コドク ト ドウコク
孤独とは、ただ一人であることではない。
自分という存在を理解している人間がいないこと。
自分という存在の経歴や環境を知る人間がいないこと。
故郷は愚か、人種さえも自分と同じ存在に出会えないこと。
この世界に日本人は存在しない。
大陸はたった三つ。建造方法すら謎な建造物。御伽噺のような魔法。化け物共と、その化け物共と戦う人という名の化け物たち。そして、そんな連中の心を容易に弄べる武器を持たされ、放り出された不安。
勇者が何故魔王を倒せと言われるか、よく分かる。
魔王討伐という明瞭な目的がないと、勇者は唯の人になるからだ。
桜はこの世界に、役割も目的もなくただ放たれた。
広大で未知な世界で、帰る場所もなくしたまま目的もなく彷徨い続ける孤独は、ゴールドと友達になった後も決して癒されることも満たされることもない。
(この世界に、俺より孤独な奴なんていない)
ゴールドと二人きりのテントで、桜はそれを思いだすたび孤独に震えた。
せめて一人、この孤独を理解してくれる人がいたら――そんな叶いもしない望みを抱いて眠った日が何度あっただろうか。
――雪兎が現れたのは、そんな頃だった。
桜の寝袋の中ですうすうと寝息を立てていたそのアルビノの少女は、土に汚れ、髪はぼさぼさ。服どころかぼろきれ一つすら纏わない姿でそこに居た。見知らぬ少女を触る事に抵抗はあったが、余りにもみすぼらしすぎる格好に、桜はゴールドと共に彼女の身体を清め、服を与えた。
冒険慣れしたゴールドがテントへの侵入に全く気付かなかった事は不思議だったが、それ以上に不思議だったのが、彼女と遭遇したのが全く人の住んでいない地域だったことだ。魔物は少ないとはいえ子供が一人で生きていける程のどかな土地ではない場所に、彼女はどうしてたった一人でいたのだろうか。
年齢的には喋れてもおかしくない年齢だったが、彼女は喋れなかった。時折、言葉にならない「あー、あー」「うー」といった幼児のような声を出す程度で事情など何も伺い知れない。それでいて彼女はこちらを襲いもしなければ逃げる気配もなかった。
「このまま置いていったら、死ぬ……よな」
「捨て子か野生児か、訳ありなのかは判然としないが、その可能性は高いね」
「……」
じっとこちらを見つめる少女の扱いに困った二人だったが、自分たち以外に彼女の面倒を見てくれる人がいないのは明白。結局、一度最寄りの町にでも行って彼女の親を探すべきだという話に纏まった。
「よろしくな、ええと……雪みたいに白くて兎みたいな赤い目をしてるから、雪兎って呼ぼう」
「いいんじゃないか。では行こうか、雪兎」
「……」
先を急ごうと桜は彼女をおんぶし、術式をかけて負担を軽くする。
と――ちょろろろろ、と水が落ちる音。そして背中にじんわりと温かく湿った感触があった。
「……………」
「……………」
後ろを見ると、どこか解放感のある顔の雪兎と目が合った。
彼女は、人間が身に着けていて当然の生活能力や常識が皆無だった。
それから、大変だった。
食事とあらば雪兎は食器を無視して全て手掴み。スープが熱いと驚いて器を投げ出すなど当たり前。所かまわずお小水を漏らす。服を一人で着られなければ体の洗い方も知らない。大人しく付いてくることと泣かないことを除けば、赤ちゃんの世話をしている気分だった。
雪兎がようやく幼稚園児くらいの生活能力を得た頃には、桜とゴールドは周辺の町村を一通り周り、雪兎の親の手がかりが一切ないことを確認し終えていた。彼女は覚えが良かったが、その頃はまだ言葉までは操れていなかった。
(俺ら、いつまでこの子の面倒見りゃあいいんだろう)
最初は目が回る忙しさに誤魔化されていた、漠然とした負担。それを重みに感じ始めたある日――桜は偶然、宿の外にいた雪兎の姿をみかけた。彼女は町に住む子供たちに囲われていたが、少し時間が経つと子供たちはつまらなそうな顔に変わっていく。
「なんだよ、なんにもしゃべんねーよ」
