59.受付嬢ちゃんを助けなければ
真っ先に事態に気付いたのは、反則的権能によってこの場に起きるほぼすべての事柄を把握する桜だった。
「なんだ? 重戦士の様子がおかしい……固有神秘係数が崩れてる! いや、再構築? 散逸? 膨張!? くそ、何がどうなってる……全員備えろ!! 何か起きるぞッ!!」
一番反応が早かったのはゴールド。キャンプに際して手放していた剣を取りにテントに駆け込み、ついでに他の面子の武器や装備も引っ張り出す。
ほんの僅かに遅れ、タレ耳が武器を取り出して前に。雪兎はすぐさま桜の後ろに隠れる。軽業師が武器を出してポニーの方に走り、翠魔女が神秘術の発動用意。非戦闘員である一角娘が戸惑う中でなんとか全員が行動を起こした時には、既に遅かった。
「な……なんじゃ、あれはッ!?」
ポニーの元にいの一番に向かおうとしたタレ耳と軽業師の足が止まり、唖然と上を見上げる。
そこには全高30マトレはあろうかという剣が幾本も大地から突き出る、異常としか言いようのない光景が広がっていた。剣の根元には真っ赤な血液のようなものがゴボゴボと音を立てて噴出し、周囲に飛び散ることもなくその体積を増していく。
やがて二人は我に戻り、再度ポニーの安否を確かめに向かおうとして――。
「ポニーは無事だ! 遠隔神秘術でガッチガチに防衛してある! だから無暗に突っ込むなッ!!」
桜の言葉に、二人は苦々し気に状況確認という次善の優先目標に移る。
二人は、桜が過去にやったことに対していい感情を抱いていない。軽業師は王族としての教育を受けた身として桜の身勝手を侮蔑し、そしてタレ耳は現場を放り出して逃げた敵前逃亡者という信用ならない存在と受け取った。
そんな男をしかし、ポニーは責めもしなかった。
そして、一日もかからず一部とはいえ不毛の大地を緑化する程の術を行使する者がそうだと断言した以上、そこさえ疑ってかかるのは時間の無駄だった。
「とはいえ、唯事ではないぞ。凄まじい神秘の奔流を感じる……いけ好かぬ重戦士は? 銀刀と古傷はどうなっているのだ?」
僅か十数秒で見上げるほどに膨張したそれを軽業師がどう解釈するか迷っていると、どこからか放たれた風が檻となってそれを閉じ込める。液体さえ押しとどめる程の威力と精密性を持った、恐ろしく高度で強大な神秘術だ。術者を探したタレ耳が黒い羽を捉えた。
「銀刀、捕捉。空中にいる。対象を観察しているものと推察」
「では、古傷は……」
「状況は不明だが、希望的観測は捨てるべきと判断。そして重戦士は――」
タレ耳が、自分でも確信が持てないような声で告げる。
「あの刃全てから、重戦士に似た、しかし、少し違う匂いがする。この類似性を偶然と判断するのは早計」
「――いい鼻をしているな」
ふわり、と銀刀が舞い降りる。
全員が彼の言葉に傾注した。
「どうやらこれがエインフィレモスの言う『確定した事象』らしい。桜は話を聞いてたな? 重戦士の正体は、記憶のない状態で生まれた魔将だ。簡単に状況を説明するぞ――」
銀刀は淡々と、そして桜が深刻そうな顔でそれに補足しながら説明がなされ、その場にいる全員の顔が青ざめた。仲間が魔将で、正気を失って暴れており、そして中にポニーが取り込まれているというのだから。
「無事なのではなかったのか、桜!!」
「無事なんだよ!! 取り込まれてからも呼吸、脈拍、神秘係数共になんの異常もない!! いきなりのことで一時的に意識を失ってると見ていい!! 多分重戦士は……」
「婚約者のローと受付嬢のポニーの記憶が混在しているのだろう。どちらにも似たような約束をしたし、どうやらポニーはそもそもローと容姿が似ていたらしい。だから奴はこれまでもポニーを気にかけ、そして今はポニーを守っているのさ。敵が誰かも判別できないままな」
「そんな……重戦士……」
