43.迎撃戦:vs邪法の怪鳥!
見慣れた町の、見慣れない姿。
喧騒と雑踏の消えた道。
「ぜはっ、ぜはっ……このクソ肺がぁッ!!」
切れ切れになる息と体力を煙草にたっぷり含まれていた有害物質のせいにし、足に気合を入れて走り続ける。この世界に来て煙草を吸わなくなってからどれだけ時間が経っただろう。最初の頃は無意識にいつも胸ポケットを探っては苛々していたというのに。
ニコチンとタールのない世界は地獄なんて言葉もあったが、なければないで人は生きていける。住めば都、タブレットでネットニュースを見れなくとも必死に生きれば順応していく。
それでも桜にとって、身近な人間の死という代物は未来永劫受け入れがたいものだと確信している。
この世界は、命が軽い。
もちろん人殺しは重罪だ。葬式があれば人も泣く。
死別による心の傷が癒えない人なんて珍しくもない。
それでもこの世界は、理不尽なまでに人の命が狩られていく。
市販の風邪薬で助けられるような命が母親の手から零れ落ち、熊より大きく凶悪な魔物が油断した冒険者の肉に齧りつき、そして個々の死は悲しくとも世界の死の数は減る様子もない。それが当たり前の世界だ。あの優しいポニーさえそれを受け入れている。
そのたびに桜は、己の世界との差異に苦しみ、苛まれる。
愚かで傲慢にも、何も無くしたくないと思ってしまう。
「ハァッ、場所……ッ! 面倒事のオンパレードじゃねえか!!」
二人の周囲を把握するために『網』を広げたことで、厄介な事実ばかり浮かび上がる。
まず、雪兎の移動はゆっくりになった。逆にポニーの移動速度は少し上がり、確実に彼女に近づいている。いっそ追跡用にあんなネックレスを渡さなければ彼女まで危険な場所に出てこなかったのではないかとさえ思い、毎度肝心なところで空回る己の低俗な予測能力に嫌気が差してくる。
ポニーを追う冒険者が四名。ランク的には中堅一人とそれ以下三名。そこいらの雑魚魔物なら何の問題もない。しかしポニーたちの近くに先ほど空から襲来した魔物の一羽が接近している。
おまけに雪兎の近くに桁違いの反応が二つ、細かな反応が三つ。強力な力同士はぶつかり合っているが、どっちが敵か、或いは両方敵なのかすら分からない有様だ。双方人間ではあるらしいが危険度にして12オーバー、余波だけで町が滅んでも可笑しくない。
「ハァッ、ハァッ……なんにせよ、敵とも味方ともこんだけ離れりゃ多少は移動速度を上げる神秘術使うか!」
一応は転移魔法も存在するが、どうも自分を一度情報体に分解して別の場所で再構築するものらしく、使えば今の自分が死んで転移先で複製されているようで恐ろしいから使っていない。直接的にワームホールを開ける術もあるが、出口と入り口の二か所に大きな神秘術の力が収束されるために神秘の流れに精通している人に勘付かれる。
こんな時になってもわが身が可愛い自分が情けない。渡したネックレスには守護の神秘術という保険をかけてはいるが、先ほど何者かが殺したチゴリウスのように術に長けた魔物が相手では安全とは言い難い。そして今町に降りた6羽の魔物全てが神秘術使いと推測される。
速度を上げると言えば風が定番だが、別に推進力だけが速度の向上につながる訳ではない。例えば代表的な手段として、摩擦の軽減がある。スキーやソリから、車輪のついた乗り物だってそうだ。地の神秘術で体に角度と推進力、摩擦を無視する移動法を付け加える。魔法のセグウェイだ。
だが、術を使って移動を始めた途端、近くにいた魔物が急接近してくる。
「グゲエエエエエエエエッ!!」
東南アジア風の民族衣装を思わせる、鳥頭に翼と融合した手の亜人種。随分と汚らしい声で喚く魔物が両手に握った杖のようなものがこちらに向けられ、土の動きが悪くなる。
怒り――純粋な、いつ以来抱くかも分からない激情が桜の腹の底から湧き出す。
「邪魔してんじゃ……ねぇえええええええええええええッ!!!」
それは、死への恐怖を遥かに上回る膨大で純粋なエネルギーとなって、本来は危険度6相当に当たる筈の魔物を極光の中に消し飛ばした。
= =
突如現れた魔物の威容。
曲がり角でいきなり出てきた鳥を、ポニーちゃんは死の物狂いで突き飛ばしました。
「グゲエエエッ!?」
鳥は当たりどころが悪かったのか首がガクリと曲がって怯み、その隙にポニーちゃんは強行突破します。どうやらくちばしが大きすぎて首の頑強さが足りていないようです。
「意外と打たれ弱い!? なら一気に!!」
「ゲゲゲェェェェェッ!!」
踏み込もうとした瞬間、鳥の手に持つ杖が光り、水柱が立ち上ります。水の一部が近くの民家を下柄ごっそり抉り取りました。一撃でも受ければはるか上空に跳ね上げられて落下死する威力です。推定危険度6相当、この場の冒険者さんたちでは厳しい相手だと直感します。
「なっ、こいつ水棲の魔物でもねえのになんて力使やがる!!」
「だがこっちに気が逸れた……! 俺らじゃ厳しそうだから上手いこと誘導して防衛線の連中と一緒に仕留める!!」
「ポニーはどうするんだ!?」
「今合流したって俺らで守り切れんッ!!」
構いません、行ってください!
