17.受付嬢ちゃんが話を聞く
人間、生活していれば不満や愚痴くらい溜まっていくものです。
愚痴ばかり口にしていると他人に嫌われたり軽蔑されることもありますが、やはり時には口にしていかなければなかなかストレスから解放されません。そんな冒険者の相談に乗る係のギルド職員もいますが、受付嬢も多少の相談事には応じます。それが有望な冒険者で、冒険者としての職務に係る事だというのならなおさらです。
実のところ、前々から碧射手ちゃんは何かポニーちゃんに言っていない悩みがあるのではないかとは思っていました。根拠があった訳ではなく、経験則です。3割ほどは外れますが、残り7割は結構当たるものです。既に推測できるだけの状況を見られてしまった碧射手ちゃんは、少しだけ肩の荷が下りたような、でも決して楽にはなっていない顔で語ります。
「気付いたのは一か月くらい前……でも多分、それより前から目を付けられていたんだと思います」
これまでパートナー探しで人を見つけても長続きしないのは知っていましたが、それはあくまでポニーちゃん視点の情報。実際にはやはり当事者の主観的な情報の中に多くの真実が眠っています。それが虚構や思い込みに彩られていることもありますが、彼女の冒険者としての信用を基準としましょう。
曰く、意見のぶつかり合いや主義主張の違いで仲間への勧誘に失敗した人はそれほどいなかったと碧射手ちゃんは言います。しかしある時から急に居心地が悪そうな顔をしたり思い悩んだ顔をし始め、理由を聞いても多くを語らず、やがて「別のギルドに行くことにした」「冒険者を辞めてまっとうな職に就く」と言って碧射手ちゃんの前を去っていったといいます。
ううん、とポニーちゃんは考えます。
冒険者を辞めて通常の職に就くことは、この町のギルドのような場所では別段珍しい話ではありません。スポンサーもなしにその日その日の仕事を場当たり的にこなしていく通常冒険者は、思わぬ出費や仕事そのものの増減もあり、安定した職とは口が裂けても言えません。
腕利きになれば報酬額の高い依頼も回せますが、必然的に死のリスクも高まってしまいます。翠魔女さんや重戦士さんのような隔絶した実力の持ち主でなければ長続きはしないでしょう。
また、別のギルドに移るというのもそれなりにあることです。ポニーちゃん自身あまり自覚はありませんでしたが、この町のギルドは西大陸の中でも魔物の出現率が高めな場所にあります。つまり、難易度が高めの依頼の割合が多く、それをこなす競争相手も多いのです。
この敷居の高さに加え、人手が足りない別ギルドへ所属を変えてくれる人を探す業務も定期的にあるため、彼女の言うような理由で移転、辞職する冒険者がいても普通の受付嬢は疑問を抱きません。
しかし、碧射手ちゃんがこれまで目をつけてから別れたという冒険者の数は10人以上。その殆どが移転、辞職したとなると、確かにそれは作為的なものの存在を疑うに足る事由でしょう。
「最初は私の経歴のせいもあるのかと思ってたけど、変だなって納得できない気持ちは心の片隅にずっとあったの。それで、ある時のパートナー候補が、別れる前にこう言ったの」
――お前がアイツにさえ目をつけられてなきゃな。
「ほんの小さな言葉だった。どういう意味かも分からなかった。でもね、そのすぐ後に紫術士が集団で声をかけてきたの。一緒にやらないかって……その時は別に疑ってなかったし、一緒に仕事をしたわ。でも正直チーム候補としてはかなり微妙だったから、内心この人たちはないなって……」
しかし紫術士さんはその後から少し不信感のある行動をとり始めたそうです。
断っても断っても、自分たちとパーティーを組むことを勧める。
家の前に居座っていたり、昼食の店に入ってきて勝手に相席を取る。
勝手に碧射手ちゃんの名前で依頼のパーティー申請をしようとする。
新しいパートナー候補との話にさりげなく割って入ってくる。
それは周囲から見ればギリギリで不審がられない頻度とタイミングで、しかし継続的に行われてきたといいます。それでいて紫術士は尤もらしい言葉を並べながらも最後には譲歩する、といった先ほどのような態度で付かず離れずを維持し続けました。
そして、またもやパーティー候補が逃げるように別ギルドへと移転。そして狙いすましたようなタイミングで、また紫術士さんは現れました。この時に彼の放った言葉で、やっと碧射手ちゃんは疑惑を確信に変えたと言います。
――また逃げられてしまったね。
パーティー候補はその日にギルド移転を申し込み、その瞬間にギルド内には彼らはいませんでした。なのにギルドに入ってきた彼は迷いなく、誰と話すでもなく碧射手ちゃんの前にやってきてそう告げたのです。
「本人は私の様子を見てそうなのだろうと推測しただけだって躱されましたけど……あの確信を持った、疑問を挟まない一言を聞いた時、コイツの仕業だって確信しました」
確信はあるのでしょう。しかし、証拠はないのでしょう。
碧射手ちゃんは悔しそうにぎゅっと手のひらを握りしめました。
と、話を聞いていたフラットさんが不意に口を開きます。
「自分もギルド移転すればいいんじゃない? 紫術士はこの辺じゃ幅利かせてるけど、いくらアンタを口説きたいからって自分も追いかけて他所に行くってことはないでしょ?」
「私は契約移転だったので移転規則があります。私は移転してそれほど時間が経っていないから、少なくともあと半年は鞍替えできません」
「あー、そっちかぁ……」
フラットちゃんがダルそうに呟きます。
ギルド移転には2種類の移転があります。
一つは個人移転、もう一つが契約移転です。
