61.受付嬢ちゃんを怒らせたら
一角娘が物心ついた頃には、既に両親と呼べる存在はこの世にいなかった。
兄弟家族、親戚――探せど探せど、誰もいない。子供心に、親族を探している大人たちが自分を疎ましく思っているとは感じていた。そんな折に、遠縁もいいところな親戚として古傷という男性の名前が浮上した。
最初に出会ったとき、古傷の傷跡と厳めしい顔が恐ろしくて大泣きした……らしい。物心がついたとはいえ幼少期の話なのではっきりとは覚えていないのだが、確かに子供を安心させる面構えではない。
余り口達者ではなく、そう多くのことは教えてくれなかった気がする。
その当時には『泡沫の枕』にはそれなりに常連客がおり、一角娘の教育はその客たちが行っていた。そのなかには重戦士もいて、一角娘は彼の事を歳の離れた兄のように思っていた。時には放任主義過ぎると古傷弾劾裁判なるものが行われ、裁判後の数日だけ色々と教えてくれたりもした。
料理家事洗濯、接客に裁縫。宿で働くのに必要な全ての事を覚えた頃には、工房に籠りきりになりがちな父の面倒を見てあげるのが日課になっていた。
『もう、お父さん! 御飯の時間には食堂に来てってあれほど言ったじゃない!!』
『ん、もうそんな時間か。先に始めてろ、今は手が離せない』
『机の下の蒸留酒』
『ぬっ』
『引き出しの二段目に干し肉、三段目の工具入れの奥に果実酒』
『……非常食だ』
『来なかったらほかに隠してるお酒全部没収するわよ。本棚の本の中に三つもお酒のビン隠してるのだって知ってるんですからね』
『わかった、わかった。俺の負けだ……』
母親代わりがいなくとも、『泡沫の枕』にいる間はマーセナリーの人々がいるから寂しくなかった。元々この宿屋も重戦士さんが寝泊りする為に作ったようなものだといつか父は酒の席で言っていた。そんな商売っ気のない素朴さが、宿に人を集めていた。
『……また一角娘に怒られたな、古傷?』
『るせぇ! 手前だって魔物の返り血浴びたまま宿に入って汚すなって怒られただろうが』
『昔の話、それも一回だけだ……いいから席につけ』
『あははは! いかつい顔して一角ちゃんのお尻に敷かれてますね!』
時々世話の焼ける父と、重戦士と、他の冒険者たちと……血のつながりはないのに家族のように接することのできる宿が大好きだった。誰も疎まず、誰も疎まれず。この人の元に連れてこられてよかったと、今でも思う。
そんな父が、重戦士が外に出るから面倒を見てやれと宿を一つ用意したのが随分前のことに思える。話を聞いた時は、もう一人立ちの時期という意味だと思い、切なくも未来への展望というものを胸に抱いた。
でもそれは、一人前になったら父が褒めてくれるという思いもあった。
今、目の前には余りにも理想とかけ離れた現実がある。
ゴールドが気迫の一閃で赤い人型を斬るが、斬った部分が鋼鉄の剣に変化して刃が通らない。逆に人型は恐るべき速度で腕に持った剣を振るう。ゴールドは数度の剣戟の末、一瞬の隙を突いて剣と剣の隙間に刃を滑り込ませ、即座に敵を切り捨てる。
「くっ……この剣術、歴王国式だ!!」
「どーりで嫌らしい間合いの取り方してくる訳よね、雑魚なのに!!」
赤槍士の槍先に炎が集まり、槍の一閃と同時に横一線の灼熱の刃が飛ぶ。一体に直撃するが、その背後に隠れた数体が即座に前方に躍り出る。味方を盾にしたのだ。
「これも歴王国式!! 戦時中によく使われた戦法だ!!」
「推測。鉄血及びその部下から吸収した血液の情報を基に、鉄血の部隊を再現した可能性」
淡々と分析しながら兵士と兵士の間を縫って敵を切り裂くのはタレ耳だが、相手が純粋な人型ではないせいか、刃の入りが浅い部分は即座に再生している。タレ耳ちゃんはそれを見るや獲物の刃を刃渡りの大きなものに変更する。
