表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/32

砂上の箱庭~緑聴くボク~

 ふわふわと浮遊感。気持ちいい。

 家にいれば断続的に聞こえる砂が窓を叩く音も、水を循環させているポンプの音も聞こえない。

 深い水の中で、機械が発するぼんやりした音のようなものは感じている。聞こえる訳じゃないんだけど。


 あれ? 私、夢を見てる? メールに気付いて端末前に座って……

 うん。浴槽さえない家なのに、水に沈める訳がない。

 それだけの量の水があるなら、このあいだ届いたバジルやトマトを迷わず育てるもの。パパがキャシーやマリリンなんて名前を付けた、元が何か分からないような植物(もの)じゃなくて!


 とん、と背中が地に着いた。続いて沈んできた足も。

 重力を感じる。身体が重くなる。ああ。夢だと気付いちゃったから、もう浮かんでいられないのかぁ。残念。自分の貧弱な想像力が少しだけ恨めしい。

 身体を覆っていた水のようなものはどんどん減っていって、眩しいくらいの明かりが瞼の裏を赤く染めた。

 排水されるこぽこぽという音が反響していて、長い髪がお腹の辺りまでべったりと肌に貼りつく。

 ……長い髪? 誰の?

 ショートボブにしている私の髪はどう頑張っても肩に付くことはない。

 開いた瞳は、眩しくてすぐにまた閉じられる。顔に貼りつく髪を横に撫でつけ、その手で庇を作るようにして、目を細めて見ると――

 ガラスケースの向こうから覗く、白衣を着た人々の好奇に満ちた顔が見えた。


 思わずパパの姿を探す。パパも良くこういう感じでシャーレを覗き込んでた。

 って、いうか、覗きこまれてるのは、私?

 口元に続く半透明の管は鼻と口を覆う呼吸器に繋がっている。

 え? どうしたんだろう? 病院なの?

 事態を飲み込めなくて、目の前の丸みを帯びたガラスケースに手を伸ばした。紅葉のような手のひらはガラス面に届かない。成人を過ぎた私のサイズじゃないことに驚いて、その手を返してまじまじと見つめる。どの指も問題無く自分の意志で動かせた。


 プシュッと圧が抜ける音にびくりと身体が震えた。蓋が開けられ、呼吸器を外され、タオルで包まれ、瞬く間にその場から連れ出される。数人がかりの連係プレイだ。

 何度か質問を試みようとしてみたけど、喉の奥がカラカラに乾いていて上手く声にならない。

 全自動入浴機(オートバス)に突っ込まれ、洗濯物のように乾燥まで済んでから、私は機体に身体を預けたまま自分の身体を見下ろした。

 凹凸の無い身体。お尻が隠れるほど長い髪。先に行くほど緑が濃くて、栗色の私の髪とは似ても似つかない。足だって小さい……子供の足だ。

 私、縮んじゃったんだろうか……奇病にでもかかって、それで、病院に?

 重怠い身体はなんだか上手く動かせないし、夢なのか、現実なのかも判断がつかない。


38(スリーエイト)


 開いたドアから着替えを持った女性が入ってきてそう言った。

 後ろで髪をきりりと纏めた、少しきつめの美人。私より少し年上かな? 着ている白衣の左胸、ポケットの上部に"DNSI"とロゴが入っていた。Iの字が木を模していて文字の上に傘を広げている。

 それを見て、私はようやく目が覚めた気分になった。


 ダーウィン()自然科学研究所(NSI)。パパを協力の名の下に、半ば無理矢理連れて行った大手研究所だ。バイオ兵器を開発してるとか、国からヤバイ研究を頼まれてるとか、胡散臭い噂が後を絶たない。

 大昔の偉大な生物学者だか自然学者だかの名前を冠してるらしいけど、その理念まではどうだろう。

 なすがままに薄い緑の検査着のようなものを着せられて、彼女に抱き上げられる。


「髪は後で揃えなきゃね。ちょっと鬱陶しいわ。でもその前に軽く検査をして所長にお披露目しなくちゃ! 急に目覚めるんだもの。連絡が間に合わなかったじゃない」


 興奮気味にまくしたてられ、バスルームから出ると、ずらりと並んだ白衣を着た人々から拍手で迎えられた。花道を進んでいく間に頭を撫でられたり頬をつつかれたりつままれたりする。

 何コレ!?

 誇らしげに足を進める女性が隣室に入ると、やはりロゴの入った白衣を着た人が何人かいて、てきぱきと私を測っていく。身長、体重から始まって脳波に心電図、エコーで体内も隅々と。手足を押さえつけられ、下腹部に伸びた手にはひび割れた悲鳴を上げたけど、事務的に触れた手はすぐに離れて行った。凸も凹も無いようで、つるんとしているみたい。


「生殖器はやはり無いですね。これから成長すると分化するのか……自己受精するのか……体内にはそれらしい物が見受けられるので要観察ですね。繁殖させた方がいいのかはまだ何とも言えませんが」


 至極真面目な顔で語られる内容に、呆然となる。どういうこと?!

