外伝 あの日のみんなは忙しかった
今月の更新はここまで。
今回は別キャラ視点とスマホ次郎の話です。
紫術士は20年以上前から異端宗派として活動して来た。
外見上は20代後半の容姿も、異端宗派の特殊な『施しの数字』を受けているので、実際には50歳程度だ。『裏切りの英雄』の部下であった彼は、上司と思想を共にした。
資金確保、新たな同志の勧誘、世論の情報収集。直接的に何かをすることは殆どない。役割が綺麗に分担されているからだ。その中でも紫術士は間接的に歴王国から金を搾り取ることを目的としている。資金確保と敵の弱体化だ。
この国、平原国は古くは歴王国の植民地であり、今も歴王国に依存ともとれる態度を示す事実上の属国だ。もしこの平原国が現代化し、歴王国に依存することなく発展すれば、それは結果的に血を流さず歴王国を弱体化させることになる。
異端宗派の目下最大の敵は歴王国であり、そして歴王国相手であろうと異端宗派は基本的に無駄な血は好まない。紫術士の目論見は同志からおおむね評価され、実績も重ねている。魔物の活性化によって平原国の重要度は高まり、歴王国からも他の場所からも平原国に人と技術、金が集まっている。
その過程でこの国の魔物出現率を高め、冒険者の損耗率が高まっているのは必要経費になるが、これが一番犠牲も血も少ないやり方である。ルール上の不正は厄介な相手であるギルドへの戦略研究の一環として考案した。いずれはもっと狡猾に発覚しづらい資金確保を行う予定だった。
その過程で目論見を邪魔する者を排除してきた。見てはいけないものを見た者、歴王国からの工作員、活動の邪魔になる目障りなチンピラ冒険者……。
すべては正義の為だ。例え軽度の障害でも積極排除する必要がある。構築した情報網と『アロディータの宝帯』によってギルドの情報の密かな横流しもやってもらった。
思えば、碧射手をこちらに取り入れようとしたのは失敗だったのかもしれない。パーティの低下しすぎたイメージの向上、そしてあわよくば力を求める彼女を同志として迎え入れる準備もしていたが、同志となる人を洗脳は出来ない。それまで順風満帆だっただけに、思い通りにいかずに苛立ちが募った。
紫術士自身、民主主義的な組織に対する甘えと集団意識に流され、気が大きくなっていた。ここ最近はアサシンギルドの諜報が活発になり本部と多く連絡が取れなかったことに対する不安も、もしかすればあったのかもしれない。
すべては言い訳だ。こうなった以上、生きて帰ってもアロディータの宝帯は没収されるだろう。
――嫌だ。嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! 『あのお方』からの失望だけは!!
組織の人間としてではない、生の人間の感情が叫んだ。心の奥底にある自己欲求が、せっかく『あのお方』から賜った装備を手放すことを強烈に拒否していた。それをするくらいなら死んだ方がましだとさえ思っている自分がいた。
受付嬢のポニー……あの娘が年相応に憶病で周囲に無関心な娘であったならば、こんなことには。
重戦士……あの男が真っ先に正解の場所を引き当てて乱入してこなければ。
脇腹が痛む。重戦士の一撃は障壁越しでも凄まじい衝撃を齎した。骨に罅が入っているか、内臓にダメージがいったもしれない。そんなことを考えながら、紫術士は自宅に戻った。自宅には最終手段がある。古代術式の使用によって紫術士の力を一時的に大幅強化し、その力を以てしてアロディータの宝帯のポテンシャルを引き出す。町一つなど容易にカバーできる。それですべてに埒を明ける。
その力を行使すれば自らの失態は間違いなく仲間に知れ渡る筈なのに、その時はそれしかないと確信していた。
そして、転移で自宅のホールに降り立った時、紫術士の顔面には拳が迫っていた。
「よう、クソ野郎。俺の八つ当たりにちょっと付き合え」
それは、受付嬢のポニーによくため息を吐かせたり薬草仕事ばかりしている、すこしだけ術が使えるだけの筈の男、桜の声だった。直後、顔面に彼の拳が直撃し、紫術士はとうとう感情を爆発させた。
= =
自分のせいだから、と桜は言った。
彼女は重戦士が助けるから、自分は大本を断ちに行く、と。
桜という男との付き合いはそう長くないが、濃密ではある。彼はやる気に欠ける男であり、どこか世間慣れしていないのに人の社会で時間を重ねてきたような事を言う。そんな桜に最初は善意と好奇心で付き合っていたが、同時に彼の心の内に横たわる歪んだ闇を感じてからは、友達として隣にいる。
例えば通りかかった場所に具合の悪そうな人がいるとする。善意ある人なら声をかけたりするだろうが、自分の生活に余裕のない人は多少具合の悪い他人など放っておく。自分でどうにかするだろう、或いは他人がどうにかするだろう、と。
