんや軽業師ちゃんは、そういう家系に生まれています。それに対し、平民は国家を構成する人員でありながら、上に立つ者には記号か数字としてしか認識されないことが多い。
或いは最近めっきり見なくなったバカ息子さんのように、存在として格下だから何をしてもかまわないと考えている人間もいます。それを現実として生活するだけの権力があるからです。
「農民の家に生まれた私はそのまま生きても何も成し遂げない、誰にも目をかけられない、居ても居なくても歴史上なんの変化もない存在……嫌よ。そんなの嫌……偉くなくたっていい、名のある演劇の役が私は欲しかった……」
私だってなってみたいです、そんなのに。
平社員で大きく歴史を変えられないポニーちゃんには、精々受付嬢の仕事の歴史をせこせこと重ね、申し訳程度に発展させていくのが精いっぱいです。
「違う!! 脇役にだって名脇役と顔も覚えられない脇役がいる!! 私は私なりに自分を磨いて努力して受付嬢の人気No.1になった!! でもそうなるのに、普段の喋り方の一つまで全て作り込まないとそうなれなかった!! でも……それだけやっても、私は物語では高慢な受付嬢Aなのよ……アンタみたいに主要な役者に顔を覚えられて話しかけられる名脇役にはなれない……私とアンタと何がそんなに違うのよう……」
彼女にとって、No.1の人気は彼女自身の内から溢れる魅力ではなく、周囲を騙すような打算を用いてしか掴むことの出来なかった立場としか感じられないのでしょう。ポニーちゃんが幾らそうではないと言っても、受け入れては貰えなそうです。
「嫌いよアンタ……受付嬢になった理由が、姉みたいな立派な人になって困った人を助けたい? 馬鹿にしてんの? こっちは平民が一番出世できる可能性が高いからギルド入って、コネ作る為に受付嬢になっただけ……なのにトップを狙ってもないアンタは重戦士もゴールドも水槍学士も皆持って行って、誰にも真似できない二位になる。選ばれてなけりゃそんなことになる訳ないわ……挙句、アンタ最近その常連冒険者たちと一緒に隠し事してるでしょ」
どきり、と、心臓の鼓動が高まりました。
イイコちゃんの凭れ掛かった頭を見れば、いつの間にか耳がポニーちゃんの心臓を捉えています。心音で動揺を悟ったのか、確信したように顔を上げたイイコちゃんは、重苦しい口調でポニーちゃんの隠し事を追求しました。
「紫術士が捕まった後から冒険者と同じ宿泊まりになって、その頃には距離感が近くなったのは知ってた。でも万魔襲来の前後くらいから桜に愚痴とか指摘とか厳しくやらなくなったよね。ゴールドともそう。重戦士含む転向組ともよ。猫みたいに可愛がってた雪兎との関係も、事件が終わった後少しだけおかしかった。雪兎に何かあって、隠したでしょ」
抜かりました。誰よりも周囲の目を気にしていた彼女が微細な変化に気付くのは自明の理。つまびらかな追及が止まりません。
「しかもあの後すぐに上の指示で有休消化とかで遠出したわよね。示し合わせたようにアンタに近しい冒険者がまるっと特殊遠征クエストに駆り出され、騒ぎで道が封鎖されたとかでアンタと同じタイミングにギルドに引き返してきた。でも、この特殊遠征クエストって何だったわけ? ギルドで調べても騒ぎらしい騒ぎって立ち入り禁止地域を挟んだ向こうの国の国境沿いで未知の魔物の陰が確認されたとかよ。場所的に遠すぎる。不自然よ。アンタ、一緒に行動してたんじゃないの? ギルドも表向きには出来ない特殊な仕事でさ」
最後の一言は恐らく、暗にアサシンギルドとの繋がりも仄めかしていると取れます。あの時期、ポニーちゃんはギルドに滞在していた銀刀くんに積極的に近づいていたことやタイミングから予測したのでしょう。
まだあるわ、とイイコちゃんは更に追求します。
「氷国連合への不自然なタイミングでの出張に、特殊遠征クエストの面子と同じようなメンバーの護衛を付けて出立。この人選は誰が何のために行ったの?」
