115.世界を変えるたった一人の
時は、潜入部隊がヘイムダールと交戦を開始した直後にまで遡る。
『――遷音速流のおっさんの部隊から報告! 艦内でヘイムダール一機と交戦開始らしーよ! ということは、今のところ初のヘイムダール捕捉だな! 空戦では奥に一機いるのが確認できてるから、居所の知れないヘイムダールは残り三機!! 気ぃつけてなー!!』
「……だそうだ」
ギャルからの情報を伝達された銀刀は周囲にそれを告げる。
とはいえ、今更ヘイムダールがどこから襲撃してきてもやることの変わらない突入組にとって、それはさして重要な情報とは言えない。出てきたら叩きのめして無力化するか、無視するしか道がないのだから。
その頃には突入組は王城前に到達していた。
歴王国首都は通路や路地のあちこちに内部での戦闘に備えたギミックが次々に出現したが、それは所詮対人、ないし下級の魔物用に仕掛けたものに過ぎない。人倫を絶する英傑や神具適合者たちにとっては余りにも非力な抵抗だった。
(温存してるな。長期戦に持ち込む腹積もりか……まぁ、当然だが)
銀刀は、これまでに出現した兵の練度はもとより、装備品も温存していると読んだ。アイドルが使ってくるであろうと予測した装備の中でも特に面倒な物が未だに出てきていない理由は、それ以外考えられない。
王城前の門に近づいた神腕が、その巨大な扉をノックする。
ただし、城壁を粉砕する威力で。
「入るぞぉぉぉぉぉーーーーーーーッ!!」
ボゴォンッ!! と扉を支える壁が弾け飛び、下部からひしゃげた扉が場内に入り込んで内部を滅茶苦茶に破壊する。中を一通り覗いた神腕は、振り返って突入組に手を振る。
「誰もおらんし何もない!! 夜逃げの後のようだ!!」
「予想通りだが、さて……」
ゴールドとシルバーの前情報では、王城から地下への道が繋がっており、そこからアトス内部に侵入できるという話だった。しかし、いざ作戦が始まってみるとアトス内の一部の施設が内部で入れ替わっているという。
突入の恐れがある道をわざわざ残しておくだろうか。
銀刀が指揮官なら残さない。むしろ王城に大量の爆薬でも仕掛け、入って来た相手を爆破しようと試みるくらいはする。これまで王城を守るように配置されていた連中も捨て石同然の実力だったため、罠だったと言われても違和感はない。
当然、その場の全員がそのことを考えている。
皆の言葉を代弁するように赤槍士が手先で槍をくるくる回しながら問う。
「どうすんの、銀刀? このまま突撃しちゃうのは馬鹿正直すぎない?」
「ああ。だがどのみち俺たちは突撃するしかない」
別にやけっぱちの判断ではないとばかりに、銀刀は状況を冷静に分析する。
「第一に、仮に道が塞がれていたとしても力づくでこじ開けるしかない。中の連中に転送を頼むにしても、既にアトスのジャミングで空間遮断が行われているからだ。第二に、船の別の場所に回り込もうとしても防御機構に阻まれる。突破は出来るだろうが手間がかかるのは変わりない。むしろ町並みの残る上部こそが手薄だ。そして第三に――俺の知っている慈母なら、裏道は徹底的に潰した上で正規ルートはキルゾーンとして残す。つまり、正規ルートは確実に通れる道があるってことだ」
もし侵入可能なルートを全て潰せば、外で相手が何をしでかすか分からなくなる。女神エレミアを味方につけた連中を釘付けに出来なくなる。予想外のショートカットを行われて逆に不利になるかもしれない。
だったら、正解の道だけ堂々と残しておびき寄せ、そこに策を巡らせる。
慈母はそういった計算の出来る人間だ。
いくら歴王国が三大国の一角と言えど、保有する戦力は古代兵器頼みで総数が多いとは言えないだろう。でなければ木端兵士を先に出して足止めなどとまだるっこしいマネはしない。
「まぁ、散々嫌がらせを受ける覚悟はしておけ」
数分後、その言葉に嘘偽りがなかったことを残りの三人は嫌と言うほど思い知らされる羽目に陥る。
「ここは殺菌室だな。通ると同時にあの小さな穴から神経ガスでも出す気だろう。普通に入っても力づくで突破しても出てくるだろうから気を付けろよ」
「へファストの炎薪の最大火力で部屋ごと貫通させる!!」
「やめとけ、恐らくそれを見越してたっぷりと可燃ガスが――」
「えっ――」
爆炎と猛毒。
「なんだこの部屋、閉じ込められた上に凄い重力が……重力制御の術か!?」
「そして上から1、2、3……ざっと600の刃物。刃が超振動している。振動機能を用いて刃物そのものも自爆する仕様だな」
「さっきの轍は踏まない! 狐従者、障壁を!!」
「やめとけ、超振動してる武器と障壁が接触したら、この狭い空間を超振動の刃が弾けて乱れ飛ぶぞ」
