ミールカテーナ
『智之さん!大丈夫ですか!何があったんですか!』
青木智之が耳に装着しているブルートゥースから、女性オペレーターの叫び声が聞こえる。彼女は智之に不幸なことが起きたのだと考えていた。
しかし、実際は違った。智之は視界に入っている光景をじっと眺めていただけだった。
鉄筋でできた建物の壁が狭い道を作る。そこで、起こっていることはファンタジーのようだった。彼の視界には、モンスターの亡骸が横たわっていた。月に照らされ、鮮やかな紅色に染まっている。
『応答してください!智之さん!』
しばらくすると、智之は開口する。
「ターゲット・ロスト。すでに倒されていた」
「……そうですか」
落ち込んだ女性の声が智之の耳に入る。
「金にならなくなったが……ん?」
『どうしましたか?』
「この世界にいると思えない少女がいる?」
えっ!?とブルートゥースから、驚きの声が漏れる。智之の瞳は、少女の姿をスキャニングするように動いていた。
月から来たのではないか。そのように感じさせる少女はモンスターの死体を眺めている。智之は理解できなかった。この非現実的な光景を。
『智之さ……き……』
「……切れた?」
ノイズ。砂嵐のような音の後、糸が途切れるように通信ができなくなった。暫時、その状態が続く。
(話しかけるか)
智之は自身の答えに疑問を抱きながら、一歩ずつ足を進める。
少女は彼の存在に気づいたのだろうか。肩まで伸ばした銀色の髪と青いジャケットを揺らしながら、振り向いた。背後の月の光が照らされているせいか。彼にとって、その姿は神秘的に見えているはずだ。
「私はセレネ・エスペランサ。あなたは?」
突然、セレネと名乗る少女が智之に語りかけてくる。彼女は笑みを浮かべている。月のような瞳の奥には、ややくせ毛が目立つ男の姿があった。
「俺は青木智之。ここは東京だ」
「アオキ・トモユキ?トーキョー?」
智之より年下であろう少女は首を傾げた。彼女は不思議そうに、智之を見つめていた。
(この子は異世界から?)
驚愕。そして、困惑。智之は苦笑いした。なぜなら、彼にとっての現実とはかけ離れているからだ。目前にはファンタジーのようなことが起きていた。
「詳しくはゆっく……」
話の途中で、智之は目の色を変える。顔を少しだけ上げ、目線を少女の後ろに変える。彼女の後ろには異形の黒い影が見えていた。
腕は鎌のように鋭い。下半身は馬、上半身はカマキリのような体つきだ。明らかにモンスターだ。確実に、セレネの命を刈り取ろうとしている。
「あとで話す!」
智之は正拳突きを繰り出す。拳はセレネの顔の右横を通り抜ける。彼女ら驚いたように、目を見開く。
「これで!どうだ!」
この言葉のあとだ。モンスターは仰け反り、数メートルほど後退する。
智之はモンスターが動けない隙を狙い、セレネより前に出た。次いで、庇うように左手をセレネが前に出ないように広げる。
「あれはキラータウス?」
「あのモンスターのことか?」
「私の世界では、そう呼んでる」
落ち着いた口調と表情で、セレネは智之の左手を振り払う。
「無関係の人を巻き込みたくない」
彼女の声は慌てる様子もなく、どこか落ち着いている。しかし、その声の中に熱い何かが込められていた。
「俺も関係がある」
「どうして?」
キョトンとした表情で、セレネは智之に質問する。彼はその表情を見て、笑みを浮かべた。
「モンスター討伐のプロだからだ」
「変だね」
苦笑い。そこから、セレネは思わず、吹き出してしまった。
「即興の連携になりそうだね。やってみるしかないみたい」
覚悟している。と智之が言葉をかけた瞬間。セレネは左太ももに取り付けていた鞘から剣を抜く。その勢いで、キラータウスに剣先を向けると、炎が剣身を包んだ。
一方で、智之は腕を上げる。左手は顔の前、右手は右のこめかみより少し離れたところに構える。みぞおちあたりに力を入れ、前かがみになるような姿勢にする。
「行こう」
智之の言葉が戦いの火蓋を切った。声が終わった瞬間、セレネは剣を振り上げ、突進する。
「早速か!」
智之は夜空を突く。
「シャッ!」
怪物は自分の身体の下からやってくる力に気づいているのだろうか。すぐさま、後ろに下がる。
「まだ、行くよ」
水平に斬る。セレネは剣を横に振る。剣先は弧を描いた。モンスターの側面に炎と剣身が食い込もうとしたときだ。
「スシャァァ」
キラータウスは防御した。腕をL字型にし、剣を受け止める。そのまま、セレネを突き飛ばす。
飛ばされたセレネは地面に立膝をつき着地する。
しかし、目前のモンスターは攻撃の手を緩めない。すぐさま、腕を振り下げ、セレネを突き刺そうとする。
