89.受付嬢ちゃんも久々の業務
――どうも皆さんお久しぶりです。
まさかこの人生の中で世界の命運を懸けたお仕事に参加することになるとは思わなかったポニーちゃんです。現在の業務も当然世のため人の為なのですが、成否が世界の存亡とかなり直結している気がしてなりません。
今現在、忙しい人は抜けつつ色々と話し合いが行われています。
まず、雪兎ちゃんの事を西大陸の他の人間にどう説明するかですが、ひとまず『氷国連合で親が見つかり涙の別れとなった』というカバーストーリーで誤魔化すことになりました。事情が複雑すぎて説明しきれませんし、事実を話したとして信用してくれないでしょうし、信じられたらそれはそれで辛い話です。
また、女神様ことエレミア様は桜さんがつけたアイドルという名前をそのまま使うことになりました。もちろん表向き女神を名乗ると社会が大混乱なので、地下遺跡で見つかった謎の少女という微妙に嘘ではない設定付けをします。
無茶だと思うかもしれませんが、それぐらい滅茶苦茶な方が逆にいいという判断です。なにせアイドルちゃんは可愛さと美しさが両立し、その独特な装いも相まって神々しさを感じさせます。浮世離れした神秘的な雰囲気も相まって、黙っていても女神だとバレてしまうかもしれないくらいです。
「……そんなにか?」
桜さんは首を傾げていますが、事情を知らずに彼女の姿を見た宮仕えの方々が思わず跪いて崇めてしまう程度には服装、顔立ち、佇まいが神々しいです。しかも可愛い。無敵の生命体です。
「そこはポニーの主観が強いが、まぁ確かにこんな子が三次元に存在するのはある意味奇跡かもしれんし……そうか、このメカ感こっちの星だと神々しさにカウントされるのか……いや、分からん」
これだけの美少女となるとその辺に居ましたよりは遺跡で発見したと言った方がまだ説得力があります。アイドルちゃん様はこう、目が覚めた時に目の前にいた桜さんを親と思い込んだ的な感じでお願いしましょう。
「孵化したての雛かっ!?」
「インプリンティングですね。了解しました。ところでちゃんと様は文法上同時に使用すべきではないと思うのですが……」
ただ、普段は雪兎ちゃんのいた場所にアイドルちゃん様がいるのは、少し切ない気分になってしまいます。恐らくこの世界で最も多くの生命を虐殺した存在、雪兎ちゃん……しかしポニーちゃんも桜さんと同じく、抱っこされて喜んだり美味しそうにご飯を食べたり、楽しそうに手を繋いでくれた彼女も本当だと信じています。
その一方で、あれ以来ゴールドさんはずっと心が沈んでいます。歴王国の未来のこと、雪兎ちゃんのこと……事情を知っても未だ納得できないでいるようです。赤槍士さんもそんなゴールドさんと気まずそうで、解決の糸口が見つからないままずるずると引き摺っています。
銀刀くんは時折、アイドルちゃん様と難しい顔で話をしています。何かの約束をしたようですが、楽しそうではありません。それとなく聞いてみましたが、事件が解決した後の話だということで聞かせて貰えませんでした。
翠魔女さんと小麦さんはアイドルちゃん様に頼まれごとをされたとかで、重戦士さんと共にどこかに旅立ちました。曰く、『最悪の事態に備えた保険』だそうです。
白狼女帝さんは神殿の奥に籠っています。詳しい事情は知らないのですが、軽業師ちゃんの妹に関わる何かで少し手が離せないでいるそうです。
流体ちゃんは相変わらず赤槍士さんと同じ姿で連絡係に居座っています。見分けがつきやすいようツインテールにしているのですが、双子の妹と言われた方がまだ納得できます。魔将にも種類があるらしく、基本的に退魔戦役後は戦闘能力より特殊能力が重視された個体が作られるそうです。
その流体ちゃんは割と人間の生活に関心があるらしく、ちょくちょく捕まっては「あれ何?」「これ何?」と聞かれます。これでもゴールドさんが本気で戦って傷一つつけられなかったらしいので困ります。
ちなみにネイアンのデータを基にして創られたらしく、重戦士さんのことを「おにぃ」と呼んでいたりします。神々しい少女な母親と赤槍士そっくりの妹が出来た重戦士さんは渋い顔です。恐怖! 心当たりのない家族が増えていくの巻。
