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にゃんこ、子にゃんこ、近寄るなッ!

 昔、猫の死体を埋めたことがある。

 冷たく、動かなくなった猫の体。その感触を、俺の手は未だ覚えている。

 なんてことはない話だ。俺が小学三年の頃。近くの公園で大人たちに内緒にして飼っていた猫がいた。大切に育てていたのに、ある日そいつは公園からいなくなり、別の場所でその死体を見つけた。

 猫は死ぬ間際、飼い主の元を離れるなんて話があるが、その時の俺はそんなこと全く知らなくて。見つけた猫を、公園の木の下に埋めた。幼い俺が、命と言うものを初めて実感した瞬間だった。

 それが理由なんだろうが、俺はそれ以降、猫が苦手だ。嫌いと言っても過言ではない。

 我儘で、気分屋で、ちっともこちらに懐きはしない。そんな猫と言う動物が、嫌いだ。

 だと言うのに、今俺の目の前に広がるこの光景はなんだ?

「あなたが今日から住む犬山(いぬやま)一成(いっせい)君ですね。私はこのアパートの大家をやってる、佐久間(さくま)朱音(あかね)です。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします……」

 二十代と思わしき女性、大家と名乗った佐久間朱音さんの柔和な笑みに、なんとも言えない微妙な表情で応じる。

 さて、状況を整理しよう。

 今日は俺、犬山一成にとっての記念すべき日。一人暮らし開始日だ。春らしい心地の良い風が吹き、近くの桜の木はその花を咲かせている。実に気分のいい日だ。この俺の新たな門出を、世界が祝ってくれてるのだ。

 実家から離れた高校に入学して、来週から通うことになる。そんな俺が今日から住むことになっているのがここ、色鳥荘。駅からほど近い古ぼけた木造アパートで、家賃も格安。地震があれば一発で崩れそうなぼろっちいアパートだ。それでもまあ、普通のアパートと言えるだろう。ただ一点を除けば、の話だが。

「ああ、もしかして、この子達が気になる?」

 長い茶色の髪を揺らしながら朱音さんが振り向き、アパートの敷地内で寛いでいる大量の猫を見やる。

 そう、猫だ。猫である。大量の猫。

 にゃーにゃーと煩いわけではないが、どの猫も思い思いの場所で寛ぎ、遊び、そして寝ている。

 ただのアパートの敷地内にこれ程までの猫が集まっているのは、異様の一言に尽きる。どいつも首輪などの類をしていないから、恐らく全員野良猫なのだろう。

 そんな中で俺の目を惹いたのは、寝ている猫でもあくびをしている猫でもなくて。

 猫耳と尻尾を生やし、敷地内にいる猫とサッカーボールで遊ぶ、俺と同年代くらいの女の子。

「ここの子達はね、みんなあの子について来たのよ」

「ついて来た? それって……」

 どう言う意味かと問い返すよりも前に、朱音さんが猫と戯れる少女を呼んだことで、俺の言葉は遮られた。

「朱音、どうかした?」

音子(ねこ)ちゃん、こちら今日からここに住む犬山一成君よ。一成君、この子はあなたが住む部屋の隣に住んでる、双葉(ふたば)音子(ねこ)ちゃん。仲良くしてあげてね」

「ど、どうも……」

 音子と呼ばれた少女は、よく見るとかなりの美少女だった。黒い髪の毛を肩の辺りで切り揃えていて、そのてっぺんに二つの赤い三角が。パッチリと開いた大きな目は吸い込まれてしまいそうな魔力を帯びている。だぼだぼのスウェットを着用していることを除けば、文句のつけようがない美少女だろう。そしておっぱいが大きい。

 そんな美少女が、無表情のまま俺の全身を観察するように眺める。じーっと見られているとなんだか居心地が悪いのだが、少女はそんなこと御構いなしに、俺への距離を一歩詰めてくる。やめて近い近いなんかいい匂いする。

「あなた、猫は好き?」

「は?」

「だから、猫は、好き?」

 いきなり自分のことを好きかどうか聞いて来るとか頭沸いてんのかこいつ、とか思ったが、冷静に考えて音子ではなく猫のことだろう。ややこしいな。

 さて、この質問にはどう答えようか。本当のことを話してしまうのは簡単ではあるが、隣人との今後の関係も考慮するならば、当たり障りない返答をするべきだろう。

「まあ、嫌いではないぞ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 双葉音子は、なおもこちらをじーっと見つめて来る。美少女に急接近されてこんなに見つめられるのも悪くはないが、流石にこれは見られすぎだ。

 暫くお互い無言でいると、双葉音子がクンクンと鼻を鳴らした。え、なに、もしかして今、匂い嗅がれた? 変な匂いとかしてた?

 突然の奇行に戸惑っていると、目の前の少女の視線がジトッとしたものに変わる。

「嘘を吐いてる匂いがする」

「は?」

 匂い? どういうことだ?

