90.薪を翳す者
大陸に戻り、ゴールドの監視から解放され、赤槍士は自由になった。
なのに、その足取りは浮かないものだった。
「……聞き忘れてた」
白狼女帝に言われていたのに、氷国連合で気まずさや己の拙さのせいでゴールドに聞けず仕舞いだった話を思い出した赤槍士は、ゴールドがおらずどこか気の抜けるギルドの仕事を終えて町をぶらぶらしていた。
仲のいい仲間はいるし、別に寂しかった訳ではない。ただ、周囲には「ゴールドさんと喧嘩したの?」と聞かれた。赤槍士自身、嫌と言うほど顔を合わせていたゴールドが居ないのに、歩幅が自然とゴールドに合わせるものになっていて収まりの悪さを感じずにはいられない。
今日、ゴールドは仕事をせずに神腕と訓練していたらしい。
まだ引き摺っているのだろう、反転した世界観を。
「ほんとは、アタシだって……」
赤槍士だって未だに過去を引き摺り続けている。女神の信徒となった後も、歴王国を許す気持ちは湧いてこずに彼らを殺める事の出来ない立場に不満を抱いたことさえあった。父のような存在である遷音速流はそれを笑いながら、自ら手を汚す必要はないと自ら汚れ仕事を買って出ていた。
だからといって、罪は罪。
(ホントは怖くて聞けないのかな、アタシ……)
ゴールドは相手が危険人物だと分かっている癖に、自ら近づいてくる。その事に甘えて、自らが卑しい咎人であることを忘れて罵り合う関係を、本当は心地よく感じていた。遠慮しなくていい関係だからだ。
もしゴールドに直接聞いて拒絶の意思を示されたら、唯でさえ真実を知りぎこちない関係が今度こそ破綻してしまうのではないだろうか。赤槍士が唯一等身大の少女でいられる、あの場を。
白狼女帝には、話がどう転ぶにせよけじめはつけるべきと言われた。
このままでよくない事は分かってる。でも、心のどこかではやはり、出会わなければいいと邂逅を拒否する心理が働いていた。しかし、懊悩の終わりは呆気なかった。
「「あっ」」
= =
日が沈んだ町、泡沫の枕の一室に、二人はいた。
「アタシの聞きたいことは……すぐ終わるから、アンタ先に聞いてよ」
「君は――君の、身の上話を聞きたい。何があって、何を思って今の立場になったのか。思えば俺は何も聞いてはこなかった」
「言わなかったし。つまんねー恨みつらみの話だぞ」
「いいよ」
「……歴王国のすぐ北に、小さい村があった。王国に言葉巧みに乗せられて林業をする奴隷にされたような村……これ言うと歴王国民は奴隷じゃねえって言われるんだけど、結ばされた契約書の内容見て本気でそう言えるならイカレてるか馬鹿だと思う」
歴王国のルールで考え、歴王国の理屈で固められた契約書という呪いの紙。それが齎した悪の結果はゴールドの友である桜がよく知っている。絶対的強者が突き付けた契約書とは、その時点で対等ではない。
「森を育て、切り、管理し、出荷する機械。殆ど奴隷だけど、魔物からは最低限守ってくれるから暮らしてはいけた。でも……弦月病で全部終わった」
「弦月病……魔物の血液に含まれる毒素を取り込み続けることで死に至る病……でもそれは、症状を知っていれば治せる病だ。現にケレビムの里で弦月病を発症した人たちが、桜の薬で快復したのだって見た」
それは桜が西大陸にやってきて間もない頃で、ゴールドと桜は出会いたてだった。原因は川の上流のあった滝つぼに大型の魔物の死体が沈んでいたことだったが、歴王国から遠いあの里と違って歴王国付近で、しかも契約まで結んでおいて原因が分からない訳はない。
赤槍士はそれに、けたけた笑った。
「クスリは出たよ? 家族で飲んだしアタシも飲んだ。法外な治療費が出るだろうけど死ぬよりマシだってね……アタシ以外誰も助からなかったけどさぁッ!!」
だん、と、赤槍士が床を蹴る。
「投薬実験だってよ!! 病気の薬だって言いながら、実際には臨床実験したことのねぇクスリを何も知らねぇアタシたちに飲ませて反応を記録してただけだッ!! うちの村は歴王国以外と繋がりがない森の中だったからさぁ、封鎖しちまえば証拠も残らず一つの村が『病気で滅亡』に出来ちゃうんだよッ!!」
「赤槍士、落ち着――」
