重課金腐女子と無課金後輩
最近、眠りが浅い。頭痛も酷い。
朝起きても身体の疲れが全然取れていない気がする。
夜中までソシャゲして途中で寝落ちしてるから、一体何時までプレイしていたのかも覚えてない。勤務先は自宅と目と鼻の先なのに、朝飯を座って食う時間もない。今日もまた始業直前、事務机の陰に屈んでおにぎりを掻っ込んでいるところを先輩に見られてしまった。
「藤田君、何してんの?」
「篠山先輩! このことは内密に……ッ!」
俺の事務机に手を付いて、篠山響子先輩は長い髪を垂らしながら呆れたような顔をした。
ばつが悪くなった俺は、おにぎりを急いでお茶で流し込み、ふぅとため息を吐いてからゆっくりと立ち上がった。
「また夜中にゲーム?」
「まぁ……、ですね」
「藤田君、二年目だよね。いつまでも学生気分じゃダメだよ」
一般論で嫌味を言われるのも最早日課だ。それでも悪い気がしないのは、多分篠山先輩が憧れの女性だからかもしれない。
入社直後から同じチームで、新人の俺のミスを丁寧にカバーしてくれたり、細かいところをわかりやすく教えてくれたり、頼りになり過ぎる先輩だ。
ため息が出るほど美人なのに、浮いた話は全然無い。残業は極力しない、休日は自分の好きなことに使う、かといって、仕事の手は絶対に抜かないのだ。付き合い程度に飲みには行くが、あまり自分のことは話さない。そこがまた秘密めいてて最高に良い。
「そういえば最近、変な病気が流行ってるらしいよ」
「何ですかそれ」
「ニュースに興味ないでしょ。スマホ持ってるなら、ニュースアプリくらい入れなさい。小さな記事なんだけどね、ゲームのやり過ぎで睡眠障害が起きて、昏睡状態になる病気があるんだって。それが特定のゲームだけなのか他のゲームでもそうなのかとか、ネットで問題になってるみたいよ。藤田君、休憩時間もゲームしてるよね。あまりのめり込み過ぎるとって心配してるのよ」
別に、自分の空き時間を何に使おうが自由だと思うが。
優良な無課金プレイだし、金は無いが時間はあるってやつで、コツコツやって誰にも迷惑かけてない。
ただ、仕事と睡眠の時間以外はゲーム三昧で、頭がフラフラすることがある。
昏睡の件は5chでも話題だった。ログインしたまま消えるユーザー、書き換えられるシナリオ、急に現れるNPCやモンスター。運営は不具合と言うが、どこまで本当かどうか。一部では、ユーザーがゲームに取り込まれて戻れなくなったって都市伝説めいた話まで。まぁ、あくまで噂だけど。
篠山先輩は、いかにもゲームになんか興味なさそうだもんな。スマホに入れてるアプリだって、絶対、意識高い系ばかりだ。俺とは相容れない人種だし、そんな忠告、全然響かないよ。
俺は適当に相づちを打って、朝礼に向かった。
*
篠山先輩が会社を無断欠勤したのは、その翌日だった。
朝から会社は大騒ぎ。優秀で責任感のある篠山先輩が無断欠勤なんて、まずあり得なかったからだ。
「篠山のこと何か聞いてる? 連絡が取れないんだ」
同じチームの米川洋太先輩が、やはり朝飯を職場で摂っている俺を見下ろしながら聞いてきた。
「いいえ。どうしたんですかね、急に。昨日は普通だったのに」
*
午後になっても、篠山先輩とは連絡が付かなかった。
総務部長がウチの部長と応接室で何やら話し合っている。課長と係長も呼ばれ、益々話は大きくなっているようだった。
やがて部長が、篠山先輩と同期の沢木さんと共にいそいそと外出していった。
「念のため、直接マンションに行ってみるらしい。大丈夫かな、あいつの部屋……」
「あれ? 米川先輩は、篠山先輩とはプライベートでも親しいんですか」
「まぁ、趣味が合うからね」
「え? もしかして二人は付き合って」
「違う違う。ちょいちょい会場でさ。篠山、実は腐って……。あ、やべ。何でも」
「腐る? 料理下手で、冷蔵庫の中身が腐敗してるとかですか」
「う~ん、まぁ、それは概ね合ってる」
米川先輩は変な誤魔化し方をした。
*
更に動きがあったのは、その日の業務終了直前。
帰社した部長に呼ばれ、俺と米川先輩は応接室へと通された。
要約すると、篠山先輩は自室で倒れていた、とのこと。警察とマンションの管理人に連絡し、部屋に向かったが応答無し。合鍵を使って中に入ると、部屋着のままグッタリとしている篠山先輩がリビングで見つかったそうだ。
幸い息があり、救急車で病院に搬送された。今は家族と連絡を取っている最中らしい。
「とにかく、そういうことだから、しばらく篠山君は休ませることになった。業務に支障が出そうなときは、他チームに仕事を割り振るから、遠慮無く言ってくれ」
