98.受付嬢ちゃんも友情が芽生える
かぽーん……と、小気味のよい音が響きます。
時刻は朝六時、現在ポニーちゃんは『泡沫の枕』の共同浴場に備え付けられた大きな浴槽に半身を漬しています。これはケレビムの伝統浴槽『セントー』と言うらしく、驚くことに十人以上の人間が入っても余裕があるほど巨大な浴槽です。元々はなかったのですが、桜さんが情熱を注いでなんとか完成させたそうです。流石ケレビム文化マニア、どうしても入りたかったそうです。
……ただ、当人は「銭湯は絶対誤訳だって……いや、確かにこれは温泉ではないけどさ」と、なにやらぶつくさ言っていましたが。
さっきのカポーンという音は、これまたケレビムの浴場に必須の木製桶を置いた音です。桜さん曰く、術で作ろうとするとどうしても上手く作れないので椀々軒の人に頭を下げて作り方を習ったそうです。拘り過ぎではないでしょうか。
ともあれ、ポニーちゃんは普段朝風呂をしないので、今のこれは珍しい光景と言えます。そしてその隣にもっと珍しい光景――イイコちゃんが隣で湯船に浸かっていました。
「……あ、あのさ」
イイコちゃんが言いにくそうに訊ねてきます。
「昨日の夜、わたし加減せずにお酒飲んじゃって、あんまり覚えてないんだけど……もしかして、酔った勢いで色々言ってた?」
昨日のイケイケっぷりは鳴りを潜め、むしろ死刑宣告を待つ罪人のような悲痛な表情です。自分の猫被りが完璧にばれたかもしれないので無理もありません。
ポニーちゃんは少しばかり、何も知らないふりをして「昨日は何もなかった」で平和に終わらせようかな、という考えが頭を過りました。しかし、珍しく悪戯心が疼いてしまい、意味深な笑みを浮かべます。
昨日のイイコちゃんは情熱的にポニーちゃんを押し倒し、裸を見せ合い、気を失う程に刺激的な夜を過ごしました。決して周りに言えない秘密ができてしまいました。
「はっ、はぁぁぁぁぁぁ!? わたし酔った勢いでナニしたの!? ねえナニしたのぉ!?」
顔を真っ赤にしたイイコちゃんの声が、やたらよく音の響く浴場に木霊します。ちなみに嘘ではありません。イイコちゃんには押し倒されましたし、イイコちゃんは裸になりましたし、胸の痣を見た代わりにポニーちゃんは生足を見せましたし、ヒートアップしたイイコちゃんは気を失ったように話の途中で眠りました。決して周囲には言えない秘密であったのも事実です。
本気で焦るイイコちゃんにちっぽけな嗜虐心が満足し、ポニーちゃんは素直に話すことにします。
昨日は、普段は決して聞けないイイコちゃんの本音をたくさん聞けました。
余りにも聞きすぎて不平等なくらい、聞きました。
「うっ……!!」
イイコちゃんにとって、恐らく一番知られたくなかった相手だったのでしょう。苦虫を噛み潰したような顔をしたイイコちゃんは、それ以上何も言わずに俯きます。
でも、聞きすぎて不平等なのでポニーちゃんも少し喋ります。
「へ? あ、う、うん……?」
……ポニーちゃんは、恐らくこのギルドで一番貧しい環境から生まれた人間です。
ギャルちゃんに誘われるまでスイーツ巡りなんて知りもしなかったし、メガネちゃんに勧められるまで娯楽小説なんか触れたこともありません。それっぽく周囲に合わせていますが、世間の女性を知れば知る程に、ポニーちゃんは自分の幼少期が極貧だったことを思い知らされます。そりゃそうです。保護者が既にこの世にいないストリートチルドレン同然だったのですから。
恋愛経験ゼロ。男心も分からない。ファッションを決める時はいつも周囲に笑われないかヒヤヒヤしながらそれっぽく見えるよう慎重に選んでいます。他人に親身なのはもちろん親切心もありますが、本当はハリボテの文化性を少しでも補強したくてそんなことをしているというさもしい面もあるのです。
