131.刻の罪人
ある日のこと、中華人民共和国の役人が俺たちの下を訪ねてきた。
曰く、中国政府が研究資金を出すから中国に帰化して貰いたい。
つまり研究者の引き抜きだった。
天の川は本筋の研究では学会に「荒唐無稽な理論の為に莫大な金を要求する夢見がちな女」というレッテルを張られているが、その傍らで行った研究は細かいながら悉く実績を残していた。その実績が中国政府の目に留まったのだろう。
俺と天の川は悩んだが、もう日本で彼女の実験を成功させられる可能性は極めて低くなっていた。天の川は、俺も助手として厚遇することを条件に出し、中国側の要求を呑んだ。
突然の外国移住は相応に大変だったが、天の川の研究は環境の変化によって格段に進んだ。代わりに中国政府の意向をある程度聞かなければならなくなったが、あちらとしても新エネルギーには興味があったのか、そちらに関しては口出しを余りしてこなかった。
「研究が完成したらどうする? 遊ぶか?」
「あははは、まさかぁ! 完成したエネルギーを発展した形で世間にお届けする仕事が残ってるって! でも……今よりはゆっくりできるかな?」
そう言って、天の川は自分の腹部を愛おしそうに撫でた。
天の川の胎の中には、俺との子どもが出来ていた。
もうすぐ、自分は父親に、天の川は母親になる。まだお腹が膨らむ段階にも至っていないが、それは俺たちにとって明るい未来を感じさせるものだった。
西暦2021年、8月16日。
忘れもしない、あの灼熱の陽光が降り注ぐ夏。
アイテール生成実験の日。
俺たちの運命の全てが致命的に狂った日。
俺たちは、一つの夢に辿り着き、そして一つの夢を失った。
天の川の理論には何も問題はなかった。制御装置も、防御装置も、問題はなかった。ただ、外注の装置との兼ね合いが悪かったため、俺と天の川はマシントラブルの整備の為に実験装置のかなり近くに居た。
理論上、近くに居ても健康に害はない筈だった。
更に、中国共産党の重鎮が実験の見学に訪れていた。
失敗も遅延も許されないため、俺達は退避せず、装置の間近で実験を開始した。
実験は成功し、アイテールの燐光が空間を満たした。
ただ、そのアイテールは想定以上に膨れ上がり、一度弾けて波が周囲に広がった。その波を至近距離で浴びた俺たちの身体に異変が起きたことだけは――それだけは、彼女の想定外だった。実験結果をもとに分析すればその異変は予測も防御も可能だったが、研究とは失敗の上に成り立つ。そういう意味で、彼女は失敗した。
強力なアイテールが空間に作用したことで、俺と天の川の肉体は強制的にアイテールで構成されたものに変異していた。
アイテールの肉体は極端に消耗が少なく、傷を負っても血すら流れず治癒される。食事も睡眠も可能だが、必須ではなくなった。細胞分裂によるテロメアの劣化さえ関係なくなる、不老不死に限りなく近い存在に変異した俺達を待っていたのは――。
天の川の子宮で育っていた子供の、消失だった。
同時に、俺達は子供を作れない体になっていた。
天の川は泣きじゃくり、俺に縋りついて何度も、何度も謝った。
「ごめん……ごめんねぇ……!!」
「お前が悪い訳じゃない。お前が悪いんじゃないよ。だから、謝らないでいいんだ……」
「でも、でもぉ……わた、わたしが、もっと考えてたらッ!! 考えてたら、産んであげられたのに……ごめんね、ごめんねぇ……!!」
