40.討伐戦:vs纏氷の巨亀!
重戦士はギルドから借りた馬に跨り移動していた。
今日、この町に古傷がやってくる予定であったため、街道沿いの迎撃にかこつけてそちらへ向かう冒険者の指揮を執ることになったのだ。人間に指示を飛ばす立場になど殆どなったことはないが、不思議とやって出来ない気はしなかった。
古傷は恐らく定期便の馬車を利用している筈だ。万魔侵攻の発生ルートと馬車の時間を重ねると、恐らく足止めを食っているか巻き込まれているかのどちらかだろうと重戦士は読む。でなければ、いい加減にすれ違っても可笑しくはない。
古傷とて歴戦の勇士だ。多少の魔物は自力で何とかするだろうが、万が一にもここで死なれては困る。それは、親代わりという立場でありながら戦友のように接している彼と理不尽に別れたくないことと、真実を彼からまだ聞いていないことの二つの理由によるものだった。
しかし、彼の続く冒険者たちを乗せた馬車に速度を合わせる関係で全速力とはいかない。しかも御者の一人が素人らしく、左翼の馬車が遅れている。
「……左翼、遅れているぞ! もっと馬に鞭を入れろ!!」
「え、でも鞭入れたら可哀そうじゃないですか?」
「馬の皮膚は分厚い! 武器ならともかく鞭程度で馬が痛がるか!」
「は、はいぃ!!」
御者が鞭を入れると馬は更に加速する。そもそも馬用の鞭で馬が傷つく訳がない。そんなことも分からないのか、と内心で嘆き――そして気付く。
(……そんなこと、『俺も知らない筈』なんだがな)
これまで、重戦士は学んだり経験したことのない筈の事を行うのに疑問をあまり覚えなかった。失う前の記憶に関係があるとは思っていたが、意識をしていなかった。しかし、度重なる不自然な出来事、知らぬはずの人間に知った風な言い回しをされたこと……小さな不審感が重なっていった重戦士はやがて、自分の正体を知りたいと思った。
ここに来て、周囲の状況が大きく変わり始めている。
今、重戦士は自分が真実へ向かっている事を直感的に感じていた。
だから、今だけは魔物から何も奪わせる訳にはいかない。
と、前方に土煙が確認できた。群れの規模としては恐らく完全にばらける少し前といった所だろうが、その方向は道沿いに町へ向かっていた。万魔侵攻の魔物は分散を終えると集団行動を止めて解散したのち、野生化する。ここまで人里に近い場所でばらけてしまうと迎撃しきれない。
少し考え、町方面へ冒険者たちで防衛線を敷くこととする。魔物被害は気になるが、町と人命には代えられない。
「群れを発見!! 馬車速度落とせ!! 町方面に魔物を通さない為、ここで挟撃しながら追跡する!! 一人は俺の馬を使って町に群れが侵攻してくることを伝達!! 迎撃準備を整えさせろ!!」
「り、了解! 重戦士さんは!?」
「正面から突っ込んで先頭の魔物を墜とす! あれは恐らくアクーパルスだ!!」
「なっ、難度十一の魔物じゃないですか!! そんなもの町に入れたら一巻の終わりだ!!」
「だから、俺が抑えると言っている。通り過ぎた魔物どもを任せるぞ!!」
状況は良くない。古傷の安否も不明だ。それでもやれる限り最善の事をする。
(重戦士さん、まるで軍隊みたいに慣れてるな……普段の物静かなときと全然印象が違う)
(そりゃまぁ、あれじゃないか? ホラ、恋は人を変えるってヤツ)
(え? それって小麦さん? それともポニーちゃん?)
(知らねえよ馬鹿。それより魔物が来るから気持ち切り替えろ!!)
