129.UNDOしますか?
『しかし、物語はここでは終わらないのです』
「……は?」
「……きゅ?」
おもむろに逆さまの姿でそんなことを語った魔将エインフィレモスに、桜と白雪は首を傾げた。
周囲は何もかもがあるようで何もないような、マーブル模様が無限に混ざり合う世界。時間があるのかないのかさえ曖昧になりそうな世界を見渡し、桜は茫然と呟く。
「なんだこの訳分からんとこ。どうなってるんだ……?」
『ようこそ稀人、そして白雪くん。ここは貴方方の運命が試される場所ですよ』
「思わせぶりなこと言ってないで事実を端的に吐けっきゅ」
「ちょ、口が悪いなおい……ええと、ここが……どこだって?」
エインフィレモスは、順を追って話しましょう、と暢気に語る。
『ここに来るまでの経緯は覚えていますか?』
「……雪兎を説得しようとしてたら、空間を超えて弾丸が飛んできて……咄嗟にアイドルを庇った……っけ?」
「きゅう、僕はそんな間抜けなクリエイターを庇ったところで記憶が途切れたっきゅ」
『宜しい。私の未来予測そのままですね。まずはお二方に何が起きて、何処に辿り着いたのかを説明致しましょう』
曰く――桜とそれを庇った白雪は『相転移』という現象を極めて極所的に行う弾頭の攻撃を受けたという。
『私もこの武器の原理は詳しく存じませんが、重要なのはそれによって如何なる現象が起きたかという部分です。地球人は基本的に兵器に転用した相転移現象を『相手を空間ごと確実に破壊するモノ』としてしか認識していませんでした。何せ相転移は出力如何によっては惑星の破壊さえ容易に可能とする膨大な熱量を発生させます。そんな環境に置かれれば如何なる物質、生物であれ存在を保つことはできないし、消し飛んだ後にどうなったか確認する術もない。故に、絶対の破壊兵器だった訳です』
「……俺の周りは、無事なのか?」
『地球人の科学技術は空間制御の面で優れていましたので、相転移発生に巻き込まれた人はいません。故に極所相転移なのですから』
「そうか……しかし、じゃあ、ここは結局どういう場所なんだ?」
気を抜けば上下左右の感覚も消失しそうな空間は、まるで宇宙に彷徨っているような錯覚と不安感を覚えさせる。
エインフィレモスは質問に丁寧に答えていく。
『一言で言い表すのは難しいので少し遠回しに説明します。先ほど言った相転移ですが、実は相転移はその性質上、時空に強く影響を及ぼすことまでは地球でも確認されていました。奇跡のような偶然か、或いは神の御業なのか――極所相転移弾とそれを覆う限定空間の発生は、時空の門をこじ開けてしまうのです。つまり、ここはこじ開けた門の先……そうですね、地球の古い言葉にあやかり『因果地平の彼方』とでも形容しておきましょう』
「……あれ? じゃあお前は何でここにいるの?」
話を聞く限りでは、エインフィレモスも極所相転移弾を受けてでもいない限り、ここには居ない筈だ。だが、奇跡のような数列を操るエインフィレモスにその理屈は通じなかった。
『私は神秘術で無理やり時空の境界線を越えてここに来ました。私の未来予測はアイドル様の想定を超えるものがありましてね……あなた方がここに来ることも確定した未来でした。言わずもがな、貴方方が元の世界に戻れる運命を紡ぐ手伝いをするのがここに来た目的です』
余りにも急なことで現実味がないが、白雪は粗方の事情は理解した風だった。というか知識面は全面的にスマホ越しにアイドルに頼っていたので、今の桜は白雪とエインフィレモスがいなければ何もできない。
地獄に仏、因果地平に下半身透明マン。
現実逃避気味のジョークは、口に出す前からすべっている。
「それで、クリエイターは何をすればいいっきゅ? もしアンタが神秘術でクリエイターを送り返すってだけなら長々喋る理由ないっきゅよね。まさかこの地平は一方通行なんできゅか?」
『いいえ、戻ることは出来ます……ただし、理論上は、です。私や君なら何とかなるかもしれませんが、稀人を送り返すとなると今のままでは極めて高い確率で現実の時空に戻れません』
「……どういうこっちゃ」
相転移の段階で既に頭がこんがらがっていた桜からすれば、訳の分からない話から訳の分からない話へぴょんぴょん内容が飛んでいるようにしか聞こえない。ひとまず周囲は無事、自分も無事、だがすぐには戻れない――そこまでしか理解できていない。
『十分な理解です。先ほども言いましたが、原理は割とどうでもいいことです。ですが白雪くんが事情を理解してくれるとより話がスムーズに進むので、何故今のままでは稀人が戻れないのか説明しますね』