彼女はこの後一生、母になる夢と子を殺した罪を忘れることはないだろう。
俺には、その罪の片棒を彼女から借りることしか出来なかった。
――アイテールの生成は、一定の濃度以上で行うと空間にゆらぎを生じさせ、周囲の物体をアイテールがガンマ線以上の透過率で通り過ぎる。無機物はその影響を殆ど受けないが、有機物がそれを受けると体が同じ構造を保ったままアイテールに置換される。
ただし、対象の有機物の強度や大きさによっては、置換された際にそのまま崩壊してアイテールに帰すことになる。
それが、結論だ。
俺たちはこの事実を秘匿し、中国政府に最低限の義理として改良型アイテール発生装置とその理論を残し、歴史の表舞台から姿を消した。情報は多少漏れたが、それはいつしか歪んで『アイテール体となった者は暫くすると存在が崩壊し、跡形もなくなる』という間違った推論に変化し、同じ過ちを犯さない為の警句となった。
――それから百年以上、俺達は世間から身を隠して一緒に行動した。
アイテールの身体となった俺達は従来の人類より極めて強固であり、更に本来なら機械を介す必要のあるアイテール運用を魔法のように行うことが出来た。その特性を利用して、俺達は正義の味方の真似事を続けた。
天の川は自分の研究が子供を殺したという罪の意識に苛まれ続けていたので、それをほんの少しでいいから別の物事に対して発散させてあげたかった。彼女には、これは罪滅ぼしだと言い聞かせた。彼女もそれに納得し、段々と順応していった。
アイテールの恩恵が人類に行き渡るように。
アイテールを独占する連中をのさばらせない為に。
犯罪組織ウジンとの決着は、終ぞ着かなかったのだけが心残りだ。
百年以上に亘る活動が終わった理由は二つある。
一つは、アイテールで構成された肉体にも寿命があることが判明したこと。推定であと百年以上はあるとはいえ、老いることのない肉体に限界があることに、俺達は不思議な安堵を覚えていた。ああ、ちゃんと摂理に従って死ねるのだ、と。
もう一つは、医療技術やナノマシンの高度発達により、人間という種の在り方が変わり始めていたこと。サイボーグは勿論、肉体をナノマシンに置き換えて二倍、三倍生きる者も出始めた世界では、とうに死んだことになっている二人が日の目を浴びることが可能な環境になりつつあった。
俺達は残りの寿命を世界の為に費やそうと、大地球連盟に身の上を説明し、その庇護下に入った。俺も天の川も、もう疲れ果てていたのだ。
俺と天の川は時折、大地球連盟から依頼を受けて研究を行い、その成果を提出した。兵器の類はなるだけ断ったが、幾つかの理論や研究は兵器に転用されただろう。分かってはいたが、俺達にはもうそこまでの責任を負う余裕が心になかった。
そんな頃だったろうか、ABIE理論が提唱されたのは。
(ー。……イター? ……クリエイター、意識保ってるっきゅか!?)
(……、え……あ、ああ!! 大丈夫、大丈夫だ!! 俺はロータ・ロバリーに帰ろうとしてる桜だよ!!)
(今ちょっと危なかったっきゅよね!? 確かに衝撃的な内容の連発だったっきゅけど、感情移入し過ぎないようにするっきゅ!!)
(わ、分かってる。俺は彼女と会わずロバリーに転移したんだから、この俺は俺自身じゃない。俺じゃないんだ……つーか、見覚えあるもん出てきたぞ)
(ABIE理論。クリエイターの乗ってた人造巨人、ニヒロのシステムっきゅよね?)