「せっかく一緒に遊ぼうと思ったのになー」
「カオも全然動かねぇし、かわいくねーの!」
「いいよ、もう行こう! こんな奴といてもつまんないもん!」
子供たちは喋れない雪兎に好き勝手な事を言い、遊びに使うボールを抱えて楽しそうに走り去っていった。それを無言で見送る雪兎の背中を見たとき、桜は思った。
(なんて寂しそうな……)
彼女はボール遊びなど知らないだろうし、彼らの言うことが理解できていたのかもわからない。ただ、その後ろ姿から感じる孤独の濃さに耐えきれなくなった桜は、ボールを買ってきて雪兎と遊んだ。
町の子どもの様子は見たが、サッカーを簡略化したような遊びをしているのは知っていたので、簡単な動きを教える。最初はボールに反応しなかったり、桜の真似をしてボールを踏んでバランスを崩しすっ転んだりしていたが、次第に足捌きが上達した雪兎は、次から子供たちと一緒に遊ぶようになった。
相変わらず言葉は発しないが、彼女の容姿が綺麗だったこととボールを蹴るのが上手かったことが子供たちに受け入れられるきっかけになっていた。
これであの寂しそうな姿は見なくて済むかな、と桜は思った。
しかし――。
「あ、もう夕方だ! 家に帰らねーとかーちゃんに叱られる!」
「今日は好きなご飯作ってくれるって言ってたんだー!」
「あっ、ママ! 迎えに来てくれたんだー!!」
兄弟家族に迎えられ、或いは一目散に家へ向かい居なくなっていく子供たちを、雪兎は先ほどまで賑やかだった遊び場から一歩も離れずじっと見つめていた。やがて誰もいなくなった場所で、一人ボールを抱えて夕日に照らされる彼女の背中は――どこまでも、孤独を感じさせた。
彼女には何もない。
家族もいない。
家もない。
言葉もまだない。
そして、すべきこと、向かう場所さえも。
(何だよ……この子……俺なんかより、ずっと――!)
孤独を気取っていた自分を恥じる。
たった一人でこの世界にぽつんといて、見知った隣人など一人たりとていないこの少女の孤独に、何故自分の孤独が勝っているなどと言えようか。彼女がいつか何かを志すとき、それを支える人間は今の彼女にはいない。
雪兎は桜と一緒だ。
知らない場所に何も持たずに放り込まれ、何も出来ないでいる孤独の存在。
胸を締め付けられる。
孤独の哀しさと苦しさを、彼女に味合わせたくない。
この時、まだ冒険者を始めていない桜は、彼女が孤独でなくなるまで傍にいることをひとり誓った。
雪兎は物覚えが良く、食べている姿も寝ている姿も愛らしく、そして桜やゴールドに懐くような様子を見せるようになっていった。彼女の魅力を前に、桜は次第に彼女を自分の娘のように扱うようになっていった。
「さくら。きょうはあそんでくれないの?」
「ん? そうだな、じゃあ遊ぶか!」
「ぼーるあそび、したい」
「よーし、ボールを持って来なさい。ギルドの横の広場を借りよう」
雪兎が喋れるようになってから、余計に彼女を愛おしく思った。この頃になると近所の子供たちだけでなくポニーたち受付嬢も暇を見てポニーの面倒を見てくれるようになり、彼女の孤独が和らぐことで己の孤独も薄まる気分だった。
「どうだ、初めて自分で手作りしたハンバーグの味は?」
「おいひぃ! ハンバーグおいひぃよ桜!!」
「はいはい、口元に肉汁が零れてるよ。ほら、コッチに顔向けなさい」
「もくもく、ごくん! ……ん!! 桜も食べて! はい、あーん!」
「おっと、どこで覚えてきたんだか。ふふ……あーん」
次第に、本当に雪兎は自分の娘だと思うようになってきた。
彼女が生き甲斐で、日常が彩を帯びてくる。
気付けば桜は孤独を感じなくなっていた。
彼女の本当の親など見つからなくてもいいと、思う程に。
そして、今。
「わたし、わるい子だもん」
雪兎はいま、全地球人類の仇にしてロータ・ロバリー最大の脅威となって、桜の敵対者になっていた。
「運命数多重展開ッ!! アンバイアス・レジームッ!!」