「……ふん、こんな胡散臭いのに説明されなきゃならないのがなんかクツジョクっきゅ」
「どうどう、頼れる奴だから。ね?」
不機嫌そうにふさっとした竜の尻尾をぺしぺしと振る白雪を宥める。
同時に、こんな異常事態でも割とマイペースな白雪に安心する自分に気付く。
自分が作った人造生命とはいえ、こんなに頼りになるとは嬉しい誤算だ。
『――ここは因果地平の彼方。時間と空間、運命をも超越した場所です。この中での時間は刹那に満たないものであり、那由他を過ぎるものでもある。ありていに言って、とても曖昧な場所なのです。なので、次元の跳躍……特定の時空間に戻るにはその曖昧さを潜り抜けなければいけない。これが唯一にして最大の困難です』
「あー……つまり、何か。奇跡を人力で起こす必要がある的な?」
『かなり近いものがあります。巨大な図書館の中にある唯一の本の唯一の文脈を、耳を塞いで目隠ししたまま誰の手も借りずに一発で発見しなければいけないようなものです』
「そんなのスマホと幼女神に頼り切りの元ニコチン中毒クリエイターの脳味噌で出来る訳ないっきゅ!!」
(事実だけどヒドい……)
『だからそれを成功させる為に私の手伝いが必要なのですよ。というか私が手伝わない場合、稀人は自分が人間だったという事実さえ忘却して宇宙が終わりを告げるまで永遠に因果地平の彼方を漂うクラゲの死骸みたいになります』
(こっちもヒドい)
自分は罵倒されるために因果地平に来たのだろうか、と桜は凹んだ。
だが、すぐに心を持ち直す。
「エインフィレモス、俺が消えた後のロバリーじゃ何が起きる?」
『雪兎が貴方を失ったショックで暴走し、同じく貴方を失ったショックで隙の出来たアイドル様を取り込んで崩星の巨人に変身します。この星のすべてを手中に収めた破壊神です。その先は言わずもがな、ロータ・ロバリー最期の日です』
とんでもない緊急事態だが、エインフィレモスの話を信じるならここから現実への道は時間を超越できる。こちらでどんなにもたついても、帰ることさえできればあちらの時間の帳尻は合う筈だ。
「オーケー。二人を助ける為にパパ頑張っちゃうぞの巻って訳だ」
『素晴らしい。結論に至るまで迷いがありませんね』
エインフィレモスは、女性が見れば一瞬で恋に落ちそうなほどに美しく微笑んだ。
『では具体的な帰り方についてご説明しましょう。帰り道そのものの用意は私がなんとかします。問題はいつ、どこで、誰が、何のためにそこに行くのかの明確化。そして辻褄合わせです』
「英文の勉強みたいな単語出て来てるな。俺、英検チャレンジしてねぇよ」
「ボケてる場合っきゅか。ちゃんと聞くっきゅ。『いつ』の部分を間違えたら滅んだ後の手遅れロバリーに単身転移するハメに陥りかねないっきゅよ!!」
白雪に指摘され、漸く理解が追い付いてきた。
この宇宙に存在する気も遠くなるような量の時間軸と座標のなかから当たりを発見することが、帰ると呼べる行為に繋がるようだ。
『まず、転移し直す場所と時間。時間は貴方が消えた直後です。消える前に出現すると世界に貴方は二人。因果律の反発が起きて、最悪の場合は進んだ道を逆戻りする羽目に陥ります。二度目の道は諸々の事情から不可能と考えて頂きたい』
「まぁ分かったっきゅ。でも『誰が何のために』っていうのはそんなに重要なんきゅか?」
『はい、二つの意味で重要です。一つは、目的意識と存在の自覚は世界に根付く強い力となるから。これがあれば結果的に目的の時間と空間に辿り着く近道になります。そしてもう一つの理由は――この因果地平の世界から現実の時空に戻るまでの時間が余りにも過酷だから。辿り着いた頃には本当に自分が何者で何のために来たか忘れている可能性が多分に存在するのです』
「……きついな、これは」
「きついどころか人間に出来るレベルを超えてるっきゅ」
桜の背筋にぞくり、と悪寒が奔る。
娘のために舞い戻った筈が、廃人になって何も出来ないなど御免だ。
曰く、時間と空間が曖昧な因果地平の彼方では、本当に時空も彼我も曖昧なんだという。僅か一ミリ先の因果に辿り着くのも、地球からロータ・ロバリーまでの距離を延々と彷徨うのも、結果的には同じこと。それが因果地平の彼方から現実の時空に戻る為に受ける洗礼なのだろう。
『事実、今は私の術で誤魔化していますが、因果地平では一秒と百年の差すら判別は困難です。或いは逆流しているかもしれない。ほんの少し気を緩めてぼうっとしている間に、自己というものが全て零れ落ちて生きるだけの人形になりかねません』
「……どうすればいい?」
『基本、気をしっかり保つという気合です。しかし補助する方法もあります。今回のために銀刀のイヤリングのコピー品を用意しました』