個人移転とはすなわちゴールドさんが各地を転々としているアレです。一定以上の実績を修めた冒険者は自由意志でのギルド移転を許されます。ただし、移転後一定期間そのギルドにいなければいけなかったり、その間に一定以上依頼をこなさなければならないといった決して楽ではない制約があります。
制約の理由は、ギルドの頻繁な移転は基本的によほどの道楽者か、或いは後ろめたいことをしている冒険者しかやらないからです。だから一定の制約を設けることで後者が移転を悪用しにくくしています。もちろん安定性、経済性を考えれば腰を落ち着けて能力に見合ったギルドに所属し続ける方が楽なので、個人移転を多用する人はあまりいません。
問題はもう一つの契約移転。これは先ほど説明した「ギルドの要請による移転」の場合です。ギルドの要請事項を満たしての移転は、ギルド側の都合を聞いてもらい、なおかつ目的に見合った成果を挙げてもらうという高い要求の代価として、一定額の補助金や住まいの工面などの好待遇が受けられるというもの。その都合上、個人移転と違って移転できない期間がかなり長いです。短くても1年、大抵は2年。能力不足や不足の怪我などがあるとその限りではありませんが、碧射手ちゃんはこの契約移転の任期を満了していません。
やっと得心したとばかりにスリムちゃんが頷きました。
「それで証拠が欲しいんだね。紫術士が不当な妨害行為を行っている証拠が」
「えっと……つまり、その証拠があれば紫術士さんを止められる?」
唯一ギルド関係者ではない看板娘ちゃんの問いに、フラットさんが気のない声で答えます。
「或いはそれを理由に契約の解除を迫れるかもね。ギルドで招いておきながらその人に向けた現在進行形の嫌がらせを関知していなかったとなると、これは重大な過失ともなる」
「そんなつもりはありません。このギルドは私にとって理想的な場所です。ただそのメリットがたった一人の男に遮られている現状が……もどかしくて、悔しいんです」
絞り出すような、涙が滲み出そうな声でした。
彼女は既に、紫術士さんが自分を孤立させるために裏で汚い真似をしていると確信しているようです。それは少し行き過ぎた推測ではありますが、元々紫術士さんはよくない噂を持つ人ですし、現状最も疑わしいことは事実です。ポニーちゃんも本音を言えば紫術士さんが清廉潔白な人物とは欠片も思っていません。
彼は、担当の受付嬢をコロコロと替え続けています。それは別段違法行為ではありませんが、そうすることでギルド側に不要な疑いや情報の辻褄が繋がりにくくしているのではないかという推測は出来ます。ギルド内で発生した「いじめ」の加害者、教唆した人物に彼の名前は何度か挙がっていますが、実際に処分するに足る証拠が掴めるのは常に数人の実行犯のみ。糸が切れてどうしても彼に行きつきません。
「ま、そういうことなら諦めるか、もしくは妥協して組むしかないんじゃない?」
「フラットさん、相変わらずサバサバしてますねー……」
「だって現状どうしようもないんなら、それはどうしようもないんだよ。そんなこと真面目に考えてたらストレスでお肌が荒れるわ」
「………」
薄情にも言い切るフラットさんですが、彼女の言葉も理屈の上では間違っていません。ただ、感情と理屈の両立は難しいことです。フラットさんは人の気持ちが分からないことをよく言いますが、理屈に全振りした彼女の判断力の高さは、感情の問題を抜きにすればいつも確実で最短の方向を示します。
ポニーちゃんはううん、と唸ります。
今、彼女はオフです。この話し合いもギルド業務として行っている訳でもなければ、碧射手ちゃんを贔屓しようと行っている訳でもありません。これはあくまで個人的に行っていることです。そして個人的な事情を仕事に持ち込むことは受付嬢としては公私混同。場合によってはギルドの人間失格です。
実際問題としても、こういった事情を探るのはポニーちゃんの仕事ではありません。別の部署の別の人が行うことです。可哀そうですが、ここは話を聞いただけで、何もしてあげられることはないと考えるしかありません。
「……お話できて、少しだけすっきりしました。ありがとうございます。紫術士の件は、まだ頼ってない伝手もあるので自分で色々してみます。もし証拠が出たら、その時に改めてお世話になりますね?」
こちらの複雑な心境を悟ったように、碧射手ちゃんは笑顔を作って話を打ち切りました。一時とはいえトップランクに上り詰めたひたむきな彼女の心は、まだまだ折れてはいないようです。その言葉には気遣いもありましたが、諦めない人間の底力のようなものも混ざっていると、ポニーちゃんは感じました。
だからこそ余計に、自分には本当に何もできないのかと思わざるを得ませんでした。
ぼうっと天井を眺める。
いったい何のために、どうして自分はここにいるのか。
こちらに慣れて生活が安定したことで、余計に考えるようになってしまった。
無意識に手に取っていた、自分の生命線でありこちらの世界の人には奇妙な板切れにしか見えないそれを指で触り、操作し、ある機能をつける。
『――お掛けになった電話番号は、現在使用されていません』
他のあらゆる面において嘗て以上の機能が詰め込まれているのに、今一番欲しいものが使えない。いい思い出など大してなかった筈なのに、今は何故か故郷がどうしようもなく恋しかった。
「……今度、椀々軒に飲みにでも行こうかな」
思えばケレビムの里を出て以来、和食を一切食べていない。
この町で唯一のケレビム郷土料理店は一見さんでも大丈夫だろうか。
知らない世界の知っている文化。ロータ・ロバリーに来てすぐの頃はあまり感慨なく食べていたそれもまた、どうしようもなく久しぶりに思える。
自分は、あの世界に帰れるのだろうか。
人生で初めてのホームシックに、桜は漠然とした気の沈みを感じていた。




