7 親交を深めてみました。
その日から毎日アレクシスは、クロエに会いに来た。来る際は必ず花束と共にやって来る。
「なぜ、薔薇の花を108本?」
「一番上の兄から聞いたんです。結婚してくださいって意味だって。」
それ、どれだけの貴族令嬢が知っているんだろうか。
「ご存知なかった?」
「はい。」
アレクシスがうなだれる。返答を間違った。
「いえ、私は婚約者っぽい人がいたので、そういうことに疎いのです。友人達は知っていると思います。」
多分。
「では、桃色の薔薇の花言葉はご存知ですか?」
「申し訳ありません。」
調べておきます。
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またある日。
「私を知っていたのですか?」
「はい。クロエ様については存じておりました。有名でしたから。」
「有名?」
100人が100人平凡と言われている人間が何故?
「婚約者の男性、実際は違いましたが、その従兄の方以外とは、絶対踊らない、真面目で慎ましい女性だと。」
ただ、単に踊るのが苦手なだけなんです。
「私の回りにいる友人達は全員そうですよ。」
「言いにくいことですが、その、従兄の方が今回の社交シーズンに入ってから他の女性をエスコートしているのも有名でした。だからこそ、蔑ろにされているのに耐え忍ぶ素晴らしい女性だと。」
クロエは別に従兄のウィリアムのことを思って涙で枕を濡らしたことはない。
ただ漠然とウィリアムと結婚するのだろうと思っていた。結婚する相手がいるのなら、別に無理して見知らぬ人と踊る必要はない。
だからアレクシスの言葉に絶句した。
いったい誰のことを言っているのだろう。
ものすごい誤解がある。
夫婦になるのだから、お互い話し合うべきだ。このお花畑の王子様には悪いが、私はそこまで素晴らしくない。
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またある日。
「フランクール伯爵家の主要産業も農業と酪農なんですか?」
「はい。ですから、コルベール領に行くのが楽しみです。」
従兄のウィリアムの父、つまり叔父は、王宮を守る近衛隊に所属している。
その為従兄のウィリアムは生まれも育ちも王都。毎年オフシーズンになるとコルベール領に遊びに来ていた。
そして、来る度に田舎と言って馬鹿にしていた。
華やかな所が何処にもないと言う。
しかし、アレクシスは違うらしい。
「農業が4割、酪農が3割、林業が1割、繊維業が2割です。」
第二側妃アナの実家フランクール伯爵家は、コルベール伯爵家と同じぐらいの中間貴族。王都からの距離も同じ。
アナの父、つまりアレクシスの祖父は、アレクシスの将来を考え、出来るだけ王都ではなく、フランクール伯爵領でアレクシスを育てていた。
もしかしたら、王位を継ぐことがない孫のために、どこかの貴族の家に入婿し、爵位を得れるように領地運営について学ばせたかったのかもしれない。
王城生まれなのに田舎育ち。
仕事が王立植物研究所なのも頷ける。
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またある日。
「アレクシス様、あの・・」
「アレクと呼んでください。」
「はい?」
「アレクと呼んでください。僕もクロエと呼んでもよろしいでしょうか?」
アレクシスは頬をほんのり赤く染めて聞いてくる。
どうしよう。私より可愛い。
私より女子力が高い。
もし、私が、頬をほんのり赤く染めておねだりをしていたら、ウィリアムは私を可愛いと思っただろうか?
もしかしたらウィリアムが言っていた『色気がない』と言ったのは、こういう仕草が出来なかったからだろうか。
黙って考え込んでいるとアレクシスが心配そうな顔をして覗き込む。
「駄目ですか?」
上目遣い。
どうしよう。アレクシス可愛いすぎる。
どうしよう。私可愛くない。
「いえ、喜んで。アレク様」
クロエは少し無理をして微笑んでしまった。
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またまたある日。
「あのアレク様。毎日薔薇を持ってきて下さってありがとうございます。」
「桃色の薔薇の花言葉は調べましたか?」
「可愛いとか淑やかとか・・」
「本数は?」
本数?
