勉強をしたい僕と恋愛をさせたい神様のループ&ループ
高校の裏山にはさびれた社があって、そこには未だに神様が住んでいるようだ。
馬鹿じゃねーの?
神様とかいうくだらない噂話にうつつを抜かすなら勉強でもしたら?
知らないの? 日本の社会じゃどの大学に行くかで将来がだいたい決まるんだぜ。
高校になにしに来てるんだよ。学校は勉強するところだろ? まったく、やれやれだ。僕が一流大学に行っているあいだ、君たちは三流大学でせいぜいアホみたいなサークル活動にでもいそしんだらいいんじゃない?
時間を司る神様?
おいおい、そんな大物がこんな田舎の学校の裏山にいるかよ。
なんでさびれた社なんかに住んでるんだよ。
そのすさまじい権能でもっといいところにお引っ越しなさったらいいんじゃないですかぁー?
まあ僕が頼ることは永遠にないたぐいの神様だけれど、残念なことに記憶力がいいもんで、一度聞いた話は忘れられないんだよ。
まったく僕の頭脳に余計な情報を詰めこみやがって。僕が一流大学に合格して将来大金持ちになったあかつきには記憶を自在に消去できる装置でも開発させちゃおうかな。一流大卒なら将来的にそのぐらいの財力はあるでしょ。
そして受験に失敗した僕は、深夜の学校裏山に来ていた。
噂にあったお社は本当にさびれていて、懐中電灯に照らされたそれはかろうじてなんらかの加工をほどこされた木材だとわかる程度だった。
きっと注意深く探していなければただの落木と思ってスルーしていたことだろう。よかった。神はいたんだ。ここに、いたんだ。
生まれてから今まで一度も神様を疑ったことのない信心深い僕は、くずれたお社を丁寧に清掃し、組み直しをさせていただいた。
じっくりと大きく呼吸を繰り返し、土と植物のにおいに満ちたお山の空気を拝借する。
息吹一つ一つに神の気配を感じる。
神はここにいました。時間を司る神が。
絶大な権能を持ちながら、こんないち田舎の高校の裏山に人にひっそりと息づいていらっしゃる神様には、とても深い謙虚さを感じる。
謙虚は美徳だ。
僕も生まれてこのかた謙虚さを忘れたことが一度もない。
いや、そう心がけてはいるのだけれど、いかんせん人間なもので、ふと謙虚ではない面をのぞかせてしまうことはあったかもしれない。
人は、完璧ではないんだ。
だから他者の失敗を嘲笑うことは許されない。
『あんだけ大口叩いてたくせに浪人かよ』とか『頭よさそうなのキャラだけなの?』とか人を見下す連中は絶大なる神の権能によりいずれ天罰が下るであろう。
けれど僕は天罰を願いに来たのではなかったのだ。
「神様、神様。どうか、僕にお力をお与えください。やり直しを。人生まるごととは言いません。高校生活の三年間だけでも、いや、受験だけでも、やり直させてください」
地面に膝をついて両手を合わせて祈った。
時間を司る神様。
僕はあなたのことをなにも知りません。
正しい名前も、来歴も、なにもかもを知りません。
ネットで調べても情報が出てこなかったんです。古い紙の資料にあたるほどの気力はありませんでした。
僕は人生に失敗してしまったのです。
すべてを捨てて勉強だけしてきました。
模試の結果はよかったんです。
でも、本番になったら途端に『人に色々言ったんだから失敗したら格好悪い』とか『ここで人生が決まってしまうんだ』とか色々なことが浮かんできて、まったくテストに集中できませんでした。
僕の三年間は『無』でした。
勉強のためにすべてを犠牲にしてきたんです。友達も一人もいません。彼女だってもちろんいません。
それらすべては安泰な地位を手に入れればあとからついてくるものだから、先行投資として高校時代を勉強についやすつもりだったんです。
でも、気付きました。
僕が目指しているような大学に合格した連中は、みんな、勉強以外もやってきていたんです。
友達と遊んで、恋人と愛のある時間を過ごして、バイトして――青春して、ついでのように勉強をして、それで人生まで手に入れていたんです。
だからもしやり直しの機会を恵んでくださるのでしたら、僕は人生を謳歌したいと思います。
青春してる連中の誰よりも青春をして、恋愛してる連中の誰よりも恋愛をして、そして勉強でも成功して、今、この周回で成功していた連中をまとめて見下したいんです。
人生における努力って、誰かを見下すためにするためのものでしょう?
僕は努力を怠りません。だから神様お願いします。
地位! 富! 名声! 金! 女! すべては望みません。
ただ、一個叶ったら自動的に他も手に入るみたいなところあるでしょう?
