94.受付嬢ちゃんも道に迷う
魔物の大量出現をコントロールすることの出来る存在、アイドルちゃん。
まさに女神と呼ぶにふさわしい絶大な権能を持つ存在を知った人間は、きっとその多くが同じことを感じると思います。
すなわち、魔物の発生を止めて欲しい、と。
しかしアイドルちゃんにもアイドルちゃんの理屈があります。曰く、魔物がいなくなれば人類はその武器を同類に向け始めるだろうという話です。桜さんの生きた世界――正道なき狂気の文明のように。
「前に聞いた話なんですが……ガゾムって絶対誤射しないらしいですよ」
ある日、水槍学士さんがそんな話を朝食の席でしました。
「もちろんそれは種族的な器用さや、魔物を相手に砲を放つから巻き添えを生み辛いという側面も当然あるのですが……エレミア教の教えとして、そこは徹底しているそうです。だから危うい場面で撃った時は絶対に当たらないか、巻き添えにしても絶対傷つかない相手しかいないという判断があったとき。逆に当たって死なせる確率が1%でもあると大砲は絶対に撃たないらしいです。事実、第一次、第二次の退魔戦役でガゾムが誤射で味方を殺したという記録は一切ありません」
ポニーちゃんは最初、それを唯の豆知識かと思いました。
しかし数秒の後、ある事実に気付いて戦慄しました。
もしもガゾムにそのような倫理観がなければ、人同士の戦争でガゾムはその砲弾を人に向け、接近すら許さず粉々に消し飛ばしていくということです。例えば砦があったとして、ガゾムの陸上戦艦と大砲ならば射程圏外から一方的に破壊し尽くすことが出来るでしょう。
兵士など無視するかのように無感動に、そして作業的に。
しかもガゾムの肉体は非常に強固で治療も簡単です。ガゾムは直接的な戦闘を好まない種族なのではなく、してはいけない種族だったのです。ポニーちゃんが話の本筋に気付いたと判断した水槍学士さんは物憂げな顔をします。
「……元は奉仕種族として作り出されたことを逆手に取ったのでしょうね。自衛に際してはその限りではないそうですが、精神的な枷を幾重にもかけているとエレ……アイドルちゃんから聞きました。それはそうですよね……遠くから誰が撃ったかも分からない大砲に吹き飛ばされて粉々になるなんて、人間の死に方じゃありませんよ」
「……別にガゾムが攻撃する側とは限らねぇ」
離れた席で話を聞いていた古傷さんが、口を開きます。
アイドルちゃんという衝撃の存在や様々な事情を経て、重戦士さんの一件以降余生を送るだけのような希薄な意識でいた古傷さんも周囲の事を気にし始めています。
「魔物がいなくなった後、あの大砲の山を誰に向けるか? その恐怖を覚えた国や種族は徒党を組んでガゾムから力を奪おうとするかもしれねぇ。魔物に対してそうしたようにな。当然ガゾムだって黙って奪われる訳にもいかねぇ。どうしようもなくなったら撃って滅ぼすだろう。そうなっちまったら泥沼だ……『ほらみろ、矢張り危険だった』ってな。事実も糞もありゃしねぇ。そこにあんのは暴走した感情と足りないものを求める欲望だけだ。種族の弱点を突く。騙す。囮を犠牲に突破する。都合が悪いと隠蔽し、プロパガンダで論理武装……どうなんだ桜?」
「全部が全部そうじゃねぇけど、そういう側面は結構大きい、かな」
隣のアイドルちゃんの口元をナプキンで拭きながら、桜さんは今は亡き世界について語ります。
「俺にとっても資料の上でしか知らないことだけどさ。時代によって方向性は違うけど共通して言えるのは、平時の人間からしたら狂ってるとしか思えないことが起きる。俺の国なんぞ、最初から勝ち目のない戦いにどんどん若者送り込んで民から散々財も食料も絞って反戦した人間を弾圧して……敵以上の味方を無駄死にさせた挙句、原爆落とされて『やっぱ無理でした』と降参。ああ、原爆ってのは都市を丸ごと滅ぼす炎をゆっくり体を蝕む治癒不能な毒と一緒に撒き散らす爆弾だと思ってくれ」
「桜、その時点で狂い過ぎてないか……」
質問するゴールドさんが遠い目をしています。
対し、桜さんも思う所がある様で。
「言うな。同じ原理の爆弾を強化した上で山ほど作ってどっちが先に撃つかチキンレースしてた国もあるんだぞ……撃てばどっちも滅びるのにな」
「……君のいた世界、行きたくなくなってきた」
「話を戻すぞ……その原爆も戦争終結を早めたともただの新兵器の実験を正統化する建前で放ったとも言われてる。ちなみにそれをやる前はこっちも民間人大分殺されたけど、相手国では割かしなかったことにされてるらしい。当のうちもバカやらかしまくったし、戦時中に民間人は『敵国が上陸してきたときの為に!』とか言う軍に竹やりの訓練させてた訳だが。実際には空飛んで飛び道具と爆弾落とされてなんにも意味なかった」
「もっと行きたくなくなってきた」
「もうあんな馬鹿なことはやめようと誓って70年くらい……うちの国の民の代表として選ばれた政治家の一人が『邪魔な奴がいるなら戦争すればいいじゃん!』って言いだした。他の国もそんなノリの奴出てきた。国家の代表が一億総活躍とか言ってんだけど、よくよく考えたら思想的には戦時中の一億玉砕みたいな話と考え方ちょっと似てるんだよな(※)」
「もうやめてくれぇッ!! それ以上顔も知らない星の人類に絶望したくないッ!!」