「えっ――」
凶刃のピンボール、ついでに爆発。
「十字路か。俺なら出入り口を全て閉鎖して爆破するな」
「確かに出入り口が強固な壁で遮断されていますね。設置された爆弾らしきものを確認……非アイテールの爆薬らしきものと、あれは女神様が警戒しろとおっしゃられたABチャフでは!? 術の効果を大幅に減退させるという……!!」
「えっ――」
更なる爆炎、衝撃。
「ん……真空空間を作り出したのか。考えたな慈母、これでは術で呼吸する空気は確保できても空気を伝播する俺の術は大幅に効果が減退。更に赤槍士の炎も同様だ」
「ガハハハハハハ!! 慈母の奴やりたい放題だな!! 前に山岳地帯を魔物が駆け上がってきたときに世界遺産の遺跡をぶち壊して破片で殺そうと言い出したのを思い出すぞ!! 鉄血が凄い形相になっとったな!!」
「慈母なのに慈悲がなさすぎないかなぁこの英傑!?」
「白兵戦に切り替えるしかありませんが、ここの兵士たちはどうやら手練れのようです!! しかも重力が軽くて動きにくい……加重術式で誤差を調整致します!!」
極めて端的な即死トラップや徹底的にこちらから優位を奪う設備と布陣。回避させる気がなく、予算も度外視し、アトスの設備さえ平気で破壊する怒涛のデストラップと断続的な襲撃。
襲撃者はこちらと適切に距離を取りながら波状攻撃を仕掛け、接近戦に持ち込んでも唯では倒れないとばかりに連携、肉薄してくる。外の兵士とはしぶとさも対応の速さも別物だった。
更には物理的ダメージを無視する六脚の機械、熱量を吸収して攻撃に転化する機械など、後半に入ると個々の能力にさえ対策が為され始める。それでも四人は潜り抜けるが、目的地到達が見えてきた頃には既に戦闘開始から20分が経過していた。
「ぜぇ……ぜぇ……もうヤぁ……」
「大丈夫ですか、赤槍士さま……ふぅ、ふぅ……」
「銀刀が真っ当に剣術を使っとるところは久しぶりに見たわい! 腕が鈍ってなくてよかったな?」
「黙れ筋肉達磨。久々の長丁場で汗が隠せてないぞ」
槍を杖のようにして歩きながら、赤槍士は体力回復薬の入った小瓶を飲み干す。効能はすぐに現れるが、すり減らされた精神が回復した心地はない。
「こ、これが英傑を束ねて退魔戦役を勝ち残った慈母の策略……しんど……!」
正解の道はある。
ただ、それを突破するのに時間がかかるだけだ。
余りにも苛烈で油断ならず手間のかかる道故に、実は自分は間違った道を進んでいるのではないかと錯覚させられる。その心理的影響も含めて慈母はこの道を残した。少なくともこの道を正解にしておけば、敵の白兵戦最高戦力を一定時間足止め出来るからだ。
と、通信が入った。
『おっすー、ギャルだよー。遷音速流の組が指定ポイントに到達したけど離元炉はなくて、代わりに変な化け物と遭遇して交戦中だって!! ハズレ場所にも大ボスがいるってことかもしんないから気を付けてねー!』
「だ、そうだ。果たして怪物が出るか、それとも――神腕、感じるか?」
「応よ。幾ら雪兎とやらが凄かろうが、この肌がビリビリする気配の代わりは用意できまいて」
「てことは、この先に居るのは――」
「最も保有する戦力の多い我々が当たったことは幸運かもしれません」
アトス内部に蠢く雪兎の力とは全く違う、常人ならその場で跪きそうになる濃密で苛烈な気配。嫌悪ではなく畏怖を感じさせるそれが、四人の向かう先から伝播する。
銀刀と神腕は平然と、そして赤槍士と狐従者は生唾を飲み込み、道を進む。歩けど歩けど罠はなく、しかしそれが逆にこの先に存在する力を前に小細工は不要だと嘲っているようでもある。
果たして、道の先にそれはいた。
「……とうとう、ここまで辿り着いてしまいましたか」
純白の鎧と、白金色の剣。
普段は誰もを優しく包み込むような気配を纏っているであろうその女性から放たれるのは、威圧を通り越した強烈な自我を感じさせる存在感。誰の目にも優しく見える人物だったその人は、誰の目にも明白な戦意と凛々しさを抱いて、閉じた目をゆっくりと開く。
元歴王国騎士団長にして英傑の長。
魔将の力を受け取ったことで時間からはぐれた孤児院の母。
ステュアートにはその清楚なまでの光が眩しく、英傑たちにとっては遠い昔の光景の再現にも見える。ゆったりとした優雅な動きで床に突き刺していた剣を抜き放って構えた女性――慈母は、毅然とその切っ先をこちらへと向けた。
それだけで、体が貫かれるような錯覚が突き抜ける。
「現役を退いたとはいえ、我が身は歴王国に忠誠を誓った騎士。時は経てども志は揺らぐことなし。王の為、民の為、子供たちの為ならば、私は何度でも剣を抜いて敵と対峙しましょう。例えそれが嘗ての戦友や若き少女であろうと……」
