136.受付嬢ちゃん、世界を救済する
ポニーちゃんはモニタを観測していて思わず涙を流しました。
終末巨人から飛び出してきた二つの影――それは、雪兎ちゃんとアイドルちゃんを優しく、そしてしっかりと抱きしめた桜さんと、桜さんの下に駆け付ける碧射手ちゃんだったからです。
良かった。
本当に――良かった。
ハンカチで涙をぬぐい、鼻を啜り、一度大きく息を吐き、一旦この感動を胸の内にしまいます。何故かと言うと、終末巨人による終末の刻がまだ去っていないからです。
さて、皆さん。終末巨人は月を掴もうとしていた訳ですが――そもそもロータ・ロバリーにおける月は地表からして高度1500km程度の高さを周回しているそうです。ポニーちゃんからしたら途方もない高さに思えますが、桜さん曰く「地球人の感覚からするとアホほど近い。近すぎて不安」らしいです。
曰く、そもそも月は古代にこの星に辿り着いた悪い人たちが地球に近い環境を作るために人工的に作ったものらしく、月の引力を真似る為に非常に大掛かりな慣性制御が施されているので通常の人工衛星ではありえない動きをしているとのことです。
また、地球の月は本来とてつもなく大きい為、距離を近づけることで大幅に質量を減らしつつサイズ感を損なわないよう光学的な調整が為されているといいます。そこまで手間をかけて地球に近い環境をする意味は不明ですが、それだけ地球に拘りがあったのでしょう。
では問題です。
高度1500km上空に存在する人工衛星を術で引き寄せたりしようとするには、相応に距離が近くなければ出来ません。そのため、月に手を伸ばそうとした終末巨人の高度は、現在地上から腕まで1200kmに及びます。
この全高1200kmの巨人も吹き飛ぶ莫大な質量がコントロールを失って崩壊したら、ロータ・ロバリーはどうなるでしょう?
答え――人類に未来はありません。
最初、終末巨人から1200km以上離れたらなんとかなるのでは? と考えましたが、1200km上空から落ちてくる大質量の物体が持つエネルギーはポニーちゃんの想像力を遥かに凌駕する破壊を齎すので、そういう問題ではないそうです。
よしんば運よく終末巨人の瓦礫から難を逃れることが可能だったとしても、巨人の破片は常識では想像も及ばない膨大な粉塵を巻き上げ、空から降り注ぐ太陽の光が遮断されてしまうので、この星は生き物が暮らしていける星ではなくなることが予想されます。
終末巨人中枢や光の根は神秘の塊でもあったが故に見た目そのまんまの質量ではないようですが、正直ここまで大きくなるとどっちにしろ無理なようです。星の回転――自転の遠心力で宇宙の方に飛ばすという案もありましたが、終末巨人が一繋ぎの物体であることとロータ・ロバリーの引力を脱していないとかなんとかで無理っぽいです。
ところがどっこい、この絶望しかない状況に埒を空ける為なのか、ゴールドさんたちが大気圏を突破した後にポニーちゃんは誰も予想しなかった新たな『神の船』がこの空域に近づいてきていたことを知りました。
乗組員たちの素性を知った時は思わずひっくり返るかと思いましたが、彼等の船ならば人類滅亡を防ぐことが出来るようです。信頼に足る人も中にはいたので、そこは疑っていません。
――その船は瓦礫をどうにかすることは出来るけれど、二人の女神をどうこうする力はない……つまり、結局桜さんに全てが懸かっていたことに変わりはなく、彼等は後詰という扱いになります。
桜さんが二人の女神を助けに行っている間、ポニーちゃんはずっとそっちの船の対応をしていたので応援とか手伝いとかは出来ませんでした。でも他の全てを仲間に任せてでも誘導したり手伝ったりする価値はあったと思います。
なにせ、船に乗ってる人の殆どが機械なんて弄れない人ばかりでしたから。
インカムを無意識に指で押さえ、ポニーちゃんは誘導します。
――そのまま高度を上げていってください! アクセス権限を解放すれば宇宙を漂う桜さんたちも船に乗れますよ!!
