92.受付嬢ちゃんも仲間だから
二月更新分はここまで。
十一章はこれで半分ですので、来月に残り半分を投稿します。
今日もギルドは大忙し。
我儘冒険者に問題児冒険者、更に仕事内での問題と大賑わいです。
氷国連合での表沙汰に出来ない大事件が嘘のように、皆さんは変わらぬ日常を送っています。しかしどんなに平和に見えても、そこには欠落した日常の一片があります。
雪兎ちゃん――今、どこで何をしているのでしょう。
ポニーちゃんは時々ふと、雪兎ちゃんが寂しくなってギルドに戻ってきているのではと目で彼女を探している時があります。それは桜さんだけでなく事情を知らない受付嬢メンバーも同じで、ギャルちゃんは「本当に帰っちゃったんだな……」と寂寥感のため息をついています。
雪兎ちゃんは長時間よくギルドに居たため、ギルド職員にとっても彼女は日常の一部でした。しかし彼女は今はいません。家族を求め、今の家族を置いてどこかに旅立ってしまいました。雪兎ちゃんが危険な行いをしていないか、寂しい思いに震えていないか……心配は尽きませんが、今は目の前の冒険者さんの行く末を気にしなければなりません。
「……無理してねーか、ポニー?」
ふいに、ギルドの仕事に慣れてきた斧戦士さんが話しかけてきました。
「雪兎ちゃんがいなくなってから、桜もゴールドもみんな変だ。急に居なくなったり、急に距離感変わったりよぉ。それに……最初は寂しがってた冒険者連中も、新しく桜が連れてきたアイドルちゃんに夢中でよぉ。俺バカだから上手く言えねぇけどさ……その温度差が、やるせねえって言うのかな」
雪兎ちゃんはギルドのマスコット的な存在として周囲に温かい目で見守られていましたが、アイドルちゃんがやってきてからは雪兎ちゃんのことなど忘れてしまったかのようにアイドルちゃんに釘付けです。彼女は確かに神話から抜け出してきたような絶世の美少女なので無理もないですが、それが不協和音を齎しています。
「アイドルちゃんに靡かない奴は奴で、桜は子供をとっかえひっかえして雪兎を捨てたとかひでぇこと平気で言うんだよ。桜の奴もドデケェ悩み抱えてんのか話聞いてもはぐらかすし。あんまり周りの悪口がヒデェと微臭の奴がわざと近くの席にどっかり座って黙らせてんの。あいつ、いい奴だったんだな……」
微臭さんは前から桜さんと比較的仲が良かったのは知っていましたが、そんなことまで起きているとは知りませんでした。冒険者が酒の席に着いた以上は多少の暴論暴言が出るのは防ぎようのないことですが、悪い傾向です。
「お前はいつも通りって顔で仕事してっけどよ。いつも通りって顔してないといけない仕事だろ? 無理してんじゃねえかなって……」
――寂しさはありますが、へこたれる訳にはいきません。
――雪兎ちゃんと二度と会えない訳でもありませんし。
――それに、みんな戸惑ったり迷いながら前に進んでいます。
――でしたら、案内人の私がしっかりしてないと。
――皆が前向きだから、私も自信を持って前を向けるんです。
そう、みんな前を見ています。
桜さんは雪兎ちゃんを連れ帰る為に。
アイドルちゃんは世界の行く末を見守る為に。
ゴールドさんは悩み続けていましたが、さっき赤槍士さんと手を繋いで歩いているのを見たので関係を結び直せたようです。碧射手ちゃんは町を離れて武者修行をしていますが、通信術式で見た彼女の顔は自信なさげな前の顔ではなく逞しさを感じるものになっていました。
女神と英傑が神具適合者と共に戦っても倒せなかった埒外の存在による先の読めない計画、などという表面上の絶望を跳ねのけるように準備を進める皆を見ると、自然と胸に勇気が沸き上がってきます。雪兎ちゃんのお世話をして桜さんが気だるげで、皆で時々騒いだり問題解決に知恵を出し合ったりするあの日は、きっと取り戻せるんだと信じられます。
「……かぁー! 不安なら俺の胸に飛び込んでもいいんだぜって言う気だったのに、そんなカオするんだもんなーポニーは。でも心配なのは本当だから無茶だけはすんなよな!」
恥ずかしそうに頬を掻いて去っていく斧戦士さんの背中を見送り、また次の冒険者さんがやってきます。
ポニーちゃんは所詮ギルド所属の一個人。
体一つで出来る事は限られます。
剣を抱えて戦いに向かったりは出来ません。
魔法を用いて偉業を成し遂げたりも出来ません。
だからポニーちゃんはポニーちゃんに出来る精一杯をするだけです。
= =
ところで、最近ポニーちゃんの帰る場所と化しつつある『泡沫の枕』にて、非常に微笑ましい光景が繰り広げられていることをご存じでしょうか。
それは、クエレ・デリバリーの仕事で料理を届けるタレ耳ちゃんに、それを受け取る桜さんとアイドルちゃんです。アイドルちゃんは基本的に桜さんの護衛に付いて回っているのですが、さすが女神と言うべきか彼女は本来食事を必要としないそうです。そんな彼女は最近、必ず昼は『泡沫の枕』に戻りデリバリーの食事を受け取っています。