なのでポニーちゃんはずっと思っていました。
一番ギルドの中で年ごろの女性らしく振る舞い、女性の強みを武器に周囲を味方に付けるイイコちゃんが、妬ましいなと。
「ポニー……」
もちろん妬み全開でノートに悪口書いたりするほどの悪意ではありませんでしたが、先輩に人気受付嬢ランキングで二位だったと言われた瞬間、一位はイイコちゃんに違いないと思いました。ポニーちゃんがどんなに一生懸命になって仕事をしたとしても、泥臭い自分と違って余裕で文化的に一つ上のステージを歩いている。それがポニーちゃんがイイコちゃんに嫉妬した理由です。
「それは、違う……違うよポニー。水上では優雅でも、水面下は必死にばたついてる……私なんてそんなもの」
ポニーちゃんもそうです。色んな冒険者さんの問題を営業スマイルでどうにか乗り切っていますが、解決できずに先輩に頼ることも多く仕事を終えるといつもノートと向き合っています。そうでもしないと明日も同じ営業スマイルで仕事を出来ないのです。
努力を怠ればその分だけ頼りなさが増えます。頼れないし頼られない受付嬢なんて最悪です。惨めです。見向きもされなくなることが怖くない訳ありません。私はもう二度と、路上で姉に身を挺して守られながら暮らしていた頃のような惨めな存在に戻りたくないのです。
「……一緒だね。ポニー。似た者同士、同族嫌悪だ」
そうですよ、イイコちゃん。
ただ、ポニーちゃんは最近周囲に隠し事をしています。その事を周囲に一切相談していないのに、隠し事は日を追うごとに大きくなっていき、気が付けば自力ではどうしようもないほど大きな問題になってしまいました。
イイコちゃんには、バレてしまいましたが。
「……やっぱりそうなんだ。おかしいとずっと思ってた」
どうせ周囲に話せない事だから、と、周囲をないがしろにしているとも取れる隠し方をしていたことに、今回気付かされました。自分だけ後悔しなければいいなんて、身勝手な理論でした。
という訳で、もう正直に話しちゃいたいなと思っています。
「ちょっと、ずいぶんあっさりじゃない。先輩方にも相談できない秘密を、貴方を嫌ってる女に言っちゃっていい訳?」
猫被りをやめたイイコちゃんが胡乱気な顔をします。
しかし、いいのです。ポニーちゃんとイイコちゃんは似ています。だからポニーちゃんにはイイコちゃんがどれだけ腹を立てていたのか何となく分かってしまうのです。分かっていて負担を強いさせるほど無神経でいられません。
「あっそ! しょーもない悩みだったら周りに思いっきり暴露して馬鹿にしてやるから覚悟しておいてよね!!」
今日の夕方、この宿の食堂で話をします。この宿の人間は全員ポニーちゃんの隠し事の事を知っていますし、知らせても問題ない人達です。
精々、聞いて後悔しないことです――と、ポニーちゃんは最後におどけてそう言い、イイコちゃんはハン、と挑発的に笑い……自然と二人は隣り合ったまま手を握りました。
= =
「なぁ、気付いたか?」
「あぁ」
冒険者ギルドの一角で整列しながら、2人の冒険者がひそひそ話をする。
二人はイイコちゃん勢力に属する存在だが、イイコちゃん至上主義という訳ではない。むしろ所属する全受付嬢に担当してもらい、受付嬢レビューなるものを書いている極めて暇を持て余した物好きである。レビューには受付嬢の容姿、仕草、仕事態度、趣味嗜好に男性の好み、果ては私生活に至るまでを詳細に解析している。ぶっちゃけ他人から見ればただの下世話なストーカーにしか見えないが、彼らは彼らなりの情熱を持ってレビューを書き続けている。
なお、彼らはわざわざ他所のギルドに面倒な一時出張をしてまで受付嬢たちの情報を掻き集めており、そのレビューは一部の非常にクローズドでマニアックで紳士な人間にのみ高値で販売されている。ちなみに完全会員制なので得体のしれない輩や程度の低い人間にはレビューの存在は耳にすら入らない。