(ああ。そうか……そういえばハイ・アイテールもABIE理論を元に作られたって話だったな)
ABIE理論は、風変わりな研究者が異世界――平行世界や多元宇宙を含む――と交信するための理論として組み立てたものだった。しかし、その為に用いる技術理論が余りにも革新的過ぎて、世間はそれを即物的な方向に応用することばかりを考えた。
新たな空間干渉兵器への転用だ。
(それがニヒロに繋がるが、実用化に間に合わなかったな……)
(ほら、また当事者みたいな考え方してるっきゅ)
(本当だ。マジで気を付けます……)
天の川はあれから百年以上経っても、子供への未練を抱えていた。
彼女はある日、一つだけ我儘を聞いてほしいと俺に頼んできた。
「ABIE理論を使って、アイテールで子供を作りたい。ごめんね、こんなの普通じゃないって分かってるんだけど……一度でいい、同じ時間を過ごせる子供の母親になりたいの」
俺達と普通の人間は同じ時間、同じ人生を歩めない。
その提案は確かに、見ようによっては無責任な我がままだった。
でも、俺も家族や友人が全てこの世を去った世界でもうすぐ自分にも終わりが来ると思うと、誰かに何かを託したい気持ちが芽生えていた。
彼女の頭脳は何年経過しようが天才的なままだった。
彼女は理論を応用してアイテールに直接数列を入力し、不定形な筈のアイテールに生命体と呼べる知能と形を作り、なんと実験なしの一発で成功させて見せた。もしこれで失敗したら子供を作るのは諦めると断言した上での、女の意地だった。
生まれたアイテールは人の形を模しているが、遺伝的には人間ではないしそもそも生物としての法則すら持たない。天の川はそれに知能を与え、人の在り方をあらゆる視点から分析して丁寧に、丁寧に与えた。
アイテールを支配する高位のアイテール思念体とでも形容すればいいのだろうか。俺と天の川の子どもは人知を超えた力を持ちながら、すくすくと成長した。それは時間感覚の狂った俺たちの視点でしかないが、その成長の一つ一つが嬉しかった。
あの子――雪兎が俺と天の川の小指を手で握った瞬間。
俺達の顔を真似してにぃ、と笑顔を作ったこと。
初めて俺達をおとうさん、おかあさんと呼んだこと。
俺たちに自然と甘えるようになってきたこと。
全てが、愛おしかった。
もうすぐ、人間と混ざっても暫く気付けないほどに成長した。
――俺たちがおかしくなってしまったのか? それとも、俺達が子供ばかり見ている間に世界がおかしくなってしまったのか? 判別はつかないが、最期の日は前触れなくやってきた。
「天の川博士、桜博士、貴方方を研究費不正取得の疑いで一時拘束します。両手を頭の後ろで組んで膝をつきなさい」
「突然何の真似だ!? ……おい、勝手に資料を散らかすな!! どうなってる、これはキャプテンも承知の上での行動か!? 令状を見せ……おい、妻に触るな!!」
「アイテール固定化錠!? 駄目、桜!! この人たちは計画的に私たちを捕らえに来ている!!」
アイテールで構成された肉体を知り尽くした装備で、天の川が呆気なく拘束される。来ると分かっていれば抵抗出来ただろうが、高度に訓練された不意打ちに俺たちは殆ど抵抗できなかった。
「おい、これか?」
「ああ。流石は稀代の天才博士たちだ。計測メーターが振り切れてやがる」
「貴様、警備主任……これが法的根拠ある行動かどうか、説明しろ!!」
「博士、貴方たちは研究費不正取得の疑いをかけられて拘束されますが、そう長くは拘束されないでしょう。貴方方は地球の更なる発展の為にハイ・アイテールを開発した功労者として、未来永劫世界に称えられることになる……おい、運び出せ」
「まさか、その子が狙いか……!!」
今やアイテールに入れ替わった筈の全身に、熱い血流が巡った気がした。
俺たちの子ども、最後の幸せ、それが奪われようとしている。
自分の体の内にこれほどの激情が残っているとは思わなかった。
普段から寝床にしているカプセルから引き摺りだされ、見ず知らずの大人たちに囲まれて拘束具を嵌められていく雪兎を前に、俺の理性は爆発した。
「俺たちの子どもに――触れるなぁぁぁぁぁッッ!!!」