アイドルちゃんはすました顔で受け取ったピザを術で素早く等分に切り分けて皿に置きます。
「いいですか、これはあくまで実証データの収集に過ぎません。料理の味など科学的な予測と分析に基づけば全て予測が可能なのですから」
「能書きが長い。ピザのチーズは冷えると固まり、味や触感が落ちる。速やかに食べることを推奨」
「んじゃ、いただきまーす」
桜さん独特の合唱からの食事の挨拶です。今は亡き母国の風習を雪兎ちゃんも真似していましたが、今はしんみりせずに様子を見ましょう。
こんな安いジャンクフードなんて私の舌には響かないわといわんばかりに無感動にピザをほおばったアイドルちゃんはしかし、食べた瞬間に目を見開きます。彼女に獣耳と尻尾があれば間違いなくピンと反り立ったであろう劇的な反応です。
「こ、これは特別な味覚などではありません。生地にバターにチーズ、少量の野菜ダシと混ざったケチャップにベーコンの風味が乗っただけのもの! 味も触感も予測通り、予測通り……!!」
と、凄い早口で解説していますが、アイドルちゃんは夢中でピザを食べています。その様子にタレ耳ちゃんは何やってんだコイツと言わんばかりで、桜さんは苦笑いしながらピザを頬張っています。実はアイドルちゃん、これまで経歴上全く食事をした経験と必要性がなく、途中まで「食事はしない」と言い切るほど食事に興味がありませんでした。
しかし桜さんが「せっかく食べられる体なんだから食べろ」と半ば命令に近い形で要求し、「限りある命のリソースをここで消費することは……」とかぶつぶつ言いながら従いました。彼女的には、食糧だって無限ではないのだから摂取の必要性がない自分が消費するのは良くないと思っているようです。
ところがどっこい、食事を行った途端にアイドルちゃんは食事の魅力に憑りつかれてしまったのです。
「まぁ、いくらデータがあろうがその限りなく人間に近いボディは一度も使われたことがない訳で。既知の情報が幾ら頭に入っていようが、未知の刺激を舌が味わえば興味くらい出るだろう、とは思ってたんだが……」
「どういうことですかユーザー!! ピザは栄養価の偏った塩分過多の料理であるとデータベースの分析が告げているのに、味覚で味わった刺激と多幸感の説明が尽きません!! 何か当該機の味覚システムでは感知できない未知の調味料を練り込んであるのではないですか!?」
「そんなもん誰がこの星で作れるんだ。素直に美味しいって言えばいいのに」
そう、彼女は味覚検証と称してデリバリーで頼める種類の料理やファストフードを片っ端から食べては毎度こんな反応ばかりしています。食事をしたことのない彼女にとって、味覚という感覚は余りにも衝撃的過ぎたということでしょう。
「うう、そんなはずは。そんなはずは……! 当該機でも予測のつかない現象などあってはならないもぐもぐもぐもぐ……はっ!? あと一ピースしかない!? 馬鹿な、当該機の計算システムに狂いを生じさせるとはこれは実はハイ・アイテールによる侵食が発生しているのでは!?」
「ポンコツ属性出さなくていいから」
尊い。無言で目を輝かせながらもくもく食べていた雪兎ちゃんとは全く違う方向性で尊いです。ポニーちゃんはこの光景を非番の日しか見られないのですが、実は桜さんに頼んで彼女の食事風景を『ロクガ』という術で記録して貰っていたりします。この映像だけでポニーちゃんはお腹いっぱいになりそうです。
さて、残る一つのピザですが、アイドルちゃんはなかなかのハイペースで食べたので、順当に考えれば食べた量の少ない桜さんのものになって然るべきです。彼女もその事には当然気付いていますが、あの一ピースを食べた瞬間脳内に弾ける味覚のオデッセイが忘れられない彼女の瞳はピザに釘付けです。
桜さんはそんな様子を見つつも最後の一ピースを持ち上げて口に運ぼうとし――ああっ! と口に出しそうなほどピザが欲しそうなアイドルちゃんの口にすっと向けます。
「……食べていいよ、最後の一つ」
「ユーザー……! こ、これは当該機が食べたい訳ではなく、ユーザーの適切なカロリー摂取量をコントロールするための行為なので勘違いはしないでくださいねっ!? ……ありがとうございます」
恥ずかしそうにぼそっとお礼を言いつつひな鳥のようにピザを口で受け取ったアイドルちゃんの姿は、まさに女神級のかわいさでした。ポニーちゃんはその様子を見てによによしつつ、その様子を奇怪なものを見る目で傍観するタレ耳ちゃんをなでなでしました。呆れ顔のタレ耳ちゃんもまたよいものです。可愛さに貴賎なしです。
(……人類はこんなのを女神と崇めていたとは。私も紫術士の下で実績を重ねたらこれに忠誠を誓うかもしれなかったなど、信じられん……)