「一つ一つの個体に高度な思考能力は認められない。母体とは別の司令塔の存在を示唆。該当可能性第一位――」
「言わんでもンなこと分かってるッ!! だが、いくら操られてるからってあの親父さんを斬っちまう訳にはいかねぇだろッ!!」
煙管から術を放って近づく人型を弾きながら別の術も行使中の桜が叫ぶ。最初は攻撃は出来ていなかったが、自動化というのをしたらしい。そんな彼の術でも決定打には至らない。
桜の言う通り、誰が司令塔かなど一目瞭然だった。
集団の中にあって一人だけ明確に人間であり、そして赤い人型を引き連れているのは、見間違える筈もない――生気を失った顔をした古傷だ。
自分の父が、自分の兄のような存在に操られて刃を向ける。
こんなのは、現実ではない。
夢だ。あんまりな夢だ。
「お父さん――お父さんッ!!」
「いっかく、前に出ちゃだめ」
雪兎が服のすそを掴み、体が止まる。
それでも叫ばずにはいられなかった。
「返事してよお父さん!! 目を覚ましてぇッ!!」
「無駄だ」
無常に、風を操る銀刀が告げる。
「ネイアンの支配は神秘術では解けない。支配の原理そのものが違う。意識の有無にかかわらず、体と脳が切り離される。再接続が出来れば話は別だがな」
「でも……そうだ、桜!! 桜なら――!!」
「これは、無理だ。少なくとも俺には……」
項垂れる桜に、思わず一角娘は掴みかかった。
「島で大勢の人の記憶を弄ったんでしょ!! 翠魔女さんも使えない凄い術を使えるんでしょ!! なのに、なんでお父さんの時だけダメなのよ!! 貴方また責任逃れのためにそんなこと言ってるんじゃ――」
「無理な理由を当ててやろう。ネイアンとしての指令と古傷の自意識が反発していないから、再接続に意味がないんだろう」
「……彼の自意識とネイアンとやらの命令の切り離しは何度もやった。だが、古傷が切り放しの術を妨害して振り出しに戻る。あのおっさん……自分から操られにいっている」
= =
『ずっと後悔してたんだ。何故あの日、あのとき、俺は逃げてしまったのか。何故一人だけおめおめ生き延びてしまったのか』
ポニーちゃんの元に、聞き覚えのある声が聞こえます。
この声は、古傷さんの声です。
『仲間は誰一人として残らず、敬愛する隊長は化け物に取り込まれ、その化け物もどこかに消えた。戦争が終わってしまえば歴王国への忠誠心も不思議と薄れ、俺は嘘の報告までした。残ったのは我が身一つと王国に黙って持ち出した折れた呪剣イータ、生き残り騎士への莫大な褒章……勲章……くそくらえだ。そんなもの欲しくもなかった』
誰に向けたでもない、独り言のような独白。
ポニーちゃんは試しに古傷さんの名前を呼んでみますが、聞こえている様子もありません。
『俺が求めたのは死に場所……戦後の職の中で最も死亡率が高いマーセナリーになって暴れた。死ぬような怪我で古傷は増えたが、騎士の性か戦争の杵柄か、死ぬことは出来なかった。隊長と死んだ仲間に恥ずかしくて、隊長の墓の前で自刃しようと思ったとき……のちの重戦士、ネイアンの変生体に出会った』
でも古傷さんはそれを仇として討たず、後見人になり、更には友人になった。
『殺そうと思った。何度も、何度も。でもそのためにはイータが必要で、イータの修復には余りにも時間がかかった。知ってるか……人質と長く過ごし過ぎた誘拐犯は、人質との間に絆が生まれてしまう。俺はいつしか、相手が隊長の命を吸って生まれた仇であるのに、本当に友人のように感じ始めていた』
そして今になって殺そうとした――そう思い、しかし、とポニーちゃんは思います。現役冒険者が相手でで、更には近くに銀刀くんがいるというシチュエーションは、相手を殺害するのに少々不確定要素が多いのではないでしょうか。
『別に成功しなくともよかった』
やけっぱち、失敗して当たり前の計画だった……?
いえ、まさか――!!