 また検査着を整えられ、血を抜かれると、ちょっと待ってねと液体の入った紙コップを渡された。匂いを嗅いでみても特に変な臭いはしない。恐る恐る口に含んでみると普通の水だった。

 カラカラだった喉が無性にそれを欲して、一気に流し込む。冷たいものが染み込んでいく。なんだか満たされる。何度か咳払いすると、喉の違和感はすっかりなくなっていた。

 そっと辺りを見渡す。ここがDNSIなら、迂闊なことは言えないな。


 去年あったパパの研究資料の盗難騒ぎ。私はここが疑わしいと思ってる。セキュリティが甘かったのは反省するけど、しばらくしてからパパを迎えに来たタイミングの良さ。それまで見向きもしなかった個人の貧乏研究家をわざわざ大金もって引き抜きに来るなんて、胡散臭さしかない。その上、全く連絡がつかないってどういうことよ?

 最初は渋ってたくせに、結局ついてったパパにももやもやしてる。いい機会だ。できればパパを探し出して連れ帰りたい。


 ふと、身長計の隣の壁に埋め込まれた鏡に目が留まった。

 子供が映っている。6〜7歳くらいの長い髪の少年。綺麗なエメラルドグリーンの瞳で、紙コップを持ったままこちらを凝視している。

 ――誰だ。これは。

 じっと見て、そっと手を振ってみたり足を揺らしてみたりする。もちろん鏡の中のその子も同じ動きをした。

 自分とは似ても似つかない容姿で、無意味な動きを繰り返す鏡の中の子供を見ているうちに、じわじわと妙な確信が沸いてくる。

 これは私じゃない(・・・・・・・・)。私が縮んだんじゃない。

 おもむろに私は机の上に乗り出して、向こう側で難しい顔をして端末に向かう人達に這って近付いていった。彼女達がぎょっとした顔で私を見る。

 ディスプレイを覗き込んでずらずらと並ぶ数字の一番上、当然あるだろう名前を確認する。


「38?」


 "HPG−38"


 名前らしきものはそれだけだった。


「ボクは何」


 突然、滑らかに発せられた言葉に全員が息をのむ。最初に自分を取り戻したのは私を抱いてきた女性だった。


「……あなたは識別番号『HPG−38』。ヒトとのハイブリットで初の成功例となるはずの実験体。所長はあなたを『ディアン』と呼ぶけれど。世界の砂漠化を止められるかもしれない、希望の種よ」


 実験体。人と、なんの? 後ろ暗い噂はあながち間違ってないってこと? 人体実験にまで手を出してたなんて!

 目指すところは同じかもしれないけど、DNSIとはどこまでも気が合わないらしい。

 私はもう一度ディスプレイに視線を戻した。データを入力しているのなら何処かに日付があるはずだ……あった。


 "Jun/14/1592"


 14日。私がメールに気付いたのは13日の夜。1日も経ってない。

 パパの携帯端末に何度メールしても返ってこないから、直接DNSIに送り付けてやった、その返事がきたんだと思ったんだけど。その先の記憶はいくら頭を捻っても思い出せなかった。

 私はどうなったんだろう。私の身体は。生きてるのか、死んでるのか。どうにかして確認したいけど、実験体のこの子が知らないはずの私の心配をするのは変だ。パパに会えるだろうか? この実験にどこかで関わっていてくれれば、望みはある? それとも、こうなってるのはパパのせい?

 ああ、やっぱりパパを探し出さなくちゃ! それも、早急に!


「38。それが何か分かるの?」


 ディスプレイを凝視する私に周りが緊張しているのが分かる。だいたいのところは解るけど、あえて私は首を振った。


「何かなあって」


 ほっとしたように彼女は私を抱き上げる。


「言葉も話せるだなんて。思った以上の成果かも」

「カプセルの周囲で話す我々の言葉を聞いていたのかもしれませんね」


 喧々諤々と議論を始める人々を置いて、女性は部屋を後にした。


「検証は後。所長も喜ばれるに違いないわ」


 ガラス張りのエレベーターに乗り込み、彼女はパネルで最上階をタッチする。地下3階の暗がりから、それは瞬く間に明るい地上へと上昇した。砂防壁の展開する耳慣れた電子の音階が外から聞こえてきて、街をぐるりと囲うラインがせり上がってくるのが見える。

 街とは反対側の砂漠の奥では黄土色の砂煙が空高くまで舞い上がっていた。

 砂嵐の予報は精度を上げ、都市を囲むバリアの技術も向上したけれど、世界の砂漠化は容赦なく進んでいる。

 都市と砂漠の間で緑化の道を模索している私達には、嵐はいつものことだ。薄茶色に囲まれてしまえば、後は待つしかない。


 シックな調度で纏められた所長室に通されると、大きな窓に向かって誰かが立っていた。パパと同い年くらいの、いかにもやり手そうな目つきの鋭いロマンスグレーのおじさん。彼は来客に振り向きもせず、後ろ手を組んだまま迫りくる砂嵐を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