オワリ ノ ハジマリ
十賢円卓会議は、歴王国の有事に際し一刻も早く決定を下さなければならない局面に行われる会議だ。通常の会議には歴王国の爵位をもつ貴族や有力者が出席するが、円卓会議を囲うのは十摂家の当主と国王のみ。十一人による多数決によって議決が決定する。
ただし、王の意見は三人分の重みがあるため、十摂家のうち六人が否と言っても王が残り四人に賛同すれば王の付いた側が勝つ。これはあくまで歴王国が王の決定によって未来を決める国であることと、逆に例え国王の意見でも十摂家のうち七家が反対する事柄を無理に通す事は出来ないという最終安全装置でもある。
ただ、実際にはこれは茶番であり、摂家の者が本気で王の意見を潰そうとしたことはなかったという。痛みを伴う決定である場合や相応のリスクがある決定であった際に、その事実に釘を刺して危機意識を共有する意味で数名が異を唱えることはあったが、それも実質的には王の決定ありきだ。
つまり、十賢円卓会議とは王が事実確認をし、決定を下す場所であるということだ。
しかし、通常であれば会議を開く前に議題は当主には明かされるもの。それが今回はないままに会議直前となり、当主たちは何も用意ができないままこの日を迎えた。
「王は、何を話されるおつもりだろうか」
「今、差し迫った問題と言えるほどの問題は心当たりがないですね」
「何か聞いておられぬか?」
「いや……ただ、此度の会議に王は並々ならぬ関心を寄せておられるのは間違いない」
「最近王都の地下大聖堂に人が多く出入りしてると聞いておりまするが……?」
「女神の託宣を受けたとかいう話か。眉唾だと思っていたが、捨て置けなくなってきたな」
十摂家の面々が、未だ王の現われぬ円卓を取り囲む。
その中には、シルバーの姿もあった。
(結局、使者は来たが遠回しに賛同に回るよう伝えられただけ……くそっ、会議前に兄さんに知らせておくべきだったか……? 胸騒ぎしかしない。私が円卓に初めて参加するからか緊張でそう感じるだけであって欲しいが……これだけ摂家の人間が集まっているのに議題の予想も出来てないとは、いよいよおかしい!)
歴王国の国王は、別に女神に統治権を保障されている訳ではない。エレミア教に多額の寄付と厚遇を約束した存在ではあるが、宗教的な役割はない。その本質は民衆を繁栄へと導く主導者としての信任だ。そんな歴王国の国王が急に女神の託宣を受けたと言い始めれば、流石のシルバーも王に疑念を抱く。万一乱心の末にそう思い込んでいるのであれば、由々しき事態だ。この場の全員で彼を止めなければならない。
女神の存在を信じないかと言われればそこまで不心得者ではないが、教義よりは国益を優先してきた国だ。そういった話はしっくりこない。
と――会議室の扉が開き、煌びやかな衣装を身に纏った美丈夫が入室する。
シルバーは一瞬、何者なのかと思った。
どことなく数名いる王子の面影があるが、男は二十代前半程度。対して王子はまだ上の歳でも10歳少しだった筈だ。全員の王子と顔を合わせてはいないが、年齢的に合わないし、そもそも十賢円卓会議に王子の出席などありえない。
しかしシルバーはこの顔に既視感があった。
そして、摂家の中でも年長の組が唖然とした表情をしていることに気付く。
「……王、なのですか!?」
「然り。ふふ、驚いたろう? 余も慈母の如く女神の祝福を受けたのだ。老いを感じていた肉体が軽いなぁ。肩にのしかかるマントが羽のようだ」
その言葉を聞き、閃く。
既視感の正体は、王城に飾られた絵の一つ。若かりし日の美丈夫と名高かった王の肖像画とうり二つだった。王は軽い足取りで、王にしか持つことを許されぬクリスタルの杖と、様々な宝石と貴金属のちりばめられた王冠と、見慣れた王の装束を身に纏って席に座る。
その目を見たとき、シルバーのなかで再び不安が渦巻いた。
王を名乗る男の目が、狂気にも似た光を放っていたからだ。
シルバーが知る王は厳格ながらも民を想うが故に欲を律し、発展と社会的協調の狭間という狭い道を見事に舵取りする存在。しかし、目の前にいる王はその姿からは想像できない程に、浮かれた顔だった。酒が入って夢見心地なのだと言われれば得心する程に、普段の威厳がない。
