6 悲恋の真実を知りました。
女性にとって一番大事な社交の一つに噂話の収集と選別がある。
だれだれは借金まみれとか、だれだれはどこの派閥に属しているとか、だれだれの奥様とだれだれの旦那様はただならぬ関係とか、だれだれは離婚しそうだとか、だれだれは・・・・。
噂話を楽しむことも大事だが(これが一番の本音)、夫に対して正しい情報を伝えるのは妻の役目。
不仲な人同士を同じ晩餐会に呼び、険悪な雰囲気まま晩餐会が終わるなどという失態をしたときには、夫から晩餐会を台無しにしたという理由で離縁などということもある。
話はそれてしまったが、クロエもまた貴族令嬢として将来の伯爵夫人としていろいろな噂話を知っている。
そして、その中にはアレクシスの悲恋についての噂話がある。
今なお、美しいと評判の侯爵家の至宝と言われた三姉妹。
長女は王太子アルフレッドの妻となり、
次女は公爵家の嫡子の妻となり、
三女は隣国の王太子の妻となった。
雲の上過ぎて羨ましくなど、断じて無い。
そして、アレクシスとの悲恋で有名なのは公爵家に嫁いだ次女エリザベート。
噂では二人は駆け落ちまでしようとしていたそうだが、エリザベートの父であるグレゴリー侯爵によって、無理矢理引き裂かれた。
エリザベートは泣く泣くベルトワーズ公爵家の嫡子のもとに嫁いだそうだ。
エリザベートの結婚に精神的に傷付いたアレクシスは、今なお、かっての恋人を思って、結婚もせず、恋人も作っていない。
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「迷惑だなんて思っていません。」
クロエを物思いの海から現実に戻したのは、アレクシスの真摯で真面目な声だった。
「それに、他に好きな女性はいません。」
はっきり言う。
「もしかしてあの噂を信じていらっしゃるのですか?」
「あの噂とは?」
他にも何かあるのかしら?
「私が、かっての恋人を、今も、思っているという噂です。」
「それです。」
アレクシスが今まで見たことが無いくらい嫌悪感を前面に出した表情になる。
「違うのですか?」
ちょっと、その表情、怖いんですが。
今度は、うなだれる。
「違います。」
アレクシスは、クロエを真っ直ぐ見る。そして、クロエの手を取る。しっかり握りしめる。
「私は貴女を傷付けました。
しかも、この婚約は既に私の父である国王が許可しています。貴女にとって、この婚約は不本意かもしれませんが、もはや覆すことは出来ないのです。
私は貴女に対して、誠実でありたいと思います。
信じないかも知れませんが、あの日、貴女を抱いたあと、私は貴女に運命を感じたのです。貴女と幸せになりたいと思いました。」
クロエは顔を真っ赤になりながら、手を振り払いつつ叫ぶ。
「わかりました。ありがとうございます。
ではなく・・・・、婚約が不本意とかは思っていません。
そうではないのです。
ただ、他に好きな女性がいる男性と明るく楽しい家庭が作れるのか不安なんです。
それに、アレクシス様は先程から自身を責めている。
私を見るたびに私を傷付けたと思う人と、どうやって、未来を歩むことが出来るのでしょう。」
一気にまくし立てる。
クロエは、ティーポットに入っている紅茶をティーカップに入れ、再び紅茶をゆっくり飲んだ。そして、アレクシスを見る。
「再びお見苦しいところをお見せして、申し訳ありません。」
謝る。
「いえ。」
アレクシスもクロエも黙る。部屋が静かになる。
そして、静寂を破ったのはアレクシス。
「まず、誤解を解くことから始めます。今から話すことは全て真実です。」
クロエは黙って頷く。
「私にはかって恋人がいました。名前はグレゴリー侯爵家の次女エリザベート。
私は彼女を愛していました。
しかし、私には継ぐ爵位がありません。母の実家であるフランクール伯爵家に余った爵位はなく、既に母の弟である叔父が継いでおりました。
それでも、領地にひっそり暮らすことは出来たのです。
爵位はないので平民になります。
贅沢も今ほどはできません。
でも、二人で力を合わせて幸せに暮らすことが出来ると信じていました。
あの日、僕は彼女の好きな赤い薔薇の花を108本用意しました。
結婚を申し込むために。
しかし、エリザベートは笑いながら『爵位も金も無い男に嫁ぐなんて冗談じゃない。』と言いました。
はじめから彼女は僕が王子だからそばにおいただけで、結婚など考えていなかった。
僕は彼女が爵位がなくても一緒になってくれると疑っていませんでした。
今思えば、子供だったんです。
その後、以前からエリザベートに懸想していたベルトワーズ公爵家の嫡男とエリザベートは婚約し、結婚しました。
しかし、結婚後、彼女は僕のもとに来て『恋人にならない』と言うんです。
冗談じゃないと思った。
でも、彼女にとって僕は元々自身を飾る宝石と同じなんです。
自分を美しく見せるため、自分が誰よりも目立つために、僕を求めたんです。
僕をそばに置いたら自慢になるとでも思ったのでしょう。」
クロエは気付く。
『私』から『僕』にかわっている。
アレクシスは感情的になっている。
間違いなく嘘偽りない真実なのだろう。
貴族と言えども身分が違うため、同じ舞踏会に呼ばれることがほとんどない。
その為エリザベートについての情報がクロエにはない。
美しいという情報とアレクシスの悲恋のみ。
たまにある王宮舞踏会でちらっとエリザベートを見るぐらいで、たまたま見たときは、美しい男性に囲まれているなと思っていた。
もしかしたあの状態が日常茶飯事なのかしら。
「私が独身なのは、エリザベートを思ってでは、断じてありません。」
アレクシスは言い切る。
そして、話しすぎて喉が乾いたのか紅茶を飲んで、ゆっくり肩をおろした。
クロエはその様子を見る。表情、目、手、顔色、口。
アレクシスは苦しんでいる。
そう結論付けたクロエは、だからこそ思ったことを口にする。
「女性を憎んでいますか?」
アレクシスはクロエを驚いて見る。
「何故?」
「何となく。エリザベート様の件で女性不信になったのかと思いまして。」
アレクシスは微かに笑顔になる。
「いえ、流石とそこまでにはなっていませんよ。
それに・・・・僕は運命を感じたのです。クロエ様、貴女に対して。
運命の人だと。」
クロエは再び顔が真っ赤になってしまった。
いい男に言われると恥ずかしい。