苦渋に満ちた顔で翠魔女さんが呻く。
このような状況、もはや何からどう手を付ければいいのか分からない。
「で、どうすれば重戦士さんは元に戻るんですか?」
閉塞した空気の中にあって、真っ先にそう言ったのは、小麦だ。
諦める気もなければ迷いもない、愚直なまでに信じる者の瞳だ。
「どんな姿になろうが重戦士さんは重戦士さん。契約が切れていない以上、忘れただなんてそんな話は通させません。パートナーの不始末は私の不始末……そうやって重戦士さんは何度も私の尻ぬぐいをしてくれました」
「でも……そもそもアレ、人の意識残ってんの?」
赤槍士が青い顔で見る先には、銀刀の術の中で未だ膨張を続ける真紅の塊。人格がある用には見えず、理性を持つようにも見えず、ただ無尽蔵な力の膨張を感じる。一体どこまで大きく成長してしまうのだろうか、あれは。
「残っていなければ新たに人格を獲得すればいいだけだ」
その悲観的観測にかぶりを振ったのは銀刀だった。
「エインフィレモスは『確定した事象』として奴の人格崩壊を予測したが、そこまでの話にポニーがいることによって筋書きが変化する部分は殆どなかった。つまり、奴の狙いは今のこの状況――すなわちポニーが最前列の当事者になる事だ。そして結果は変わらないということは、奴の暴走後の顛末も変わることはない」
その結論が、先ほどの人格の獲得に繋がるという事だ。
と、水槍学士が声をあげる。
「倒す、という未来は……一応確認しますが、ないんですね?」
「ない。というより、決着に年単位を要する上、本格的に暴走すればアレはどの国で何をやらかすか予想出来ん」
「――戦役の英雄であり、どういう理屈か今も若さを保っている貴方でも、ですか?」
「そうだ。あれは倒すこと自体は無理ではない。しかしどんな戦い方をしても倒すのに長い時間が掛かる」
自分が二代目ではなく初代銀刀であることを指摘されても、銀刀は特に反応は示さなかった。数人は驚いていたが、半数は驚かない。英傑の一人である慈母が年を取らないこと、鉄血と思われた重戦士も年を取ってないこと、余りに当時の事情に詳しすぎることから、知識人たちは予想がついていた。
そもそも、二代目というのもポニーが確認したときに銀刀が面倒くさそうに肯定したのが始まり。事情を説明するのが面倒でそういう事にしておいたのだろう。
銀刀は少し考え、周囲を見回す。
「奴は人の形を失っているが、実際には取り込んだ膨大な情報がほどけてしまっただけだ。忘れた訳ではなく、情報を纏める人格が機能不全を起こしている状態になる。あの膨大な血液も、ネイアンが取り込み、そして重戦士となった奴も戦いの中で無意識に取り込んできたあらゆる生物の血液を支配下に置いたもの……人格が戻り、自分の形を意識できれば膨張は収まる」
「質量保存の法則が息してないな」
「魔将の強力無比な能力は、神秘的優先権と言っていい。基本的に常識は通じない」
「まぁ見れば分かるけどさ……」
桜が遠い目で重戦士だったそれを見つめ、変生したらスライムだった件、とか血中の鉄分で剣を精製とか無限の剣なんちゃらか、とか呟く。
「奴に人格を獲得させるには、奴自身に自分が心を持った存在だと思い出させる必要がある。戦っているのではむしろネイアンの特徴が色濃く前に出てしまう。だから全員で説得する」
「せ――」
「説得ぅ!?」
「内容は何でもいい。とにかく重戦士に言いたい事をありったけぶつけまくれ。援護は当然してやるさ」
「つまり、ポニーが説得で重要な役割を果たす流れ……最後には愛が勝つと!?」
「ごめん銀刀。赤槍士は思春期だから……」
「真面目な話だっつの!!」
「愛でも憎でもなんでもいい。奴が誰なのかを奴自身に教え込め」
こうして、方針は決定した。
唯一人、父の安否が知れない一角娘だけは希望を持てないまま。




