106.受付嬢ちゃんよ自制せよ
時刻、19時――着脱式防衛艦『アラミス』ブリーフィングルーム。
そこに、ポニーちゃん含む全作戦参加者が現れました。
整備等で手が離せない人もいますが、ここで行われる出来事は全てリアルタイムでアラミス内のモニターに伝わります。その場にいない人間が音だけでなく映像まで認識できるこの技術……もし普及すれば手紙はその文化的役目を終えるかもしれません。
「明後日の作戦について流れを説明します」
緊急時ということで特殊な神秘術を使用したことで、この場の面々は三日間程仮想の世界で訓練を行ったのと同等の経験を積むことが出来ています。その上で、アイドルちゃんはホロモニタを指差し、そこに情報が表示されます。
「雪兎はアラミスやポルトスの存在を既に認識しているものと思われますが、ポルトスはともかく常にステルス移動をしているアラミスの詳細や場所までは掴んでいないでしょう。彼女が奪取した情報にも限りがありますから。しかし、当然としてアトスの戦力に対抗できる可能性のあるアラミスを念頭に置いていないとは考え難い。大陸全土への侵攻に戦力を分散させるとは思えません」
「直掩を残すってことか」
桜さんの言葉にアイドルちゃんは頷きます。
「よって、雪兎はアトスの離陸と飛行を行い、歴王国そのものを移動要塞とすることが予想されます。アトスは拠点であり母艦。アトスの周辺に人造巨人を展開すれば、本拠地を防衛しつつ各地を制圧することが可能になるでしょう」
「……厄介だな」
メカニックとして手伝いをしている古傷さんが険しい顔で唸ります。
「その方法だと部隊を各方面に展開する必要なく運用できるから大部隊を動かす諸々の手間が省けちまう。各地に喧嘩吹っ掛けるよりは手間だろうが、天空都市と同じ高度と速度が出せるんなら攻められる側は碌な抵抗も出来やしねぇ。物資も揃ってるとしたら正に最強無欠の空中要塞だ」
従来のロータ・ロバリーの戦略では荒唐無稽な戦略ですが、実際にそれが可能となればセオリーの方がひっくり返ります。従軍経験者の古傷さんとしては、まさに悪夢の敵といった所でしょうか。
「しかし、逆を言えば彼らは大量の人造巨人を各地に派遣できずひとまとめにしなければならない。何故なら同性質の戦力を持っているこちらが攻めてきた際に、数の優位は必須だからです。つまり、一度の戦いで歴王国を無力化させることが出来る。故にこちらも決戦にのみ注力すればよい」
それはしかし、敵の戦力を分散させることが出来ないという意味でもあります。戦いは数。不利な状況は免れません。
「敵陣営と味方陣営の人造巨人操作練度はほぼ互角か、こちらが僅かに不利。しかしこちらにはアトスの所持していないワンオフ機がありますし、私もいます。雪兎は隔絶した力を持っていようが機械ではない。個として強くとも情報処理や機能の稼働率はこちらが有利です。そしてもう一つ――こちらは巨人の数で劣る代わりに、対人の戦力であちらを大幅に上回っています」
桜さんがなるほど、と頷きます。
「読めたぞ。空中で巨人同士ドンパチする組とアトスに乗り込む組で分けるんだな? 白兵戦組の狙いはアトス中枢の無力化ないし雪兎の無力化、願わくばその両方って訳か」
「はい。ただ、アトスのシステム中枢は恐らく雪兎に侵蝕されていることが予想されるため奪還は困難でしょう。よって動力源である離元炉の停止を最優先とします。アトスが動けなくなれば艦砲射撃等の援護が受けられなくなるのは当然として、士気の大幅な低下が見込めます」
帰るべき場所が敵に落とされる。
それは通常の戦であれば敗北と同義です。
なお、突入は銀刀くんを中心に、白狼女帝さん、神腕さん、重戦士さん、そしてオリュペス十二神具の所持者たちが予定されています。個人で大量の敵を相手に出来る人員を殆どつぎ込む形になっていますが、一人一人が強力な術者であるゼオムは含まれていません。
これについては、アトスの装備の中にゼオムと致命的に相性の悪い兵器があるのが理由だそうです。一度戦いになれば相手が逆にその兵器でアラミスに白兵戦を仕掛けることも想定されますが、バリアシステムやCIWSと呼ばれる迎撃用の砲の整備が明日までに終了する為に迎撃より攻め落とすことを優先したためこうなったそうです。
ただ、不測の事態に備え、明日の昼には氷国連合から援軍が来る予定です。また、先に半分を先行させ、もう半分は別ルートから段階的に突入させることで相手の出方に柔軟に対応できるようにしてあるとのことでした。具体的には、先遣隊は遷音速流さんが率いてこっそりと、後続は銀刀くんが率いて正面突破でという形で、場合によっては銀刀くんの組が囮の役を果たすのだそうです。