女神エレミアの勇ましい声と共に、桜が展開していたそれより強固で広範囲な障壁が張られ、極光と衝突する。エレミアはそのまま自分より後ろにいる全員を神秘術で浮かせ、障壁を球状にして守りながらその場を離脱した。
雪兎の追撃は止まらない。一撃目が防がれ逃げられたことを確認した雪兎は、再度手を振る。瞬間、先ほどより更に広範囲を埋め尽くす極光が力を成して襲い掛かる。エレミアはそれさえ難なく防ぎきるが、弾かれて二つに別たれた極光が空を貫き、雪雲に巨大な二つの穴が空いて青空が剥き出しになる。
「……無駄です。地球のアイテールを用いる貴方は、例えこの星に定着したとしても十全に力を扱う事は出来ない。そして当該機は貴方の侵蝕を完全に防ぎきるだけの機能を有している。ハイメレの他全ての共有端末もデータを消去し自己崩壊させました。これ以上貴方の手に渡るコードはありません」
「……防げるかどうか、試さないとわかんないもん」
「なら試してみなさい。その隙に当該機は貴方を破壊しますッ!!」
瞬間、二人が弾かれるように空へ駆け上る。他の面子は障壁に守られたまま地上に降ろされた。
「ハァァァァァァッ!!」
「……うっとうしい」
虹色の光の塊となったエレミアと、蒼い光を纏った雪兎は目にも止まらぬ速度で幾度となく空中で衝突を繰り返し、時に数多の光を発射してはそれを相殺し、人知を超えた規模と速度で互角の戦いを繰り広げる。
空を彩る光と爆音、光の軌跡は最早現実ではなく神話の戦いのような神々しさを帯びる。余りの異常事態に皇都の国民たちが空を見上げる様をみて、白狼女帝が舌打ちする。
「ちぃ、いかん!! エレミアは地上を庇いながら戦っておるようだが、このまま続けば皇都とて無事では済まぬ!! 桜よ、おぬし支援が得意であったな――桜っ!?」
「雪兎……何で……」
「……腑抜けたか。まぁ、無理もなし。よかろう、ここは――最強の『国潰し』の力を見せるまでッ!!」
瞬間、全身に白いオーラを纏い軽業師と同じように神々しく獣化した白狼女帝が空を飛ぶ。
同時に、宮殿から真っ赤な炎が矢の如く空に飛びあがった。
「申し訳ございません、エレミア様!! 研究施設の出来かけ皇女を保護するのに手間取りました!!」
「おぬし、赤槍士……使徒であったとは驚いたな」
そこには、いつもの槍ではない、槍の先をトーチに挿げ替えたような二本の奇異な武器から炎を噴出して空を飛ぶ赤槍士の姿があった。赤槍士は白狼女帝を見るなり嫌な顔をする。
「げっ、白狼女帝、様……あぁ、もう完全に言い逃れ出来なくなっちゃった……とか言ってる場合か!! アタシはエレミア様の援護をするから、国に被害出したくなかったら襲う相手間違えないでよね!!」
「ハッ、吼えたな小娘!! お主こそ精々我が絶技に巻き込まれぬよう気を付ける事だッ!!」
一対一だった戦いに二人の加勢が入り、空の争いは加速度的に激しさを増していく。己の拳に巨大な氷を纏わせた白狼女帝が常軌を逸した速度でそれを雪兎に叩きつけると、雪兎は寸での所で己の手に極光を纏わせて迎撃する。
しかし極光を切り裂く五つの氷刃が貫通する。氷刃は花が咲くように曲線を描きながら一斉に雪兎に飛来した。
「飛燕斬・五爪裂華――余波だけでお主の刻が凍てつくぞ?」
「寒いのいや」
雪兎の腕が巨大な黒羽根に変化し、一振り。翼の先端から放たれた風が収束して光弾となって放たれ、五つの氷刃と接触。刃が大気すら凍てつかせ空に大輪の華を咲かせる。200マトレ近く立ち昇った単なる余波はしかし、根元にいる雪兎には届いてない。
「隙ありッ!! 炎よ、万物を両断する刃となれッ!! フュージング・バイツッ!!」
炎をジェット噴射して反対方向に回り込んだ赤槍士が手に持つもう一つの武器から炎の刃を作り切りかかる。赤熱する刃を雪兎は光の剣で弾く。
「うりゃあああああああああああッ!!」
「……眩しいのきらい」
