初陣に至るまで 1
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時は遡り半日ほど前、ナギは兵舎の自室内、ベッドの上に鎮座していた。彼は生来明るい性格で、所謂「ムードメーカー」なのだが、その表情は険しく、室内に重苦しいムードを作り上げている。さらに、ナギの同居人であるウィネル・シーダは世界の全てに絶望したような表情を浮かべ、ベッドに腰を掛けじっと床を睨んでいた。ナギは彼のことを、親しみを込めて「ウィン」と呼ぶことにしている。ナギとウィネルの付き合いは1年程に過ぎないが、軍に入って以来、寝食を共にしていた。苦楽を共にすることで、彼らの間には確かな「絆」が生まれていたのだ。そして彼らは今も新たな「苦」に直面していた。
「なあウィンよ」
沈黙を破り、ナギが言葉を発した。心なしか申し訳なさそうな口調だが、彼の真意は定かではない。
「なんだ」
ウィネルが応える。しかし視線は床から動かない。その対応は「不本意ながら会話をする」際のそれだった。
「悪かったよ」
ナギの謝罪に対し、ウィネルが顔を上げた。しかしナギに向ける視線には敵意が込められている。話を聞く素振りを見せたウィネルに対し、尚もナギは言葉を続ける。なぜならナギもウィネルに対して敵意を抱いているからだ。この場に限っては、絆は無意味なものだった。
「お前なら俺の魔法を受け止めてくれると思ったんだ。ほら、攻めはともかく守りは得意だろ?だからお前の後ろに禿の魔導士がいてもお前の後ろに禿の魔導士がいてもきっと受け止めると思ったんだよ。でもお前今回に限って完璧なタイミングで避けたよな?こんな目に遭ってるのはお前のせいだと思わないか?」
「いや、思わないね。俺はお前の攻撃から『明確な殺意』を感じたから避けることを選んだ。寝言は寝て言え」
「おいおい、寝言を言ってるのはお前だろうが。昨日の夜、盾の裏に鏡仕込んでたの知っ・・・」
「ナギ、お前昨夜俺に黙って厨房に潜り込んだだろ」
「それは悪かったよ!今日ずっと機嫌が悪かったのもそれが原因か!?」
「それはそれとして、まさかバレてるとは思わなかった。ぐうの音も出ない。ぐう」
「出てんじゃねえか喧嘩売ってんのか!?」
「・・・ところでナギ」
「・・・なんだ」
「腹減ったな」
「せっかく忘れてたのに思い出させるな・・・」
彼らは「訓練中に教官に魔法を当てた罰」として今日の夕食への参加を禁止されていた。今日のメニューは風の国従軍シェフ考案・人気メニューの牛肉のスパイス煮込みである。軍の中には熱狂的なファンが多く、この料理をめぐって争いが起こることも決して珍しくない。ナギとウィネルはこの争いに負けたことがなかった。
ナギが空腹に辟易とし、ウィネルが次の「悪戯」の作戦を密かに練っていると、開け放たれた窓から聴きなれた声が聞こえてくる。
「ナギ・グランツ!ウィネル・シーダ!貴様ら貴重な時間を何故無駄にしている!?空腹なお前らに朗報だ!明日の朝食は豪華になるぞ!俺との模擬戦に勝てたらな!」
「・・・ふっ!」
空腹に耐えかねたナギが窓から石を投げる。石には魔力が込められ、ナギの「本気」が伺えた。窓の外から声が聞こえてきた段階で、ウィネルは薄ら笑いを浮かべながら懐から拳大の石を取り出し、さりげなくナギに手渡していたが、それは些細なことだ。
「うお!?おい!石を投げるだけならまだしも魔力を込めるな!避けなかったら大怪我だぞ!」
声の主はリオル・ウォレス。彼は苛烈な戦いぶりから、武人からは『剣鬼』と呼ばれている。現在は武術教練の教官を担当している中年だが、その剣には一切の陰りが無く、暇を持て余している新兵を見つけては魅力ある報酬をチラつかせ、模擬戦を吹っ掛けている。平たく表せば、『落ち着きのない中年』だった。余談だが、彼は新兵にも分け隔てなく接し、どこか憎めない雰囲気を纏っているため、一部の者からは「親父」と呼ばれている。
「またあのおっさんか・・・罰則の度に喧嘩売ってきやがって・・・ナギ、どうする」
「どうするもなにも、『剣鬼』との模擬戦だ。腹は減ったがこれを逃す手は無い。それに今回は秘策がある」
「お前の秘策は多すぎて数えきれない。まあここで勝てば明日の朝飯は一層うまくなるか」
「決まりだな・・・リオル教官!今そちらへ向かいます!今回は負けません!」
「はっはっは!その意気だ!今日こそお前らの性根ごと叩き折ってやる!」