「このっ……」
ミシン針のように振り下ろされる鎌を剣で振り払う。まるで、SOSの旗を振るように。
「俺がいることを忘れたか?」
獣の右側面には、智之がいた。彼はモンスターの身体に触れている。怪物はそれに気づくが、すぐに吹き飛ばされてしまった。10mほど飛ぶと、音を立てながら、地面に激突する。
「やったか?」
「トモユキ。まだ来る」
セレネの言葉通りだ。モンスターは立ち上がり、鎌を振り上げて威嚇する。
「まだ元気なのか!」
半馬半虫の怪物は右足を蹴ると、瞬く間に智之のすぐ前まで近づく。そして、鎌を振り上げる。それと同時に、智之の体は右に移動する。すぐさま、モンスターの胴体を殴るように、正拳突きを繰り出す。
「シャァァ!」
「避けたか……」
キラータウスも身体を左に移動させる。衝撃波はどこにも当たることなく、空の彼方へと消える。そして、智之の身体をバラバラにしようと鎌を振り回す。
右へ。左へ。智之は両方の腕の動きに注意しながら、軽々と避ける。時折、地面と水平になるように鎌が振られるが、しゃがんでかわした。
しばらくすると、智之はモンスターの後ろから人がいることを把握する。
「後ろ」
セレネは剣先が肩の後ろあたり来るように、武器を構えていた。
「これで倒れて」
モンスターに近づくと、剣を右上から左斜め下に振り下ろす。キラータウスは背中を斬られ、もがき苦しみ出した。
その隙を利用し、智之はセレネがいるモンスターの背後から少し離れたところまで逃げる。
「ありがとう。助かった」
「礼はいい。それより……」
セレネはモンスターを指さす。智之が視線を綺麗な指の方向に移す。そこには、怒り心頭のモンスターがいた。
「あの状態なら、あともう少しで倒れる」
二人は顔を向き合う。そして、うなずいた。前を向くと、セレネは智之より先に走り出し、突撃する。彼女の左眼が青色に輝き始める。
それに呼応するように、モンスターも彼女に襲いかかる。怪物は左の鎌を振り下ろす。
「もう、見切ってる」
剣を左上に斬りあげる。鎌と剣が交差すると、鎌が吹き飛ばされた。モンスターの左腕は後ろに引っ張られる。しかし、体勢を戻しながら、右の鎌を振り下ろした。
「そこも!」
セレネは声を荒らげる。剣を右に振り、身体を右に向ける。再び、モンスターの鎌と彼女が振るう剣が触れる。その刹那、彼女は剣でモンスターの鎌を地面に叩きつける。
「グッ」
モンスターの鎌が地面に突き刺さる。抜こうとするが、地面に深く刺さって、抜けそうにもない。
「これでどうだ!」
左足を蹴り上げ、矢を引くように、右腕を後ろに引っ張る。
「ジェット・インパクトアロー」
左足で地面を蹴ると、右足が宙に浮く。右腕は石を投げるように振りかぶる。
「行け!」
人差し指と中指がモンスターの方に向けられるも、白い矢のような衝撃波がキラータウスめがけて、勢いよく飛んでいく。
「グシャァ!」
モンスターの脳天に白い矢が貫通する。キラータウスは左腕が地面に刺さったまま、石像のように動かなくなった。
「倒せたな!」
ガッツポーズをして、喜ぶ智之。対照的にセレネは一息ついていた。どうやら、ホッとしているようだ。
「初めてにしてはうまくいった」
「私も。トモユキとは、初めて会ったとは思えなかった」
「夜空を見てみろ」
智之は空を見上げる。セレネもそれにしたがって、空を見た。
「オーロラが……」
オーロラは勝利を祝うかのように、夜空を彩っている。
しかし、智之はこの光景に疑問を抱いた。東京でオーロラが発生するのか。ここは彼自身の世界かどうか。答えはすぐにわかった。
「ここは……どこだ……」
智之は辺りを見渡す。白い花が満遍なく咲いている。花畑は人の足だけでなく、先ほど倒したモンスターの紅い死骸も隠していた。足の平衡感覚は水平とはいえず、右足の方が高い。
「本当にどこだ?」
「オーロラの丘。この場所は私にとって思い出の場所」
即答。セレネは智之に向かって、ゆっくりと歩く。
「あなたは私の世界に来てしまった」
呆然と立ち尽くす。智之は自分に降り注いだ現実が信じられないようだ。
「まさか、セレネの世界に来てしまったのか……」
「その通り。私と同じように」
セレネは智之の眼の前に立つ。銀色の眼は智之の戸惑う表情を映し出していた。彼女は智之の右隣に移動する。
「もしかしたら、私たちは繋がっているかもしれないね」
智之の近くで、セレネはささやく。一陣の風が吹く。オーロラのカーテンの淵から、二つの流星が地平線に向かって流れていく。その軌道は螺旋を描いていた。