「聞けよ!! お前が知りたがったことをッ!! 毒だってあいつらが仕込んだに違いないんだッ! 父さんは薬を飲んで三十分後にえへらえへら笑いだして、突然部屋の外に全力疾走で出て行って崖から落ちて死んだ!! 弟は口から泡噴いて苦しい苦しい、姉ちゃん助けてって言って、自分の胸を掻きむしりながら死んだよ!! 母さんは安らかに寝て――二度と意識は戻らなかった!! アタシはなぁ、ゴールド知ってたかッ!! 村で一番髪が綺麗って褒められてたんだよ……黒い髪だったんだよ、これはッ!!」
ゴールドは息を呑んだ。
彼女の橙色の髪は、炎の色だ。
憤怒と憎悪、燃え盛り人を呑み込むもの。
「クスリのせいで全身が爆発するように痛くてさぁ!! 弟が死ぬまでは耐えたけど、無理だったッ!! のたうち回って苦しんで、いっそ死なせてくれって思う程の地獄を乗り越えた先に――あいつらっ、あいつらっ!! 『これは副作用が強いから没だな』って、それだけだぞッ!! 全員実験に使ってそんだけ言って、村に火を――!!」
「赤槍士!!」
焦点が合っていない。
己のトラウマに呑み込まれ、感情が暴走していた。
声は外に響かんほどのボリュームで、廊下を複数の足音が響く。
暴れ始めた彼女を何とか抑えるが、凄まじい力で押し返される。怒りによって力の加減が為されていない。下手に張り合うと彼女は折れた手でも押し返しかねない。
「赤槍士、落ち着け!! もういい、もういいんだ!!」
「うるせぇぇぇぇッ!! 殺してやる、殺してやる殺してや――」
「エレミア様の教えを思い出せ!! 君は神に救われたんだろうッ!!」
「うあぁぁぁぁ!! あ、あ……」
彼女を抱きしめて、必死に言い聞かせる。背中を引っ掻かれて抵抗されたが、エレミアの名前が出ると次第に力は弱まっていった。
部屋のドアが開く。誰かと思ったが、入ったのは桜だけだった。
「精神抑制、必要か?」
「分からない。どうなんだ、赤槍士」
「……ごめん。落ち着いた。抑制は自分でかけるから……」
「そうか。途中凄い声になってたから防音貼っといた。明日までこの部屋でどんなに騒いでも外には響かんから、声は気にせずじっくり話し合え」
事情も聞かずに桜は退室した。外に待つ面子を説得しに行ったのだろう、とすぐに察した。桜の方が辛いことをたくさん背負っている筈なのに、気を遣わせてばかりで申し訳なく思った。
赤槍士を抱えてベッドに寝かすと、彼女は腕で目元を覆って抵抗せず寝そべった。
「駄目なんだ。記憶消去とか抑制術とか何度かやったんだけど、あの記憶だけは消えない……ウチの家以外にもエレミア様に助けられた生存者は他にも何人かいたけど、今も覚えてるのはアタシだけ……他の子たちは、覚えてるのが辛くて記憶を消して新しい役割に旅立った」
「それで、エレミア様に?」
「信仰心とか星の未来とか、本音ではどうでもいい。あの日のアイツらと、アイツらに薬を与えられる連中より世界にとって価値のある立場になりたかったし、エレミア様以外誰も信じたくなかった。仲間とは打ち解けられたけど……異端宗派ってホントはどういう意味か知ってる?」
「いや……」
「地球の言葉が由来だけど、女神さまが込めた意味は……このロータ・ロバリーが正しく成長するために管理する存在。星の執事」
「……立派な名前だ」
「アタシはこの名前嫌いなの。エレミア様に変えてって言ったことまである。なんでアタシたちを滅茶苦茶にした連中の未来なんて面倒見なきゃいけないの? 殺しちゃえば全部早かった……女神さまが絶対に無為な虐殺を許さなかった、そこだけが不満だった……」
まさか女神から賜った有難い名前だとは知らなかったが、それさえ彼女の憎悪の前には価値がなかったようだ。もしかしたら彼女の人格はとっくに破綻しているのかもしれない。それほど深い闇を、彼女は心の中に潜ませている。
彼女は世界の真実を知り、神徒となって活動していた上でここまで憎んでいるのだ。その人物は本当に歴王国の人間だったのか、とは問えなかった。
ゴールド自身、実は少し不思議に思っていたのだ。薬草には困らない歴王国だが、新薬の出るペースはこの20年ほどで加速しているらしい。それほどの薬の安全性をどうやって確かめているのだろうか、と。
(この闇は、いずれ暴かれなければならない。必ず――なるだけ早く)