ナギの呼びかけに対し、リオルは嬉々として言葉を返す。度重なる罰則を受けても一向に懲りる気配が感じられない『問題児』達を更生させることは不可能に近いが、リオルは彼らに期待していた。二人は数多くの罰則を受けているが、処分が軽いものに収まっているのはリオルの口利きと二人の才能を軍が手放したくないという理由がある。しかし、それを伝えると間違いなく二人の『問題児』は調子に乗るため、彼らに知られるわけにはいかない事実であった。
そして数分後、ウィネルとリオルは大勢の観客の声援を受けつつ対峙していた。ナギはというと、ウィネルの剣と盾、そして自らが使う模擬刀を取りに行っている。ウィネルが手や足を動かしているのに対し、リオルは観客に話しかけ、場を盛り上げることに尽力していた。そして程なくして、装備を抱えたナギが合流する。人ごみをかき分けるナギは、観客に声を掛けられつつ、時折小突かれつつ輪の中心に向かう。
「ナギが合流したところでルールを確認します!これまでと特に変わりはありません!ナギ・ウィン組かリオル教官、どちらかが降参するか戦闘不能になった時点で模擬戦を終了とします!」
訓練場の中心で橙色の髪を揺らしながら声を上げる彼女はエステル・フィオーラ、癒者と呼ばれる回復魔法の使い手の一人だ。明るく、人懐こいことに加え、騒がしいことに目がないエステルは、いつの間にか模擬戦をイベントの一種に昇華させ、自らが進行を務めるようになっていた。ナギとウィネルは模擬戦に負ける度にエステルに世話になっているため、打ち解けるのに多くの時間を必要としなかった。
「ステラ、毎回すまないな。だが今回こそは教官がお前の世話になるし、明日の朝飯は豪華になるぞ。ウィン、気合い入れるぞ」
「俺はいつも気合十分だ。それにお前の方がいつも俺より怪我が重い。もう少し頭を使え」
「君らも毎回懲りないねぇ。あの教官に勝つなんて竜でも無理だって言われてるの知らないの?」
「だったら今日は勝つから俺たちも竜に勝てるな」
「・・・まあ、頑張ってね。どんなケガしても治してあげるから。バカは治せないけど」
「ナギ、言われてるぞ」
「冗談言うなよ、お前のことだろ?」
「いや、あんたら二人だけど」
なんだと!?と二人が反論するが、エステルはひらひらと手を振り、観客の輪に向かっていった。余談だが、周囲からはナギ・ウィネル・エステルの3人は『三馬鹿』と呼ばれていた。エステルの素行に問題が無いのだが、彼らと仲が良いがために受けた風評被害である。そして観客の輪に加わったエステルが再び声をあげる。
「さぁ、準備が整いました!これまでの模擬戦の結果はなんと48戦中の全てが教官の勝利です!そして今、49戦目が始まります!それでは双方、構え!」
観客と戯れていたリオルが輪から離れ、自らの刀を正眼に構えた。その瞬間、空気が張り詰め、場が静まり返る。そして対峙する二人も、一度互いの拳を合わせた後に得物を構える。ナギはリオルと同じく刀を正眼に、ウィネルは盾を前に突き出し、剣をリオルに向けた。静寂が訪れて数秒後、エステルが息を吸い、緊張感がさらに高まる。
「・・・始めっ!」
「シッ!」
声を聞いて真っ先に動いたのはウィネルだった。魔法による身体の強化に長ける彼は足に魔力を纏い、高速で移動すると同時に渾身の突きを繰り出す。しかしウィネルの突きはリオルに届くことは無く、金属音を響かせて弾かれた。さらにリオルは剣を弾くだけでなく、ウィネルに魔力を纏った脚で蹴りを放つ。それを予想していたウィネルは盾を構え、足を受け止めたものの、蹴りの重さに耐えられず、数歩分地面を滑ってしまった。砂煙が舞う中、リオルは笑みを浮かべ、ウィネルに声を掛けた。
「ほう、今の蹴りを防ぎ、構えを保つか。やはり筋が良・・・」
「おらっ!」
「安心しろ。お前も忘れていないぞ、グランツ」
砂煙の中から現れたナギは刀を振り下ろしたが、相手は『剣鬼』、その程度で不意打ちが成り立つ訳が無かった。半歩ほど後ろに下がり、体を捻るだけで刀が躱されてしまう。ナギは攻撃の手を緩めんと刃を返し切り上げようとしたが、急激に刀に重さが加わり、腕が止まってしまう。何事かと刃先を見ると、リオルが刀に足を掛け、攻撃を止めていた。
「っ!?」
予想外の手段で攻撃を防がれたナギは反射的に蹴りを放つが、すでにリオルはその場には居らず、空振りに終わる。
「退くな!このまま押すぞ!」
ナギの横を、盾と剣を構えたウィネルが駆け抜けた。我に返ったナギも足に魔力を纏い後に続く。眼前のリオルに目を向けると、彼は獰猛な笑みを浮かべ、喜色を露わにしていた。
「いいだろう、受けて立つ!
