33.受付嬢ちゃんにも疑心はある
嘗て、ギルドでこんな事件が発生しました。
ある日、一人の冒険者がギルドに訪れました。その冒険者は十年近く行方不明になっており、もう死んだものと扱われていたのですが、彼は奇跡的に生存したのです。周囲は奇蹟の帰還を歓迎しました。既に彼の知人冒険者や職員はそのギルドにはいませんでしたが、それでも歓迎するのがギルド冒険者のしきたりです。
彼は人当たりのいい人物で、そのままギルドで活動をしていたのですが……ある日、彼の嘗ての知人が町に訪れました。行方不明になった知人の噂を聞きつけてやってきたのです。感動の再会――そうなると誰もが期待した矢先、その衝撃の言葉が放たれました。
『お前――誰だ?』
顔の形が違う。背丈が違う。肌の色、目の色、剣の構え方さえ違う。
その人物は、行方不明者に扮した全くの別人だったのです。
彼はその場で違いを指摘した男性を殺害しました。
その後の取り調べで、彼は行方不明になった冒険者の親友であることが判明。殺害された友人は元冒険者で、行方不明冒険者を私怨から殺害した張本人だったと彼は主張しました。彼はなりすましによって犯人をおびき寄せる為に活動していたのです。
結局のところ当事者死亡によって真相は闇の中に消えましたが、それ以降ギルドでは登録冒険者の外見的な特徴を定期的に更新しながらデータとして保管してあります。それでもなりすましは完全にはなくならないものです。
とはいえ、魔物に襲われて顔に傷でも出来ない限り、情報更新はそこまで頻繁には行われません。だいたい受付嬢たちは担当冒険者の顔は全員覚えているのでデータを確認せずとも問題ない場合の方が多いです。
多いのですが。
「あーもう最悪……なーんか朝からヤな予感はしてたから傘持ってきたのに、横殴り過ぎて全身ずぶぬれですよー。もー……これ依頼で取ってきた魔物の破片入りテレポットね」
さも親しい間柄であるかのように話しかけてくる褐色ナイスバディなお姉さんに、シオリは言いました。
誰ぇ!? と。
「えー。見れば分かるじゃないですかぁ……」
いえ、全く分かりません。
少なくともシオリの担当ではないと思います。
「そりゃ雨に濡れたせいでちょっと印象変わっちゃってますけどぉ」
雨に濡れて印象が変わるというレベルではないくらい心当たりがないのですが。
「え? 知らないんですか? ガゾムって水を浴びすぎると体が膨れちゃうんですよ? 見てこれ、こんなに体がブニブニになっちゃって……あーヤダヤダ」
そういいながら滑らかな皮膚をぶにぶに触っている謎の褐色さんですが、その姿は膨れているというより女性的なふくよかさです。確かにちょっとムチっとしていますが、ぶるんとした唇に民族衣装オーヴァルの隙間からはみ出す素肌はむしろえっちな雰囲気さえあります。
それよりも今、この人はガゾムと言ったでしょうか。
シオリの記憶にある限り、ガゾムの冒険者はこのギルドに一人しかいません。よく見れば服装も見覚えが。そして何より腰にぶら下げているあれは確か、携行数砲のパンナ&コッタでは。
もしや、と思って恐る恐る確認してみます。
貴方、カナリアさんですか?
「そーですよ? はあ……水ぶくれの恰好は恥ずかしいのであんまり見ないでください」
体形どころか声色まで変わっているのに分かれと言う方が無茶だと思います。
それに見ないでと言われても、周囲の視線は完全に自称カナリアさんに釘付けです。特に男性冒険者の若干汚らわしさのある視線が。
しかしガゾムと言えば固い筈。握手を求めます。
「ん」
柔らかいです。柔らかい上にひんやりしています。
確かにガゾムはひんやりしていますが柔らかくはありません。
ただ体が冷たくなっているだけの人の可能性があります。完璧な三段論法です。
「あんま触らないでくださいよね。水で膨れるとガゾムは脆いんだから。レンチで殴られただけで頭凹んじゃうんですよ。信じられます? だからガゾムは絶対川とか湖とか近寄らないんです。海はまだマシだけど。シントーアツ? ってのが関係してるらしいですよ」
普段のガゾムはレンチで殴られた程度では傷一つ付かないようです。
しかし、この人は本当にカナリアさんなのでしょうか。カナリアさんは胸以外は子供そのものの姿をしていますが、目の前の彼女はいっそ胸もちょっと大型化している気がします。ギャルちゃんなら揉んで確かめるとか行った挙句、揉み心地がいいからオーケーとか言いそうです。
しかし、これで別人だったら後で大変です。
ガゾムの水ぶくれ特性も周囲は知らないようですし、頼みの綱のメガネちゃんは席を外しています。念のためいろいろと確かめましょう。
出身地、生年月日、受けた仕事、個人情報様々。
チェックしてもしても正確に回答されます。見た目は別人なのに。
しかも情報は正確なのですが、テンションが低い上に声も変わっている自称カナリアさんの態度が普段のテンション高めな彼女と一致しません。
困り果てたシオリ。と、ギルドの入り口からブラッドリーさんがやってきました。
「……そうじゃないかと思ったら、案の定だな」
「あ、ブラッドリーさん……聞いてくださいよ! シオリが私のこと私だって信じてくれないんですよ!!」
「当たり前だ。鏡見てから言え」
ブラッドリーさんも雨に濡れていますが、テレポットからタオルを取り出して自称カナリアさんの頭にかけます。慣れた手つきで。
「……シオリ、こいつはカナリアだ。この姿になった所は何度か見たことがある。体が膨れた影響で声が低くなるし人相も変わるんだ」
「ホラ! ホラブラッドリーさんもこう言ってますよシオリ! 愛しのブラッドリーさんを疑るんですか!?」
い、愛しのじゃありません!
