表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/32

私と王子のコモンセンス

「常識とはコミュニティ内における暗黙の了解だ」と言ったのは誰だったろうか。


 例えば、国という大きなコミュニティの常識の違いを一つ上げるとすると、日本人が顔を隠すためにマスクを着用するのも、外国の方からすれば、風邪を引いているわけでもないのに、マスクを使用するのは常識外れだという。小さなコミュニティ間でも、私の家だと、晩御飯は父親が帰って来てから一緒に食べていたけれど、友達のひろ子ちゃんの家では、十八時になったら父親が帰宅していなくても待たずに食べていた。私はそれを疑問に思ったことはないし、それぞれの家庭でそういう常識が出来上がっていたのだろう。

 さて、常識の違いというものを考えたところで、現実と向き合おうことにしよう。最近、私の朝の通学にはお迎えが来るようになっていた。本日は寝坊したこともあり、時間がなく危機的な状況に迫られていた。歯磨きや身だしなみ、必要最小限の支度だけを手早く済ませると、予定時刻ぴったりに響き渡るインターホンに呼ばれるように、玄関に飛び出した。

 玄関の外で待っていた青年は、朝日を浴びて必要以上にキラキラと輝いていた。私と目が合うとふわりと砂糖菓子よりも甘く微笑む。甘ったるいのは表情だけではない、フリルや紋章の付いた特注の学生服に身を包む耽美な姿、宝石よりも綺麗に輝くプラチナ色の髪、長い睫毛の下から覗く柔らかで青空のように透き通った瞳。幼さと精悍さを併せ持つその顔はとても同い年の高校生とは思えない。


「おはよう、みのり。今日も可愛いね」


 どこかの国の王族であるはずのエドアルドはとても流暢な日本語で朝から口説き文句をさらりと言う。最初の頃はいたたまれないほどの恥ずかしさで耳まで真っ赤になっていたものだが、今では笑顔でさらりと挨拶を返せるようになっていた。


「おはよう、エドアルド」

 

 私はエドアルドにエスコートされるがままに電車のように長く黒いリムジンに乗り込む。こんな大きな車が一般家庭がごちゃごちゃと立ち並ぶ住宅街にどうやって入って来ているのかは疑問に持ってはいけない。


「みのり大丈夫? 顔色が悪いようだけど……」


 俯いて考えごとをしていると、エドアルドが心配そうに覗き込んで来た。突然のイケメンの顔のアップに低血圧な私も自然と血圧が上昇する。イケメンは目の保養だけではなく、健康促進にも役立つようだ。


「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。朝ごはんを食べ忘れただけだから」


 今朝は時間がなかったので、朝ご飯は抜いたのだ。私は何も考えずに口にした後、しまったと後悔した。エドアルドの端正な顔に陰りが出来る。深刻な表情を浮かべた後、指を鳴らした。私が何かを言う前に、直ぐに黒服が駆けつける。


「気づいてあげられなくてごめんね。直ぐにシェフに持ってこさせるから」


 エドアルドが黒服に異国語で何かの指示を出している。私の朝食を注文しているのだろう。時間がなくて、朝食抜きなんて、少し前まではあたりまえだった。学校だって自転車を漕いで通っていた。そう、エドアルドに出会うまでは私は普通の高校生活を送っていたのだ。




『稲穂さんの書かれる作品が大好きです。販売予定はありますか?』


 深夜二時、文章投稿サイトを徘徊していると、メッセージが飛んできた。これが、エドアルドとの最初の出会いだった。私はその文章投稿サイトで執筆活動をしていた。稲穂というのは、私のハンドルネームで、私の名前がみのりだから、実るもので稲穂、安直だけど可愛い名前だと気に入っている。


『気に入ってくださりありがとうございます。でも、これは売りものではありません。私の作品は私のために書いているのです』


 そう、私の作品は売り物ではないのだ。お金を貰うものはお客様の為に書かなければならないと思う。少しでも、面白く、楽しんで貰えるように。でも、私が書いているものは違う。自己満足だ。自分の心の中のもやもやを形にしたくて書いているものだ。自分が感じているものを理解したくて書いているのだ。

 エドアルド、この時は、コンソメ王子というハンドルネームだった相手とはこれが切っ掛けで、定期的にメッセージで会話をするようになっていた。


『実は、今度、日本に行くんです。良かったら、会って貰えませんか?』

『コンソメ王子さんは外国の方だったのですね。気持ちは有り難いですけれど、片田舎に住んでおりますので、会うのは難しいです』


 コンソメ王子さんは、東京か関西に観光にでも来るのだろう。学生である私が一人で都会に出るのは、安全面でも、金銭面でも難しい。会ってお話をしてみたい気持ちもあったがグッと堪えた。