ウィネルは剣と盾を巧みに使い攻撃と防御を繰り返し、その中で出来た隙にナギが切り込む。息の合った二人だからこそ可能な連撃は軽快な音を鳴らし続ける。増し続ける攻勢にリオルも防戦一方に見えたが、ナギは尚も笑みを浮かべるリオルが目を見開いた途端に空気が変わるの感じた。
「っ!?下がれ!」
危険を知らせるために相棒に声を掛けたが、絶え間なく攻撃をしていたウィネルが即座に反応できる訳が無く、咄嗟に盾を構える。
「・・・破っ!」
リオルが吠えた瞬間、これまでの軽快な音は一瞬にして呑み込まれ、舞っていた砂ぼこりも散らされる。思わず一瞬目を閉じたナギが目を開けると、ウィネルの背中が向かってきていた
「避けろ!」
「うおっ!?」
そして二人はぶつかり、仲良く地面を転がる。幸いにも、ぶつかった瞬間に武器を手放していたため、最悪の事態には至らなかった。観客は一瞬静まり返ったが、何が起こったのか理解したのか、興奮を露わにしている。
「悪い、気づくのが遅かった。」
「いや、おかげで助かった。気にするな」
「それより、あの中で魔力を練るなんて信じられないな・・・おまけになんで叫び声だけで人を吹き飛ばせる・・・?」
「すまないな、少々本気になってしまった。肝が冷えてしまったものでな!さぁ、得物を拾え!まだ終わりではないだろう!」
土を払いながら言葉を交わす二人に対し、リオルが話しかける。『肝が冷えてしまった』とは言っているが、その顔には先ほどよりも獰猛な笑みを浮かべていた。
「あー、盾が割れたか。教官、本当に人間ですか?」
「シーダよ、気にするな。この程度なら訓練次第でどうとでもなる」
「・・・ウィン、あの化け物を少しの間任せてもいいか」
ウィネルがリオルに話しかけた直後、ナギがウィネルだけに聞こえるように声を掛けた。先程の攻勢が一声で打ち砕かれたのが余程悔しかったのか、その表情は険しい。その様子をみたウィネルは笑みを浮かべ、言葉を返す。
「長くて20秒だ。それ以上は抑えられない。」
「十分だ。それだけあれば俺の秘策を食らわせてやれる」
「お前らどうした!まさかあの程度で諦めるのか!?」
短いものではあったが二人の会話にリオルが割り込んだ。言葉を返そうとウィネルが目線を向けた瞬間、目の前に刀を振り上げたリオルが現れる。
「っ!?ナギ、一旦離れろ!」
ウィネルが即座に盾を構え、金属音とともに火花が散った。ナギはウィネルの指示通り距離を置き、刀を構えていた。一瞬、何をしようとしているのか気になったウィネルだが、目の前のリオルに集中することにした。ナギのあの様子だと、おそらく『時間稼ぎ』は始まったと考えていいだろう。
「シーダよ、作戦会議は終わったのか?」
「ええ、ですが、ここはしばらく俺に付き合ってください」
ナギは『秘策がある』と言っていたが、自分にだって秘策はある。しばらくリオルと一対一で戦うのならば、この場はそれを実践する絶好の機会だ。その思いから、ウィネルは再び笑みを浮かべ、リオルの言葉に応えていた。
「その表情、楽しませてもらえるのだろうな!?」
大きく後ろに飛んだリオルが先程と同じように距離を詰めてくる。ウィネルは早速秘策を投じようと、リオルへと目を向けていた。ある程度心の準備が整っていたためか、先程よりはリオルの動きを目で追えている。リオルは、ウィネルの視線を受けつつも、刀を振り上げた。しかし、ウィネルは動かない。
『まだ・・・』
リオルが刀を振り下ろす。ウィネルは自らの剣から手を放した。リオルが驚いたのが伝わってくるが、ウィネルは神経を研ぎ澄ませる。
『まだだ・・・』
振り下ろされた刀が眼前に迫ってくる。模擬刀なので死にかかわることにはならないだろうが、『剣鬼』の一撃を受ければタダでは済まないだろう。そしてウィネルは、空になった右手を迫る刀に伸ばす。
「ここだ!」
次の瞬間、剣が地面に落ちるのと同時に甲高い音が響き渡り刀が弾かれ、ウィネルは盾でリオルを殴りつけていた。予想外だったのか、リオルはその攻撃を受け、後ろに退がっている。観客が呆然とする中、打ち合った二人だけは何が起こったのかを理解していた。
「お前、その技は『金剛』か!素晴らしい、楽しいぞシーダよ!」
「勘弁してください教官。これ以上楽しまれては俺たちの身体が持ちません。それにまだまだ完成には至っていない。」
『金剛』と呼ばれるその技は、防御の極致とも呼べる技だ。自らに迫る攻撃が肌に触れるその一瞬に、一点に魔力を集中させるのだが、精密な魔力操作の技量と、迫りくる脅威から決して目をそらさない勇気を必要とする。リオルは、いい意味で予想を裏切られたのが嬉しくて仕方がなかった。
ナギと言葉を交わしてから今までの間は10秒にも満たない。ウィネルはリオルの言葉に応えつつも、彼の攻撃にあと何合耐えることができるのかを考え、ため息をついていた。
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