僕は誠実なものですから、地位だけを願ったのに富も手に入れちゃった。いやあ願ってもなかったんだけどなあ、とかいう白々しいことを言いたくないんです。
どうか誠実で謙虚な僕の願いをお聞き届けください、神様。
…………神様?
「まあ、そうだよね」
誰かが願いを叶えてくれるなんて都合のいいこと、起こるわけがないってわかってた。
願っただけで叶うんなら、人は努力する必要がない。
それでも失意は感じてしまう。
すべてに失敗し神頼みしかできなくなった僕は、その神頼みにさえ失敗したのだ。
「……お騒がせして申し訳ありませんでした」
最後に一礼してその場を辞する。
直した社を蹴り壊したろうかという衝動も起こったのだけれど、せっかく自分で組み上げたんだし、そんな気力ももはやなくって、やめた。
空はいつの間にか白み始めている。
新しい日が、始まってしまう。
失敗の確定した人生の一日目が。
★×☆×★
「いつまで寝てんだい!? 今日は高校の入学式だろ! 早くしな!」
部屋に帰るなり『苦しくない自殺の方法』を徹夜で調べていたところそんな声がかけられて、なんの冗談だと思わず姉に殺意がわいた。
それでもすぐさま実行しなかったのは僕にも良心があったからで、あるいは姉が空手と柔道と剣道合わせて十段という実力者だったことも理由の一つだったかもしれないけれど、とにかく僕は自分に言い聞かせる。
落ち着け。
神頼みが成功したのかもしれない。
僕は冷静に学習机におさめてあるノートを取り出してそれをながめた。
高校三年間でやった勉強の内容がみっしり書きこまれているはずの、そのノートには、まだ『これから三年間で行う勉強のプラン』しか書いていなかった。
戻ってる。
「戻ってるうううううううう!?」
しかし生来疑り深い僕は狂喜乱舞しそうな己を抑えこんだ。
まだ僕の自殺の気配を感じた家族が、僕のいないうちに部屋を高校入学当時の状態にしたという可能性があったのだ。時間が巻き戻っていると僕に錯覚させるための卑劣な罠の可能性を疑ったのだ。
スマホで日付を確認する。SNSや検索ブラウザで確認する。
それらはどう考えても今日が高校入学当時の日付であることを示していた。
しかしスーパーハッカーが気まぐれにいたずらしていないとも限らない。僕はさらなる確証を得るべく、
ドンドンドンドン!
部屋のドアが激しく殴打されて、押し殺したような声が聞こえてきた。
「入学式に遅刻する気かい? さっさと行かないとスマキにして蹴り出すよ」
あ、はい。行きます。
僕は姉の迫力に負けて、制服に身を包み外の世界に飛び出した。
★×☆×★
これで誰かのイタズラだったら『高校卒業したのに制服を着て新入生のフリをする精神異常浪人生』になるところだったのだけれど、どうにも世間は温かな春で、あたりにはたくさんの学生がいて、彼らはそろいのブレザーを着てこれから行われる入学式を話題にしていた。
見覚えのある相手がいるかどうかはちょっと判断できない。
僕には人がみんなジャガイモに見えるのだ。
ともあれイモの一つとして人の流れに従ったまま進んでいると、
「あの、すいません、すいません、ちょっと通してください!」
決まった方向に進むブレザーを着たイモたちの群れの中で、一個だけ人の流れに逆流しようとしているイモ(雌)があった。
しかし状況はイモ洗い。
みなが一方向に進もうとしている中で流れに逆らおうというのはあまりに無謀だ。
流れには従うべきだし長いものには巻かれるべきだという社会の常識を、高校生にもなってまだわからない雑魚イモがこの世に存在したらしい。
僕は社会通念を介さない落伍イモから遠ざかるように人ごみの中を進んでいく。
本当にやり直せているのだとしたら、ああいうのとはかかわらないようにするべきだ。
僕がかかわるのは選ばれたイモであって、とりこぼされた形の悪いイモではない。
青春も恋愛も友情も同レベルの相手としか成立せず、そしてループなんていう権能を得た僕が高いランクのイモであることは明らかなのだから。
しかし、
ブブー!
なにかの音が響いた。
周囲を見回してもその音に気付いている者は僕しかいないらしい。
かなりの音だ。しかも、何度も鳴っているのに。
クイズで間違えたかのような音は僕が歩むに合わせて次第に大きくなっているのに、誰一人反応する様子もなく、音は際限なく大きくなっていき、そして、
――行動を間違えました。本日をやり直します。
そんな音声とともに視界が真っ暗になり――
「いつまで寝てんだい!? 今日は高校の入学式だろ! 早くしな!」
気付けば僕は、自分の部屋に戻っていた。