『えっと……アクセスケンゲンって何よ!? 黒術士、ちょっと黒術士ー!!』
『大剣士、いま話しかけんなぁっ!! こちとらマニュアル片手になんとか舵切ってるのよ!?』
『これじゃないムか? ポチっとム』
『おいコラ適当に触んなよポム斥候!? 間違ってたらどーすんだよ!?』
『適当じゃないム。ポムポム族の勘は何故かこういうときだけ冴えわたるム。斧戦士は余計な心配し過ぎム。将来ハーゲてしまうムよ?』
『ハゲてたまるかッ!! つーか結局カンじゃねーかッ!!』
《アクセス権限が解放されました》
『ほら大丈夫だったム』
『理不尽だーっ!!』
『……ううぅ、ここは、どこだ……』
『おっ、目ぇ醒ました。微臭さん大丈夫っすか? さっきここに来る前のシャワー室みたいな所でオレたちの比じゃねぇくらい猛烈に消毒液ぶっかけられてたっすけど』
『お前は、新米調教師か……そうだ、皆と一緒に奇妙な部屋に入り、確か清潔度が低いから要洗浄とか、言われて……』
『確かに、今の微臭さんからは僅かな悪臭も感じねっす。今日からアイデンティティ消失の無臭さんっす』
出るわ出るわ、知ってる顔が出まくりです。
前に魔物撃破数の取り分で大モメした黒術士さんと大剣士さん。
メガネちゃんに知識の暴力で殴られたポム斥候さん。
問題児として何かと世話を焼いた斧戦士さん。
自称コヴォルスレイヤーでフケツだった微臭(改め無臭?)さん。
最後に出たのはベテラン調教師さんとの悶着の末に彼に弟子入りした新米調教師さん。
何がどうしてこうなったのか。
新たな神の船の乗組員たちは、何故かポニーちゃんたちの勤め先である『ギルド西大陸中央第17支部』の所属冒険者たちです。
そして、その頂点だとばかりに艦長席に座る謎のナイスミドル。
『ロータ・ロバリー初の航海だ!! 錨を上げろ、帆を張れ!! 人類の未知なる開拓地へヨーソローッ!! うわっはっはっはっは!! 初代キャプテンよ草葉の陰で見ているか!? 初代の性格と知識を受け継ぎ誕生したこのワシ、アンドロイドの二代目キャプテンは早速巨大な使命を遂行中だ!! 総員、奮起せよ!! 我等の通った航路こそ、後に人類が辿る道しるべであるッ!! うわーっはっはっはっは!!』
どこか船乗りらしさを感じる制服のような装いに身を包み、右目に黒い眼帯を巻き、左手は何故かフック型。ダンディズムを感じる渋い顔には自信に満ちた笑みが浮かぶ、彼こそが神の船の船長。
『我が名はキャプテン、二代目のキャプテンッ!! ガナンの船員にすら知らされていなかった『第四の船』にして最後の切り札……最高司令船『ダルタニアン』の船長であーるッ!!』
そう――そうなのです。
この船の存在は、ガナンの船長以外誰一人として知らず、マスターユーザーやアイドルちゃんでさえ一切知らなかったのです。この船は誰にも見つかることのない完全なステルスで独立飛行して人知れずロータ・ロバリーに着陸し、ずっと眠っていたらしいのです。
『我が盟友よ、今こそ目覚めの刻ッ!! 電子の精霊の力、余すことなく見せつけてやれぇぇぇーーーーいッ!!』
不思議と人の胸を打つ力強さのある叫び声に呼応するように、『ダルタニアン』の中で一つの意志が目覚め、寝起きとばかりに眠たそうな声を漏らします。
『ふわぁぁぁぁ……んみゅう。相変わらずキャプテンの声は無駄に煩いっきゅ。でもまぁ、やっと出番が回ってきたのは従者冥利に尽きるっきゅかね?』
ダルタニアンの上部に着陸し、ハッチを上けて内部に入ろうとする碧射手ちゃん、アイドルちゃん、そして雪兎ちゃんの目が驚愕に見開かれます。その声、その口調は、ポニーちゃんも碧射手ちゃんたちもよく知っている声でした。
唯一人、この『再会』を予見していた桜さんだけは、慈愛に満ちた母性を感じる笑みを零します。
『待たせたな、白雪。起き掛けに悪いが一仕事頼むぜ』
『ハッ、だーれに物言ってるっきゅか!! 今やボクはダルタニアンの中枢と同化し、キャプテンと二人でガナンの全権握ってるっきゅよ!?』
