93.受付嬢ちゃんも辟易する
その日の夕方、小さな騒動は幕を開けました。
「――あれ? この書類そろそろ提出しねーと駄目な奴じゃね?」
カウンター業務を引き継ぎに任せて書類仕事に入った頃、ギャルちゃんがデスクにある一つの書類をつまみ上げてそう言いました。受付嬢ズが集まって書類を検めます。イイコちゃんが不思議そうに首を傾げました。
「確かに6時までには指定部署に出さないと処理が一日遅れて怒られる奴ですねぇ……でも提出に必要な署名はあるし、昼に確かに目を通した記憶あるし、何でここにあるんでしょう?」
「ええっと――あっ、これ添付書類が足りていません!」
「マジかよよく気付いたなメガネ。んでも何でここに? ウチら心当たりないよな?」
全員が頷き、首を傾げます。ポニーちゃんが目を通してみると、この書類はどうやら隣の部署と跨って確認が必要なもののようで、イイコちゃんの言った通り昼に目を通してサインして欲しい旨を承諾した受付課長がサインをしています。
「え、なにこれ。ウチらに書類用意しろっての? 足りない書類ってどれよメガネ」
「会計課の昨年度書類が……」
「会計課って……確か、いま書類が行方不明とかで保管庫閉め切ってるってベテランさんが言っていましたよね?」
その話はポニーちゃんも覚えています。今年度から書類の保存方法が変わったことで現場にトラブルがあり、いくつかの重要書類が別の書類に混ざってしまったため朝から確認作業に追われているという話です。
しかし、あれから時間が経ちましたし、確認すべき書類は大した量ではありません。一応確認に行ってみたら案外整理も終わっていて、あっさり書類が揃うかもしれません。それに、この書類は一度会計課に回っている筈なので、うちに書類を回した経緯が分かるかもしれません。
「だな。文句言いにいくか!」
「ま、まだ会計課の人がやったとは決まってないんですけど……」
「どうせ他の仕事は片付いてるし、私も一緒に行くよ!」
という訳で、珍しく四人で会計課に向かいます。
途中、氷国連合での出張についてから人間関係までギャルちゃんが色々聞いて来て大変でしたが、当たり障りのない話や桜さんと碧射手ちゃんの話をネタになんとか乗り切りました。少々教科書通りの感想もありましたが、ひとまず怪しまれはしなかったようです。
そして、会計課で質問をしたポニーちゃんたちを待っていたのは――ベテラン会計課長のデカ声さんによるすさまじいまくしたてでした。
「今の時間はまだ4時半な訳であって書類整理があと1時間で終わる予定なんだから態々私の邪魔をしてまでその書類は急いで作成しないといけないものなんだろうね!! 火急速やかに滞りなく提出しないと業務に問題が出るほど重要な書類ならまだしも我々が忙しい時に貴重な時間を割いて特定の書類を探させるのにたかが受付嬢ごときが要求するのかね!?」
「「「……」」」
ポニーちゃんたちは、書類整理は終わってますかと聞き、いつ頃終わるか目途がついたら知らせてくれませんかと係の人に言っただけです。用意しろだなんて唯の一言も言っていません。ところが係の人が上司に確認すると席を外して僅か十数秒、烈火のごとく一人で勝手に怒れる会計課長は怒涛の勢いで全く聞いてもいないことを勝手に勘違いしてまくしたてています。
その剣幕が余りにも独り善がりにヒートアップするものだから、言い返す暇がなくギャルちゃんさえまだ何も言えません。
原因は恐らく、同じような確認が何度かあったことが一つ。知らせた人が話を正確に伝えず端折ったりしたのではないかということが一つ。終わらない作業に課長のイライラが高まっていたのが一つ。そして、基本年功序列のギルドに於いて相手が顔を合わせる機会のない新米娘たち――彼からすればひどく未熟に見えている――だったことなどが重なったと思われます。
「この忙しい時に無駄な時間を取らせて君たちの課長は一体部下にどんな教育を受けさせているんだね!! 女だからと甘く見積もるなと君たちの上司に苦情を入れさせてもらうぞ!! 冒険者たちに人気があるからと言ってつけあがるのもいい加減にしたまえッ!!」
……事情を察せないとは言えませんが、流石にこれはあんまりではないでしょうか。
ここまでいくと被害妄想です。ないし、単なる八つ当たりです。しかも勢いに任せて職業蔑視と女性蔑視の発言を重ね掛けしてきました。
と――。
「お、いたいた。おーい昼組~。夜組の引継ぎの件でちょっと話が……あら? 何、説教中?」
後ろの扉からひょっこり顔を出したのは、受付嬢夜組のフラットちゃんです。
ポニーちゃんはちょくちょく休暇で彼女と一緒に買い物に行ったりするので親しい仲ですが、ポニーちゃんたちがいないからわざわざ探しに来たようです。
「何だね君は!! 今話の最中で――!!」
「はぁ。その話って急ぎですか?」
「急ぎかどうかではなく、話の最中に割り込むことが無礼だと――!!」
「こっち急ぎなんですよ。その話、中断して後で改めてするのは絶対に出来ないほど喫緊ですか? 夜の仕事の引継ぎってデリケートなんで話を終わらせる時間決めてください。決めないとキリないですし。で、何の話してたの?」
――書類が揃わないので、保管庫の整理が終わってるかどうか聞きに来たんですけど……。
「終わってるんですか?」
「終わっていないからこうして怒って――!!」
