70.受付嬢ちゃんへ見せつける
「君は、いつまでこうしてるつもりなんだ?」
不意にゴールドに問いかけられ、赤槍士は愛読書のエレミア経典から目を外す。
「なによ、急に。先にシャワー浴びてこいっての? やらしっ」
「君はいつまで『似合わない仕事』を続けるつもりなのかと聞いているんだ」
「……」
ゴールドは、ギルド内で赤槍士の秘めたる真実を唯一知っている人間だ。彼は恐らくそのことを相方である桜にさえ言っていない。その理由は赤槍士には判然としないが、それは彼なりの信念に基づいた何かではあるのだろう。
「似合わないとか心外なこと言うわぁ。それとも私は前の仕事をしてるべきだとでも言いたいワケ?」
「いや――今の仕事を続けた方がまだマシだ。俺がしたいのは前の話じゃない、後の話だ」
「……先の事なんか分からないわよ。アタシもアンタもそういう職種でしょ?」
「しかし君はフリーランスではない。表向きそうでも、主君は一人に定めている」
「それは……」
確信を突く言葉に、喉が詰まるような感覚を覚える。
そう、今の赤槍士は嘘っぱちだ。信じるものはお金ではないし、顔も知らない誰かのために働くのはあまりいい気がしていない。この仕事を始めてから随分窮屈な生活だと思う。
しかし、赤槍士は心のどこかで今という立場、時間を愛おしく思っている。
「腐れ縁と思いながらこれまで俺は君を監視してきた。別の手っ取り早い手段も考えたが、君の善意と真意の境界線は曖昧だった。どっちが君の顔か分からなかった」
「……」
「どっちも、なんじゃないか。君は揺れ動いている」
「……知らね。急にマジっぽいこと言っちゃってキモいっつの」
吐いた悪態に力がなく、自らの演技力の低さに辟易する。ゴールドのような敏い男相手では、本心を知られたも同然だった。
「どっちに転がっても俺は転がった方に動くだけだ。君もいい加減、どっちつかずではいられないんじゃないか?」
「だとしてお前に関係あるかよ」
「今度こそ本気で戦う事になったらどうする。君は俺を殺せるのか?」
「ッ!!」
余りにもあっさりと、しかし明瞭な意思を以てゴールドは問う。
もし、そうなったとき、自分は――。
葛藤は、ある。
しかし真実を知った時に葛藤するのは自分だけか。
赤槍士はそうではないとも感じている。
「お前はどうなんだよ……」
「俺は迷わないよ」
「アタシ以外のお前の身近な人が、絶対に相容れない存在であったとしても、同じこと言えるのか……?」
「何を言って……?」
「どうなんだよ!! 人にばっかポンポン聞きまくりやがって、アンタはどうなんだッ!! 戦いたくない奴と戦わないといけなくなった時、迷わないって言えるのかよッ!!」
何故自分ばかり葛藤しなければならないのかという苦しみを込めた八つ当たりに、ゴールドは暫く言葉を失った。心から漏れ出した激情に、赤槍士はまた自己嫌悪する。これでは自分と同じ苦しみも周囲も味わえばいいと願っていた、あの頃のようだ。
しかし、ゴールドはしばしの沈黙の末、答える。
「相容れるよう折り合いを探すよ。全力で、全力で……その果てに結論が一つしかないのであれば、俺はそれを天命と従う。だが、もし納得が出来ず、そして微かにでももう一つの道があるのであれば……俺はきっと、そこに全てを懸けるだろう」
「綺麗ごとだ。お前ら歴王国の連中は皆最初は綺麗ごとから入る。でも続けていけば建前と本音の折り合いが悪くてボロが出てくる。お前がその時を迎えたとき、どんな面してるか……」
「なら君が見届けてくれるかい?」
「……アタシ、アンタのこと嫌い」
赤槍士はゴールドの真っすぐさが大嫌いだ。
ゴールドが近くにいるだけでいつも余計なことばかり考えさせられる。真っすぐに考えられない自分が惨めに思え、文句をぶつけ、それでも真っすぐなゴールドが嫌いだ。
赤槍士はゴールドの甘さが嫌いだ。
もっと非情で手っ取り早く、赤槍士を人とすら思っていないような非道な連中を見てきた。その集団の中からゴールドは生まれた。なのにゴールドはどこまでも甘く、それが赤槍士の心をざわめかせる。
「君に好かれたくて生きちゃいないよ」
「嫌い……」
「……まぁ、いい。話はまた今度にしよう」
そうやって、訣別の時はまだ先だと思っている。
思い込んで遠ざけている。
(だからアンタは甘くて、そして、真っすぐなんだ)
と――。
『大人しくしなさい桜! 大丈夫、後で雪兎も一緒に可愛がってあげるから! そーれっ!!』
『雪兎だけは、雪兎だけには手を出さないで! アァァーーーーー!!』
『キュッキュッキュッ』
『白雪、嬉しそう。碧射手も嬉しそう。でも、もう眠い……みゅぅ……』
「……何してるんだあの二人は」
目頭を抑えてため息をつくゴールド。
赤槍士もなんだか悩んでいるのがバカらしくなり、そのまま寝ることにした。
= =
「今更ながら」
何故か室内なのに耳までかぶさる冬用帽子をかぶった桜さんが朝食中に口を開く。
「この国、神秘の消費量がパないみたいだけど、魔科学はマナの枯渇を招く的な何某はないだろうな……?」
「……神秘の枯渇か? さぁの。地祀神殿で絶え間なく空に放たれる神秘をほんの少し借りておるだけだから、大気中の神秘濃度は変わっとらん。それに、消費が激しいのは冬だけじゃ」
「一回調べとかないとな……」
神秘の枯渇とはマニアックな議題です。
大量の神秘が一瞬で消費されたとき、その空間は一時的に神秘が枯渇します。その間、その空間で神秘は使うことが出来ません。また、継続的に神秘が大量に消費されている場合、周辺に存在する生物にも悪影響が出ることが懸念されています。
が、これは理論上の話です。実際にはそのような事が起きた事例はありません。
それに、もし神秘が有限のものであるならば、魔物や魔将みたいな途方もない神秘の塊が出てきて大量に神秘が消費されたはずの退魔戦役以前と以降で何らかの差異が生まれている筈です。そのような重大な事態、国家が隠匿してもギルドはしません。
仮に何かあったとしても、この手の議論は水槍学士さんやメガネちゃんを私的に招いてからやった方がいいのではないでしょうか。
「……だな」
ところで桜さんはどうして耳まで覆うほどの冬帽子を被っているのですか?