援護に秀でた碧射手ちゃん、空中戦が得意な赤槍士ちゃん、『ヘイレスの雀扇』の適合者である狐従者さんは後続なので、それ以外は先遣隊となります。
そこまで戦力があれば動力源と言わずアトスそのものを撃沈できるのでは……とは誰も言いません。潜入している人達からの報告では、歴王国の住民は依然として王都内部にいるどころか外から戻ってきた人間によって増加しているといいます。
避難させる気があるならとっくに始まっている頃であるのにその素振りが見えないのは、アトスに全員乗せていく気だからなのでしょう。ある意味ではそれも正しいリスク管理ですが、結果的にこちらにとって人質として機能してしまいます。
アトスを撃沈するというのは、その数多の命を殺めることでもあるのです。ただ女神が降臨したと無邪気に信じているだけの、大多数の罪なき人々を。
アイドルちゃんの目標は世界の管理ですが、その先には解放を見据えています。
「歴王国の戦力を無力化すれば、残るは雪兎のみ……ユーザー」
「なんだ、アイドル」
「予め言っておきますが、雪兎の説得や無力化が不可能と判断した場合、わたしはユーザーの身を守ることを最優先とします。意味は理解できますね?」
「……雪兎の意思を曲げることが出来なきゃ、お前は雪兎を殺すってことだろ」
「はい」
余りにも残酷な一言に、全員が何も言えず無言になります。
ポニーちゃんさえ、アイドルちゃんの鋼のように重く硬い意思に何も言えません。
この戦いの全ての元凶は雪兎ちゃんです。
彼女は人間の常識を超越した途方もない存在であり、実体が存在しないエネルギー生命体です。倒す術があるのかさえ分かりませんが、アイドルちゃんには恐らく彼女にしか実行できない方法を持っているのでしょう。
だから、それまでに説得等の方法で雪兎ちゃんが改心しなければ、それが実行され、雪兎ちゃんは――死にます。或いはそれが叶わなかった場合、雪兎ちゃんに完全支配されたディストピアの時代が人類の心を緩やかに退廃させていくでしょう。
ポニーちゃんは可愛い子は大好きです。
雪兎ちゃんも大好きです。
でも、雪兎ちゃんがこれから築こうとする未来はきっと間違っています。
死なない人間の世界には生の喜びがありません。
優しいだけの世界では、優しさの価値が失われます。
誰も叱ってくれない環境で育った子供は、成長できません。
中立を尊ぶギルドの人間として、また、子供を想う一人の大人として、彼女を叱ってあげる人間が存在できる社会が必要なのです。
「俺が一緒にいてやらなきゃならないんだ」
「桜……俺も雪兎の事を助けたい。決意も固まった。それでもやはり……彼女が元の雪兎なのかどうか、戻ってくれるかどうか……不安だ。君は、不安じゃないのか?」
心境を吐露するゴールドさんの隣で、赤槍士ちゃんも浮かない顔です。シルバーさん達も、他の皆も……不安のない顔をしているのは英傑の方々とアイドルちゃん、エインフィレモスくらいです。
対する桜さんは――ふと周りの視線に気づいて、え? みたいな少し間抜けな顔をしました。
「いや、何だろうな。そういえば確証のない話なのに、失敗するとかそういう不安は全く感じないんだ。自分でも不思議だけどさ。なんか、諦めずに進み続ければいつか必ず……雪兎と一緒に、親子として過ごす日々に辿り着けるなって、そう思えるんだ」
少し照れ臭そうに、しかし迷いを感じない顔でした。
「ま、そういうことだからさ。死なず殺さず、世界を救ってみようや。あ、それとアイドル」
「……何でしょうか」
能天気ともとれる桜さんの態度にほんの少しだけ不服そうな顔をしたアイドルちゃんの手を、桜さんは取りました。
「雪兎が戻ってきたらお前と雪兎は姉妹になるんだから、そうツンケンするな。罪を憎んで人を憎まず、だ」
「わ、わたしはサイバネティクスの結晶ですので姉妹という表現は不適当です。それに結果如何に関わらず、わたしには女神としての役割があります。戦いが終われば元の姿を再構築し、再び防人として――」
「まだこの世界にはアイドルが体験していないことが山ほどある。地球メシまだ6品くらいしか食えてないだろ? 数分の休憩でも外に出て雲や都市を飽きずに見回ってるよな。せっかく人に近い体を得たんだから人みたいにもっといろんな経験しろ。マスターユーザーだってその為にここまで体を人に寄せたんじゃないのか?」
「……確約は出来ません」
アイドルちゃんは少し拗ねたような顔で目を逸らしました。
その興味があるけど意固地になって素直に認められないかのような可愛さビッグバンに、ポニーちゃんは一瞬意識が遠のきました。あれを真顔でさらっと引き出す桜さんへの嫉妬に狂いそうです。
このズル大魔王! 幼女吸引機! 未婚のシングルファザー冒険者!!