クロエは固まってしまった。
最初の日は沢山あって、2回目以降は毎回5本。
謝ろう。
「ごめんなさい。調べます。」
クロエが項垂れて謝ると、アレクシスは神々しい笑顔で答える。
「貴女に出会えたことへの心からの喜びです。」
「え?」
「薔薇5本の意味です。」
クロエはポンと音がなるぐらいの勢いで顔が赤くなった。
どうしよう。どうしよう。恥ずかしい。
こんな風に女の子として扱ってもらえたことなかった。
恥ずかしい。
どうしていいかわからない。
「婚約後の初めての挨拶の時の薔薇は12本です。」
「え?」
「意味は宿題です。」
「はい。」
クロエは火照った顔のまま静かに答えた。
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またまたある日。
「アレク様、私は・・・実は・・・・余り・・・薔薇は好きではないのです。」
よし、言えた。
「そうなんですか?兄達から女性は薔薇が好きだと聞いていたのですが・・・」
アレクシスの顔色がどことなく悪くなる。
不味い。
「いえ、普通、女性は薔薇が好きだと思います。」
クロエは紅茶を一口飲み、心を落ち着かせた。
「あの、お恥ずかしいことですが、今から12年前の沢山の貴族の子供たちを招いたガーデンパーティーを覚えていますか?」
「はい。王妃様主催の確か5歳位から17歳位の子供達を招待したガーデンパーティですよね。でも、後にも先にも一回しかなかったんですよね。」
突然、話しが変わったことに一瞬訝しげな表情をしたが、アレクシスは落ち付いて返事をした。その返事に安心したクロエは話しを続ける。
「その時、足を滑らせて、薔薇の垣根に衝突してしまって。その・・・ドレスの上からですが、薔薇の棘が刺さって、痛い思いをいたしまして。以来、薔薇は苦手なんです。」
恥ずかしいが、正直に言おう。
アレクシスは正面のソファーからクロエの座っているソファーに移動し、横に一緒に座り、手を握り締めた。
クロエはアレクシスを見る。
神々しい、眩しい笑顔が目の前にある。
余りにも眩しすぎて目がチカチカするので、目を逸らす。
心臓が止まる。間違いなく止まる。
「クロエ。貴女は優しい。」
アレクシスの言葉に驚いて再びアレクシスを見る。
「あの時、誰かが貴女を薔薇の垣根に突き飛ばしたのが正しいでしょう?」
クロエは驚いた。
「何で知っているのですか・・・」
12年前のガーデンパーティー。
身分の違う子供が沢山集まれば起こること。
それはいじめ。
格上の者が格下に、王都周辺の者が地方出身の者に、年上が年下に。
王妃様の目が届いている場所では何も起こらない。
例えば、薔薇を見に庭の奥深くまで遊びに行った子供達の身の上に起こるのだ。
クロエも当然やんちゃ盛り。
友人達と奥深くまで行き、王都出身の高位貴族に因縁をつけられ、最後には垣根に突き飛ばされた。高位貴族の子供達は一斉に逃げ出し、残ったのは地面に突き飛ばされた地方出身の子供達と垣根に突き飛ばされたクロエ。
服を汚されたり、足に擦り傷かできたり、服が薔薇の棘で破れたり、クロエとその友人達は散々な目に遭った。
お陰で結束力は高まった。今でも全員が仲良しだ。
だが、何故その事をアレクシスが知っているのか。どこからその情報をつかんだのだろう。
「あの時、最初にいじめられていた男の子を覚えていますか?」
クロエは思い出してみる。
確か薔薇を見ているときに、誰かが誰かを怒鳴る声がして、それから、声がする方向へ行って、その喧嘩に巻き込まれたような気がしてきた。
「言われたらそんな気がします。でも、覚えていない。」
アレクシスは微笑みながら話す。
「最初にいじめられていたのは僕なんです。
王都で生まれたけど、お披露目もまだで、普段は母の実家のフランクール領で生活していたから、誰も僕を王族だと知らなかったみたいでした。
因縁をつけてきた貴族の子供達は全員が12歳から15歳位で、僕は当時11歳でした。」
「では、喧嘩しても勝ち目はありませんね。」
アレクシスは小さく吹き出して笑う。
「ええ。だから黙っていると、5歳から10歳位の子供達が来ました。
僕をいじめていた人達は、見るからに自分達より年下で、かつ地方出身の貴族の子供達と分かり、矛先を僕からその子供達に変えました。
僕はその隙にアナトール兄様を呼びに現場から逃げたんです。」
「それで、あんなに早く大人達が来たんですね。納得です。」
確かに薔薇の垣根に突き飛ばされたあと直ぐに助けがきた。
まぁ悪戯をした子供達は逃げたけど。
クロエが納得して頷いていると、アレクシスが悲しげな表情になった。
「怒らないのですか?僕は年上なのに逃げたんですよ。」
「でも、大人の人を呼んできたんですよね。」
「ええ、兄と衛兵を。」
クロエは真っ直ぐアレクシスを見る。その表情は困惑。
「何か問題でも?」
アレクシスが今度は困惑した。
「僕が逃げなければ怪我をすることはなかったかもしれない。
だから、ごめんなさい。結果的に怪我をさせてしまったし、怖い思いをさせてしまった。」
クロエはアレクシスを見て首を少し傾げる。
「何で、アレク様が謝るんですか?悪いのはあの時の子供達です。」
思い出したら、腹が立ってきた。
そう言えば今でも親友の一人はこの話をすると怒りに燃え始める。
「ほら、やっぱりクロエは優しい。」
この世の者とは思えない神々しい笑顔でクロエを見て、額にキスをする。
「ガーデンパーティーの時の子供達の中にクロエがいたことは先程まで知りませんでした。
棘が刺さった話しを聞いて思い出したのです。
僕達は王宮の廊下ではなく、あの薔薇が咲き乱れる庭の中で、初めて出会ったんですね。」
なんと言うことか。
ロマンチストだ。
二人の出逢いが薔薇の中とか、美し過ぎる。
「そう思うと薔薇が好きになれそうです。」
クロエは真っ赤になって目をつぶって小さな声で答えた。
アレクシスの気配が近付く。
二人の距離がなくなる。
クロエは初めて記憶に残る口付けをした。
12本の薔薇の意味は「私と付き合って下さい。」です。