「ああ、あれか。受付嬢たちも貰ってた、かけると知能が上がるやつ」
『改造を施して、貴方方の記憶のバックアップとして機能するように仕込みました。因果地平の彼方でも神秘数列は嘘をつかないので有難いですね』
桜、白雪はすぐにイヤリングを装着する。
体感の変化はないが、既にイヤリングは記憶のバックアップとして機能を始動させているらしい。後は気合、というより根気だ。何度忘れそうになってもバックアップを頼りに進み続ける根気がここでは物を言うらしい。
『では、最後に重要なもの――辻褄合わせを説明します』
エインフィレモスは、虚空に両手を翳す。すると、レトロな檻がそこに出現した。鳥籠のようだが、実体はなく、神秘数列がその形に変化して見えるだけのようだ。その中には、弱々しく光る桜色の輝きがある。
籠を抱えたエインフィレモスは、その光を慈しむように見つめる。
『辻褄合わせは、先ほど触れた因果律に近いものです。この世界、この時間にこの人が存在すべきだという、いわば運命の重み。一種のロマンティシズム、感傷、こじつけ、懸想……今の稀人にはそれが足りません。それでは貴方は辿り着けない』
エインフィレモスが籠をこちらに向けて突き出す。
『この中に、運命の重みを貴方に与えてくれる情報があります。貴方はこの光の中にある運命を最後まで辿り、そして戻ってくればいい。一種の試練です。我々からアドバイス程度の干渉は可能ですが、この試練でも自分を見失わないよう気を付けてください』
「これに触ればいいのか?」
『はい』
単純明快、簡潔な答えだ。
我々、と発言したということは、白雪はその試練とやらには同行できないらしい。得体の知れない世界で一人になる恐怖が胸に重くのしかかるが、さっそくイヤリングが初心を思い出させてくれたか、腕は迷わなかった。
『稀人よ、貴方はここで運命を知ることとなる――』
意識が、沈んだ。
= =
意識が浮上する。
安っぽいベッドを軋ませて体を起こせば、薄いカーテンから漏れる朝日の木漏れ日が部屋を横断している。目覚ましが鳴るにはあと数分を要し、いつも寝巻きに使っているダサいポリウレタンのシャツとパンツはよれよれだ。
漠然と、ベッドから起きて壁のスイッチを押すと、チカチカと音を立てて最近調子の悪い蛍光灯の恩寵が部屋に降り注ぐ。テレビのリモコンを操れば、見覚えのあるようなないようなキャスターがつらつらと朝のニュースを読み上げていた。
内容は頭に入ってこない。
ただ、普段の生活の延長である実感が湧いた。
視界を横にずらすと、両親から仕送りされてきた段ボールが無造作に置かれている。仕事を失いふらふらとしていた事を思い出し、伝えるのが気まずいな、と思った。
仕事を辞めたのはいつだったろう。
もうずいぶん前のように思える。
ふと手が寂しくなり、条件反射のようにベッドの上のスマホを手に取った。
メッセージが一件。学校時代の友達からの、合コンの誘いだ。
嫌いな相手でもないし顔を見たいが、今は気まずくて会う気になれなかった。
ふと、音声機能にここはどこだ、と問う。
『ここは貴方の自宅です』
妙齢の女性を思わせる音声。続けざまに質問する。
『今は西暦2020年、7月3日です』
『質問の内容がうまく聞き取れませんでした』
『明日の〇〇市の天気は――』
言葉に出来ない、既視感があった。
(これは試練……なんだよな。体も考えも勝手に動くけど、漠然とそれをもう一人の意識で客観的に見てるような……それでいて本心のような……)
(――聞こえるっきゅか、クリエイター。聞こえてるみたいっきゅね……エインフィレモス曰く、今のクリエイターは誰かに憑依して様子を見つめているような状態らしいので、それを自覚してずっとその人の人生を追っていけばいいっぽいっきゅ)
(らじゃー。しかし、この空腹感はちょっとなぁ。早く飯食ってくれねぇかな、俺の憑依先)
朝ご飯を食べたい。
冷蔵庫に何もないからコンビニに行こう。
久しぶりにたまごサンドと、野菜ジュースがいいだろうか。
昼ごはんに肉うどんと鮭のおにぎりも買いたい。
俺の憑依先は着替えを済ませ、ポケットにスマホだけ突っ込んで外に出た。
アパート暮らしらしい俺――いや、俺の憑依は、出掛けるついでに自分のポストを軽く確認し、そこに珍しくチラシ以外の郵便物が入っていることに気付く。
俺の憑依先はそれを見て、渋い顔をした。
だが、俺自身は筆舌に尽くしがたい驚愕を覚えていた。
宛名には、俺の名前と俺が住んでいた住所が書いてあった。
この憑依先は――どこかの時間軸の、俺自身だった。




