62.受付嬢ちゃんを連れて
ポニーの干渉によって状況が僅かながら動いた。
周囲を敵と認識し迎撃のために古傷を利用していた赤い塊の中に、重戦士の意識が表層化してきた。でなければ自ら手駒を切り放し、しかも無事な状態で残しなどしない。
「たぶん、これはポニーの干渉だ。くそ、念話でもできれば楽だが魔将の因子が障壁になってるか。だがともかく、ポニーの干渉によって重戦士が僅かに己を取り戻したと見ていい。説得の効果は出てる!」
「だが、まだ微々たるものだ。それに、悪いニュースもある」
「……え?」
ぐっと拳を握って手ごたえを実感していた桜が、銀刀の方を振り向く。
「いままで俺の術で奴の膨張を抑えていたが、それは奴自身が受動的な対応しかしていなかったからだ。今、意識が僅かながら表層化したことで奴は能動的に活動するようになった。幾ら俺でもこれ以上奴を食い止めるには、周囲の被害を度外視しなければならん」
「能動的ったって、奴は今更どうするってんだよ」
「知るか。こればかりは前提情報が足りん。だが――見ろ、動き出したぞ」
これまで不定形の赤い塊としか言えなかったそれは、戦いの中でも膨張を続け、全高は100mに届かんとしている。その塊が、ゆっくりと形状を変化させていく。二本の支柱、二本の腕、そして頭部らしいパーツ。体の節々には巨大な剣が鎧か鱗のように生え、それは巨人と化す。
更に膨張を続け二倍ほどの全高を得た鉄と血の巨人――鉄血巨人は、周囲を舞う銀刀の風を受けても尚引き下がることなく、前に一歩踏み出した。
ドズゥゥゥゥゥンッ!! と、地響き。遅れて粉塵と風が吹き荒ぶ。
「あ……っぶね……」
桜たちが視たもの。それは、自分たちが拠点代わりに作ったオアシスを一歩で踏み越えていた巨人の足だ。もしあの歩幅が少しばかり短かったら、自分たちは地面のシミか潰れた雑巾になっていた所である。或いは、取り込まれた方がまだマシなのかもしれない。
と、防風林として植えていた木の幾つかが急速に朽ち、その樹液らしいものが巨人の方へ吸い取られていく。それに気付いた桜は慌てて仲間の防護術式を確認する。
「周囲に強力な神秘の場を構築して、その中から生物にとっての血液に該当するものを奪っているのか!? 防壁で弾けてはいるが、そうか。そういえばこの辺が荒れ地になったのもネイアンの所為だったな……!!」
青い顔をしたゴールドが呟く。
「つまり、あの巨人が通った後はこの大地のように朽ち果てた土地へ変わっていく……朽ちれば朽ちる程、そこから力を吸い取った巨人は巨大化していく……?」
「ちょ――それ、マズくない? この辺は元々荒れ地だからいいけど、何十キロか進めば山を隔てて普通に国があんだよ?」
事態に気付いた赤槍士も顔面蒼白だ。そもそもその能力がなかったとしても、あの巨体が万一人里や都市を通り過ぎたら、それだけで被害は壊滅的なものになるだろう。仮に攻撃によって倒せたとしても、今度はその巨体の質量が周辺を圧し潰す。
そして、倒した相手は知らないだろう。そもそも流体で構築されたあの巨人は、物理攻撃で破壊しても意味がないということを。
話しているうちにまた鉄血巨人が歩き、遠ざかっていく。
余りに巨大すぎてゆっくりに見えるが、それは目の錯覚。実際には鉄血巨人は恐るべき速度で前進している。散った説得組が追おうとするが、一度戦法を改める必要ありと判断したか、オアシスに一斉に戻ってきた。
数分後。
「あの巨人も信じられんが、桜。お前の発想も信じられん」
流石の銀刀も呆れた声を出す。
現在、全員は――桜が即席で作った100メートル級の移動ゴウレムの上で鉄血巨人を追跡していた。
桜はあのあと、何をするにも追跡が必要と考えて複合神秘術を発動させ、オアシスを頂点に構成した巨大な自律術式を構築。結果、天動説の世界のようにくりぬかれたオアシスに八本の足が生えたというとんでもなくシュールな移動基地が完成したのである。
八本の足と様々なバランサー、衝撃緩和機能を組み込んだことにより、かなりの速度で移動しているにも関わらず搭乗者は殆ど揺れを感じていない。また、非戦闘員と意識不明者は置いていこうかという話もあったのだが、説得の人材を削る訳にもいかず同行している。むしろそれがあるから制震等にかなり気を遣っているのだ。
小麦と水槍学士が心配そうに鉄血巨人を見つめる。
「どこに向かってるんですかね、重戦士さんは?」
「故郷である歴王国は北西ですが、見た感じ南に向かっているように見えます」
「超巨大迷宮と第一城塞都市……?」
「分かりません。偶然かもしれないし……」
「とりあえず止めるに越したことはないでしょうね。で、桜くんに銀刀くん。なにか考えはあるんですよね?」
いつの間にか作戦立案と指揮担当になっている二人の発言にその場の全員が注目した。
口を開いたのは、銀刀だった。
「ポニーの干渉で自意識が表面化したとなれば、次にはポニーが何を言ったかが問題になってくる。桜の観測ではポニーはあの中で意識を取り戻してから何度かコミュニケーションを図ったと思しき形跡があるが、どんな言葉が重戦士の意識を表層化させたのかが分からん」