「ふん、その王は随分と女神さまに踊らされているようだがな――その心、鬼の陰あり。後は言わずとも理解しているだろう」
銀刀は彼女の殺気に全く臆することなく銀の刀の切っ先を慈母へ向けた。
神腕も、彼女に向けて構えを取る。ここまでの戦いでは一切することのなかった、全力の戦闘を前提とした構えを。
「久々の挨拶がてら宴でもしたかったが、慈母……今回のこればかりは俺も笑って流せん。守るべきものが食い違った戦士同士、やるこたぁ一つだろ?」
「貴方も相変わらずですね。それで――残る二人の覚悟や如何に?」
慈母の視線がステュアートに移る。
銀刀が目配せする。
この問答は、揺さぶりをかけている、と。
「雪兎ちゃんの作る世界は、限りなく平等に近い世界です。捨て子や餓えて死ぬ子供、親に殺される子供はいなくなり、誰もが当たり前に生きる権利を享受できる世界となる。孤児院という施設もなくなるでしょう」
「そしたら慈母さんは無職になって困るんじゃないの?」
「孤児院の院長が暇なのは良いことです。それだけ子供の不幸が少ないという事ですから……しかし現実にはそうはいかない。親を魔物に殺された子供、犯罪に巻き込まれ行き場のなくなった子供、貧困によって犯罪に手を染めざるを得なかった子供……世界は悲しみに満ちている。貴方方もそれを知らず生きてきたわけではないでしょう? 或いはその当事者であったこともある筈です」
赤槍士は一瞬、言葉に詰まった。狐従者も僅かながら動揺した。
ステュアートのメンバーは、一度は世界に存在を否定された者達だ。赤槍士自身、嘗ての人体投薬実験の直後にそんな話を聞かされていれば、雪兎の理想に殉じる道を選んだかもしれない。
「……確かに、アタシの両親や弟も当然に生きていられた世界が来るっていうなら、思う事はある。結局女神さまはアタシは助けても家族や弟は助けてくれなかったもんね。歴王国への恨みを抱かない人生……もし人生をやり直すことが出来たら……幾夜考えたことか」
「なら、今からでも道を変えることが出来るのでは?」
「ないよ。幾夜考えても、結局同じ所に辿り着く」
家族を喪った怒りと憎しみが赤槍士に神具を取らせた。
それでも非情に徹しきれない甘さが、赤槍士を人に留めていた。
今ならばそれが一つの道として己を裏付けるのだと確信できる。
「もし故郷の待遇が改善されて幸せな人生を送ったら、あたしはそこで満足して外の世界を知りもせず、他の地で起きる悲劇に無関心に生きていた。今のあたしに言わせればそんなの傲慢な歴王国民みたいで反吐が出るッ! もしあの悲劇で女神様が私たち家族を全員救っていれば、私たち家族は奇跡の体現である女神様の為にあらゆる非道を行ったと思う。そんなの、気持ち悪くて反吐が出るッ!!」
人生と価値観は結果論でしかない。
この道を選び、家族が助からなかったからこそ赤槍士は他の選択に不快感を覚える。ひとつ切っ掛けが違っただけで、進む場所が違っただけで、それは容易に覆っただろう。
だからこそ――その違いを、今という道を征く赤槍士は受け入れられない。
「この道を選んだから見えた女神様の苦悩があった。この道を選んだことで救われた命がきっとあった。この道を選んだから――あたしはきっと、歴王国出身の男を好きに……いいや、ゴールドを愛することが出来たッ!! 数多ある未知の中でゴールドを愛せたのは今ここにいるアタシしか居ないッ!! その道を否定しろなんて死んでも嫌よッ!!」
「個人的な感情の為に、未来の世界の救われる命を切り捨てると? それは、貴方が嫌うという歴王国の傲慢と何が違うのですか?」
冷たく言い放つ言葉。
しかし、赤槍士はそれを鼻で笑ってやった。
「はん、可哀そうに。慈母とかなんとか言われてるけど、女の癖に本気で恋したことないから分からないんでしょ?」
銀刀がぶっ、と噴き出し、神腕がひゅう、と口笛を鳴らし、狐従者がまぁ、と頬を染めた。
ぷちっ、と、何かが切れた音がどこかから聞こえた。
「――結構。では最早問答は無用ですね」
「……あれ。あの、わたしは確認しないのですか?」
「くっく……やめておけ狐従者。あれは恐らく拗ねてるぞ?」
「思えば戦役の頃からとんと色恋沙汰に縁がないのを不思議に思っていたが、そうか慈母! お前モテなかったんだな!!」
「やーい行かず後家~~~!」
直後、慈母の振り抜いた剣から4名を完全に殺害する意思を込めた極光が乱れ飛んだ。
極秘のタレコミ:慈母の恋愛遍歴
ここだけの話ですけど……慈母さん、鉄血さんに惚れてたそうですよ。婚約者の存在を知って泣く泣く身を引いたんだとか。当然、本人には想いを告げず気付かれないよう振舞い、片思いに終わりました。




