139.ラスト・キングダム
ここからは後日譚的な話になります。
世界に衝撃を与えた女神大戦から一か月。
歴王国の民は、平原国の近くに仮設されたキャンプに集合していた。
「これからどうなっちゃうの……?」
「王様も出てこねぇし、何にもなくなっちゃったなぁ……」
「俺、祭りで金全部使い切っちゃったよ」
「子供が熱出してて……慣れない暮らしで体を壊しちゃったみたい」
「ギルドに薬を貰うしかないな。畜生、スヴァル神殿さえあれば薬になんか困らねぇのに……!」
歴王国には、万一首都を含む国が生活できなくなった際に何処に集合し、何をするかといった対応方法がマニュアル化されている。しかし、首都に加えて終末巨人が破壊した大地が余りにも広範囲だったため、本来は分散して集合する地点の多くが使えなくなっている。
ギルドからの補給物資も次々に到達しているが、そもそも今回の女神大戦で行き場を失った民は他にも数多く存在し、国土が丸ごと消失してしまった国さえある。全ての物資を潤沢に行き渡らせることは出来ない。
それに、ギルドと伝統的に仲の悪かった歴王国民は、住処も指導者もなくなり苛立っている者も多い。フラストレーションの向かう方向はギルドにも向き、時折補給物資の配布場所では怒号が飛び交っていた。
今、歴王国は十賢円卓会議の最中だ。
国が滅んだということは、国王に問題があったことにも繋がる。結果的に国民の命は何とか助かったものの、女神の甘言に乗った国王がこのまま指導者で居続けることは出来ない。立て直すにしても新たな神輿が必要になる。
その日の昼――十賢円卓会議の終了と、歴王国の今後の方針が発表されることになる。
円卓の頂点たる新たな王の姿を確認しようと集まった人々は、驚いた。
そこには、雅な装いに身を包んだ威厳ある王ではなく、上質な鎧に身を包んだ若く端正な顔立ちの男が立っていた。気位の高さを感じる美しい金髪の男は、その背に滅竜家のエムブレムをあしらったマントをはためかせる。
「ゴールド坊ちゃん……」
「誰だ……?」
「ゴールド様だよ。滅竜家の跡取りになると言われたが、弟に家督を譲ったと聞いていたが……?」
彼を知る者もいたが、表立って歴王国のイベントに顔を出さない彼を知る者は少数派だった。しかし、滅竜家のマントは国民の誰もが知っている。誰もが、彼が次の王なのだと確信した。
ゴールドは拡声神秘術を用い、自らの声を皆の下へ響かせる。
「お初にお目にかかる方も多いだろう。我が名はゴールド。滅竜家の長男として生まれた者。此度は皆に大切な話があり、ここに立つ」
彼を後ろで見守る十摂家の一人、シルバーが、全てを悟ったような顔で兄の背中を眺めた。シルバーには元々大きく見えた兄の背中が、前国王のそれより更に大きく、頼もしく見えていた。
「皆も知っての通り、前国王は女神によって永遠の繁栄を約束され、付き従った。しかし、結果は見ての通りだ。それは確かに絶大な力であったのだろうが、永遠の世界は天の裁定によって否定された。女神はもうおらず、それどころか我々は帰る家も財も、命と文化以外の何もかもを失ってしまった」
会場のあちこちから、嗚咽や唸り声が響く。
皆、本気で信じていた。
そして、出来れば間違いであって欲しかった。
全てが報われるという絶頂から突き落とされた衝撃は、一か月の時が経ってなお、歴王国民には辛いものだった。
「女神とは何だったのか? 女神に従った我々は間違えたのか? その問答は、幾度考え直しても答えが出ることはないだろう。我々は大切なものを失い、しかし最も大切なものを残して、此処に集った」
歴王国は三大国が一国。
その根底、その神髄は、この星の如何なる国家より優れた文明にあり。
「我々に命と文化がある限り、歴王国はまた蘇る」
その言葉に、民は熱狂した。
しかし、熱狂は続く問いかけにて困惑へと変わる。
「――それでいいのだろうか?」
質問の意図が分からず困惑する民たちを見渡し、ゴールドは一歩前に出た。
「歴王国は巨大な文明国であり、幾度となく滅亡の危機を潜り抜けてきた。私が健やかに育ってこられたのも、歴王国の文明の恩寵であると私は確信している。だが、私は一度歴王国の外を旅した中で、多くの国と民、そして歴史を知った……歴王国がひた隠しにしてきた、闇をもである」
歴王国で家督を継いでいれば決して知ることのなかった、歴王国の裏の顔。ゴールドはもはや、母国を妄信的に信じ続けることはできない。