「終わってないなら終わってないって言って終わればよくないですか?」
フラットちゃん、怒り狂う上司相手にもひたすらに感情がフラットです。フラットちゃんはポニーちゃんたちがこうなった経緯を知らないし、課長の怒りの理由もよく分かっていないのでひたすら理路整然と話を進めます。
「整理中断してるの非効率ですし、それって受付嬢四人分の仕事を一度に止めることに釣り合う内容ですか? 受付嬢の時給知ってます? 私も止められてるんで受付嬢の時給×5を今あなた無駄に浪費してるんですけど自覚あります?」
「間違った相手は注意せねばまた同じ過ちを冒すものだ! それを指導するのが先達の――!!」
「過ちって個別具体的になんですか?」
「わざわざ書類整理の作業をしている私を呼び止めて、緊急性のない書類を用意させろと言ったことだ!!」
「……言ったの?」
フラットちゃんの問いに、ポニーちゃんを含め全員が首を横に振りました。
「ひとっことも言ってねぇ」
「ただ終わってるかどうか、いつ頃終わりそうか確認したかっただけです……」
「むしろ課長がいきなり出てきて私たち吃驚なんですけど」
「ふざけるな!! 私は確かに聞いた――!!」
「でも四人言ってないって言ってるんですよ。多数決で言ってないでしょ。聞き間違いか伝達ミスじゃないんですか?」
「この、私の判断を疑うとでもいうのかね!? 私はこの道三十年のベテランギルド職員だぞ!! そのような些細なミスは――」
と、急に言葉を切った課長が突然目を見開き、ポニーちゃんたちの後ろを凝視しています。
つられて後ろを振り返ってみると――そこにいたのは恰幅が良くおおらかな笑みを浮かべた髭の紳士、我らがギルド長がいるではありませんか!! 全員が慌てて一礼します。
「いやぁ、下の階でなにやら大声が響いているから何事かと思って様子を見に来たよ」
「い、いつからお話を……?」
「フラット受付嬢が参加したすぐ後くらいかな? デカ声課長、君の教育熱心な所は私も見習いたいと思うよ。それだけ大声で相手を叱れるのは、それだけ職務に誇りを持っているということだからね」
「ありがとうございます!!」
先ほどまでの高圧的な態度はどこへやら、へこへこ急に腰が低くなるデカ声課長。怒鳴り声が止んで一度冷静になった受付嬢ズの心の中で彼の信頼度が大暴落を始めています。特にイイコちゃんは完全に塵を見る目です。フラットちゃんはフラットすぎて見下してるのか無関心なのか分かりません。
ギルド長はうんうんと頷きながらカールした髭を撫で、しかし、と続けます。
「若人には若人の言い分がある。それを反論すら許さず怒鳴り散らしては、もし若人の言い分の中に良い意見や鋭い指摘があったとしても、それを圧し潰してしまいかねない。今後ギルドの未来を担っていく若人なのだから、時には優しく話を聞いてあげてもいいと私は思うよ?」
「いや、でもこの……ええと……そ、そうですね!!」
権力を振り翳す人間は更なる権力に叩き潰されるようです。
いつぞやバカ息子さんをあっさり下したゴールドさんを思い出させます。
そういえば、とポニーちゃんはもう一つ確認することがあったのを思い出します。
――ところで、この書類が受付課のデスクに置いてあったのですが、こちらの課から回ったりしてませんか? それも確認したかったのですが。
「む? ……おい、デスク番!!」
先ほどポニーちゃんに最初に対応した職員、デスク番さんが飛んできます。有翼族なので物理的に。
「どうかしましたか、課長?」
「お前たしか一度受付課からその書類持ってきたよな」
「え? 受付課じゃなくて総務課からですよ?」
「なに? 馬鹿を言え、受付課からまた回ってきているではないか! きちんと確認しろといつも言って……」
「ええ……? 総務課から『余裕が出来たら書類を用意して代わりに提出してくれ』ってことで持ってきたんですけど、課長が書類見るなり『受付課に持っていけ!』って言うもんですから、変だなーと思いながら受付課に持っていきましたよ?」
「……その書類を寄越せ!!」
ばっと書類を掴み取って内容を検めた課長が、怒りと困惑の混ざり合った顔をしました。
その様子をみたデスク番が、もしかして、と眉を顰めます。
「課長……もしかして、表にある受付課の確認サインを見て受付課のものと勘違いしてません? 課の確認は必ずその一行上を確認が基本ですよ?」
「……~~~~っ!」
勝手に盛り上がり、勝手に勘違いし、勝手に上司に見咎められて勝手に自滅する。
ざまぁ見ろとも思いませんし、安心もありません。
ただ、心底無駄な時間を使わされたな、とその場の全員がうんざりしたようなため息をついて、デカ声課長の一人劇場は終幕しました。仮に特別ボーナスが貰えるとしても、この寸劇には二度と付き合いたくありません。
翌日――幸いにも受付課長からポニーちゃんたちが怒られることはありませんでした。
あと、デカ声課長はこの騒ぎの後からやたら周囲の世間体を気にした態度を取りはじめたそうですが、代わりにギルド長に見つからないように保管室に連れ込んで説教するようになっただけで性根は何も変わっていないそうです。
敢えてあれから変化があったことを挙げるとすれば……一般職員たちの間でデカ声課長の信用が完全に地に落ちたことくらいでしょうか。彼が『敬う気にならない上司ランキング』で一位の栄冠に輝く日は遠くないでしょう。




