余話 月下の刃
夜――月型人工衛星が見下ろす薄に覆われた大地に、二人の男がいた。
「女神さまから許可を貰い、此処を決闘場とした」
「処刑場だ」
「左様。ここで死んだ者が刑死者。勝った者が執行人だ」
「御託は終いか」
「如何にも」
一人は、世界の闇さえ恐れ慄く伝説の暗殺者、銀刀。
一人は、女神に全てを捧げた狂信の戦士、遷音速流。
二人にそれ以上の会話はなく、今宵が明けるまで生き残る者は一人。
銀刀は自らの代名詞の一つと呼べる銀刀だけでなく、身体のあちこちに銀の短剣を仕込んでいる。靴先、踵、肘、果てはコートの端に懐までが刃で輝いていた。その全てが、彼の準神具クラスの銀の刀の技術を応用して作られた超一級品だ。
最終決戦の戦いでは、これらの剣それぞれに力を注ぐより一本の剣に全てを注いだ方が戦闘効率が遥かに良かった。装備過多に見えるその装いは、一対一という限られた状況でしか役には立たない。
対する遷音速流は、あろうことか対人戦で『ルーメスの隠靴』最終決戦仕様を解放し、荒風の如き装いに身を包む。人に仇名すを砕く為に存在する神具の力を個人の戦いに用いるなど、本来許されることではない。
しかし遷音速流は女神の許可を得たうえで、使うことにした。それは命が惜しい訳でも勝ちたい訳でもなく、銀刀の意に沿う為のものだ。
銀刀は、遷音速流を楽に死なせるつもりはない。それは、望むならば首を捧げることを厭わないという道を『楽な道』と見做したうえでのもの。全力で抗い、その上で死ねと銀刀は言外に告げているのだ。遷音速流はその意を正確に把握していた。
互いにその戦闘能力は星で随一の存在。
彼らの引き起こす風は都市など軽々と滅ぼす。
術の精度、規模、全てが埒外の存在。
故にこそ、大技の打ち合いでは勝敗はつかない。
もし仮に大技の打ち合いになった場合、星の歴史に類を見ない超巨大な台風が同時に二つ、大陸で衝突することになる。それによって発生する自然災害の規模は、大量虐殺に等しい結果を齎す。
故に、勝負は一瞬。全ての風を極限まで練り上げ、全身や武器に纏わせ、その一撃を先に相手に叩き込んだ者が勝利する。
銀刀は己の肉体時間を停止させているため、本来は時間に干渉する術でしか彼を傷つけることは出来ない。しかし、神具の力を以てすれば話は別。遷音速流の一撃もまた、銀刀を致命に至らしめるものとなった。
何故、こうなってしまったのか。
遷音速流は何度も問い、何度も同じ答えを出す。
全ては遷音速流の過ち。
もう取り返すことも償う事も出来ない、過ち。
仲間には何度もどうして遷音速流が今更死地に赴く必要があるのか、本当にこれしかないのかと問われた。しかし遷音速流は、この結末以外で銀刀が納得する方法はないと何度でも断言した。
退魔戦役の時、あれに使命感から参加を志願したとき、きっとこの夜の殺し合いは必然となっていた。
遷音速流は銀刀と共に戦ったし、彼に戦いを少しばかり教授した。当時の銀刀は暗殺者を名乗ってはいたが、桁外れの才能と剣以外は甘さを残す少年だった。
遷音速流は知っていた。
彼が隠し砦の面々とそれを統括する数学賢者から可愛がられ、それを口では拒絶しつつどこかで心を許していたことを。数学賢者を特に慕っていたことを。遷音速流にも微かな尊敬の念を抱いていたことを。それら全てを、時と場合によっては全員裏切らなければならないことを。
そして、人間不信から立ち直りかけていた銀刀がその光景を見ることの意味を、知っていた筈だったのだ。
後悔はなかった。
判断を間違えたかもしれないが、それは結果論で、どちらにしろ実行するしかなかった。そう判断する立場の人間が、判断し、実行した。それだけの話だ。
だが、そこに生まれた罪が正当化されることは決してない。
銀刀は何を捨ててでも遷音速流を殺す。
遷音速流は全力でそれに抗い、銀刀を殺す。
どちらか一人が確実にこの世から去る、究極の一戦。
合図など何もなく、銀刀の周辺を風が吹き荒ぶ。
遷音速流も、全く同じタイミングで風を纏う。
荒々しい風が薄を乱雑に翻弄する中で、二人は全く同時に踏み込んだ。
0.01秒にも満たない刹那の攻防。
遷音速流と銀刀の力量に差など殆ど存在しない。
であれば勝敗を決めるのは――体格差。
復讐の為に自らの時間を停止させた銀刀の身体は、幼いままだ。
その差。抗うことの出来ない差が、勝敗を決した。
「かっ――は」
相手の胸部を貫通したのは――銀色の刃。
喀血したのは、遷音速流だった。
(ああ……やっぱり、そうなるよなぁ)