 頭が疑問符で埋め尽くされるも、それきり興味をなくしたのか、彼女は俺から離れまた猫達の元へと戻っていった。

 なんだったんだ今の?

「ごめんね一成君。あの子、本当に猫みたいに気まぐれな子だから」

「そうっすか……」

 なるほどつまり、仲良く出来ないタイプの人種だと。出来る限り面倒なことを避けて生活したい俺としては、あまり関わりたくない相手だ。まあ、隣人として最低限の付き合いをしていればいいだろう。

「じゃあ、部屋に案内するね」

 歩き出した朱音さんの背中について行き、改めてアパートを眺めていると、ふと、一匹の猫が目に留まった。なんの変哲も無い、どこにでもいそうな黒猫だ。大きさから察するに、恐らくは成猫だろう。そいつはこちらをジッと見ていて。どこか不思議な、神秘的な存在感を放っている。

「一成君、もしかして猫が苦手だったりするかな?」

 前方からの問いかけにハッとなり、意識をそちらへ戻す。

「まあ、結構苦手ではありますね。アレルギーとかじゃないんで、別にいること自体は問題ないんすけど」

「そっか。出来れば一成君も音子ちゃんと仲良くして欲しいんだけど、出来そう?」

「前向きに善処する方向で検討しますよ」

「それ、結局出来ないやつだよね」

 朱音さんの苦笑いを聞きながら視線をさっきの黒猫の方へ。しかし、すでにあいつはいなかった。他の猫達の方も見てみるが、やっぱりどこにも見当たらない。元の住処へ帰ったのだろうか。まあ、あの黒猫がどこに行こうと、俺には関係ない話だ。

「さて、ここが一成君の部屋だよ」

 案内された先は、アパート一階の一〇四号室。隣の一〇五号室の表札に『双葉』と書いてあるので、さっきのあの子の部屋はここなのだろう。

「じゃあこれ、部屋の鍵ね」

「ありがとうございます」

「荷物は明日だっけ?」

「はい。事前に運ばせてもらってるのと、明日来るので全部っす」

「うん、分かりました。これからよろしくね」

 数日前に業者に頼んで、必要最低限の荷物はすでに運ばせてもらってる。後は明日親に運んでもらう本棚とかゲームとかのみだ。

 朱音さんから鍵を受け取り、ついに新たな我が家へと足を踏み入れる。

「ここが今日から、俺の家、か」

 間取りは小さな1Kだ。しかしそれでも、高校生の一人暮らしには十分すぎる。

 部屋の中には未開封のダンボールがいくつも置いてあるから、まずはこれらを片すところから始めなければ。

 手荷物として持ってきていたエナメルバックを畳の上に置き、その場に寝転がった。見上げた天井は、実際よりも高く感じる。

「ついに念願の一人暮らし……」

 実感がふつふつと込み上げてきた。

 ただ一人暮らしがしたいためだけに県外の高校を受験し、そしてそれが叶った。喜びのあまり叫びたい衝動に駆られるが、まあそれはよしておこう。

 猫が大量にいないことを除けば、夢にまで見た生活を手に入れたのだ。これで入学式の日に友達を沢山作り、家に招いたりして、そのうち彼女なんかも……!

『喜びを全身で表しているところ恐縮だが、さっさとこのダンボールを片付けてくれないだろうか。窮屈で仕方がない』

「へ?」

 声が、聞こえた。

 聞こえるはずがない。だって、ここは今日から俺の部屋で、ここに俺以外の人間なんているわけなくて。

 弾かれるように起き上がり、部屋を見渡す。壁、襖、窓、キッチン、猫、玄関。それらが順番に目に入って来て、おかしなところはない事を確認し──。

 いや待て、今明らかにおかしいのが一つあったぞ。

「さっきの、黒猫……?」

 玄関の前で毛繕いをしているのは、さっきの黒猫。どこから入ってきた? いつからいた? いや、そんなことの前に、さっき喋ったのは、まさかこいつか?

 いやいやまさかそんな。猫が喋るなんてそんな。

「疲れてんのかな……」

『慣れない環境での気疲れというのもあるだろう。だが、お前にはこのダンボールを今すぐどうにかしてもらわないと困る。ここは私の住処でもあるのだから』

 聞き間違い、ではない。今確かに、そこにいる黒猫から声がした。ありえない。猫が喋るわけがない。なんだ、俺は夢でも見てるのか?

『そう言えば、名乗っていなかったか。折角なので、君たちのよく知る名乗り口上を使わせてもらおう』

 どれだけ目を擦ろうが、頬をつねろうが、夢からは一向に醒めず、これが現実なのだと知らしめられる。

 そして尊大な口調の黒猫は、一歩ずつこちらに近づいてきて。

『我輩は猫である。名前はまだない。これからよろしく頼むぞ、人間』

 繰り返し言わせてもらおう。

 俺は、猫が、嫌いだ。

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