『言っただろう。死に場所を求めていたと』
――ば……馬鹿を言わないでください! 一角娘ちゃんを置いて一人勝手に死ぬなんて、保護者として余りにも身勝手が過ぎます! 死に場所なんて格好つけた言い方をしていますが、それは唯の責任放棄です!!
そう叫ぶと、しばしの沈黙。
やがて、古傷さんの声に明確な意識が宿ります。
『そうかい。ネイアンの支配下に置かれている俺と、ネイアンの加護を受ける嬢ちゃん……混線ってヤツだ。今更どうでもいいが』
――よくありませんッ!!
――貴方はどうやら死にたいらしいことは分かりました。理由も理解は出来ませんが納得はしておきます。しかし、その無責任さだけは我慢がなりません。
――ポニーちゃんには家族が一人しかいません。たった一人の姉がいない世界なんて想像もできないし、それぐらい大きな心の支えにして生きてきました。だからこそ今、自立して仕事が出来ています。
――昔、姉が食糧を手に入れる為とわたしを路地の奥に隠して行ってしまった事がありました。ポニーちゃんの記憶にある人生の経験の中で、最も心細かった瞬間の一つです。当時お金もなかった姉は、泥棒扱いされて怪我を負わされて帰ってくることもありました。それに、独りぼっちの女の子どもを攫って商売にする大人がいるとも姉に聞かされていました。
――もしかしたら姉は捕まって戻ってこないかもしれない。
――永遠に一人でこの路地に取り残されるのかもしれない。
――その果てしない不安の中で、姉が戻ってきたときの救われた感覚。
――血が繋がっているかどうかじゃありません。
――たった一人の家族とは、世界を変えるくらい重要な存在なんです。
――それを、自分は死にたいから後の事は知らない? 挙句、友達として接していた重戦士さんにそのいい加減極まりない態度は何ですか!! やるなら最後までやりなさい!! やれないなら、やれなかったことへの償いをしなさい!! 貴方はあそこで泣きながら父を呼ぶ女の子の悲痛な声が聞こえないと言うのですかッ!!
『嫌だよう、お父さん……置いていかないでよう……お父さんと重戦士さんがお話するテーブルに二度とお料理持っていけない明日なんてヤダぁ……!』
『っ、……』
古傷さんの意識が揺らぐのを感じます。
同時に、周囲の景色がまた一つ赤黒くなりました。
――古傷……部、下? 否、古傷は……敵、ではない。
『じ、重戦士……!? 何故指示を取り消す!? やめろ……戦わせろ!! 俺はもう終わりたいんだッ!!』
――古傷……俺の、誰の? 友達……約束。
『俺とお前は約束なんかしてない!! いいや、お前など知らない!!』
――懐古、記憶……一目見た時、俺は、この男を信用した。
――理由、不明。ただ、そう、思った。
『重戦士!! おい、くそ!! この化け物!! 隊長を殺した悪魔ネイアンの子がッ!! 人類の敵がッ!! 過去も名前も全部偽物の癖に、なんで……何で今更俺を憐れみ、殺さない!!』
口汚く声の主を罵る古傷さんですが、もはや声の主の決意は固かったようです。
――約束は、守る。だから俺が約束を守れるところを、見ていて……くれ。
その声は、か細くもはっきりとした意識を感じるその声は……重戦士さんのそれに相違ありませんでした。
直後、外の光景から人型が消失し、古傷さんが呪剣イータを取り落として崩れ落ちました。一角娘ちゃんが駆け寄ってその肩を揺さぶります。
『お父さん! お父さぁんっ!!』
『ネイアンから切り離された……無事だ!! 古傷のおっさんは支配されていない!!』
事態がほんのひとかけらだけ、好転しました。
古傷の独白:サバイバーズ・ギルト
別に俺だけの話じゃない。あの戦争で主戦場に立って生き延びた兵士の中で、少なくない数その手の連中はいた。歴王国の戦術は少数犠牲を切り捨ててでも前に進むものだったからな。そりゃいるさ。今も歴王国には記憶のフラッシュバックに苦しめられる奴もいるし、首を吊った奴だっている筈だ。歴王国はそれを表にはすまいがな。
嗚呼――ああ、畜生。
ごめんなあ、皆。ごめんなあ、隊長。
俺はあの日から、間違いを重ねてばかりだ。