魔物は群れでいるうちはあくまで直進し、その障害を押しのけ、踏みつぶすことしか考えない。故にその障害となって相手を押し留めれば、最大の突破力を持つ魔物を群れから引き剥がせる。
特にアクーパルスだけは通す訳にはいかない。
アクーパルスは巨大な亀形の魔物だ。甲羅の大きさは20マトレ、高さも10マトレ近くあり、頭と尻尾を合わせれば長さ25マトレに及ぶ超大型魔物だ。鈍重そうな外見に見合わず水の属性を応用することで滑るように移動し、陣を打ち崩してくる。
第二次退魔戦役の終盤に於いて突如出現したこの魔物たちは、鉄鉱国の大砲を受け止める頑強な甲羅を利用して火線を抜け、体に張り付けた氷の籠から詰めた魔物を歩兵の前で一気に解き放つ『タートルボーン』と呼ばれる戦術で超国家連合を苦しめた。
ただ、鉄鉱国はこれに対し即座にワイヤーネット弾、トリモチ弾、超熱弾などアクーパルス対策の弾頭を次々に生み出し、アクーパルス自身の攻撃手段の少なさも相まって装備さえ整えればどうとでもなる相手と認識された。
故に危険だが最上位ではない、難度十一となったのだ。
しかし、魔物の群れに向けて疾走する重戦士はすぐさま気付く。
アクーパルスの外見が、あの戦争で見たものと違う――。
「――見たことはない筈だが、便利な記憶だ。知識だけはすぐ浮かんでくる」
その調子で全て思い出せれば楽でいいものを、と思いながら剣を構える。
記憶にあったアクーパルスに比べ、眼前に迫るアクーパルスは明らかに甲羅の形状が違う。より大きく、そして白くなっている。恐らくあのアクーパルスは戦時中より進化しているのだ。その進化の方向性は不明だが、厄介になっているとみていいだろう。
バリリ、と音が鳴る程に歯を食いしばり、水の道を形成して迫る超高速の巨体に向けて下から振り上げる剛剣をお見舞いする。
「ぬぅぅああああああああああああッ!!!」
ゴギャアッッ!! と音を立て、大砲をも受け流す巨体が上向きに傾く。その隙を逃がすまいと重戦士は重装の鎧に見合わぬ高さまで跳躍し、アクーパルスの甲羅に覆われた腹を蹴り飛ばした。威力に負けたアクーパルスの膨大な質量が後方に向けて転がり、タートルボーンで湧き出る筈だった魔物たちが押し潰されていく。更に中心のアクーパルスが止められたことで魔物の群れが二つに分裂し、待機させていた冒険者がより数を削りやすくなる。
「マジか、そこまで計算づくではっ倒すのか……」
「あれがギルド最強……って言ってる場合じゃねえ!!」
「同士討ちだけはすんなよ!! 迎撃開始ぃぃぃーーーーッ!!」
弓、槍、術、数銃の一斉掃射が魔物を次々に打ち倒してゆく。その亡骸を踏み越えて魔物は次々に雪崩れ込んでくるが、アクーパルスが止められた今となっては手に負える雑魚ばかりだ。更に彼らの追撃を抜けた先には町の前に防衛線を敷く冒険者たちの狙撃と罠が手ぐすね引いて待っている。
重戦士は、翠魔女や小麦のような超広域破壊手段を持ち合わせていない。しかし、彼は特殊な術や特殊な武器を使っている訳でもなしに、巨大な魔物を吹き飛ばす圧倒的な実力を持っている。それでいて、周囲の戦える環境を整えるだけの予測能力も然りだ。
それほどの傑物が自分たちと共に戦っている。
その事実が、指揮下の冒険者たちの心に火を灯す。
「前は重戦士さんが抑えてくれてんだ!! 俺たちゃ雑兵を徹底的に蹴散らすぞ!!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」」
重戦士を信用した冒険者たちは、この場を任せて全員が追撃に当たる。
それでいい。
余り、己の戦いを見られたくはない。こと格上の魔物は特にだ。
この調子なら後ろは任せていいな――重戦士がそう思うと同時、蹴り飛ばしたアクーパルスが水の神秘術を利用してひっくり返った体を起こし、再度突進してくる。頭部を格納して蓋を閉じた大質量の突進。先ほどよりそれは早く、しかも甲羅に先行して水の絡め手たちが無数に飛来して重戦士の態勢を崩そうとする。
「無駄だ」
重戦士はその大剣を肩に担ぎ、みしっ、と地面を踏みしめる。
気合、一閃。
地面を踏み砕く程の踏み込みと共に加速した重戦士の剣がアクーパルスの甲羅に激突し、白い甲羅が砕け散った。破片が全身の鎧を叩く。
「――なんだと?」
驚愕。
剣を叩き込んだ瞬間、確かに甲羅は砕け散った。
しかし砕けた甲羅を見て重戦士はやっとこのアクーパルスの危険性を再認識した。
剣が甲羅で止まっている。否、砕いたものの下に、更に甲羅がある。
「氷の甲羅……敢えて砕けさせることで衝撃を分散させたか」
砕け散った氷が空中で刃となり、瞬時に重戦士の全身に殺到する。
すぐさまガードするが、鎧の関節の隙間を縫って刃が侵入する。