いくら氷国連合が寒いからって、室内は道路下の暖気システムから温度を貰っているので快適な温度だと思いますが。
「……」
桜さんは渋くてどこかげんなりした顔で周囲を見回し、自分たち以外ここに視線が注目していない事を確認すると慎重に帽子ずらし、耳を露出させました。
桜さんの両耳に、この上なくくっきりと無数の歯形がついていました。
「隣の二人に、噛まれた」
それだけ言うと桜さんは耳を隠します。
両隣の碧射手ちゃんと雪兎ちゃんがてへっと舌を出して頭を掻きます。
「エフェム式の求愛なの。エフェムって耳が長いでしょ? だから耳を触られるのって限られた気を許した人だけなの。だからそこを噛む。相手も噛んでくれたら相思相愛って訳。噛んでくれてもいいんだけどなー」
わざとらしく首を傾げながら自分の耳を桜さんの方に向ける碧射手ちゃん。ポニーちゃんも次第に昨日の話を思い出してきて、積極的過ぎる碧射手ちゃんに赤面します。あんなにぐいぐい行くなんて、碧射手ちゃんくらいの美女でなければ許されない所業だと思います。
あと雪兎ちゃんはノリで真似して噛んだようです。
しかし桜さん。貴方程の術者なら治癒できるのでは?
「した側からまた噛まれて痛い」
し、障壁を貼れば……。
「そしたら碧射手と雪兎の歯と顎にダメージが……」
嫌って言いましょうよ。
「嫌って言っても碧射手が悪代官ムーブするもん。お前、雪兎に可愛く『噛ませてっ♪』って言われて我慢できるのかよォ!!」
それは無理ですね。
「ダルォ!? そうダルゥオ!?」
「いや、これは完全に聞いた相手が特殊なだけだろ桜」
「こーゆーときポニーってマジでブレないよねー」
そんなこと言ってるお二人ですが、若い男女が部屋で二人きり。
ゴールドさんと赤槍士さんの間でも何か起きたのではないですか?
実はその上着をめくったらキスマークが残ってるとか。
「「そういう関係じゃないっ!!」」
今日のポニーちゃんは仕事外では目に付くすべての色恋沙汰に噛みつく年ごろ乙女モンスターです。
「俺もちょっとその辺気になるぞゴールド。自分から女の子を部屋に連れ込むとかお前らしからぬ肉食ムーブなんでちょっと気になってた」
「君までっ!?」
「友達以上恋人未満の関係ってなんだかロマンじゃない?」
「碧射手ぇ!? 何でアタシとコイツがソーイウ関係だってこと前提で話してんの!?」
こうしてポニーちゃんたちは随分と姦しい会話を暫く続けました。
朝食の後に出向したギルド氷国連合支部は、殆どボランティア団体でした。
なにせ氷国連合は自国戦力のフットワークが軽いため、ギルドを必要としていません。そういった事情もあって、普段は雪かきとか落とし物探しとか、そんなことばっかりしているそうです。独自に海外から仕入れた物品の販売などもも行っていますが、定期的に氷国連合のチェックが入るとか。
「そう厳しいものじゃないから問題はないさ」
とても他人と戦えそうにない優しい笑顔の男性職員さんは、笑いながらポニーちゃんが持ってきた書類等を受けとります。
「白狼女帝様に会いに行くんでしょ? 皇女様に懐かれていきなり謁見が叶うなんて凄いことだよ。なにせ皇女様たちは弱い人に興味がないみたいだし、女帝様に至っては海外の要人さえ興が乗らないとかで数日待たせたりするのだから」
心のどこかで皇女は軽業師ちゃんみたいな可愛い子ばっかりなんじゃないかという密かな希望が打ち砕かれたポニーちゃんは、張り付いた営業スマイルで話を終えます。
愛が足りない。軽業師ちゃんの命令で道案内と警護を任された近衛兵たちと桜さん達冒険者組に囲まれ、ポニーちゃんは癒しを求めて宮殿へ向かうのでした。