ブラッドリーさんはあくまで担当冒険者のブラッドリーさんです!
「そんなこと言ってぇ、王都に行ってから二人ともなーんか距離が縮まってる感じがするんですよねぇ。ときどきゴニョゴニョ話してるしぃ?」
それはブラッドリーさんのプライバシーにかかわる相談です。
やましいこともなく、公表する必要もありません。
「でもみんなはそう思ってないかも?」
自称カナリアさんがちらっと周囲を見ると、冒険者たちが気付かないふりをしながらもチラチラこちらを気にしています。確かに、度重なる誤解やあれこれでブラッドリーさんとは接する機会が増えていますし、前の紫術士事件ではブラッドリーさんが真っ先に助けに向かった事や無事に救出したこともこそこそ話題になっていました。
しかし、ないです。受付嬢として絶対にないのです。
「ふーん。まぁそうですよね。ブラッドリーさんもうオジサンだし、無口で口べだたし、女の子の扱い下手そうだし、鎧がむさいし、シオリが好きになる要素ない冒険ばかりのダメダメ人間ですよねぇ」
そ、そんなことありません! ブラッドリーさんは不器用かもしれませんが、シオリを気遣ったような発言をしてくれますし誠実な男性です!
「つまり好きと」
違いますってば! ゆ、誘導しましたね!?
「おい、カナリア」
「へへへ、いい加減認めちゃえよう……え、何でしょう?」
「シオリをからかって遊ぶな」
瞬間、ゴッチィィィンッ!! と、カナリアさんの頭蓋にブラッドリーさんの拳骨が叩き込まれました。
「ぴぎゃああああああ!? いったぁぁぁーーーい!!」
「さしもの石頭も水でふやければ多少はダメージが通るだろう。帰って反省しろ」
「はーい……ごめんシオリ。疑われてちょっとムっとしてたの」
最後は素直に謝って、拳の形に頭が凹んだカナリアさんだったらしい人は去っていきました。
それにしても――普段あれだけ波風立てないブラッドリーさんが、カナリアさんには随分親し気な態度を取ったことに少し驚きます。鉄拳制裁なんて他の冒険者にはしたことはないのではないでしょうか。
「カナリアにはあれだけやらんと話が通じん。それに普段ならあの程度では頭をはたかれる程のダメージすらない」
成程、つまり必要とあらば叱る人だったようです。そこは安心しましたが――今回の対応、受付嬢としてはつたない対応だったと反省します。ガゾムの身体的特徴をもっと調べていればこの問題には事前に気付くことが出来た筈なのに、それを怠ったのはシオリです。
やっぱりカナリアさんに正式に謝罪しなければ! そう思い立ったが吉日。すぐさまデスクから立ち上がろうとして、ブラッドリーさんに頭を抑えられて立てませんでした。
「カナリアだってお前に悪気がないことくらい分かってる。俺もそうだ。だから気にし過ぎるな。どうせ仕事が終わればまた顔を合わせるんだ。カナリアもお前も、もう少し気持ちを落ち着かせてからにしておけ」
優しく諭すような声。
頭を抑える手が優しくシオリの髪を撫で、すっと離れます。
「すまん、無遠慮に頭を触ってしまった」
――いえ、いいんです。諭してくれてありがとうございます。
欲を言うと、頭を撫でられる感触が心地よくてもう少し撫でてほしいな、などと思っていたシオリでしたが、これ以上周囲に変な誤解を生まないようすぐに仕事スマイルに切り替えました。
翌日、ブラッドリー・カナリア・シオリ三角関係説が流布され、手遅れだったかと項垂れることになるシオリなのでした。
メガネちゃん豆知識:水ぶくれガゾム
不思議なことに、ガゾムの皆さんは水を吸うと大人の姿に膨れるんだそうです。外側の柔らかさは平均的な種族並ですが、それでも衝撃に強く少々のダメージじゃ凹むだけだそうです。元々地下に住んでいて水分を必要としないガゾムですが、彼らとしてはやはり浮くことのできない水中を連想させる水は苦手なようですね。
ちなみに水ぶくれ機能を活用して、その……他種族と夜の営みも可能らしいです。いえ、偶然耳にしただけの話ですけど。




