44.討伐戦:vs海淵の想魚! 前編
討伐隊は既に討伐を終え、見落としがないか周囲を偵察しながらの撤退を始めていた。
その部隊の一つ――若人実力者組のゴールドが異変を察知したのは、町で桜が雪兎の異変に気付き駆け出して間もなくのことだった。
「――ああチクショー!! 町に着いた頃には神秘スッカラケッチだぞ、アタシ!!」
「世話になった町とポニーちゃんがどうなってもいいってのか君は! 見下げ果てた下衆だな!」
「ポニーの犠牲の下に成り立つ平穏など要らぬわ! もっと早う飛べ!!」
「分かった分かってるよクソッ!! 金より手間より人命優先してやるよぉっ!!」
赤槍士、ゴールド、軽業師の三人は、今現在空を飛んでいた。
具体的には赤槍士の二槍の端から炎を凄まじい勢いで噴出させ、その推進力で飛んでいる。ゴールドと軽業師はそれにしがみ付いているのだが、赤槍士は何故か腕を組んで仁王立ちの構えで槍に乗っている。当人曰くこれが一番安定するのだそうだ。
きっかけは、ゴールドが桜から渡されていた連絡用神秘道具――と桜が言い張ったが周囲には唯の用途不明の箱にしか見えなかったものに、文字が浮かび上がったからだ。
――魔物が町に侵入――
――雪兎が避難所を抜け出した――
――ポニーがそれを追いかけた――
――急いで戻ってこい――
極めて簡潔に、極めてデンジャーな事が告げられ、ゴールドは赤槍士をほぼ脅しに近いレベルの懇願で空を飛ばさせたのだ。軽業師もポニーの名を聞くや否や強引に槍に捕まり、赤槍士は普段一人分の出力で飛行する術に三倍以上の力を籠めていた。
と、軽業師が叫んだ。
「何ぞ!? 町の近くの川に巨大な水塊が浮いておる!! 中心にいるのは魔物か!?」
遅れてそれを確認した赤槍士とゴールドは絶句する。
川に沿った場所に合計で三つ、巨大な水の塊が川から水を吸い上げて浮いているのである。ゴールドが双眼鏡を取り出してよく見ると、水の中心に十数マトレの魚とも竜とも知れない生物が胎児のように体を丸めている。
空中に浮かぶ水塊とその中で瞳を閉じる魔物。
その威容は見る者の心を不安にさせるほど現実感が欠如している。まるで想像の中に登場する怪物のようだ。もしも纏う水が術として押し寄せてくるなら、その大質量は瞬く間に町を廃墟に変えるだろう。
「中心の魔物が神秘術を使って水をかき集めてんの!? あんなのが町に入れば町そのものが水没しちゃうわよ!!」
「ええい、この忙しい時に……万魔侵攻とは明らかに別口であるか!?」
「だろうね! どう見ても水棲の魔物……それも危険度高いぞ!!」
万魔侵攻は地上の超巨大迷宮から発生する関係上、大型の水棲魔物は発生しない。普通に考えれば川の上流か下流のどちらかから町を襲いにやってきたのだ。しかも、あれだけ大型の魔物が複数、わざわざ己のテリトリーから外れてまで来るなど異常事態だ。
ゴールドは周囲を見回し、更に厄介なことに気付く。
「一匹は翠魔女さんのチームの撤収ルート、もう一匹は小麦さんの部隊の撤収ルートに重なってる……俺は頭がおかしくなったのか!? こいつら万魔侵攻を利用して計画的に町を潰す気としか思えん!!」
「ちょっと! もうムリだって!! 迂回とかは出来なくはねーけど、もうあんな規模の水がぶちこまれるかもしれない町に入ってどうしようってのよ!!」
「ならばあの化物を殺せばよいだけのこと!!」
「バッ、本当に本気なの!? その辺のザコと違うんだよ!? 本気で死ぬんだよ!?」
赤槍士が声を荒げた。
身の丈に合わない冒険はしない。雇われに限らず全ての冒険者の生き残る鉄則だ。敵の魔物は未確認の存在だが、明らかにこの場の三人では実績が伴わないと感じる程の存在感を放っている。あれは間違いなく討伐部隊を組むか最上位冒険者に依頼する規模の魔物だ。
ゴールドも戦いたい気持ちはありながら、理性ではそのことを分かっている。勝ち筋のない戦いに挑むべきではない。ましてこれは退魔戦役の始まりという訳ではないのだ。仮に町が壊滅したとして、今度は隣町に状況を知らせる義務が生まれる。
葛藤するゴールドより先に、軽業師が怒鳴った。
「無礼るな!! そもそもここまでの移動に貴様の槍を使ったのは、妾の移動法より『少しばかり』速かったからに過ぎぬ!! 刮目するがいい、氷国連合盟主に連なる『国潰し』の力に……!!」
言うが早いか、軽業師は槍から手を放し、全身に膨大な神秘を纏う。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
膨大な神秘を取り込んだ彼女の体が、変異する。
狼の耳が、大型化する。
普段は動物のそれと変わらない尾が一マトレ近く肥大化し、しなる。
メキメキと音を立てて爪と犬歯が反り出す。