「多分、散ってしまった意識の中にあって再び自意識を得るには、切っ掛けがあった筈なんだ。重戦士が執着するキーワードが判れば……」
「愛だな!!」
「赤槍士、いま真面目な話してるから」
「ふ、ふざけてねーし! だってポニーちゃんとローが似てるって銀刀言ってたじゃん!! だからポニーの呼びかけに反応したんじゃねーの!?」
「だとしても、だ。何度か声をかけたのにポニーの呼びかけに大きく反応したのは一回きり。ポニーだって何度も呼び掛けてる筈なのに反応が一度しかないってのは、やっぱり何か琴線に触れる部分があった筈なんだよなぁ……」
「と、いう訳で……今から俺は鉄血巨人内部に侵入し、ポニーに直接話を聞きに行く」
周囲が絶句した。
触れれば支配されるというあの赤い塊に突っ込んでもし万一にも銀刀が支配を受けてしまえば、魔将と英傑のコンビだ。完全に勝ち目が無くなる。集団の中にあって比較的冷静だった翠魔女が確認する。
「……レジスト対策は?」
「奴の支配を全て跳ねのけるなど風を操る俺には容易いことだ。それに、例えそれを突破したところで奴には絶対に破れない防壁もある」
「成程……」
翠魔女の視線が桜に行く。
ここまでの戦いで、触れれば支配されるという圧倒的逆境でも一度は攻めに出られたのは、桜の強力な防衛結界の援護があったからだ。それに、銀刀は術の使用に限定すれば、竜巻であの巨体の動きを鈍らせながら複数の分身を行使して自らも戦うなど、桁外れの神秘のキャパシティを持っている。
しかし、碧射手が疑問を呈す。
「ですが他にも問題があると思います。重戦士さんはポニーさんを守ろうとしているのですよね? それならば彼女の周囲は強力な防衛機構が働いているのではないでしょうか?」
「可能性、極めて大。むしろ自意識の表層化で更に堅牢になっていると予測」
碧射手の意見にタレ耳も同意する。
だが、それにつまらなそうに鼻を鳴らした軽業師がある場所に指を指す。
そこには、古傷から回収した呪剣イータが地面に突き刺されていた。
「アレを使うのじゃろ。呪剣とやらを」
「そうだ。重戦士の体が元はネイアンだったことは今更変えようもない。イータの持つ呪数効果は奴の防衛機構のどれに対しても有効だ」
「で、ポニーにこちらの話も伝え、あわよくばそのまま彼女に説得してもらうと」
「いや――説得にはもう一人必要だ。エインフィレモスの意図を思い出せ」
そもそもポニーがここまでくる元凶になったとも言えるエインフィレモス。その言葉を直接聞いたのは銀刀のほかは桜と雪兎だけだ。意味を銀刀の意図を探るように顎に指を宛て桜が試案を巡らせていると、先に雪兎が手を上げた。
「わかった! えいんふぃれもすは『結果は変わらない』って言ったけど、それが『重戦士を元に戻せる』という意味なら、ポニー以外に本来説得できる人がいるってことだ!!」
「雪兎!! お前天才かよぉ!!」
どや顔の雪兎を抱きしめた桜はよーしよしよしと頭を撫でまわしている。
思考能力の加速度的な成長――その異常性を感じる者はいても、今はそれを指摘する場合ではないため口を閉ざす。どちらにしろ、雪兎は雪兎なのだから。
「よぅしよしよし……ふう。じゃあつまり、説得できる人間は重戦士と一緒に来た面子か?」
「その可能性が高そうですね。可能性の低い存在から除外していきましょう」
水槍学士が同意し、意見を述べていく。
「まず僕自身はこの中で最も重戦士さんとの関係が浅いです。過去の事も特別多く知っている訳ではないため、説得する人材としての適性は低いでしょう。それと、古傷さんは恐らく本来の歴史でも操られていたと推測されます」
「ポニーさんの介入でお父さん助かったんだよね……ってことは、本来の歴史ではお父さんは……」
「可能性、ですが。というわけで彼もいったん除外します」
未だ意識の戻らない古傷を見つめて不安げに呟く一角娘。魔将が介入しなければ父の命はなかったかもしれないと気づいてしまったようだ。
「となると残るは一角娘と小麦だが……」
銀刀はそう言って、小麦の方を向いた。
「俺は正史で説得を行ったのは小麦と見ている」
「とーぜんです! なんたってパートナー契約を結んでいるんですからっ!!」
「いや、もっと単純な問題だ」
単純と言われても、と周囲が困惑する中、翠魔女は意を決したように手をあげる。
「実は私、少し気になっていたことがあるのだけど」
「続けろ」
「魔将ネイアンは血の支配者。血のない生物も血に該当する液体を吸い取る事が出来る……じゃあ、そもそも元から血に該当するものがない生物は? 体液が全く存在しないガゾムには何もできないんじゃないの?」
「「「あっ」」」
思わぬ盲点に、銀刀を除く全員が唖然とした。
本来、エインフィレモスがいなければポニーや銀刀、桜たちがこの場にいることはなかった筈。であるならば必然、最初から血の支配を受けない小麦以外に危険な説得が行えたとは考え難い。確かにこれは非常に単純な問題であった。
小麦は自分が重戦士暴走前に「ガゾムは涙腺がないから泣けない」と言ったときの事を思い出し、非常に珍しくガゾムという種族が涙を流せなくてよかったと女神に感謝した。