『残念です。代わりに、ファンレターを送らせ貰ってもよろしいですか?』

『ファンレターなら大歓迎です。気を遣わせてしまっているのなら、無理して送って貰わなくても、大丈夫ですからね』

『いいえ、私は稲穂さんの作品が大好きなので、少しでもこの思いを伝えたいです』


 住所くらいなら教えても大丈夫だろう。外国の方のようだし、会いに来られる心配もない。それに、私はファンレターというものを貰ったことがなかった。ファンレターを頂くというのはどういう気持ちになるのだろう。きっと、とても嬉しいに違いない。

 それから、数日後のことだ。休日の至福のひと時を、家でゆるりと満喫していると、幸せな気分に水を差すかのように、インターフォンが鳴り響いた。両親は買い物に外出しており、家の中に居るのは私一人だ。億劫な気持ちで仕方なく玄関に出ると、そこには、二次元の世界から飛び出して来たようなイケメンが立っていた。皺ひとつない青いシャツに白いスーツをスマートに着こなし、手には赤いバラの花束を、花束の上には一通の封筒が挟まっていた。私を見るなり、太陽が輝くように微笑むとバラの花束を差し出した。


「初めまして、コンソメ王子です。稲穂さん、約束のファンレターを持ってきたよ」


 溢れんばかりのバラの花束と、封蝋してあるファンレター。何このイケメン! どこの貴族様なの! 手渡ししにくるなんて予想してないよ!! と心の中の興奮を表情に出さないように気を付けながら、恭しく受け取る。ぎこちない動きの私を見ても彼は笑うことなく、じっと私のことを見ていることに驚きつつも好感を覚えた。


「それじゃあ、今日はファンレターを届けに来ただけだから」


 振り返る彼を思わず引き留める。


「それだけのことで会いに来てくれたのですか?」


 彼は振り返り、至って真面目な表情で応える。


「それだけだって? 僕に取ってはとても大切なことさ。稲穂さんに感謝を伝える。それより大事なことはないよ」


 彼は、そう言うと、電車より長く黒いリムジンに乗り込み行ってしまった。後でネットニュースで知った話だが、コンソメ王子は本当に王子様で、極秘の来日をされていたそうだ。貴重な時間を割いて会いに来てくれたのなら、もっとお話しをすれば良かったと後悔した。

 ファンレターは日本語で書いてあり、私の作品に心を動かされたこと、自分のために書いているということに感銘を受けたことなどが綴ってあった。自分の書いた文章が誰かに良い影響を与えらたというのが嬉しくて、目頭が熱くなるのを感じた。次回作は誰かのために、いや、コンソメ王子のために書くのもいいかもしれない。書いたことがないけれどやってみよう。喜んで貰えるかどうかはわからない。ファンレターのお礼として、私に出来ることはそれしかないと思った。

 私が書いたその作品をコンソメ王子は甚く気に入ってくれた。お礼として、君の望むものなら何だってプレゼントしたいと言われたが、丁重に断った。私は見返りが欲しくて書いたのでない。コンソメ王子に喜んで欲しくて書いたものなのだ。

 それから、暫くの間、コンソメ王子とのやりとりは続いていたが、ある日を境にぱったりと連絡が来なくなった。私は心配になったが、コンソメ王子の連絡先を他に知らなかったし、本名も知らない。私から連絡を取る手段はない。メッセージの新着通知欄を何度も確認したが、コンソメ王子から連絡が来ることはなかった。




 季節が変わるくらい時間が流れた頃に、コンソメ王子はうちの学校に転校して来た。それこそ急に、何の前触れもなく。

 担任の転校生紹介を聞き終え、絶句する私、黄色い歓声を上げる女生徒達、それらをみんな無視して、私の前に跪き、手の甲にキスをするコンソメ王子。その瞬間、クラス中から視線が突き刺さるのがわかった。真っ白に染まる頭の中で、分かったことが一つだけあった、静かだった私の学生生活は今日を最後に終わりを告げたのだった。




「エドアルド、郷に入れば郷に従えという諺は知ってる?」


 回想を終え、現実に戻ってくると、私はエドアルドに尋ねた。


「日本の諺だよね。その地域のルールに従いなさいという意味だったと思うよ」

「そう、だから、明日からは私たちも普通に通学しましょう。他の生徒のように、普通の制服を着て、自転車に跨り通学するの。何が正しいやり方かは私にもわからないけれど、今のやり方は、日本にエドアルドのルールを持ち込んでいると思う」


 同乗している黒服の男性が何かを言いかけたが、エドアルドはそれを手で遮る。


「わかった、みのりに言われるまで気づけなかったがその通りだ。明日からは自転車で迎えに行くよ」


 この時の私は、エドアルドの笑顔の裏側にある表情に気付けないでいた。エドアルドは王族で身分や責任が私とは違うのだ。そのことがわからないくらい、私は世間の常識を知らなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