皮膚がどこか神秘的な白を纏い、浮世から遠のく神々しい姿へと変化していく。
――噂には聞いたことがある、とゴールドは息を呑む。
氷国連合の戦士たちは、通常では取り込めない程の大量の神秘を以てして、戦闘時に『変身』すると。
「――氷国連合第二十八皇女、白狼皇女ッ!! いざ、参るッ!!」
閉じていた目を見開いた彼女の両眼は、黄金色の燐光を放っていた。
「軽業師が……皇女ぉッ!?」
「国潰しの一族……ッ! 道理で尊大な!」
軽業師――白狼皇女は足から噴き出す神秘を水の術を応用して推進力にしているのか、足の裏から白い霧のようなものを噴出して空を飛んだ。瞬間的には赤槍士を上回る程の速度で飛来した彼女の右腕の爪に、嘗てゴールドとの組手で披露した『氷燕斬』の数倍はあろうかという冷気が凝縮される。
「飛燕斬・五爪裂華ァッ!!」
ギュバァッ!! と大気を切り裂き、五本の冷気の刃が敵の魔物に飛来した。
『――ァァァ』
ぎょろり、と宙に浮かぶ魔物の瞳が見開かれ、纏う水からいくつもの水柱が発射されていく。
水柱は冷気の刃と衝突し次々に凍り付く。直撃すればあの巨大な水塊さえ全て凍り付く勢いに、ゴールドはもしかしたらと期待した。
しかし、氷が魔物に近い場所から水に変換され、再び白狼皇女を襲う。
「ム!」
白狼皇女が両手を掬い上げるように振ると、冷気の突風が舞い起こり、無数に枝分かれして迫った水が一瞬で凍り付く。魔物のやり方を真似るように氷を利用して反射させ、魔物に殺到させる。これもしかし、魔物に近づいた途端に水に戻る。
「ムム……負けはせぬが、勝てもせぬ。どうすればよいのじゃ?」
あのサイズの魔物相手に互角とは、組手の時に「本気を出していない」と言った意味が嫌というほど理解できる。本気になった彼女相手にゴールドが挑めば、剣の間合いに入る前に一方的に氷漬けだ。
その力が規格外すぎるが故、本気で戦えば「国が潰れる」。
故に氷国連合の皇家は「国潰し」と呼ばれている。
その国潰しの一族である彼女を以てして勝てないと言わしめる怪物に、何の対策があるというのだろう。ふと、赤槍士が考え込んでいるのに気づいたゴールドは声をかける。
「……………」
「赤槍士、きみ、なんか考えがあるのかい?」
「ないこたぁ、ないけどさ。しょーじき思い付きっちゅーか、確たるものはないっちゅーか」
「何でもよい、聞かせよ」
地表100マトレの空中に瞬時に氷の足場を構築した白狼皇女が急かす。赤槍士はゴールドと共にいったんその足場に乗り、自信なさげに話に耳を傾けた。
「あいつさ、明らかに本来はいない場所に無理に出てきてると思うんだよ。考えてもみなよ、水を操る魔物だったら水の中に居た方が安全でしょ? なのに今は川の上に浮いて、川から水を集めて、しかも軽わ……皇女様が距離を取ると手も出してこないし」
「軽業師のままでよい。しかし、そうさな。町を潰すのが目的ならばとっくに動いている頃合いであるのに、連中は動かぬ。足止めと威容による戦意の低下でも狙っておるのか? なれば魔物に指示を下す頭がいても可笑しくないが……」
「それこそないって。魔物の頭、魔将だったら容赦なく町を滅ぼしてる。ともかく、あいつらは自分の土俵ではない場所に居させられてるんだ。だったらここの三人が死ぬ気で頑張ればギリ行けんじゃないかなー……などと」
実に歯切れが悪いが、理には適っている。
軽業師とゴールドは目を合わせ、互いに頷く。
ここは彼女の策に乗るべきだ、と。
(そんなに期待されても困るんだけどなー。あーあ、何で口に出しちゃったかなぁ、あたし)
二人の視線に思わず身じろぎする。
本当に、自分は何をやっているのだろう。
流されて二人を運び、そして今度は流されて助言をしようとしている。
適当な出まかせを言って一人逃げ出すことも出来なくはないが、ゴールドの視線がどうしても気になってしまう。疑うこともなく真剣に耳を傾ける、あの成金男が。
(アンタだけは知ってる筈だろ。あたしが信用すべき相手じゃねーことくらいさ……)
このギルドの誰も知らなくとも、彼は知っているのだ。
なのに何も言わない。時々嫌味ったらしくぼそっと探りを入れては来るが、周囲に正体を明かすことは一切していなかった。
それが赤槍士には分からない。
歴王国の人間なんて、どいつもこいつも卑怯者だと思っていた。
そんな卑怯者を貶めることに、赤槍士は快楽さえ覚えていた筈だ。
(二年前のあの日、こいつに偶然出くわしてマッチなんか売らなきゃよかったのに……)
あの一件以来、ゴールドと赤槍士の間には因縁とも運命とも知れない奇妙な縁が繋がってしまった。本来相容れない存在の筈なのに、気が付いたら彼の存在が人生にちらついていた。
(ええい、今回だけだぞ。つーかむしろ借りだ。ぜってーいつか返してもらうからな!)