少人数の犠牲で多くの人間の命を救う薬を作るのは、理にかなっているかもしれない。しかし、相手の立場に漬け込んで騙し、証拠隠滅に全てを焼き払った行いは社会に正当化されてはいけない。どんな形であれ必ず責を負ってもらわねば、悲劇は繰り返される。
「でも、遷音速流が……おじさんは復讐心を見抜いてた。おじさんはどうしても殺しが必要な仕事は全部アタシから掠め取って、子供には早いって笑ってた。すぐ人を子供扱いして、おちょくって……なのに、温かくて優しい。人類は友達だって周りに言って聞かせて歌ったり、不思議な人。もう一人のお父さんだと思ってるくらい……」
「遷音速流……裏切りの英雄。銀刀に狙われてる?」
「そ。おじさんは本来、精神を一気に人間に近づけた魔将が感情に任せて暴走するのを抑える役割を持ってた。けど、予想外の事があったから……裏切らなければいけなかった。ゼオムの中でもなお天才……現代神秘術の祖、数学賢者が『気付いて』しまったから」
第二次退魔戦役の最中、数学賢者はリメインズから発見された端末を解析し、遺伝子認証データから逆算して「地球人遺伝子」の存在に気付いた――らしい。彼はこの秘密が星の秘密を解き明かすことや、マギムの一部にこれと一致する遺伝子を持つ人間がいることまで突き止め――遷音速流が斬った。
「でもおじさんはミスをした。ネイアンが予定外の殺戮を行い始めていたことを察知したおじさんは、焦った。本来は記憶消去を用いれば数学賢者一人の死で十分だったのに、それをする時間がなくて全員を殺害した。急いでネイアンと英傑・鉄血の間に割って入らなきゃいけなかったから……後回しにするという選択を取るのが本来の最適だった。でなければ銀刀に見られはしなかったのに……」
それは時間という焦り、感情という不測、そして偶然が生み出した悲劇。
銀刀と出くわした遷音速流は『鬼』に認定されて姿を消さざるを得なくなり、結局ネイアンと鉄血の全面衝突に何一つ干渉できなかった――それが、歴史の裏の更に奥に隠された真実。
過去の戦役に横たわる悲劇に、ゴールドは言葉を失う。
そのおかげで重戦士が生まれたが、同時に多くの悲劇が周囲に付き纏った。
「おじさんはそのことをずっと悔やんでる。だからいつも言うの。『赤槍士は人を殺す以外の道を探して、いつか誰かに恋するような子になって欲しい』って……そんな自分は想像できないし、将来どうなっちゃうのかなんて知らない。こんな……信徒以外の色んな人と一緒に行動するって言われても、すぐに受け入れられないよ……」
それは、ゴールドの想像とは全く違った彼女の弱音。
女神の名の下に行動を許され、誰より正しい道を歩める存在だと思っていた人間の本音は、ゴールドの予想とは全く真逆で不安に溢れていた。心のどこかでずっと彼女に嫉妬していた自分を恥じる。
(俺は――馬鹿だ。一人で勝手に被害者面して、なにやってんだ……みんな辛くて、確たるもののない人生の中でもがいてるのに……縋る先ばかり探して……)
昨日までの自分を殴り飛ばしてやりたかった。
不思議な事に、あれだけ悩み苦しんだのに、目標はすんなり出てきた。この少女がいつか憎しみから解き放たれる日がくるまで、ゴールドは彼女と共にいると決めた。今度は監視じゃなく、もっと互いに理解し合えるように。
「ねぇ、そろそろこっちが質問していい?」
「……いいよ。何が聞きたかったんだ?」
「アンタ、なんでアタシが異端宗派だって周りに言いふらさなかったの?」
「そんなことでいいのか?」
「いいから言って。アタシだけこんなに恥かいて、不平等」
拗ねるような言葉だったが、まさかそれほど単純な話を聞きたかったとは思わなかった。
「君が歴王国でテロ行為をして、俺が追いかけたとき……君は『ヘファストの炎薪』を用いて反撃してきたろ」
「うん」
「全然怖くなかった。むしろ君が怖がってるのかってくらいだった」
「はぁ!?」
赤槍士が跳ね起きてこちらを睨む。
子犬の威嚇のようにしか感じないものだが、怒りの琴線に触れたようだ。
「人を雑魚呼ばわりか!? 骨まで溶かせんだぞコッチは!!」
彼女はいつも自分を下に見られないよう強い言葉を使う。
しかし、ゴールドは知っている。
この少女が人を憎みながら何を恐れているのかを。
「そりゃ無理だね。だって君、人に炎向けるの怖がってるもん。俺が周囲に言いふらさなかったのは、君がまだ引き返せる存在だと思ったからだよ」