魔物のいない世界で起きた地獄にゴールドさんが頭を掻きむしって悲鳴を上げます。過去を顧みる機会に恵まれた世界でどうしてそうなるのか理解が出来ないのか、或いは地球文明を多く継承している歴王国を基準に考えると他人事じゃなくなったのかもしれません。
(※この作品はフィクションである。……が、未来においては定かではない)
そう聞くと魔物はやはり必要なのかもという考えが頭をもたげます。
しかし、それは俯瞰した視点からの話です。
現実に目の前で魔物に誰かを殺されたり自分が傷ついた人は、理屈で感情を処理することは出来ないでしょう。世界の為だから仕方ない、と魔物に殺されることを許容する社会もまた、ポニーちゃんとしては別の方向に狂っていると思います。
感情の落としどころが見つからない問題――そんな中、アイドルちゃんが重い口を開きました。
「第一次退魔戦役終結後、超国家条約でギルドという組織が出来ました。それは従来の閉鎖的なギルドと一線を画す役割と構造をしていました」
決して大きくはないのに、透き通って耳に届く声。
語られるのはロータ・ロバリーを過去から見てきた存在としての言葉です。
「地球でも過去に現行のギルドと同じような組織を作る試みが為されましたが、結果を見れば失敗でした。国力に落差がある状況で足並みを揃えれば、国力の弱い国が損をします。かといって大国が小国を支えるとなると、上下関係が生まれたり、『他国に比べ不要な出費を強いられている』ことになる。平等とは程遠い状況です」
その言葉に、水槍学士さんがはっとします。
「だから、魔物の大量発生は全てを巻き込む必要があった……ということでしょうか? 魔将という戦力があることを知れば、仮に他国より国力が大きかろうが関係なしにバランスをひっくり返される。否が応でも助け合わなければ生き残れない。何度も何度も魔物の侵攻を繰り返すことで人類にそれを学ばせ、花開いたのが今のギルド……?」
「はい。しかし、ただ結成されただけでは機能するかは判別がつきません。同時期、生存競争と混血が繰り返される中でひときわ強力な力を持った個体が自然発生し始めました。英傑――国潰しのように生まれながらの優位性を約束された存在ではない、人の生き残りたい願いの結晶……私はこれを利用し、退魔戦役のスパンを縮めました。ギルドの結束は、機能しないならば逆に人類の足枷になります。見極めなければなりませんでした。結果は――」
そこで言葉を一度切り、アイドルちゃんはポニーちゃんを見つめました。
女神の裁定を固唾を飲んで見守ります。
「――私の想像よりもずっと強固に、ギルドは機能しました。そして今も尚、ギルドは様々な問題を抱えつつも少しでも人類が強固に結束できるよう日夜努力を続けています。私は役割を与えられた監視者に過ぎませんが……その努力こそが、人類がよりよい成長を続けるのに必要なことだと予測します。これからのギルドの発展は、必ず次の段階へと人類を導くでしょう」
要約するに――すべては今を生きる人の努力次第。
地球人類の犯した過ちも、きっと乗り越えられる。
だから今の生活や仕事を否定する必要はない。
そういうことを伝えたかったのでしょう。
もしかしたら、仕事と世界の真実のギャップに戸惑うポニーちゃんの心情を察して気を遣ったのかもしれません。今まで掲げてきたギルドの誇りは決して間違いではなかったのだと、そう励ましてくれたんだと思います。
ポニーちゃんはアイドルちゃんの所に向かって手を握りました。
――ありがとう、アイドルちゃん。
――私、これからも精一杯ギルドの受付嬢を頑張るよ。
「……そう、貴方はきっとそれでいいのです」
そう言って、アイドルちゃんは優しく微笑みました。
が、優しく手を放そうとしたらアイドルちゃんは握り返し、放してくれませんでした。
「……? ……あっ、ちが、違うのですこれは。決して肌と肌の接触現象のデータがない訳ではなく、ただ、貴方との皮膚接触には解析できない精神的な安心感を検出したのでその解析で手の反応に大きなラグが出来ただけで……!」
わたわたと慌てながら「もっと握手していたかった」と要求する本物の女神を、ポニーちゃんは我慢できず抱きしめて頬ずりしました。あわあわと戸惑いつつも一切抵抗せずむしろ受け入れているアイドルちゃんの可愛さ、まさにアイドル級です。
いつか雪兎ちゃんと彼女と二人同時に抱きしめられたら世界は平和になる――とポニーちゃんはこの日に確信したのでした。
「……ガゾムって他人を誤射しないんだよな」
「ええ」
「俺、小麦に一回撃たれたんだけど。バリアの強度を確かめるとかで」
「ああ、それは……彼女が特殊なのでは?」
「オイ。狙って撃てば誤射じゃないとか言わないだろうな!」
「いえ、本能で結果を察していたのだとは思います。ガゾムの方の直感って恐ろしく精度が高いので、先天的にそういった予測分析能力が高いのでしょう」
釈然としない。そんな顔をする桜を観つつ、そういえば、と水槍学士は思う。
「もしや小麦さんが重戦士さんをパートナーにしたのは、どんなに誤射しても大丈夫だと本能的に察していたのでは……」
「オイ、あの女を生かしておくと鉄鉱国の未来が危ないのでは?」
「いいい、いやいや流石にそれはな……な……な、い、筈」
「アイドルぅ!!」
「行動心理予測ツール『アリナシサ』の結果によると、彼女は大砲王の親戚故か性格的に似た傾向が見受けられますね。彼女がしたことは、高確率で大砲王もするでしょう」
「ロータ・ロバリーの未来が不安になってきた!!」