「毎日の生活でいっぱいいっぱいの人々に、法外な値段の薬をちらつかせる商人たちがいた……森の外を知らぬ民たちに一方的な労働を強いた役人たちがいた……平和に暮らしていた少数種族を悪戯に脅かした開拓者たちがいた……そして、歴王国の強いた投薬実験によって故郷も家族も失った人が、世界には――いた。歴王国は輝かしい発展の陰で、歴王国の為にと唱えながら他者を足蹴に搾取と強要を続けた」
どよめきが一気に広がる。
まさか、そんな、でも、といった困惑から、出鱈目だ、嘘だ、信じない、という怒りの声。中には、それの何が悪い、相手が文化的でないのがいけないという相手を非難する声さえもあった。ゴールドはそれをあるがままに受け入れ、言葉を続ける。
「歴王国は確かに大きく、強く、発展し続けてきた。しかし、それは限りあるものを他者から奪ってきたことでもある。それは結果的により多くの人の利益になったかもしれないし、それによって救われた人もいるかもしれない。その事実を私は否定しない。しかし――今一度、問う。そんな歴王国を繰り返すだけで、本当にいいのだろうか?」
ゴールドは赤槍士と結ばれた夜、密かに決意したことがあった。
『この騒ぎが収まったら、歴王国に戻ろうと思う』
「……家族のこと、決着付けたんじゃなかったの?』
『ああ、そっちはもういい。もっと大切な事をやりたいと思ってる。内容は……まだヒミツだ』
『なんだよーそれー! いーえーよー!』
『ああもうすっかり甘えん坊になっちゃって……何だっていいだろ? どうせ君も連れて行くんだし。手伝わせるから逃げられると思わないことだ』
『はぁーい。ふふ……ヘンなの。命令口調で王様みたい』
あの時は口にはしなかったが、心の中でそれはとうの昔に形となっていた。
今、この光景を近くで赤槍士も見ている。
彼女にはそのことを告げ、大いに驚かれた。
怒られるかもしれないと思ったが、彼女は二言三言ちくちくと嫌味を言うと、それで終わりとばかりにあっさりと同意してくれた。ゴールドの、烏滸がましくも大それた夢を。彼が為さねばならぬと決意した道を。
今、ゴールドの目の前には驚くほどにはっきりとした未来への道筋がある。故に、罵詈雑言を浴びせんとする民たちに引けを取ることはなかった。
「歴王国は――我らの愛した美しき王都は滅んだ! しかし月の虹は人を生かした!! 何故か!? これは古き歴王国を塗り替え、事実と向き合い、新しき国を創生する為に女神が与えたもうた機会ッ!! 我らは過去の我らを超えなければならない!! 愛すべき隣人とは誰なのかを、今一度考え直さなければならない!!」
歴王国は滅びなければならない。
だが、それは喪失や空虚を意味しない。
歴王国が滅びなければならなかったのは、歴王国が古き存在だったからだ。
機を見計らい、ゴールドの奥から歴王国の旧国王が姿を現す。
彼の姿は雪兎の力で若々しく変わった姿ではなく、本来の年齢のそれに戻っている。彼は一切の迷いを見せることなく自らの王冠を外し、それを術にて砕き、新たな形状へと形成し直してゆく。歴王国で代々行われてきた戴冠の儀である。
やがて新たな形状へと変貌した王冠は、旧国王の手を離れ、ゴールドの頭上へと居場所を移した。
旧国王が民に告げる。
「新たなる道を切り開く若き光、新国王に英霊たちの加護ぞあれ!! 我らの犯した数々の過ちを共に背負い、我はここに退位と新国王誕生を宣言するッ!!」
旧国王はよく理解していた。
この女神大戦は避けられぬ戦いではあったが、責は間違いなく自分にあると。桜に極所相転移弾を放ち終末巨人現出の直接的要因を作ってしまったことを、彼は既に知っていた。
彼は己の判断を後悔などしていない。王としてその時すべきと思ったことを、歴王国を守る者としてやり抜いた。故に、もしそれが間違っていたというのなら、それはすなわち――積み重ねてきた歴王国の考え方が、時代遅れになったことを意味する。
ゴールドの覚悟はオーラとなって全身に纏わりつき、空を貫く閃光となって立ち昇る。彼は声高らかに、己の運命を決定づける言葉を自ら放った。
「生き残った奇跡の民たちよ、今一度聞けッ!! 我が名はゴールド!! 新王ゴールドッ!! 歴王国最後の王にして……歴王国を超え、世界に先駆ける先進と調和の国――『新王国』を諸君らと共に創生する王であるッ!!」
この日――のちのロータ・ロバリーの歴史に「最も偉大な王」としてその名を刻まれる男が、王座に就いた。