部長は事実だけを淡々と述べた。
「君たち、篠山君と同じチームだろう。何か聞いてないか? どんな些細な話でもいい、最近、彼女に変わったことはなかったかな」
「いいえ」
米川先輩が唸り声を上げる。そして、何かに気が付き、ハッと顔色を変えた。
「部長、彼女の部屋に上がったんですか」
「あ、ああ。警察立ち会いの下で」
「見ました?」
「何を」
「いえ。一応、女性の部屋なので」
それきり、米川先輩は黙ってしまった。
*
米川先輩の様子は、ちょっとおかしかった。
本当は何かを知っている。けど、隠してる。バレバレだ。
「やっぱ、付き合ってるんですよね」
帰宅直前、そう呼び止めると、米川先輩は大げさに驚いて、俺を誰もいない会議室に連れ込んだ。わざわざ内鍵を締め、俺の胸ぐらを掴んで会議室の奥まで引っ張っていく。
そして血相を変えて、ドスの利いた声で壁ドンしてきた。
「藤田。お前、秘密守れるか」
「は、ハイ!」
獣のように殺気だった米川先輩は、なんだかいつもと違って怖い。
俺は猫に睨まれたネズミの如く震え上がり、ズルズルと壁からずり落ちて床に尻を着けた。
「実は俺、昨晩篠山とプレイしてたんだ」
「プ、プレイ? やっぱセック……」
「違う違う。ゲームだよ。篠山が、腐女子な上に重課金勢なの知らなかった?」
「ふ、腐女子? 課金勢? まさか!」
「まぁ、そうだよな。俺も偶々知ったけど、本当にヤバいんだよ、あいつ。推しに相当貢いでるらしくて。薄い本もたんまり買ってたし。そのためにも仕事はキッチリやって、金はしっかり稼がないとって、そういうやつなの。で、昨日も一緒にオンラインでプレイしてたんだけど、途中で様子がおかしくなった。ゲーム詳しいだろ。『エターナル・ファンタジー・オンライン』、やったことは?」
「『EFO』? やってます」
「じゃあ噂は知ってる? 昏睡がどうの」
米川先輩は嘘を付いているとは思えないくらい真剣だった。そして俺の真ん前に屈み込み、両肩を鷲掴みしてきた。
「重課金ユーザー中心に、ゲームにハマり過ぎてる連中がどんどん消えてるらしい。噂は噂だと信じたいが、もし本当だったとしたなら、だ。篠山の意識はゲームに呑まれた。俺は篠山に、『ヤバいから、止めた方が良いんじゃないか』って言ったんだ。そしたら直後、篠山の応答がおかしくなった。で、朝職場に来たらこれだ。藤田はどう思う?」
「どうって?」
「確かめた方がいいと思わないか?」
――ふいに、廊下から話し声がして、俺と米川先輩は慌てて息を潜めた。
声は、篠山先輩のマンションに行った沢木さんだった。
『……で、びっくりしちゃって。薄い本? 男同士が絡んでるような。本棚とテーブルの上に無造作に何冊も置いてあるの。ドン引きですよね。全然そんなふうに見えないから。篠山さんを見る目、変わっちゃいますよね』
……薄い本。
男同士の絡み。
そして、それをからかう甲高い笑い声が幾つも聞こえている。
「あの……今、篠山先輩のためにも、このままほとぼりが冷めるまでそっとしておいた方が良いと思いませんか」
米川先輩は、半分白目だった。
「変な噂信じ過ぎですって」
「けど藤田。もし噂通りだったら」
引き下がらない米川先輩。やっぱり、なんだかんだ篠山先輩のことが好きなのだろう。
「俺、優良な無課金ユーザーですよ。まさか、思い切り課金して噂を検証しろだとか」
「誰も課金しろなんて言ってない。お前、ゲーム上手いよな。一緒に確かめてくれないか。何も無ければ良いんだが、篠山がEFO原因で倒れたのか、そうじゃないのか」
「ええっ! 一人でやってくださいよ」
「そう言わずに。頼む!」
頭を下げて懇願する米川先輩の願いを足蹴には出来ない。
「……確認するだけですよ」
「本当か! ありがとう、藤田! じゃあ早速ログインしようぜ」
米川先輩は満面の笑みでスマホを取り出した。
俺も渋々、自分のスマホでログインする。
こういうの苦手だ。自分の好きなようにプレイしたいのに。
画面を見ていると、ふいに偏頭痛が襲った。目の前が霞む。ヤバい。寝不足が続いて。
「藤田……?」
そこから先は、良く覚えていない。
視界が暗転しする。
おかしい、身体が重くて動かなく――……。
*
軽快なEFOのフィールド音楽が聞こえてくる。
目の前に広がるのは中世ヨーロッパの街並み。
武装した人々の様々な会話が耳に入ってくる。
VR? 違う。これは。
嫌な予感がした。
俺は慌てて自分の格好を確かめた。
そのままだ。自分のアカウントの装備そのまま。鎧も、剣も、盾も、何もかも。
嘘だろ。
「呑まれた……?」
俺の頭の中は、急激に真っ白になった。