赤槍士の雄叫びと共に超高熱の刃が更に赤熱し、白狼女帝の攻撃の余波で生まれた空の氷塊が一瞬で蒸発する。しかしその超高熱のエネルギーに呼応するように雪兎の光の剣は更なる輝きを放ち、遂に槍を弾き飛ばす。
返す刃で追撃とばかりに周囲に数百もの光の剣を展開する雪兎だったがそれが放たれるより前に超高速のエレミアによる体当たりが待っていた。纏う力場の強度を含めたその威力は、雪兎の障壁と衝突した瞬間に彼女が周囲に展開した全ての剣が砕け散る程だった。
「その子も、やらせはしないッ!!」
「……でも、貴方にわたしは倒せない」
「貴方こそ私を倒せないでしょうッ!!」
二人の力は拮抗してるように見えるが、先に体を弾かれたのはエレミア。しかし彼女自身は怪我も損傷も負っていない。その後も即席包囲網で三人は雪兎を果敢に攻めるが、彼女の防壁を突破できない上に反撃の光を町に当たらぬよう立ち回らなければならず、戦いは三対一であるにも関わらず拮抗していた。
同刻、デナトレス・フロイドと交戦していたゴールドは空を見上げて目を疑う。
「なっ、何で雪兎が皆に狙われて……いや、そもそも何だあの力は!? まさか赤槍士がギルドに居たのは……くそっ、そこを退けよッ!!」
「ダメダメ、母さんの邪魔はさせないよ! それにホラ、これは広い目で見れば人類の為の戦いであって――」
「そうであるかどうか決めるのは、お前ではなく俺だッ!!」
物理攻撃の通らないデナトレス・フロイドの時間稼ぎの戦いを早く終わらせる為、ゴールドは再び剣を振るった。
同刻、宿の前。
「あれ、雪兎ちゃんだわっ!! そうか、ポニーちゃんにかくれんぼしたいって言いだしたのは気まぐれじゃなくて宿を抜け出す為……でも、一体何のために、何で!?」
――それをここで論じても答えは出ません! 桜さんたちと合流しましょう!
「……ええ、そうね!! もう、何が何なのよ……どうしてこんなおかしいことばっかり!!」
「キュー!!」
空での戦いは十数分に亘り続いたが、その終止符を打ったのは――無謀にもエレミアたちと雪兎の間に割り込んだ桜だった。空を飛んで障壁を張り、眉を顰める赤槍士と白狼女帝を手で制す。
「もうやめてくれぇッ!! 雪兎、一度きちんと話そう!! 俺……俺、こんなの駄目だって!! ハイメレを破壊したのは本当にお前なのか!? 何故戦う!?」
「いけません、ユーザー!! 危険です!!」
桜の瞳から滂沱の涙が零れ落ち、悲痛な慟哭が響く。
背後から警告の声があるのを気にも留めず、桜は訴えかける。
「ハイ・アイテールだか何だか知らないが、お前は俺の娘だろっ!! ずっと一緒に居たじゃないかッ!! お願いだから……ちゃんと家族に説明してくれよォォォッ!!」
だって、おかしいじゃないか。
つい最近まであんなに可愛がっていた娘が、人類を虐殺した犯人で侵略者なんて信じられる訳がない。これはきっと何かの間違いに違いない。もう楽観も悲観もない、それしか桜が信じるべきものは存在しなかった。
だって、雪兎の笑顔を守る自分の心だけは、誰にも曲げられない本物だと思っていたのだから。
「桜、どいて」
「暴力は駄目だって、教えたろ。話をして解決しようって、ポニーにも教わったろ!?」
「……」
「なぁ、雪うさ……」
その頭に手を伸ばそうとして――腹部に衝撃。
「じゃま」
「か、あ……?」
余りにも端的で、冷酷で、同一人物から発されたとは信じたくない言葉。
雪兎の白い腕が、赤黒い液体に染まっているのを見て。
雪兎の顔に浮かぶ表情を見て。
それ以上の思考能力を維持できず、桜はそのまま意識を投げ出した。
「なぁ、雪兎。お前、なにか食べ物以外で欲しいものとかないのか?」
「んー……あっ、一つある!」
「言ってみな。思えば雪兎にはあんまりプレゼントとか渡せたことなかったからな。ずっといい子にしてたご褒美に買ってあげるよ」
「ダメ。だってお金で買えないものだもん」
「おっ、何だか深いこと言い出したな。それは一体何なんだ?」
「えへへ、それはねー……もう持ってるもの!」