「これ俺が悪い訳じゃないよね!?」
「既婚になれば一つは悪口解消できるわよ? はむはむ♪」
「ぬふぁ!? 碧射手は不意打ちはむはむをやめなさい!! 最近耳はむはむされ過ぎて風呂で耳の汚れがたまらないよう手入れが欠かせなくなってんだよ!! タレ耳はタレ耳で肌に異常がないかとか血圧がどうこう言って一緒に風呂突入してくるし!!」
「入浴は健康に於いて急激な体温変化による変調が発生しやすく、足を滑らせるのも危険である。監視の必要がある」
「わたしは入浴せずとも術によって清潔な状態を保つことが出来ます。た、ただ入浴行為そのものは行ったことが……は、入りたい訳でもお風呂へ案内して欲しわけでもないですよ!? 事実確認を言ったまでですからね!!」
捥げてしまえ。
「ポニーッ!?」
荒ぶるポニーちゃんの嫉妬心に待ったをかけるのは、歴王国突入組である重戦士さんでした。
「……落ち着け、ポニー。タレ耳のあれはあくまで雪兎が戻るまで世話を焼くという話だっただろう。それにアイドルは別に桜に風呂に入れて欲しいと言っている訳じゃない。桜の抱える課題をお前が受け持つことも出来るんじゃないのか?」
ぽんぽんと肩を叩かれて少し我に戻ったポニーちゃんは、その冷静な指摘に二の句が継げずに押し黙る他ありません。
「お前も受付嬢をやってるときは冷静なのに、プライベートでは妙な所で意地っ張りだな……それがポニーらしさなのかもしれんが、余裕がないのなら相談くらいはしてくれよ。お前が俺に言ったことだぞ?」
包むような優しさと共に感じる重戦士さんの大きな手に、気持ちが落ち着いていくのを感じます。そう、何と言えばいいか――父親か兄がいたら、こんな感じの存在だったのでしょうか。父親の記憶がないポニーちゃんはふと、重戦士さんの手に甘えるように頬を当ててみました。
こ、これは……何故でしょう。とても落ち着きます。
お姉ちゃんに抱っこされたときの本能的安心感に近いかもしれません。
思えば重戦士さんはどの冒険者さんより安心感のある人でした。次第に親しみが増え、魔将関連の事件では暴走しているとはいえ命懸けでポニーちゃんを守った重戦士さんは、まさに父親か兄のように頼れる男性として最もイメージしやすい人です。
が、そう思った矢先にパインお姉ちゃんが血相を変えてポニーちゃんを重戦士さんから引き剥がし、ひしっと抱きしめます。
「他の誰に渡そうがアンタには絶対妹は渡さないわよこの戦闘狂ッ!!」
「ポニーを貰うだなんて一言も言っていないが……」
「いいえ私にはわかる!! 今ポニーの心はかなり貴方に傾いたわッ!! でも姉としてアンタにだけはポニーは渡さないッ!! あとそこの桜にもッ!! せめて冒険者から足洗って真っ当な定職に就いてから出直してきなさいッ!!」
……一言もそんな話にしていないのに、何故かポニーちゃんを誘惑している人達認定された桜さんと重戦士さんは、困ったように視線を突き合わせました。ああ、それはそれとしてやっぱりお姉ちゃんに抱っこされるの落ち着く……。
(ポニーってさ……世話したがりかと思いきや実は結構甘えん坊なのか?)
(お姉ちゃんっ子ではありそうですけど……)
(ああいうこと天然でやるのが殊更腹立つのよ、ポニーは。腹いせに後で擽り倒してやるわ)
その夜、イイコちゃんに擽り倒されて悲鳴を上げたポニーちゃんを助けてくれる人は誰もいませんでした。あ、でも後半は反撃くすぐりで逆にイイコちゃんに悲鳴を上げさせてやりました。ふぅ、何だかすっきり! 明日も平常心で仕事に向かえそうです。
メガネと水槍学士の余談:パインと重戦士
「お二人って何かご関係があったんですか? やけに重戦士さんに辛辣っていうか……」
「マーセナリー時代の重戦士さんにとっての受付嬢がパインさんなんだ。厳密には違うけど、大体そんな関係だったよ」
「ええっ! 重戦士さんって姉妹共々お世話になってるんですね……!」
「当時の重戦士さんは結構魔物と積極的に戦ってる節があってパインさんは『命知らず』って嫌ってたんだけど、重戦士さん優しい人だからパインさんのこと信頼してて……あとパインさんがもめごとに巻き込まれるとすぐに助けに行ってたのもあって、なんかパインさんも憎めなくなったみたい。今のやり取りだって昔のギスギスに比べれば可愛いものさ」
「人に歴史ありですねぇ……だから冒険者辞めたら考えてやらなくもないと言ってたんでしょうか?」
「あの人なりの照れ隠しかな。或いは実は妹が取られるんじゃなくて妹に取られるのが嫌だった……は、邪推し過ぎかな?」