結局、氷国連合を楽しむ余裕もなく時間はあっという間に過ぎ去り、ポニーちゃんたちはギルドに戻ってきました。気になることもありますが、ギルドは今日も今を生きるのに精いっぱいな人々の問題が溢れかえっています。
雪兎ちゃんの問題、この世界の秘密……全てを心の奥底に一度仕舞い込み、ポニーちゃんは笑顔で接客します。自分が意図せず手に入れてしまった『神』のコネを使えばその問題も全て解決に向かわせることが出来るという事実から目を背けて。
……桜さんが責任を背負いたがらなかった理由が、ちょっとだけ分かりました。
万能の力とは、究極の不平等をこの世に生み出すものなんですね。
その事について少しだけ思いにふけっていると、イイコちゃんに「気、緩めすぎ」とすれ違いざまに言われてしまいました。突然だったので少しだけムッとしてしまいましたが、イイコちゃんが珍しくこっちをしっかり見ていたので少し驚きます。
イイコちゃんは周囲にそういうことを悟られず事を運ぶプロなので、こうもあからさまにポニーちゃんに視線を送り、作り笑いも浮かべていないのは初めての経験でした。
「……ちょっと雰囲気変わったね」
その言葉に、内心ドキリとしつつ、そうですか? と返すと、イイコちゃんは何も言わずに去っていきました。虫の居所が悪かったのか、心なしか不機嫌な背中を、ポニーちゃんは隠し事をしたという微かな罪悪感を抱きながら見送りました。
雰囲気が変わったとすれば、理由は一つ。
気取られないようにもっとしっかりしないといけない、とポニーちゃんは奮起しました。他人を不安にさせる笑顔の受付嬢は、受付嬢として失格なのですから。
= =
――俺は、何をやっているんだろう。
自問しながら、ゴールドは町はずれの訓練場の壁に叩きつけられる。叩きつけた相手……後進の育成でもしようと町に滞在し続ける神腕は、顎を指で掻きながらフゥム、と見下ろした。
「全然気が入っとらん。力任せにぶん回してるだけだな。そういうのは俺じゃなくてサンドバッグにでもぶつけるもんだが……いきなり訓練付けろと言ったと思ったらこれだ。顔に見合わず猪武者だなお前」
氷国連合でどんなに暴れても心の靄を払えなかったゴールドは、ギルドに戻るなり神腕に勝負を挑んだ。結果は語るまでもなく惨敗。八つ当たり染みた戦いに理由も聞かず応じてくれた神腕に申し訳なくて、自分が情けなかった。
「……すいません」
「別に嫌いじゃねえぞ、そういうの。行き詰まった想いを我武者羅にぶつけるのもいいと思うぜ。拳の語らいと同じさ」
「フツー拳は語りません」
「なははは! いいや、口より雄弁だ! 数学賢者もそんなこと言ってた! 殴ることで相手を知る、これは『こみにけいしょん』と言うらしい!」
特に気分を害した様子もなく神腕はどっかりとゴールドの横に座り込んだ。ゴールドも体を起こし、剣を地面に突き立てて座り込む。
「何を信じて戦えばいいか、これからどうすればいいか……分かんなくなっちゃいました」
「んむ。一応はあの女神だという娘から一通り話は聞いたが、ずいぶん面倒なことになったな」
豪放磊落な神腕だが、決して考えなしではない。特に悩める戦士の悩みには驚くほどに親身だ。ゴールドはその優しさに甘え、俯き気味に停滞した心境を語る。
「はい……俺、歴王国に生まれたから強く育てたって思ってました。あの国は確かに厭な過去をたくさん抱えている。でも住んでる人たちは前を向いてるし、みんな悪人な訳はない。やっぱり生まれ育った国は誰だって好きでしょ?」
「そうさなぁ……俺は実は光人と巨人の混血で、故郷は二つある。どっちも長く居た訳じゃないが、時々故郷の匂いが恋しくなる。帰巣本能って言うのかもしれんな」
「でも、国は女神さまに祝福されてなかった。そう聞いた時、なんか……俺が今まで学び、信じてきた全ての道と選択が否定された気がしたんです。お前はずっと間違った事ばかりしてたんだって……」
歴王国の為になることをするのが、過ち。