ポニーちゃんは雪兎ちゃんを確保したら何とか近くのシェルターに向かいます。幸い町に侵入した魔物の数は少ないですし、なんとかして見せます!
「クッ……無茶し過ぎなんだよお前さん!! 死んでたら冒険者一同許さねぇからなぁッ!!」
もうここまで来れば雪兎ちゃんを意地でも助けなければなりません。震え始める足を殴りつけ、疲労に喘ぎながらポニーちゃんはまだ走ります。
ポニーちゃんは雪兎ちゃんの笑顔を見たことがありません。
雪兎ちゃんは感情の起伏はありますが、笑ったり微笑んだりしません。それが余計に小動物的な可愛らしさを帯びていますが、桜さんやゴールドさんでさえ微笑む彼女を見たことがないそうです。
きっと雪兎ちゃんの笑顔は可愛い筈です。なのに、それを見ることもなくお別れするなんて悲しすぎます。寂しすぎます。雪兎ちゃんには笑って、泣いて、いつか好きな男の子が出来たりする、そんな人生を送る権利があります。
雪兎ちゃんのところまであと少し――!
力を振り絞ったその時、ポニーちゃんの目の前に真っ赤な光が広がりました。驚いて足をもつれさせ、地面にびたーん! と叩きつけられると、真っ赤な光が倒れた自分の上をゴウッ!! と通り過ぎたのを感じます。
起き上がって振り返ると、後ろにあった広場噴水が粉砕され、破壊された面が赤熱しています。転んでいなければポニーちゃんは骨すら残らなかったでしょう。つまり、これは攻撃です。
「クク、クケケケケケケ!!」
目の前に、絶望がいました。
町に侵入した同種の魔物。
一匹を退けた先にいる、今度は偶然の通らない一匹。
紫術士の一派に捕まった時のような恐怖はありません。
ただ、自分は死ぬだろうという漠然とした意識が浮かびました。
魔物は勝ち誇ったような鳴き声を上げ、両手の杖に炎の神秘術を纏わせていきます。転んだポニーちゃんも必死で体を起こそうとしますが、このままでは間に合いません。
ここまで頑張ったのに女神エレミアは何もしてはくれません。先ほどのアサシンギルドの子供が言ったとおり、神頼みには意味がなかったようです。
それでもポニーちゃんは最後まで諦めたくなくて、叫びながら炎を睨みつけました。
非力なポニーちゃんに戦いなんて出来ません。
都合よく戦いの神秘術を覚えてもいません。
ポニーちゃんは人より努力が得意なだけの、ただの非力な受付嬢です。
だから、理不尽な事に対しても必死で生きてきたのです。
この気持ちだけは、最後まで嘘にしたくありませんでした。
目の前で膨張していく炎の塊は、やがて――。
「討伐対象確認……始末」
物陰から突如現れたタレ耳ちゃんが魔物の首を出刃包丁で、心臓を牛刀包丁で刺し貫きました。燃え盛る炎塊はただの炎のまま霧散し、魔物は悲鳴すらなく静かに崩れ落ち、そのまま動かなくなりました。
包丁に付着した返り血をビュッと払ったタレ耳ちゃんは、口元にマフラーを巻いて普段と違う戦闘を前提とした装束に身を包んでいます。ポニーちゃんはまたタレ耳ちゃんの姿に既視感を覚えましたが、口を開くより先にタレ耳ちゃんが包丁を腰のベルトに差して口を開きました。
「自らに頼れと要求したにも関わらず先に死亡しては、要求の意味が消失する。一方的な戦線離脱は……容認できない」
ポニーちゃんはその言葉を無視して、避難しててと言ったのに何で出てきたの! と叱りながら彼女の手を引っ張って雪兎ちゃんの方へ向かいました。こうなったらタレ耳ちゃんを連れて雪兎ちゃんも回収するしかありません。
説教も質問もしている暇がありません。ポニーちゃんの仕事はタレ耳ちゃんの戦闘能力を測ることではなく、冒険者でもないタレ耳ちゃんが戦闘に参加することがないよう避難誘導すること。今からもとの避難所に一人で戻すのは遠すぎました。
「……理解不能。ポニーの戦力分析能力には致命的な欠陥が存在すると指摘」
タレ耳ちゃんは非常に不満そうな顔で、しかし素直についてきました。
変な女だ。
こちらがその気になれば手を振り切って包丁で刺殺することが可能だと認識している筈なのに、恐怖も動揺もなく当方を誘導するという。戦力分析だけでなく危機管理能力にも致命的な問題が存在するとしか考えられない。
それとも、ポニーにとってそれは重要ではないのだろうか。
ポニーもまた、ギルドの命令に絶対遵守の存在なのか。
しかし、同じではないような気がした。
根拠はない。論拠もない。だから判断は出来ない。
それでも、ポニーと自分はきっと、同じではない。
ならば、何が違うのかを知るために、自分はポニーを護衛する。
それが恐らく、自分に課せられた任を全うすることに繋がるから。