嘗て犯罪組織相手に戦い続けた身体から兵器並のアイテールが噴出する。その行為によって自分の寿命が縮むとしても、助けを求める声の為ならば止まる気はなかった。
「おとうさぁん! おかあさぁん!!」
「雪兎っ!? お願い、乱暴はやめてっ!!」
「抵抗を止めろ、博士!! 貴方が大人しくすれば全て上手く収まる!!」
「……了解、状況E承認。相転移弾頭用意」
「っ!? 止せ、馬鹿者!! いや、貴様……いつから――!?」
「おとうさんっ!!」
「雪兎ぃぃぃっ!!」
周囲を跳ねのけて雪兎に向けて伸ばした手は――あと少しで彼女に触れるという瞬間に、極所相転移弾の狙撃を受けて永遠に届かなくなった。
時空の狭間が開き、吸い込まれる寸前に俺が見たもの。
それは茫然とし、そしてやがて絶望に染まるであろう娘の顔。
『駄目だ……雪兎……俺たちの娘を……誰かの道具になど、孤独になど、させない――っ』
俺の娘、雪兎よ。
おとうさんは、この宇宙から永遠に消えるとしても、お前を愛している。
――翌日、8月16日。奇しくも俺と天の川が人でなくなったのと同じ月日に、復讐装置と化した雪兎は地球生物全ての絶滅作業を終了させた。
「――ッッ!!?」
弾かれるように、桜色の光から手を放す。
そこはまた因果地平の彼方で、目の前にはエインフィレモスがいて、隣には白雪がいた。桜は桜のまま戻ってきていた。
『――如何でした?』
「おい、エインフィレモス」
桜は、確信に近いものを抱き、エインフィレモスに問う。
「籠の中に入ってるのは――」
『桜です。ハイ・アイテールたる雪兎の父親の、桜』
『――そういう、ことだ。俺よ……いや、俺となる可能性があった、俺と言うべきか……』
「喋ったっきゅぅぅぅぅぅーーーー!?」
自分が散々やられたネタを素で自分がやる白雪だが、それどころではない。
今、目の前で紡がれた声はしゃがれていたが、確かに自分自身の声だった。
『初めまして、桜よ。同一人物の邂逅とは、不思議なものだ』
「どうなってやがる。いや、まさか……」
一つ――疑問に思いつつも、それほど考えていなかったことがある。
アイドルは、ロータ・ロバリーに俺が転移させられたのは、雪兎の企てと推測していた。俺を送り込むことで中継地を作り、ロータ・ロバリーに侵入したのだと。しかし、それはあくまで推測。彼女からそんな言葉を聞いた覚えはない。
そもそも、送り込むのは一人でなくともいいのではないか。
何故、桜一人だけを送り込む必要があったのか。
しかも、桜が送り込まれてから雪兎が実際にロータ・ロバリーに来るまでには数日の間が空いていたのも、計画的に練られたにしては不自然だ。大体にして、彼女は俺を送る際にどうやってロータ・ロバリーの座標を把握したというのだろうか。
前提が違うのだとすれば?
雪兎は、いきなり現れた桜の存在を感じてそこに向かい、初めてそこでロータ・ロバリーの存在に気付いたのだとすれば?
そしてこの場所が時空間と因果を超越した場所ならば――並々ならぬ力を持った人間ならば、現実世界に干渉できるのではないか?
「俺をロータ・ロバリーに送り込んだのは、アンタだったのか!?」
『娘を任せられる人間など、彼女か自分しか、思いつかなかった、のでね……』
桜色の光が、苦笑した気がした。
データベース:キャプテン
大地球連盟軍元帥。連盟の庇護下に入ってからの桜と天の川の共通の友人で、後に『ガナン』の艦長を任されることになる男。その時代の地球人にしては珍しいまでのロマンチストで、地球の神話や文学を発掘して読み漁るのが趣味だった。ガナンの装備や設備の名前にも『ロマンが足りない』と口出しし、軍人でありながら独特の感性と広い器を持つ彼を二人は信頼していた。
桜と天の川が研究でアイテールで出来た子供を作ったことは知っていたが、それがハイ・アイテールと呼ばれるほどの可能性を秘めていたことや強奪計画については知らされず、事が起きた後に認知。友人の力になれなかったことを悔いつつ、せめて彼の妻である天の川だけは守ると決意するも、ガナン出航後に艦長室で雪兎に殺害された。自衛用の武器は未使用だったが、これは子供には武器を向けないという彼のポリシーが貫かれた事実を物語る。享年56歳。
彼がオリュペス十二神具の外見と名前を決めたことは、今やだれも知り得ない真実である。