この程度のこと、暗殺者として闇社会を生きた銀刀が想定していない筈がない。ありとあらゆる角度から殺せると喧伝するような刃は全てがインファイトからの体術を狙うかのように錯覚させるフェイク。銀刀は最初から自らの愛剣一本で全ての決着を着ける気だった。
では、その方法は何か。
「はぁッ、はぁッ、はッ……」
激しく息を荒げる銀刀。その声は、先ほどより明らかに低音。
銀刀の全身が、青年と呼べる段階まで成長していた。
相打ち覚悟だったのか、銀の剣を握る利き腕は手の甲から肩にかけて一直線の裂傷が奔り、激しく出血している。彼は体術と風の神秘術で極限まで加速したその瞬間、時間停止の神秘術に強制的な割り込みをかけ、『蓄積した時間』を一気に自分の肉体に戻したのだ。
結果、銀刀は一瞬で有り得ない速度で成長し、リーチが突然伸び、その刃は遷音速流の予想を超えた。急成長によって腰ほどまでに伸びた黒髪が、超速移動の反動でばさりと舞う。
一瞬で強制的に成長するなど、下手をすれば反動でショック死してもおかしくない暴挙だ。確実に寿命を削るだろう。時の加護という防御も自らかなぐり捨てている。それでも、これで殺せると銀刀は判断し、実行した。
胸を貫く刃が心臓を完全に破壊していることを悟った、遷音速流は、奇跡的に動いた喉で、最期の言葉を告げる。
「首……持って、いきたまえ」
「ハァァァァァッ!!」
銀刀は自らのコートの裾を無事な腕で掴み、振り抜く。
その先端についた銀色の刃が月光を反射して煌めき、空を赤黒い血潮と首のシルエットが舞い、落ちた。
力なく崩れ落ちる遷音速流の肉体とそれに刺さった刃を手放し、だらりと両腕を下げて月光を見上げた銀刀は、これまで溜め込んだ全ての感情を爆発させるように慟哭する。
「――オオオオオオオオオォォォォォッッ!!」
斬ったところで何一つ戻るものはなく、失うだけの戦いだった。
それでも、これ以外にけじめをつける方法などありはしなかった。
達成感とも喪失感とも知れない感情を、月に向けて吐き出すしかなかった。
全ての感情の奔流を放出し切った銀刀は、そのまま倒れ伏し、指一本動かすことはなかった。
同刻――遠く離れた地で父と共に寝ていた嘗ての女神は、はっと目を覚まし、そして静かに涙を流して死者に黙祷を捧げた。
= =
「ねえねえお姉ちゃん、このヒト誰なの?」
「この男はのう、妾もよう知らんのじゃ。白狼女帝様のお気に入りで、海外の人間にしては古い仲らしいぞ。似た顔は知ってるんじゃがのう」
「お姉ちゃん、なんでこのヒト王宮の部屋でずっと寝てるの?」
「それはのう、妾もよう知らんのじゃ。白狼女帝様は眠り王子じゃなんじゃと冗談めかしてはぐらかしてしまうからのう。やっぱりあの暗殺者の縁者かのう?」
「お姉ちゃん、このヒト格好いいから目が覚めたらわらわのコイビトにしていいかな!」
「それはのう、やめた方がいいと思うぞ? 白狼女帝様がライバルになるのが目に見えておる。いや、むしろ両方……?」
「あ、お姉ちゃん! このヒト今目が動いたよ!!」
「なんじゃと!? 覚醒の兆候じゃ!! 急ぎ白狼女帝様に知らせねば!!」
「ふふふふ……妾の可愛い坊よ。みすみすお主を死なせる訳がなかろう? アサシンギルドの次期頭領からとうの昔に坊の事で話はつけておった。妾の予想通り、時を取り戻して成長した坊は実に好い。それに、遷音速流の奴もおぬしの早死になど望むところではあるまいて」
「……テメェ」
「案ずるな。遷音速流は確かにお主が首を刎ねた。坊の恩師たちの墓参りも全て済んでおる。3年も眠りこけておったお主が悪い。ふふふ……どうじゃ坊。妾がお主を触る手の温かさも、心臓の鼓動も、坊にとってはいつ以来か。生の実感は湧いたか?」
「……ちっ、それもお前のおかげだと言いたい訳か。何が、望みだ?」
「はぁ? なにを頓珍漢な事を言っておる。妾は今も昔も坊が欲しかったから手に入れただけじゃ。決闘に挑む前に暗殺者廃業したのじゃろ? 次の就職先は妾の隣じゃ!」
「……勝手にしろ。退屈だけはしなさそうで、結構な……ことだ」
「同意と見ていいな? 身体が本調子になったら我が伴侶として世間に大々的に発表じゃ! 新王国の文明も大分モノに出来てきた今こそ氷国連合拡大の時!! ああ、お主は別にしかめっ面のままでいいぞ。それでも妾はおぬしを愛しとるからの? ふふふふふ……!」
最後の最後まで、お付き合いいただきありがとうございます。
よければ評価、感想など頂けると幸いです。
それと、一つだけ隠し話を。
ゴールドはその後長い時間をかけて新王国を民主主義国家に変え、王位を退きました。最後の王としての役目を終えたゴールドは、赤槍士と共に平和な生活を送り、子宝にも恵まれたそうです。