ちなみにいやらしい要素はない。若干のフェチシズムを感じることはあるが、仕事の得手不得手などをしっかり押さえた上で精緻な似顔絵とその受付嬢に会いたくなるようなエピソードと情報を添えたとっても健全なレビューである。紫術士の一件があってからはセキュリティは更に強化され、もっと健全かつ世間の目には触れないものになっている。いやらしい意味は一切ない。リスクマネジメントである。
そんな彼らの活動拠点――ギルド西大陸中央第17支部は、受付嬢最大の激戦区だ。
二人の視線の奥には今日もレベルの高い受付嬢たちが仕事開始の準備をしている。しかし、2人の目にはこれまでと明らかに違う光景が映っていた。
「受付嬢ランキング不動の一位イイコちゃんと安定の二位ポニーちゃんの距離が近い。明らかに近い」
「態度もなんというか、自然体だ。イイコちゃんもそうだが、ポニーちゃんがあんなに年相応に笑うのは珍しい」
「これは……」
「ああ……」
「「とても良いものだ……」」
むっつり真面目な顔で脳みそが溶けたようなセリフを言う2人。
以前からイイコちゃんとポニーちゃんは対立構造であるという見方が強かった。男心を擽る接客態度についついのめり込んでしまうイイコちゃんと、堅実真面目一生懸命な姿が心を打つポニーちゃん。二人はレビュアー達がこれまでレビューしてきた中でも指折りの高評価だったが、2人は客層や性格が余りにも違い過ぎる為に女の確執ともとれる場面が時々あった。
しかし、今日はどうだろう。
普段はバラバラに職場に来る二人が肩を並べて親しげに話しながらやってきたではないか。しかもその親しげと言うのが、受付嬢然としたものではなく普通の友達同士のようにイタズラっぽかったりふざけて小突いたり、年頃の乙女たちの接し方そのもの。
彼らレビュアーは当然、イイコちゃんが男の扱いに長け、時折ポニーちゃんとの間にぎすっとした空気が流れた事を知っている。先日にイイコちゃんがお酒を飲みすぎ、ポニーちゃんとその他一名が宿で彼女を介抱したことも知っている。(……彼らはあくまで受付嬢レビュアー。受付嬢以外の女性については特段興味がない業深き者どもである)
しかし、それがここまで劇的な接近に繋がるとは予想していなかった。
書類整理をしながら何やら言うポニーちゃんと、それにむすっとした顔で手に持つ書類で彼女を小突くイイコちゃん。そのイイコちゃんに「やったなー!」と言わんばかりにコチョコチョわき腹を擽るポニーちゃんと、くすぐったさに堪え切れず悶えるイイコちゃん。目立たない程度に部屋の端っこでじゃれ合う二人に気付いた一部の冒険者たちは慈しみを以てその光景を眺め、つかの間の平和を噛み締めた。
そんな二人の姿を横目に見つつ、ギャルちゃんとメガネちゃんは顔を突き合わせて苦笑いする。
「ポニーとイイコ、珍しく浮かれ切ってんな」
「でも、良かったです。ずっと微妙な距離感でしたもん。特に最近はどこかポニーさんの様子がおかしかったですし、イイコちゃんもそれついてずっとイライラしてましたし……」
「あ、やっぱメガネもそう思った? なんか様子がおかしいけど、ポニーは問題があると思ってたら周りに相談するのに今回それがなかったからなぁ……周りにそれを察されてるのに気づいてないポニーにイライラしてたんだろうけど、これで安心だな」
「にしても、一晩であんなに距離を詰めるなんて何したんでしょうね?」
「そりゃもうムフフでウフフなことを……」
「ギャルちゃんって時々お酒の席のおじさんみたいなこと言いますね」
それはギルドの中で垣間見える束の間の平穏。
――明日から崩壊する、本当に尊き日々。