しかし桜は臆病だ。だから、「もし自分がここで見て見ぬふりをして相手が倒れたらどうしよう。恨まれるんじゃないか?」と思う。次に「もし助けて後々人間関係が面倒になっても嫌だ」と思う。そして出す結論が、「名前や顔を隠して助けて、そのまま帰ろう」となる。
おかしな奴だ、と思う。
いつも一人でいる時は板切れのような物を弄っているので何なのか聞けば、神のお告げだと言っていた。実際あいつはあの板切れを見た後、まるで全てを理解したかのように最善の行動をとる。術の知識もないのに、あの板切れを見たらどんな難解で強力な術をもあっさり行使する。
一度見せてもらったが、あの板切れに映るものは持ち主にしか見えないらしく、ゴールドにはそれがただ光っているようにしか見えなかった。ただ、恐らくはあれこそ桜の切り札であり、生命線であり、悩みの種なのだろう。
あの道具は、余りにも多くの事を理解しすぎる。
もしあれの存在と、それを読み取る桜のことがギルドや大国に知れ渡れば、大きな世の流れを生み出すだろう。それは世界にとってはきっと幸せなことだが、幸せを独占しようとする連中、幸せを破壊しようとする連中はごまんと出てくる。桜自身の幸せは消えるどころか、悪い方に想像すればすべてを押し付けられるか、危険な存在として排斥される可能性もある。
きっと桜はそれを一度意図せずして起こし、そして激しく後悔したのだ。
だから桜は、自らの『神のお告げ』とやらをあまり使わずに生きている。
最初に出会ったときはもっと迷いや躊躇い、葛藤の多い人間だったが、暫く一緒にいて、そして雪兎の面倒を見るようになってからは少しだけ生活を楽しみ始めていた。ここのギルドもなかなかユニークな人物が多く、意外と居心地が良かったのかもしれない。
ゴールドも、そんな変な友人の意見を尊重していた。ゴールド自身、分不相応なものを背負う辛さは少しばかり心当たりがあったからだ。
そんな中での、受付嬢誘拐だ。
誘拐された受付嬢のポニーは、ギルド受付嬢の中でも面倒見がよく、てきぱきした女性だ。周囲からの人気もかなりのものだが、同じ受付嬢のイイコと違ってその人気を利用しようとしない清楚な雰囲気がある。そんな彼女は何かに悩み、少し前に偶然出会った桜と酒の席で話をしたのだという。
「冒険者の不正の話……やりようはあると吹っ掛けたのは俺だ。相手がそんな危ない奴だとも知らずに……本当にバカだな俺。完全に俺のせいじゃねえか……」
あんなにも責任を感じている桜を見たのは初めてだし、その責任感を抱えて自ら問題解決に駆けだすのも初めてだった。俺はそれについて行った。最初はついてくるなと言われたが、この危なっかしい男を放っておくと俺の心も休まらないというと、渋々追い返すのを諦めたようだ。
後は簡単だ。信託とやらで主犯の場所を割り出し、何重にも重ねられた錠前や鍵を見たこともない術を使って全て開放。建物内に犯人が転移してくること、その犯人の名は紫術士であること、『はっきんぐ』とやらの使えない『すたんどあろんたいぷ』の迎撃機械が用意され、あらかじめ壊す時間がないこと。
この男は突拍子もないことを言うが、嘘をつくのが怖くて嘘を付けない変人だ。
いると言うなら絶対いるし、来ると言うなら絶対来る。
初めて出会ったケレビムの里の騒ぎでもそうだった。
果たして、彼の言葉通りに事は進んだ。
紫術士が何もない場所から光と共に現れ、その瞬間に桜が紫術士を拳で殴打。紫術士は普段の落ち着いた佇まいからは想像もできない奇声染みた罵声と共に襲い掛かってきた。同時に迎撃機械が湧いて出るのを、使い慣れた剣を手に戦う。
紫術士は、無視した。
桜が自分でやると言い切った以上、それを尊重して邪魔者を排除するのが友達だろう。
= =
別に辱めようとも、痛めつけようとも思っていなかった。
ただ、あの日の酒場で話をして、寮にまで案内し、忙しそうに調べ回っていたあの女性が誘拐されたと聞いた時、頭の後ろから氷柱を突き刺されたような悪寒と衝撃があった。
他人が桜のせいではないと思おうとも、桜は自分のせいだと確信してしまっていた。
その社会では一般的ではないであろうことを、酒で滑りがよくなった舌で言ってしまった。
世界の違い、社会の違いとは思考の差異だ。桜が重要と思っていることが本当は重要でなかったり、逆に桜が重要視していないことが周囲にとって重要であることがある。その無頓着が他人をこうも直接的に不幸にすることを想像できていなかった自分を殴りたい。
「雑兵は引き受けた!!」
自律兵器たち相手に臆することなくゴールドが突っ込み、剣を振るう。恐らく桜のような世界に住んでいた人間とは根本的に体の丈夫さや筋肉の質が違うのだろう、鋼鉄ほどの硬さがあろうかという兵器が次々に破壊されてゆく。機械の繰り出すレーザーやショックガンも弾いたり躱したり、やりたい放題だ。
桜にはそれは出来ない。