『その通りッ!! このダルタニアンは万が一ガナンが敵に拿捕された時を想定し、ガナンの艦長が持つ権限を上回る完全優位権限を保有ッ!! そして万が一にもガナンより先にダルタニアンが補足されぬよう、艦長以外の誰一人として存在を知らされないスタンドアローンの存在であったのだぁッ!! こんなこともあろうかと……そう、こんなこともあろうかとォォォォォッ!!』
感極まった顔で叫び散らすキャプテンさん。鬱陶しいまでのテンションの高さですが、その『こんなこと』が本当に起きているのだから世の中分からないものです。
『この日ここに船が間に合うように冒険者たちを嘘の依頼で騙して連れて来てたエインフィレモスの奴も草葉の陰で微笑んでることだろうっきゅ』
『征くぞ、初代キャプテンの母艦よッ!! コード入力、強制アクセスにてガナン緊急起動ッ!! 空間座標入力、自転及び公転データ計算結果送信!! 『クロノスタシス』起動ッ!!』
『アイ、アイ、サー! コード入力、ガナン緊急起動!! データ送信!! 『クロノスタシス』、スタンバイッ!! 稼働率上昇――行けるっきゅよぉぉぉぉぉッ!!』
二人でめちゃくちゃ盛り上がっていますが、ガナンは月の裏のドックにあるので何が起きているのか視覚的情報は一切分かりません。なんなら演劇の真似をして遊んでいる感さえあります。
しかし、アラミスの本来の母艦とも言えるガナンのデータが送信されてきているので、一応ちゃんと世界を救う最後の兵器が起動しているのは確認できました。
既に終末巨人の残骸は脚部辺りから崩壊を始め、体のあちこちに亀裂や破損を起こしながら傾き始めています。モニターでは縮尺の関係で不気味なほどゆっくりに見えますが、現実では劇的な速度で落下しているので洒落になりません。
『説明しようっきゅ!! クロノスタシスとは、特定の空間を離元炉の理論を応用して丸ごと切り取り、異空間にそのまんま保存する超空間兵器っきゅ!! 戦いだけでなく防御や捕縛にも使えるガナン最後の切り札なんっきゅよー!! こんだけの大質量、破壊しても消滅させても星への影響が強すぎるんでこれがベストっきゅ!! いやー、僕が生まれるより前にタイムスリップしてこっそりガナンの自己修復機能をクロノスタシス発射に全振りした甲斐があったっきゅ!!』
たいむすりっぷ。桜さんから聞いたことがあるような気がする話です。
ですが、今はそれどころではありません。
今こそ星を救うときです!!
『では、クロノスタシス発射トリガーは艦長たるこのワシがッ!!』
『待つム。そんな面白……重要な役割独り占めはずるいム。このポム斥候が世界を救うム!!』
『あっ、てめっ、抜け駆けすんなよー!! 元は俺がこの依頼に誘ったんだろうが!! ポニーの前で格好つけさせろヘンチクリン生物が!!』
『引っ込んでなさい低知能生命体共!! 操舵を担当したこの黒術士こそ功労者!! 功労に報いてトリガーを譲りなさい!!』
『面白そうだから引かせろ! ひーかーせーろー!!』
『ゴホン。今まで消毒液噴射で寝ていて何も仕事が出来てないこの俺に最後の仕事くらいはさせてくれんか。それに俺はこの中の冒険者では最年長だ。年長の言う事には耳を傾けるべきだと俺は思う』
『めっちゃ早口で捲し立てたっす!! 無臭の分際で!!』
『さっきから貴様何だ定期的に俺を貶してきおって!!』
『アンタの臭さのせいでせっかくテイムして仲良くなったユニヴァーンちゃんがヘソ曲げたっす。万死に値するっす』
希望の船ダルタニアンのブリッジで繰り広げられる、この忙しい時にすべきではない醜すぎる乱痴気騒ぎ。残念なことに冒険者組は世界の危機について実感がないままここに来てしまったようです。
ユニヴァーンは角と翼の生えた美しい馬の魔物で、テイム可能な魔物の中では最強クラスとされています。何故か女好きで女性調教師にしか懐かないと言われていますが、そういえば新人調教師さんはベテラン調教師さんに男がテイムする裏技を教わっていたのでモノにしたのでしょう。
閑話休題。
このままでは埒が明かないので、通信を繋げてポニーちゃんは叱咤を飛ばします。
――いい加減にしてくださいッ!!