「――諸君。私に付き従い、歴王国を発展させ、国民を守り、自己研鑽に勤しみ、長らく国の平和を守ってくれた諸君。ご苦労だった――本当に、諸君らには感謝している。百億の財にも代えがたき忠臣たち……その努力が我らの代で報われることとなるのは、まことに喜ばしきかな」
誰一人として話が見えないが、王の前でざわめく訳にもいかず、全員が沈黙する。
「一週間前の事だ。余は信託を受けた……夢枕に女神が立った」
数名が内心で呻く声を幻聴した。
噂は真であったか、と。
「女神は言うた。長きに亘り、よく国を発展させ、文化を継承し、民を愛し連綿と歴史をさせてきた。その積み重ねてきた栄光への努力が報われる日が来た。歴王国をこの星の代表にして唯一の国家とする日が来た、と……」
演劇の役者のように朗々と語る若き王の姿はどうしようもなく彼の正気を疑わせるが、それを読み取ったかのように王の声色が変わる。
「されど、歴王国は覇権を握る国ではあるが、世には多くの国がある。当然、無視できぬ大国もある。彼らを差し置いて我々が唯一になるとは現実味のない話だと、我は当初夢見心地の中で思った」
それは為政者として真っ当な道理だ。
確証もなく覇権を握る為の決戦に打って出るなど、指導者として愚昧極まる。勝てない戦いをすれば国は疲弊し、兵は擦り減り、いくら歴王国と言えども無視できない損害を被るだろう。その隙は特に氷国連合にとっては勢力を伸ばすまたとない好機へと変じ、遅れは先々まで波及するだろう。
「しかし、流石は女神。至高の存在はその程度の浅慮はお見通しだった。故に、具体的にどう覇権を握るのか、その術を示したのだ。彼女は地下聖堂の最深部へ行き、そこで降臨する女神を迎え入れよと仰られた。諸君も知る通り、この歴王国首都は巨大な遺跡の上に作られており、地下には巨大な聖堂が存在する。我は半信半疑ながら、一部の護衛を連れて聖堂へ向かった。そして息を呑んだ。聖堂の最深部が、隠し扉となって開いておったのだ。そしてそこに、女神は降臨した――このように」
王が円卓の中心に手を指した瞬間、シャンデリアから小さな光の粒が落ちた。それは雪の如くひらり、ひらりと舞い降りて幻想的な光景に摂家の当主たちが息を呑む。光は次第に多くなり、やがてシャンデリアの光量さえ霞む光の柱が輝いたとき――全員がその光景に目を奪われた。
光の中から、この世ならざる美しさを纏う女性が顕現した。
シルクのような純白の肌に、女性的な体のふくらみと、それを包む白銀のドレス。その肢体は淡い光を放ち、まるで幻想の物語を現実に見ているかのようだ。マギムで言えば十代後半程度であろうかその女性はしかし、年齢を超越した妖艶な笑みを浮かべ、宝石のように鮮やかな赤い瞳で周囲を一瞥する。
『――地上に生まれし愛し子たちよ。機は熟し、我はここに降臨した。すべてはこの星に永久の平和と安寧を齎さんがため……今、これより、歴王国によるロータ・ロバリー全土の統一を為せ。その為の力を、そなたらには与えよう』
女神、と誰かが呟いた。
そう形容して然るべき、圧倒的な存在感だった。
女神は両手を優雅に振る。すると会議室の風貌が一変し、気が付けば全員が地下大聖堂の最深部にいた。女神は最深部の更に奥へと歩みを進め、王もそれに続き、驚愕しきりの摂家当主たちも流されるように続く。
転移術式――シルバーの知る限り、実用に至っているのは異端宗派のみ。それを部屋にいる複数の人間ごと一瞬で、地下深くの場所まで移動させる。これほどの力を行使する存在が凝った偽物だなどと、誰も断言することは出来ない。
道はガラス張りのような細い通路だった。
これほど均一な一枚張りのガラスを加工することは、加工に強いガゾムであっても多大な労力を要するだろう。いや、強度を考えるとガラスではないのかもしれない。どちらにしろ恐ろしく高度な建築技術である。
ガラスの外には見たこともない光源が灯り、その下にひたすら巨大で神々しい神像のようなものが立ち並ぶ。古代遺跡故なのかもしれないが、シルバーにはその神像たちが今にも動き出しそうな錯覚を覚えた。
通路を超え、見たこともない材質の足場を通り、人生で初めて見る構造の扉を超えた先に、その部屋はあった。