ただ、手元にあるそれ――時代が時代ならありふれた携帯端末でしかなかった筈のそれに頼り切るだけだ。天才的な頭脳を持たない桜にとって、それは強力過ぎて持て余す力だった。こんなことでもなければ検索機能を使う気はなかったのだ。
しかし、桜は思ってしまった。あのいつも世話になっている少女がこちらを恨むような事態に遭遇していると認識してしまったときから、逃げる事が下手な桜は選択肢が絞られてしまった。
雪兎の面倒をよく見てくれる彼女。
いい男にも変な男にも好かれる彼女。
背負い過ぎていつか荷物の重みに負けそうなほど真面目な彼女。
惚れてはいない。いや、正直に言うと好意は少しばかりあるかもしれないが、それでも彼女の事をこうも考えている理由はそうではない。
桜はきっと、まだやる気があったころの自分と彼女を重ねていたのだ。
「貴様……」
今、目の前に桜によって殴られた男がいる。
憤怒、驚愕、困惑、恐怖……いくつかの感情がブレンドされた表情は狂暴性という一つの出口に殺到し、優れている筈の容姿を阻害していた。
「貴様、貴様貴様ぁ……!!なぜここにいる!?なぜ転移という現象を正確に把握できる!?いや、そんな問答は必要ない。貴様もこの宝帯の餌食になれ!!儀式を用いずともたかがマギムの冒険者二人、完全催眠でなければやりようなどいくらでもあるッ!!」
紫術士が用途の知れない帯を出し、神秘術を発動しようとする。
桜はそれを見て、手に持った携帯端末を操作する。
心配ないとは思うがゴールドを長々と手伝わせるのも気が引ける。
だから、一度で決着にこぎつけるすべを選んだ。
紫術士の体から光が発せられてこちらに殺到し、そして目の前で止まる。
『障壁に干渉する未登録の神秘数列があります。設定に従い自動解析開始……終了しました。レベル2の判断能力抑制・誘導術式です』
「設定を登録。攻撃対象に反射」
『承認しました。カウンターロジックを発動します』
「な……何をした!?なぜ術が遮られ、え――?」
盛り上がりもへったくれも、ドラマもなにもない。紫術士の洗脳術はその場で解析され、複製され、そのまま返り、紫術士はなんの抵抗も出来ずに判断能力を奪われた。
「お前、名前は?」
「紫術士……もしくは、音叉……」
「敬語を使え」
「はい、申し訳ございません……」
「お前はポニーちゃんを攫い、ギルドに対して不正を行ったか?」
「はい。間違いありません……」
目は虚ろに、口は半開き。先ほどの感情の起伏はどこへやら、眠そうな顔で紫術士は淡々と問いに返事を返す。
「これから自首しろ」
「はい、かしこまりました……」
「俺とのやり取りは、ええと……そうだな。俺のスマホが……ああ、スマホってのは手に持っているコレのことだが。これを使ったことも、これが声を発したことも、俺がこれを持っていること自体も黙秘しろ。事情説明は俺がするから、お前は自分の悪事を素直に吐いて……まぁ、反省しろ」
「はい、かしこまりました……」
これで悪人退治は終了だな、と息を吐く。
ふと、子供の頃は悪人をこてんぱんに退治する勧善懲悪の話が好きだったことを思い出した。
「実際にやってみると、すっきりしねぇもんだな」
紫術士を捕えた後に桜の頭の中にあったのは、ポニーにどんな言葉で謝ろうかということばかりだった。その後はゴールドの援護に回り、数分経ってギルド職員や冒険者が屋敷に押し寄せた頃には、全てが終わっていた。
= =
翼を広げた二つの影が、佇んでいた。
「如何致しますか、御頭首」
「この者たちの心には鬼が住まう。鬼に従う者は鬼を心に宿す」
「では?」
「欲に溺れ非力な女を弄び、多くを殺めた者――自らの老化を止めんが為に数多を生贄に捧げた者――その鬼どもに媚びへつらい、甘い汁だけを享受する者――それすなわち、心に鬼を宿す者なり。その鬼を宿す限り、幾度も繰り返すだろう」
すらん、と金属の擦れる音。
呻くようなくぐもった三つの声。
ひゅるり、と流れる風。
ごとり、と何かが三つ落ちる音。
「……一人、残しました」
「それでよい。その者は鬼であるから悪行を行ったのではない。それ以外を何も知らぬだけだ。ならば――世界を、生きる意味を知る必要がある。鬼であるかどうかは、そうして初めて判別できる……後は任せよう。我は王都へ行く」
影が一つ遠退いていく。
その後、後片付けがされ、清掃された。
残されたのはもう一人と、『人形』と呼ばれる少女の影。
「貴様は影だ。己と云う影を為すものの正体を知らん。光を向け、意志を持て。貴様はまだ鬼でも人間でもない――何者かになれ」
「何者かに、なる。それが新たなオーダー……?」
「私の下すオーダーではない。この世に生まれ意識を持った全ての存在に下される、生きる者の使命だ。貴様にはそれを受ける義務がある――生きているのなら」
「生きているのならば……任務、続行」
少女の影は、こくりと頷いた。