――依頼中に内輪揉めなど言語道断ッ!!
――十秒以内に決めなければ私が決めますよッ!!
『……』
『……』
『……』
その場の全員がもみくちゃになりながら一斉に停止し、互いに互いの顔を見合わせ、そして結論はすぐに出たようでした。
『決まりそうにないからポニーちゃん押してくれ』
『うむ、この混乱を一喝で収めた君に、キャプテンとして判断をゆだねよう』
『そういうことらしいっきゅから、ポニーちゃんの方にトリガー回すっきゅ』
――えっ。
ウィーン、と音を立ててポニーちゃんの前に仰々しい形のトリガーが出現します。
いえ、私が引く人を決めちゃいますよってことで、私が引きたい訳じゃないのですが。そう告げると、桜さんからも通信が入ります。
『そういうポニーだからいいんじゃないか? みんな、ポニーなら仕方ないなって納得して出た結論だろ。ほら、時間がないぞ受付嬢? 受付嬢はスピードも大切にしなきゃ!』
何故かどことなく嬉しそうな桜さん。
ブリッジの人々も、人造巨人のパイロットたちも、誰も抗議しません。
最後にちらっとイイコちゃんの方を見たら、「勇気がないなら一緒に押してあげようか?」と意地悪な笑みで返されました。ポニーちゃんだって子供じゃありませんから、そこまで言うなら引きますとも。
若干の緊張で汗ばんだ指をトリガーにかけ、触り慣れない固い感触を無視して、無心に叫びます。
――行きますよ! せーのっ!!
かちり、とトリガーが引かれた。
月の裏から虹色の光が複数、歪曲しながら光の速度で飛来した。
虹色の光は、世界を崩壊させんとした終末巨人の大質量を包み込む。
僅か数秒で全ての瓦礫すら取り込んだそれは、つぎの瞬間、巨人ごと呆気なく消えた。まるで今までの全ての戦いが悪い夢であったかのように。
『……終末巨人、異空間への取り込み成功ッ!! この戦い、人類の勇気と知恵と愛の勝利っきゅーーーーーーっ!!』
星難が去った青空を見上げた人々が、一斉に歓喜の叫び声を上げる。仲間の受付嬢たちが次々に席から立ち上がり、トリガーから指を放して茫然としているポニーちゃんに抱き着いた。
「おっしゃああああああ!! やった、やったぞポニー!!」
「わたしたちの勝利です!! 世界はもう滅びません!!」
「女神二人も無事に救出できたし……完全勝利って言うんじゃない、これ?」
皆の言葉にポニーちゃんは何度も頷き、そして今まで堪えていた緊張の糸が切れたように涙を流して皆を抱きしめました。自分でもこんなに感情を抱え込んでいたのにびっくりする程の大泣きをしたポニーちゃんは、その後パインお姉ちゃんに頭を撫でて褒められるまで暫くやった、やったと叫びつくし、やがて桜さんたちが合流した頃には疲れて寝てしまっていたそうです。
――のちにこの戦いは、女神大戦と呼ばれることになる。
永遠を齎さんとする女神と『何か』が激突したその戦いは、星が滅ぶ寸前までの大事態に発生するも、最後には『月の虹』と呼ばれる奇跡によって人は救済されることとなった。人類は永遠を手に入れることは終ぞなかったが、虹はそんな人類に『明日』の意味を再度説いてくれたのだと、後世の人は言う。
この大戦の勝者は判然としない。
女神が勝利したのか、それとも『何か』が勝利したのか。
或いは二者は和解したのか、二者は滅んだのか。
二者とも偽物であり、真の女神は月に居たと主張する者もいる。
これから、ロータ・ロバリーには変化の時代が訪れる。
きっと誰も涙を流さず超えることは出来ない、そんな変化だ。
しかし、それが人が前に進み続けるということなのかもしれない、と誰かは言う。
未来のことなど誰にも分らない。
だから、未来に向かう価値がある。