「……ッ!!」
傷口の内部に侵入した氷が内部で枝分かれし、関節が破壊される。咄嗟に右手は強引に腕を捩じって氷をへし折ったが、左腕の鎧の隙間から鮮血が噴き出した。足もやられ、鎧の隙間から血が滴る。あらん限りの力を込めて右手の腕力だけで剣を振るってアクーパルスを弾き飛ばすが、砕けた氷の甲羅を再び纏っていたため思うほどは吹き飛ばせなかった。
しかし重戦士は焦ることなく分析する。
氷の砕け方は、剣の威力で割れたにしては激しすぎる。まるで勝手に砕けたようだ。実際、砕いた瞬間にそれなりの速度の破片が鎧を叩いていた。
(小麦が言っていたな。反応装甲、というやつと同じ原理か)
小麦曰く、戦艦などの外装には敵の攻撃を受けた瞬間に自ら爆発することで本体への衝撃を抑える技術があり、それを反応装甲というらしい。何故知っているかと言うと、重戦士用の鎧にその機能を付けないかと言われたからである。もちろん人間にそんなものを付ければ爆発の衝撃で中身が死ぬに決まっているのだが。
あの氷も同じように、衝撃が加わると破裂する仕組みなのだろう。
破裂によって衝撃を分散しながら破片で攻撃も可能。しかも氷で出来ているため砕けても瞬時に再生可能。非常に合理的な技術である。
そう、技術だ。アクーパルスの体そのものは変化せず、ただ攻撃手段と防御手段が高度に運用されるようになっただけ。これは新種でも何でもない。にも拘わらず、まるで人間がより効果的な力の運用を教え込んだかのようにアクーパルスは強くなっている。
魔物は時折、こういうことがある。ある一定時期から突然進化するし、新種もあるとき突然出現する。そのたびに多くの人間の血が流れ、失われた命を糧に対抗手段が再構築されている。
(ならば尚更、ここで殺さねば)
爆発で衝撃を逸らされるなら、逸らせない程に速く、重く、鋭い一撃を以て葬るしかない。重戦士はほぼ無意識に、戦いを始めた頃から最も得意であった構えを取る。
肘が使い物にならない左手を無理やり持ち上げて両手で剣を構えて肩にかけ、左足を前に、右足を後ろに。アクーパルスが再度距離を取って氷の弾丸と絡め手を形成する方へまっすぐに顔を向け、低く低く腰を落とす。
灼けるような熱い鼓動が、心臓を通して全身に送り込まれる。
氷に貫かれた足から血が噴出するのも構わず更に力を構えた重戦士は一度目を瞑り――見開いた。
「我、魔ヲ屠ル一擲ノ刃ナリ」
いつ、誰に言われるでもなく本気の刃を放つときはいつも口を突いて出る。その言葉を発した瞬間だけ、重戦士の心は命に代えても敵を打倒する鋼の闘志を帯びる。そして言葉を発したその時には既に、重戦士は全ての攻撃より一瞬早く、アクーパルスの眼前にて叩き下ろすように荒々しく剣を振りかぶっていた。
「ちぇあああアアアアアアアアアアッッ!!!」
咆哮、一撃。
音を置き去りに放たれたその一撃は、氷と甲羅を貫通してアクーバルスの全身を両断し、衝撃の余りアクーバルスの体から鮮血が噴出した。それでも尚止まらぬ衝撃が大地を100マトレに亘って切り裂き、風圧が鮮血を空に巻き上げる。
降り注ぐ血を浴びながら暫く佇んだ重戦士は、ゆっくりと視線を下に降ろす。
そこには、『自分の流血も魔物の返り血も、何一つ残っていない綺麗な地面が待っていた』。
重戦士の腕は元の形状に復元されている。両足もだ。鎧の中を伝った筈の血の感触は全てなくなったどころか、最初にアクーパルスに圧し潰された魔物さえ水分を失った木乃伊になっている。その光景を感慨のない瞳で見つめた重戦士は、やがて吐き捨てるように呟く。
「矢張り、悪化してきている。己の首が両断されるまでこのような異常に気付かなかった俺は、余程の阿呆なのだろう」
小麦はこの真実を目撃している。水槍学士も知っている。
それ以外は恐らく、古傷にしかこのことは話していない。
ふと、もしこの光景をポニーが見れば「化け物」と罵るだろうか、と思った。
「……そろそろ、距離を置いた方がいいのかもしれんな」
自分の事を化け物呼ばわりはされて然るべきだと思う。
しかし重戦士は不思議と、その言葉が傷つけるのは自分ではなくポニーであるような気がした。
「……?」
不意に、何かの気配を感じて空を見上げる。
そこにいたのは――数十羽でV字飛行する魔物と思しき巨大な鳥の群れだった。
あれほどの群れを平原国で見たことは一度もない。また、万魔侵攻では飛行する魔物も出るが、『飛行する魔物だけの群れ』は確認されたことが一度もない。
鳥の群れの向かう方角を悟った重戦士は、はっとする。
「――まずいッ」
重戦士は、剣を鞘に仕舞って全力で町へ駆け出した。
このままではあの鳥の魔物の群れは、町を襲撃する。