ポニーちゃんが後に聞いたことには、魔将エインフィレモスが小細工でそうなるよう誘導したらしい出来事です。表向き手続きに問題は起きませんでしたが、不自然と言えば不自然な依頼をイイコちゃんはしかと覚えていたようです。
「人質に取られたり仕事ミスで死にかけたりしたアンタをこの仕事に選ぶ必要性は? 出張先で書き上げて提出した書類見たけど、そこそこの日数行ってた割には内容がお手本通り過ぎる。帰ってきたら雪兎がいなかったし、アンタそれに寂しい顔しながら全然別れの話で踏み込んだこと言わないのも変。話は戻るけど、そういえば特殊遠征クエストで人が出払ったとき、保護者不在の雪兎はどこにも預けられてなかったし宿は締まってたわよね。そして今回、桜は急に別の女の子連れて戻ってきて、翠魔女や重戦士がその前に急に遠出して、赤槍士の妹とか唐突に出てきて……氷国連合で何かあったんでしょ。アンタがいないと都合が悪くて、報告書に書けないことが」
余りにも確信めいた物言いと、カバーストーリーで納得できないほど深まってしまった確信的な疑いがいつの間にかポニーちゃんを追い詰めていました。そういう事に無関心だと勝手に思い込んでいたのが大きな間違いで、実際にはイイコちゃんは他の誰よりも周囲の言動を意識していたのです。
しかし、何故そこまでポニーちゃんの事を調べ上げたというのでしょう。
「隠し事してるのが悪いんじゃないわよ……誰だって隠し事の一つ二つはある……でもね、私が一番気に入らないのは――!! 普段無茶するなとか周囲に相談しろとか冒険者たちにしたり顔で言ってる肝心のアンタがッ!! 同僚で一緒に仕事してるアタシたちに一言たりとも相談せずにコトに巻き込まれてるってことよ……!!」
イイコちゃんの拳が振り上げられ、ポニーちゃんの胸を叩きました。
傷つける意図のない、さしたる衝撃のないものでしたが、その一撃はポニーちゃんの胸にずん、と響いた気がしました。
「自分が特別だと思ってないんだったら、私たちはお呼びじゃないと言わんばかりにだんまり決め込むなッ!! また全部終わってから「言えませんでした」で済まそうとすんなッ!! アンタ……同僚を心配して相談に乗る役まで私から奪う気ッ!? 勝手に溜め込んで今度こそ駄目になっちゃったら、残されて惨めな気分にさせられるのはこっちなんだよぉっ!!!」
絞り出すように言い切ったイイコちゃんは、再びぱたりとポニーちゃんの胸に顔を落とし、今度はそのまま目を覚ますことなくすうすうと寝息を立て始めました。酔った勢いで喋り過ぎて、疲れてしまったのでしょう。
ポニーちゃんはゆっくりとイイコちゃんを抱きかかえたままソファから立ち上がり、ゆっくりと抱えた彼女をベッドに寝かせてタオルケットをかけました。
思えば、ポニーちゃんもまたイイコちゃんに一度も本音をぶちまけて話をしたことがありませんでした。表面上当たり障りのないことばかり言って、彼女の本音に踏み込むことはありませんでした。イイコちゃんにとってそれは、イイコちゃん自身がポニーちゃんにとっての脇役として扱われているということに他なりません。
イイコちゃんはポニーちゃんが分不相応な事柄を抱えていることに気付き、その事柄を誰にも相談しないでいることに――どうせ相談を持ち掛けたところで解決しえないと思われていることに、内心で怒っていたのでしょう。
当然です。ポニーちゃんだって同じことをされれば傷つきますし、怒りも沸きます。相談される側で助け合う相手でもあるギルドの同僚から「お前は当てにならない」と言われたようなものです。どうしてそんな簡単な事に気付けなかったのか、自分が情けなくなりました。
ここで行動しなければ、自分が許せなくなるし後悔する。
そんな気持ち、ポニーちゃん自身が一番知っていたことです。
案外もしかしたら、彼女と自分は似た者同士なのかもしれません。
ポニーちゃんはイイコちゃんの無邪気な寝顔を暫く眺め、決意します。
イイコちゃんには、本当の事を言おう――と。