会議室の何倍も広く、見たこともない機械らしきものが並ぶそこには、どういう理屈か歴王国王都の周辺全ての光景が映し出されていた。ギルドでこのような技術が発掘されたという噂はあったが、ここはその技術そのものが機構として残っているようだ。
王は堪え切れない子供のような無邪気さで部屋を走り、その部屋で最も高い席に座した。
「では諸君!! 件の力というものを皆で見聞しよう!! 半信半疑の諸君らもアレを見れば理解するさ!! そう――我らが女神に選ばれたということをっ!!」
正面に映し出された王都の映像の遠くが急速に拡大されていく。現実には一体何千マトレ先なのか想像もつかない先に表示されたのは、魔物の群れ。戦いを熟知する家系であるシルバーにはその魔物が何なのかすぐに判別がついた。
「あの異形、ハメンタイセイか!? 第二次退魔戦役で姿を見せた五面十臂の大怪物!! 危険度12の中でも最悪と称され、いくつもの砦を壊滅させた悪夢の魔物……!!」
ハメンタイセイは第二次退魔戦役初期に姿を現した、現在確認されている魔物の中でも最大級の存在だ。五つの猿のような顔と十の手とも足ともつかないパーツを胴体に無理やり接合したような、魔物の中でも一際異彩を放つ姿をしている。全高は驚異の三十マトレ。異形は外見からして生理的嫌悪感を催すが、問題はその異形の手足だ。
猿の手を前足と表現することに倣って足と呼ぶが、ハメンタイセイの十本の足はどのような悪路も走破し、更に瞬発力の高さから巨体からは想像もできない跳躍力を発揮する。この跳躍力で戦役初期、数多の砦が想定していなかった上からの破壊によって壊滅させられた。
更にこの足は物を掴むという点でも凶悪で、壁面の僅かな凹凸を掴んで崖や城壁を上ったり、手に持ったものを周辺に投げつけ、近寄る兵士は虫を殺すように叩き潰した。五つある顔があらゆる方角を視認可能にし、十の腕があらゆる角度からの攻撃を可能にするのだ。歩く攻城兵器と称されたこの怪物の悪夢は、神秘術にはさほど強くないという特性が発見されるまで続いた。
ただし、弱点が発覚したところで破格の戦闘力が衰えることはなく、接敵してからの迎撃準備が間に合わずに急襲を受けていくつもの術士部隊が壊滅、撤退を余儀なくされ、出現した個体の半数以上は英傑が出張って仕留めざるを得なかった。
ぱちぱちぱち、と、王が拍手する。
「流石は滅竜家のシルバー、すぐさま言い当てたな。ではシルバーよ、あれがどれほど骨の折れる相手か、皆に分かるよう述べて見よ」
「衛兵を500人動員しても状況によっては敗北するでしょう。我が滅竜家の私兵部隊を出動させるか近隣ギルドに上位冒険者の討伐チームを編成してもらわねば、被害は如何ほどに上るか……それだけ動員しても、敗北の確率は排除できませぬ。それほどの魔物です」
「滅竜家の私兵と言えば一人一人が高位冒険者に匹敵するとされる我が国最高練度の兵ですぞ!?」
「それを動員せねばならぬほどの邪悪な魔物が――!?」
「うむ、うむうむ。まさに我らの得た力を示すにはちょうど良い相手だ。古代ではこういったものを『でもんすとれいしょん』と呼んだそうだが……そうれ!」
満足げに頷いた王が椅子の手すりを小突くと、半透明の光る板が虚空に浮き出す。王がそれを指で押した瞬間、ハメンタイセイのすぐ近くに目を覆う程の光が迸る。
「刮目せよッ!! あれが、我らの得た力であるッ!!」
そこに顕現したのは――シルバーが通路で見た、あの巨大な神像だった。
神像は大地を砕く程の重量を動かして即座にハメンタイセイに拳を振るう。ハメンタイセイが反応して数多の腕をバラバラに動かして抵抗するが、そこから先は最早戦いとは呼べなかった。ハメンタイセイは周囲の草を根こそぎ風圧で吹き飛ばす程の神像の剛腕を受け、瞬く間に体の節と言う節をへし折られ、潰され、そして最後に神像の手が光り、数銃に似た武器のようなものが出現する。
武器の先から、魅入られるような燐光が溢れ、そして――。
――そこで起きた『蹂躙』を目撃した当主の一人がふらつき、尻餅をついた。ある者はその圧倒的な力に感涙し、ある者は女神を称え、ある者は言葉すら出てこずにただその光景を見つめ続けた。