国を誇る事も、富を蓄えることも、他国より強固な文明を持つことも。歴王国が麗連潔白な国だなどとはゴールドだって思っていないが、信仰する女神からいずれ消滅すべきと見做されていたという事実は、重かった。
「今なら桜が酷い顔をしてた時の気持ちが分かります。何で周りの国はよくて俺の国は駄目なんだよって……嫉妬しました。理屈も聞いたし、女神さまが気を配っていたのも聞きましたけど、でも納得できなくて……」
「かといって、周りが悪い訳じゃないから当たり散らすのもお門違い、か。怒りが行き場を失うな」
「今まさにそんな気分です」
挙句の果てに、可愛がっていた雪兎が桜を刺して逃走。
魔物も魔将も人間の為の存在。
異端宗派はこともあろうに自分以上の女神信者。
これまで正しくあれと思い信念を以て選んできた全ての選択が、前提から呆気なく覆った。これではゴールドは存在自体が間違いの塊だと言われたようなものだ。神腕は話を聞き、おもむろに問うた。
「全部、か。本当に全部か?」
「違うって言うんですか?」
「例えば、餓えた犯罪者にパンをあげるとしよう。その犯罪者はパンを糧に生き延び、また犯罪を犯す。ではパンを与えた者は悪なのか?」
「悪でしょう、それは……悲劇を拡大させただけだし、無責任な行動だ。そもそも犯罪者を捕まえるべきだった」
「そうかもな。でもそれは結果論だ。パンを与えられた犯罪者が改心して人を助けたら、そいつの優しさが未来を良い方向に向けた事になる。お前の評価は覆るんじゃないか?」
「それこそ結果論じゃないですか?」
「そうだ。正しいかどうかなんて最初からわかりゃせん。起きたことだけが真実で、俺たちは不確かな未来を歩むしかない……つって、この問答殆ど受け売りなんだけどな?」
冗談めかして笑った神腕は、真剣な顔になる。
「ゴールド。お前が迷ってんのは、寄りかかってた壁がなくなって腰の収まりが悪くなっただけだ。支えがねぇから自信もなくなって、どうでもいいことまで疑っちまう。だがな、人間は元々なんにも寄りかからなくたって二本の足で突っ立てば倒れやしねぇし前を見られるモンだ。ドコに足着けてんのかしっかり見ろ。それも無理なら誰かに支えて貰いな……友達とか女とかにな」
大きな腕からは想像できない優しさでぽんとゴールドの肩を叩き、神腕は立ち上がる。
「あ゛~~~~、頭使ったら疲れた! なんか甘いモン食いに行ってくらぁ! ガハハハハハハ……」
訓練場を去っていく巨体を見送り、ゴールドは地面に刺さる剣を抜いて土を丁寧に払い、納剣する。
「正しいかどうかなんて最初から分からない……か……」
ゴールドは偉業を成し遂げたこともない若造の冒険者だ。信念だ何だと言っても、先ほどの神腕のような含蓄のある台詞は思いつかない。ゴールドはふと、皆は何に縋って生きているのか知りたくなった。
自分にないものは、他の誰かに頼ればいい。答えが出なくとも、そこには人生の進み方の指標になる何かがあるかもしれない。
自分と対照的な存在――赤槍士はどうなのだろう。
女神直属信者でありながら、彼女は女神の教えと完全に同じ考えはしていない。歴王国への個人的な恨みを隠そうともしない彼女は、何を思って生きているのか、不思議とに知りたくなった。
「「あっ」」
帰り道の曲がり角で、気も漫ろだったゴールドと赤槍士は軽くぶつかった。僅かに体と体が触れあう程度の極めて軽微な接触だったが、二人は伏し目がちで気まずそうに会話する。
「……やぁ」
「……うん」
「「あ、あのさ……」」
同時に切り出し、同時に止まる会話。
しばしの沈黙ののち、ゴールドが先を譲る。
「先に聞かせてくれないか」
「んだよ、こんな時だけレディファーストぉ?」
「染みついてるんだ。女神に否定された文化だとしても」
「……そんなヒクツな台詞聞きたくないっての」
目を合わせず顔を逸らす赤槍士だったが、意を決したようにゴールドに向き合う。
「き、聞きたいこと聞き忘れてた、から……確認だよ!」
「そうか。奇遇なことに、俺も聞きたいことがある。時間、これからいいか」
「い、いいよ……」
それ以上の会話はなく、二人の足は自然と『泡沫の枕』のいつもの部屋に向かっていた。