そこには痕跡の欠片すらなくこの世から消失したハメンタイセイと、それを退けた奇跡――神の遣いだけが悠然と、泰然と佇んでいた。
王がくつくつと愉快そうに喉を鳴らす。
彼は知っていたのだ、これから起きる蹂躙――否、天罰の内容と結果を。
「あれは、数多ある力のほんの一部を解放したに過ぎん。人を殺さず物だけを破壊することも可能だそうだ。無駄な血を流さず力だけを奪う、実に平和的な力ではないか。どうだ、諸君? この星の覇権を握る我らに相応しい力だろう? では、問おう……三日後、歴王国はロータ・ロバリー全土の統治と、それに抵抗するありとあらゆる勢力への宣戦布告をするものとする。勿論目障りなギルドもな。異議のある者は?」
その場の誰もが理解していた。
王が真に覇者となるべき力を掌握したことを。
歴王国の勝利は絶対に揺るがないであろうことを。
世界征服――誰もが夢想と嘲笑うそれを可能にする力を目の当たりにした当主たちが一人、また一人と王に服従するよう跪いていく。ある者は力を得た王に羨望と尊敬を以て、ある者は王の統治の下に生まれる千年王国を夢想して、またある者は、これほどの力を得た王に逆らった結果に身震いして。
気が付けば、動けずにいたシルバーだけが跪いていなかった。
「シルバー、お主はどうだ。まだ決めておらぬのなら待つが?」
「私、は……」
シルバーは、シルバーにはどうしても王がどうしようもなく危険な『何か』に魅入られたようにしか思えなかった。あの女神が歴王国に真の希望を齎すのか、そして女神が言う「歴王国が星を統べる」という言葉の是非に疑念が消えなかった。
歴王国は今まで何度も周辺諸国や小さな集落を自国に取り込み、国境沿いや未開拓地と争い、周辺諸国との関係を歪ませていった。それは歴王国が頂点に立ちたいという飽くなき欲望の結果でもある。
確かにあの力があれば、世界は統一されるだろう。
王の言葉が正しいのなら、戦う力のみ奪って服従させることも可能だ。
しかし――その果てに待つ未来とはなんだ?
歴王国による権力の一極集中した世界か?
王か女神という頂点の下に訪れる究極の平等か?
いや、そもそもエレミアの経典には特定の文化文明が世界の行く末の全てを握ることに対して警告めいた言葉を多く残していなかったか?
アレは、本当に女神なのか?
女神でないとしたら、我々は今、取り返しのつかない致命的な過ちを冒そうとしているのではないのか――?
『――考えているのね』
「ッ!!!」
いつからそこにいたのか、全く認識できなかった。
シルバーの耳元で囁いたそれは、先ほどから姿の見えなかった純白の女神。宙を浮いてシルバーの背後に纏わりつくように現れた女神は、意識が吸い込まれそうな程に美しい笑みを浮かべた。
『優しいのね』
「はっ……はっ……!!」
その存在感の圧倒的な濃密さに、ただ立っているだけで呼吸が乱れる、冷や汗が顎を伝う。決して人類の中から生まれることはないであろう圧倒的な個としての美しさと存在感に加え、その声は全ての理性を透過して本心に呼び掛けるような響きを持っていた。
『真面目過ぎて決められない。そういう子なのね、貴方は……』
それだけ言って、女神は空間に融けるように消えていった。
王はそれを意外そうな顔で見つめ、破顔した。
「ふむ。シルバー、お前は女神に目をかけられたようだな。そうか……若いお主にはすぐに頷けない規模の話であったようだ。良かろう、どちらにせよ多数決でこの決定には影響せぬ。お主は採決不参加という形で処理しよう。特例だが余が許可する」
「は、はい……申し訳、ありません」
「気に病むな。余も性急であったことは否めぬ。ただ、決定は決定だ。良いな?」
「はっ、お心のままに!」
持てる全ての演技力と虚栄心を振り絞って跪きながら、シルバーは生と死の瀬戸際のような緊張感に身を震わせた。
(これはもう、兄弟の相談では済まない。滅竜家だけじゃない、世界全土の行く末を左右する大問題だ!! 嗚呼、兄さん……プラチナ……! 大変な……本当に大変なことになってしまった……!!)
命の螺旋を壊す者の手によって、ロータ・ロバリーは音を立てて狂い始めていた。




